第19話 抜剣

 肩に灼熱感が来て、それから、目の前が真っ赤になった。

 斬られた、と気付くよりさきに、身体が動いていた。四肢の絶対装甲アダマントを盾に、身体を細く、投射面積を絞るように、跳びすさる。切り裂かれた黒の蒸着が生き物のように接合し、体内に作用する非存在斥力イマジナリフォースによる傷口、大動脈の圧接と止血が同時進行。痛みは消えないが、動くことには支障がない。本郷みかんにそれができたかどうかはわからない。実際、かなり怪しいだろう。ほんとうにことについて、みかんは素人でしかないのだから。だからこれは、英雄機攻ヒロイックギア記憶プリセットされた一連の反応であったに違いない。

 斬撃だけでは終わらなかった。半身に構えをとるみかんの周囲、大気がする。悲鳴に呼吸しようとする大気が、炎へ変じたようだった。みかんは常時展開される非存在斥力イマジナリーフォースが軋む音を、確かに聞いた。直接を浴びたなら、生きていたとは思えない。眼がちりちりと焼け視界が霞む。霞むみかんの目にはまさに、大気が真っ赤な光を帯びたようにうつっていた。ハイドラ女王の非存在斥力イマジナリーフォースが、紫に輝いているようにだ。反射的に、前に突き出した右手の絶対装甲アダマントをふるう。黄金の光が赤熱を打ち払った。赤熱した大気の塊が、流し込まれた金の光で相殺霧散。情報子ミーム総量による矛盾消滅現象コントラディクションだ。

 再度打ち込まれる赤の光を、今度は察知して非存在斥力イマジナリーフォースを形成。相殺。

 視界のいろが戻った。

 涙をぼろぼろと流し、咳き込み、なんども瞬きをしながら、背筋だけは曲げずに。みかんは相手のすがたを確かめようとする。それから周りの様子を。みかんと女王がやりあっていたせいで、さいわい、まわりの人は引けている。巻き込む心配はない。からだをひねり、半歩を踏み、左拳を突き出す姿勢。震脚。想像イメージするのは壁。拳を振るうことはなお憚られた。みかんは未だに混乱している。金の非存在斥力イマジナリーフォースが障壁を形成。壁越しにみかんは叫んだ。


「どうしてですかッ!」


 答えはなく、そのかわりに非存在斥力イマジナリーフォース障壁が消滅した。硝子の音すら伴わず。虚をつかれ、みかんの瞳孔がうごく。回復し切らない視界に、翠の影が飛び込んできた。銀光。咄嗟にかざした左手甲、金属てつ金属てつのあたる甲高い音。みかんは顔を歪めた。火花が散る。打ち合うがそのまま流され、手甲の上を重さの手ごたえ。身を引こうとするが間に合わない。

 肘の内側に激痛。ぼやけた視界に赤い色がしぶく。

 疑惑が確信に変わる。体を守る非存在斥力イマジナリーフォース


「っぅああッ!」


 吠えて、後ろに倒れつつ非存在斥力場イマジナリーフォースを展開。姿勢維持と同時に短距離高速、中段の前蹴り。脚甲越しに異様な感触。ぶあつい布束を蹴ったような。衝撃は一瞬、腕を抉る刃が、抜ける直前、と骨身を震わせた。文字通りに。骨から肉が引き剥がされる。目の前が赤と黒に明滅し、すぐに回復する。限界を超えた痛みを、埋め込まれた英雄機攻ヒロイックギアが抑制しているのだ。

 あかぐろい傷跡、削げ落ちた肉の面を、即座に黒い蒸着が覆う。血が止まる。痛覚が更に抑えこまれる。確かめると、左を軽く握ることはできた。人体のはたらきはむろん、破壊されている。英雄機攻ヒロイックギア非存在斥力イマジナリーフォースが、運動能を再現維持しているのだ。そもそも軽合金材を紙のように裂く英雄機の出力のうち、たかがの占めるものは、無視できる程度に僅かでしかない。


 その機動兵器めいた大出力の、それも反射的に放った渾身の蹴りを受けて、しかし若草色の外套は、事もなげに立ち上がった。

 巨大照明のしろい光に、銀色の剣がぎらりと輝く。簡素すぎて、いっそ奇妙な意匠デザインだった。みかんが知っているなかで、一番近いのは片刃のペーパーナイフだ。それを剣の大きさまで引き伸ばしたようなもので、刃が血に濡れてさえいなければ、玩具おもちゃか何かだと思ったかもしれない。

 あれが、みかんの肉を抉り取った凶器だ。つばを飲み込むことは、できた。まだ、喉の機能は生きている。

 声を絞り出す。


「ご、ごめんなさいッ。怪我はないですかッ」

「なるほど、失礼しました」


 剪刀せんとう騎士、ハリオ、は顔を上げた。均整のとれた笑顔だった。とても、血濡れの剣を提げているとは思えないような。


「話の通じる方ですね。剪刀せんとう騎士の責務もご存じであるようだ」


 ごくおだやかな調子だ。踏み込もうとはしないけれど、剣を納めようともしない。みかんの速度でも、一刀一足いっとういっそくには広すぎる間合いだ。つまり、本当に話しあうつもりなのだ、と、みかんは解釈した。それは昔の友人や、今の同居人たちからは、頭の一つも張られそうな判断ではあったけども。


「あの、私……そういうのじゃないんです。誤解です」

「いいですね。聞きましょう。誤解があるのは好ましくない」


 学校の寮監さんに怒られてるときみたいだ、と、みかんは思う。笑顔で、丁寧で、物腰はやわらかいけれど、絶対に揺るがない結論をすでに持っている。

 えぐれた左腕が、かすかに痛んだ。


「私、この世界をどうにかしたいとか、そういうのはないです」

「なるほど。いいですね。続けてください」

「それであの、さっきの子。女王、カララちゃん、あの子はたぶんそうじゃなくて」


 ハリオはひとつ、頷いた。


「世界に野心を持っている?」

「そういうのですッ!」


 話が通じている。なんとかなるかもしれない。


「ハイドラ、っていう、ええと、ものすごい、外来侵略的種がいらいしんりゃくてきしゅみたいな……」

「本郷みかんさん。あなたはもともと、それと戦っていたということですね?」

「そうですッ」


 みかんは勢い込んで答えた。からだじゅうに鈍くある痛みが、わずかな高揚で遠くなっていくのを感じる。


「なるほど。道理は通っています。確かに彼女は、その力があったようだ」

「わかるんですかッ?」

「ええ。原版異法、つまりの持つ特異な力のは、剪刀せんとう騎士なら誰もが習いおぼえる異法ですからね。彼女は一度、検分しましたので」


 ハリオは剣を持たない左手で、指を折った。


「大まかに、種を問わぬ雄性ゆうせいへの魅了と同族化、雌性しせいの改造、ほぼ不滅の生命力に、あらゆる種と交雑できる絶大な繁殖力。同族への絶対命令権と、同種への情報伝達。そう、あなたと同じ、のこともありましたね」

「はい。だから……」

「いいですか。ですが」


 遮るように、穏やかに、しかし断固とした口調が割り込んだ。


使

「え……ッ」


 ハリオは胸元の大徽章に左手を添え、はっきりと続ける。


「取り戻す見込みもない。対話の聖域に誓って、これは真実です」


 みかんがその意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。

 もし、ハリオが嘘を言っていないなら。そんな理由はどこにも思いつかない嘘を、きっと名誉あるひとが言う理由なんて、どこにもないはずだとわかってしまって。


 心臓が大きく不揃いにはやく脈を打つ。ずきりと、傷の痛みが追いついてくる。


 ──私は、カララちゃんに何をした?


「そして、本郷みかんさん。いいですか」


 ハリオは一歩を踏み出した。みかんは動かない。

 いろいろの痛みが、動くことをゆるしてくれない。


「あなたの持つ力と、力は、この百万の庭にとって、明らかな毒となるものです」


 ですから、ここで大人しく死んでいただきたい。

 ハリオは美術の教科書のような笑顔のまま、そう宣言した。


 一振りで首が飛ぶ間合いだ。けれど、みかんは動けずにいた。

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