第3話 ヒーローと怪人と橘あまね 1

 少女は今日という日のことを誰よりも研究し、また誰よりも詳しいという自信があった。



 天気、気温、株価、社会情勢、星占いに至るまで何もかも。



 ちなみに、少女の今日の星占いの運勢は三位。意外な出会いがあるかも? とのことだったが、今日に限っては運命の出会いも、素敵な王子様との出会いも何もないまま一日が終わって欲しかった。何しろ勿体無い。



 まだ授業中だというのに、教師の話など上の空で窓の外をぼうっと見つめていた。



 雲の切れ間から自己主張の激しい太陽がこれでもかというほどの輝きを見せている。



 今日の天気は快晴。暖かな日差しに連なるように、花粉の飛び具合は例年より多いらしい。花粉症の人は大変だな、とどこか他人事にそんなことを考えていた。



 能天気な春の日にお似合いな能天気な考えだった。



 ――と、それが災いしたのか、話を聞いていないのが丸わかりな間抜けさを教師に見咎められた。



 教師は今にも叫びだしそうな怒りをなんとか嚙み殺したという表情で、体をワナワナと震わせていた。



 もっとも、外見や普段の立ち振る舞いからお世辞にも長気だと言えないだろうが。



「おい、たちばな。……橘あまね!」



 しかし少女は上の空。



 馬の耳に念仏でも聞かせたような我関せずな態度に、教師はやがて堪忍袋の尾を切らした。



「たぁちばなぁあああああああァァァァァ!」



「ひゃ、ひゃいっ!」



 ボブヘアの頂点にぴょこんと飛び出したアホ毛を聳え立たせているあまねと呼ばれた少女は、驚き間の抜けた声を上げた。



 没入していた自分の世界から帰還すると、好奇の視線が彼女のことを待っていた。



「ありゃ……」



 あまねは目を丸くして、頬に汗を垂らした。



「橘、先生言ったよな? この話は何回も聞いてるだろうけど聞いとけって。今度の世界史のテストに出るぞ。お前、今先生がなに話してたか聞いてたか?」



「えぇーっと……。あたしは天気のこととか考えてたんですけど……」



「だーれがお前の考えてたことを話せって言った! このアホ女子高生が! 入学式以来、お前と出会ってまだちょっとしか経ってないけど、お前の強烈なアホさのせいで誰よりも早く一番に覚えたわ! 不良とか真面目な生徒よりも誰よりも印象に残ったんだよ!」



「た、大変そうだね先生。頑張ってね」



「どの口が言ってんだ! いいか? 今はヒーローと怪人のことについて話してるんだ! ちゃんと聞いとけよ! 絶対だぞ!」



「は、はい」



 あまねは肩を萎縮させ、しゅんとして返事した。



 この教師の怒鳴り声は苦手だった。なにしろ耳にくる。



 教師は不満そうだったが、これ以上授業をストップさせるわけにはいかないのか苦々しい思いを飲み込んだようで、あまねのことを意識の外に置いて、誰でも知ってるようなことの授業を再開させた。



「やれやれ……じゃあ、話を戻すぞ。世の中には今三つの種類の人間がいるのはみんなも知ってるよな。一般人とヒーローと、怪人だ」



 ――そう。



 この世界には大きく分けて二つ、分類して三つの人種がいる。



 それが一般人、ヒーロー、怪人だった。



「二十年くらい前だったか。世界的権威の科学者、悪原響あばらきょう博士によって、人間の体内に秘められた強い性質を引き出す技術が確立された。その力のことを『レゾナンス』と呼ぶ。橘、理解できたか?」



「は、はい」



 正直何度も聞かされた話である。何しろ、重大なことだからと毎年毎年何度も何度も同じ話を聞かされるのである。



 世界的権威の名は聞きすぎてもはや近所のおばちゃんレベルの馴染み深さで、人知を超えた力『レゾナンス』は電気並みに浸透したエネルギーである。



 もっとも、後者に至ってはあながち間違いではないかもしれないが。



「よし次だ。しかし、その技術は平和的に利用されることはなかった。一部の悪意ある者たちがその力の軍事的利用を始めた。それがいわゆる『怪人』の始まりだ。一方、それに対抗するようにして現れたのが我らが『ヒーロー』というわけだな。今ではヒーロー協会に属する者は力を持ってなくてもみんなヒーロー、怪人連盟に属する者は力を持ってなくてもみんな怪人と呼ばれる。橘、理解できたか?」



「はい……なんであたしばっかり?」



 執拗に聞いてくる教師に、あまねは辟易した。



「ここはさっき話したところで、聞いてなかったのはお前しかいなかったからだ」



「うへぇ……意地悪……」



「それぐらい意地が悪くないと教師なんてやってられないさ。と、もうすぐ授業終わるな。さっさとまとめるぞ」



 教師はちらりと時計を覗き見て、足早に説明を始めた。



「それからヒーローと怪人は互いにヒーロー協会と怪人連盟を作って戦いを続けてるわけだな。その戦いの副作用……傷跡としてか、悪原響の開発したエネルギーに当てられた結果、先天的に力を使える者も増えてきた。幼い頃から強大な力を持つと暴走しやすい上に、見た目に影響が出てくることもある。そんなことから迫害される者も多いことから先天的に力を持つ者は怪人になりやすいな。ま、怪人連盟に入るような奴は最初から素質があったってことだろ。もっとも、先天的に力を持ってるヒーローもいるからそこは注意な。さ、これで授業は終わりだ。お疲れさん」



 若干の差別的発言をして社会科教師は足早に教室から去って行った。



 ――社会の癌とみなされている怪人に対する暴言など、誰も気にするものはいないが。



 そして、早く授業が終わってほしくてたまらなかったあまねは、心からの安堵と共にため息を吐き出す。



 ――ヒーローと怪人の関係。そんなもの、ずうっと前から誰よりも詳しいのに。 それに、怪人連盟に入るような者は初めからそういう素質があるのだろうなどという浅はかな考えも気に入らない。



 座りっぱなしで凝り固まった体を四肢を、放り投げた伸びで解消すると、途端に糸が切れたようにぐにゃりと机に突っ伏した。

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