クイア・スタディーズについて

私たちの間にある差異や多様性。特にセクシュアリティに関するもの、こうした差異や多様性そして社会心理的な、あるいは歴史に根ざした構造的な問題について研究するのが「クイア・スタディーズ」である。今回はこの西洋由来の魅力的な学問をざっと見ていきたい。

そもそもクイアとは英語圏においては「変態」という意味の侮蔑語であった。そしてそれは主に同性愛者など性的少数者に向けられるものであった。同性愛の犯罪化、病理化を経て1970年代のゲイ解放運動の波の中で、クイアという単語は新たな意味を付与されていく。

クイアとは私たちの中にある差異や多様性についての思考を深化させ、また細分化された各セクシュアリティを集約させるものとしても機能していく。今回は「クイア・スタディーズ」について概観していきたい。



1.同性愛の病理化・犯罪化


同性愛という用語は、1868年にハンガリー医師ベンケルトによって考案された。それ以来同性愛は1世紀以上に渡って学問研究の対象となってきた。


19世紀後半になると、同性愛はスキャンダルとして扱われ法的な迫害も受けるようになっていく。同性愛を犯罪とし、法的に規制する動きが出てきた。だが同性愛を病理として考え、こうした言説を廃棄し、医療化していこうとする考えも出てくる。同性愛の犯罪化と医療化はほぼ同時に起きた。同性愛を医療化する言説は犯罪化に対する対抗言説として機能したのだ。


同性愛という用語の考案者であるハンガリー人医師であるカーロイ・マリア・ベンケルトは1869年にドイツで男性同性間の性行為を犯罪化する法案(ドイツ刑法175条)が提出された時にこの法案に対して反対する公開書状を法務大臣宛に送付した。同性愛者ら他の人々に危害を加えるものではなく、他の人々の権利を犯すものでもないからだ。

ベンケルトが同性愛という言葉を考案する少し前に、法律家であるカール・ハインリッヒ・ウルリヒスである。同性愛を「男性の肉体に宿る女性の魂」という考え方を提唱し、同性間の性的嗜好を「第三の性」として捉え、これ「ウラニズム」と呼んだ。これはウルリヒス自身が同性愛を病理化しようとする意図からではない。同性愛の自然性、すなわち先天性を主張しようとするものである。つまり、同性愛は先天的であるから法律で取り締まるような「自然に反する罪」にはなり得ないという考えである。

「ウラニズム」の定義は同性間の性行為を説明するために、性別カテゴリーを男/女に分割し、さらにそれを心/身という二項目と交差させ心/身に男女それぞれの形態を割り振ることに依拠している。ウラニズムはこの項目が転倒することを指す。「男の身体に女の魂/女の身体に男の魂が宿る」ことがそれである。

同性愛は先天的なものであり、医療的な治療の対象とすべきものであるという概念だ。こうした概念は「同性愛遺伝子」を見出そうとする昨今の動きを見ると既に過去のものとなったと一蹴することもできないのではないか。



2.ホモフォビアとヘテロセクシズム


1972年に、精神分析学者であるギ・オッキンガムは「ホモセクシュアルな欲望」を出版した。その冒頭には、「問題なのは同性愛の欲望ではなく、同性愛に対する恐怖なのである。なぜ、その言葉を単に並べることが嫌悪や憎悪の引き金になってしまうのだろう」とある。オッキンガムは問題を同性愛を忌避し、恐怖・嫌悪する社会の側にあるとしたのである。このように同性愛を抑圧・差別する社会にその原因を求めるようになったのは解放主義的傾向が強くなった70年代に入ってからの特徴である。またレズビアン/ゲイ研究にとって「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」という概念を確立したことはパラダイム転換といっても良いほどの変化であった。

ホモフォビアという単語は心理学起源の用語であり、当初は他の恐怖症と同じようなものとして示唆しれている。オッキンガムらの提唱により、同性愛への恐怖、態度、偏見は個人の精神的状態の問題となったのだ。特にアメリカ社会では社会的な問題を個人主義的なものとして、心理学的に説明が行われることが多い。だがホモフォビアを病理化することは同性愛を病理化しない代わりに、もうひとつの病気を生み出すことにつながってしまう。ケン・プラマーは「それは精神的な疾病を強化しており…女性を無視しており…一般的な性的抑圧から目をそらす働きをし…全体的な問題を個別化してしまっている」と指摘する。またセリア・キッツィンガーは「社会の平等主義的規範から逸脱した特殊な諸個人の個人的病理になった。したがって社会制度や社会的組織に根ざした政治的問題としての我々の抑圧の分析を隠蔽してしまっている」とも言う。つまりホモフォビアは同性愛への見方を個人の意識と精神の問題として矮小化する危険性を含んでおり、同性愛差別を社会における構造的問題として捉えようとする時の隠れ蓑にもなってしまう可能性も含むのだ。

ヘテロセクシズムは対して社会学的な研究領域から出てきたものである。ただ現在ではホモフォビアとヘテロセクシズムはほぼ同義の概念として流通している。そして、レズビアン/ゲイ研究においては「個人主義的な病理である」というホモフォビアの捉え方は既になされていない。



3.「クイア理論」


アメリカのアカデミズムにおいて「クイア」「クイア理論」という用語を初めて使ったのはテレサ・デ・ラウレティスである。彼女がクイアという差別用語をあえて使ったのは流動的に変化する現実が存在していたからだ。1990年にカリフォルニア大学で開催された「クイア・セオリー」と題された研究会議の中でクイア概念は提唱された。彼女はその中で、以下のように述べている。


「1990年に学会を主催しましたが、その当時、アメリカ合衆国ではよく『ゲイとレズビアン』という表現が使われていました。…全くゲイとレズビアンのそれとの間に差異がないかのように使われていたのです。私はそれを問題化したかったのです。…ゲイとレズビアンがそれぞれ持っている歴史について考えたかったのです。あえてそれを分けて考えたいと思いました。レズビアンたちはいつもフェミニズムに関わってきました。あるいはフェミニズムの理論や歴史に関わってきました。ですからレズビアンたちは文学や小説あるいは女性の歴史について書いていました。しかしゲイ・スタディーズでは主に社会学や歴史学に重点を置いていたわけです。…ですから、私にとってクイア・セオリーというのは、その言葉でもってそうした問題について話すことができるような概念なのです」


ラウレティスは、特にレズビアンのセクシュアリティがこれまでの歴史において抹消されてきたことを問題視する。ラウレティスは、差異を持ったセクシュアリティの歴史的固有性が見えないものにされてしまうことに対する警鐘をここでしたかったのである。また抹消されてしまう差異は、ゲイ内部あるいはレズビアン内部における差異をも指しているのだ。

1人の人間の内部に走る様々な線分をいかにして捉えることができるのか?それを模索するのがラウレティスの考える「クイア理論」なのである。さらにもう1つの問題提起として、レズビアンやゲイを研究対象とする場合の既存の学問的枠組みや体系に関するものである。従来の研究では、既存の学問的枠組みや体系に規定される側面があった。それまでの研究の主役は医学や精神医学であり、1970年代以降は社会学や心理学に取って代わられる。だがこうした変化を経ても、レズビアンやゲイを一面でしか理解していないことには変わりなかった。こうした背景を批判的に考察し、既存の学問領域を横断すること、そして学問的枠組み自体を転換していく必要性が主張されるのだ。このように、ラウレティスのクイア理論は既存の学問的体系を越えるための実践的方法論でもある。

本来的には、クイア理論とは自己と他者の間に、または自己の内部に存在する差異に目を向けることである。そして、そうした差異に敏感になり一貫性や正常性から自らが脱していくことを重視する。だがクイア概念が、一方では様々な性的少数者の集団を総称したり、包括するカテゴリーとして理解されたり、ある意味では同一化しているゲイやレズビアンの集団を排除していく方向性を取るために使われる危険もある。こうした動きは意図せざる結果かもしれないが、皮肉なものであるといえよう。



現代社会の持つ「生きづらさ」とは一体どこから出てくるものなのだろうか。私たちは様々なカテゴリーの中で生きているといえる。例えばその最小単位は「人間」であり、ジェンダー的には「男と女」となるであろう。そこに民族や宗教、人種、言語、性的アイデンティティなど……無数のカテゴライズの中で私たちは存在している。そして、性に関するもの、生殖に関するカテゴライズは強力なものとして未だに存在している。

だが、21世紀を迎えそして進歩していく科学の領域の中では男女という性差も「程度の差でしかない」との指摘もある。そうした中にあっても、人々の意識とりわけ社会制度および社会通念上はこの男女という概念は未だに「黴くさい」もののまま存在している。そしてそこからはゲイやレズビアン、トランスジェンダーというマイノリティは想定外、規格外の存在として周縁に追いやられる傾向が強い。

クイア理論はこれまでも書いたように、個人及び社会の中に無数に走るカテゴリーや境界について考察する学問であり、実践的な方法論の1つなのである。クイアという用語そのものはセクシュアリティに関する意味合いが強いが、何もその意図するところは同性愛者に限定されたものではないだろう。

同性愛者、異性愛者問わずこの無数の境界について考察を深めていくことは無駄なことではなく、むしろ必要不可欠なものとなっていくだろう。相互理解の第一歩は、そうした思考の模索から始まるのだから。



参考・引用文献

「クイア・スタディーズ」

河口和也著

岩波書店

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