ep3. 加藤恵の描きかた

「それでは、『blessing software』、『Egoistic Lily』、『Fancy Wave』、『cutie fake』、それぞれの完売を祝して……」


「「「かんぱ~い!!!」」」


 十二月、その大晦日。あとほんの数時間で今年も終わろうとしていた。

 今回も上の四つのサークルは日にちが別れることもなく、サークル掛け持ちしまくりで決して多くはない人数で……いやいや本当は恵まれすぎるほど人は多い気もするけど、なにせサークル数も同じように多いもんね。でも、なんとか無事に冬コミ当日の今日一日を乗り切ることができた。

 あたしのサークル『cutie fake』で夏コミの時と違うのは、霞さんのサイン会がなく、その代わり我が兄文雄がサークルスペースに……それはそれで別の意味で冷や冷やしたのは間違えないけど、でも今回頒布したゲームの音楽担当エチカに積極的に手伝ってもらえたのは本当に助かった。イケイケのエチカに、優しくサポートする兄文雄……うん、何も知らないエチカは当然のごとく列に並ぶ女性から冷たい視線を浴びていた気もするけれど、エチカは本当に何も気づいてないようだったので、だからあたしも何も言わないことにすることにした。


 ちなみにこの四つのサークルの中で最も早く完売したもちろん『Egoistic Lily』。その主、英梨々は『あたしも手伝おうか?』と何度か現れたけど、これ以上兄とゴタゴタ騒ぎを起こしてもらいたくなかったので、きっぱりとお断りしたんだった。

 というより英梨々の場合、手伝うも何も自分のサークルすらほったらかし状態(例によって『Egoistic Lily』では謎の外国人男性と謎の年齢不詳美人女性が頒布していた)だったりするし、それであたしのところに来られても、もはやトラブルメイカー以外の何者でもない……という点は敢えて触れないでおこう。


 タキ君の乾杯の音頭で始まった今日の打ち上げ。冬コミ会場の帰り際、霞さんに『打ち上げは去年と同じ場所ね』と伝えられた。てかあたし去年の場所とか知るわけないでしょ!と思いつつてくてく霞さんの後ろをついてきたけど、辿り着いた先はいつもの見慣れた光景。タキ君の家だった。

 考えてみたらあたし以外はみんな去年から何も変わらないメンバーなんだよね。それを思うと、何だか少し切なくもあり、少し嬉しくもあった。


「あら、どうしたのかしら。愛する彼氏の部屋にこっそり侵入してにやにやしているその姿、ネジの外れたちょっぴり怪しい女の子にしか見えないわよ?」

「こっそり進入とかしてないし! てかあたしはタキ君と…………別れたもん……」


 いつものように挑発してくる霞さん。あたしはきっぱし返すつもりだったんだけど、最後の方はいつの間にか小さな声へと変わっていた。あたしはそっち方面でどうも自信を失いかけている。

 あたしが振られたんじゃない。あたしが振ったんだもん。

 そう開き直ることもできないことはないけど、でもどちらかというとそれは嘘。言葉には出さなくても、あたしは振られたも同然だったんだ。


「それは、嵯峨野さんの自業自得だよね?」


 もそもそ下を向きながらそんなことを考えていると、それに続く言葉があたしの胸をぐさりぐさりと突き刺してくる。


「ふんだ。なんとでも言ってください。」

「加藤さん公認の倫也くんの彼女だったくせに、真由さん全然チャンスをものにしようとしないんだもん。」

「だからほっといてくださいよ霞さん!」


 自業自得というよりは自暴自棄。あたしはそんな可愛らしい声でそこまでストレートに言われると、どうにも調子が狂ってしまう。

 ……あれ? 霞さんの声って、こんな可愛らしい声でしたっけ???


「ふふっ。でも残念。わたしは霞ヶ丘先輩じゃないですよ~」

「め、恵ちゃん!??」


 気がつくと霞さんは、あっちの方でどこかから持ち込んだワインぽいなにかを堂々と呑んでいた。そういや霞さん、誕生日迎えたんでしたっけね。

 ……いやいや、嘘だ。同じ三十一日でも一ヶ月ずれてる!! 霞さんの誕生日は来月の間違えでしょまだ二十歳じゃないよね霞さん!!


 そんなツッコミはどこかすれ違ってしまったかのようで……何をどうすれ違ったのか、恵ちゃんのいつものフラットな顔が、ここにあったんだ。


 ☆ ☆ ☆


「ねぇ恵ちゃ~ん?」


 心も身体も温まる、穏やかな時間……


「な~に、真由さん?」


 まだここはタキ君の家であることには変わりなかったけど、少しだけ場所を移動した小さな空間……


「どうしてあたしたちって今こうして二人で……」


 いやまぁ二人同時でいるから小さく感じるだけで……


「んー?」


 ……少なくともうちのよりは広いんじゃないかな~?


「二人でこうやって、お風呂に入ってるんだろうね、タキ君の家で。」


 そう、大晦日の打ち上げと言えば定番のシーンである……いや何をどう間違ったらお風呂が定番になるのかはひとまず置いといて、アニメ劇場版しかご覧になってない方は是非原作の方も読んでいただけたらと。

 ……ってアニメってなんのことよ? まだ『純情ヘクトパスカル』はアニメ化されてないよねあたしの作業たんまりと残っているよね!??


「今年は真由さんとなんとなく一緒に入りたかったから。」


 フラットな顔でそんなことを仰る恵ちゃんだったけど、なんとなくその理由は、わかるようなわかりたくもないような……。


「あたしと? なんで?」

「ちなみに、去年は英梨々と入ったんだよ。こうして二人で。」

「は、はぁ~…………」

「だから今年は真由さんとって決めてたんだ。」

「いやそのリアクションに困る発言止めてねお願いだから!!」


 そりゃあたしだって裏で小さいだのなんだのって言われてるのは知ってるよ。明らかに恵ちゃんよりは小さいかもしれないけどそうでないかもしれない。……うん。変な日本語になってるのは自分でも気づいているけど、それでも英梨々には負けてないつもりなんだからね!

 ……ってさっきからなんの大きさのこと考えてるのよあたしってば!!


「そ、その……あたしの大きさのことでそんなこと言うのは……」

「え、大きさ? 何の話をしているの?」

「いやだから……あのね、あたしは確かに大きくないかもしれないけど……」

「あ~。倫也くんへの愛情の大きさのことかな?」


 恵ちゃんはその自分の顔にも負けないほどの抑揚のないフラットな声で、さらりとこんなこと言うんだ。あたしはもう聞いてられないとばかりに……って、え?


「そ、そう。タキ君への愛情……………………が、なんだって?」


 あたしは勝手に豪快に自爆した気分になった。いろんなことが頭に思い浮かんできて猛烈な恥ずかしさがあたしを襲ってくる。いやなにって、こんなお風呂の中でタキ君のことを急に思い浮かべたからって……そんなはしたない想像は一ミリもしてないつもりだからねそんなの英梨々が描くイラストだけで十分だからねっ!


「真由さんに昨日も聞いたよね? 『タキ君と何で別れたの?』って。」

「うっ…………」

「わたしね、もう一度その辺りを整理したくて……ううん、どっちかというと整理したいのはわたしの方。だから真由さんにはほんのもう少しだけ手伝ってほしいなって。もちろん真由さんの本当の気持ちも聞いておきたかったし。」

「あたしの気持ちかぁ~…………」


 ようやく恵ちゃんがあたしをお風呂に誘った理由がわかった気がした。だから二人だけになるタイミングを見計らって、今こうして恵ちゃんとあたしは…………。


「まずはわたしから話すね。真由さん。」


 身体にぽかぽかを感じるお風呂の中で、恵ちゃんはゆっくり自分の話を語り出した。


 ☆ ☆ ☆


「俺、嵯峨野さんに振られちゃった……」


 それはつい昨日のこと。あたしが霞さんと不死川書店で打ち合わせをしていた、まさにその時のことだったようだ。場所はタキ君の家のすぐ近くにあるいつもの喫茶店。あたしはそんな店行った記憶はないけれど、読者諸君には『あ~あそこか』とすぐわかるレベルの有名な場所らしい。

 霞さんとあたしが年明けすぐに刊行される『純情ヘクトパスカル』について話し合ってる中、その担当編集であるアイツは、彼女といちゃいちゃしてたとか。なんだか当然イラッとするものを感じないこともない。

 とはいうものの、彼は何も悪くはないのでその怒りは心の内に閉まっておいた。


「ねぇ倫也くん。それをわたしに報告する必要なんて、どこにあったのかな?」

「……………………」


 が、恵ちゃんはそんなこと(って本当にどんなことだ?)を報告するタキ君をまるでどうしようもない大量のゴミを眺めるような視線できっと睨み、そう返したんだそうだ。その時のタキ君の顔ときたら……それは容易に想像できてしまうよね。顔は俯いたまま、まるで地獄の底を眺めているかのようで……。

 ただ、あたしにしてみたらそれは『タキ君いつになったら学ぶのだろう?』と思ったのも事実だった。メインヒロインという意味不明な役柄を三年にも渡って任されていた恵ちゃんは、今や役者と呼ぶにも相応しい。霞さんがしていたという演技指導の成果が、まさかこんな形でブーメランのようにタキ君に返ってくるとは、これを自業自得と言わずになんと言うのだろう。


 だってさっき恵ちゃんはタキ君のことを『倫也くん』と呼んでたよね? 本気でタキ君をゴミみたいに扱いたければ、その呼び名は『安芸くん』に降格させられていたはず。

 本当に、な~んもわかっていないんだから…………


「こんな難聴鈍感主人公くんだもん。あんな綺麗な真由さんに振られても当然じゃないかな?」


 あたしが綺麗かどうかは置いといて、この際もっと言ってやってほしいかな。


「そもそも真由さんみたいな素敵な方、倫也くんに釣り合うわけないよ!」


 あたしが素敵かどうかは……って、もはやどうでもいいや。


「真由さん可愛い人だし、それでいてオタク女子だし、倫也くんとよく話が合いそうだし…………うん、別れて当然だよね、あんなぽっと出の泥棒猫となんか!!」


 そう。あたしは可愛いオタク……それは確かによく言われはする気がするけど……

 ……っておいっ! 恵ちゃん!!?!?


「真由さんって悪知恵だけは働くくせに肝心なところはすぐにとちるし……」


 ……………………。


「恵っ! いくら恵でも、嵯峨野さんを悪く言うのはやめてくれないか!!」


 が、タキ君は恵ちゃんの話を割り込むように、そう言い放ったんだそうだ。

 ……え、あいつ、そんなこと言ったの?


「確かに、恵にとって嵯峨野さんって、すごく邪魔な存在だったかもしれない。笑顔が可愛くて、可憐で、それでいてどんな相談事も聞いてくれる優しいお姉さんみたいな……英梨々や詩羽先輩とは全然違った魅力があるよ。だけどそれは、恵にとってもそうじゃなかったのかよ!?」


 ……………。

 ほんと、ずるいんだから……


「嵯峨野さん、いつも泣いたり笑ったり怒ったり……それでもいつも俺や恵、もしくは他の人のことを第一に考えてくれる、そんな素敵な女性だよ? 俺、今回のゲームシナリオを何度も書き直しながら、改めて気付かされたんだ。嵯峨野さんに『あるがままを、全て書いてほしい』って言われた本当の意味を。京都から帰ってきた後も俺と一ヶ月ほど……俺に寄り添って、俺と一緒に悩んでくれて、だけど最後まで俺や恵のためのことを考えてくれていたこと。そんな嵯峨野さんの気持ち、俺は無碍にはできないよ!!」


 タキ君はいつになく真面目な顔で、そんなことを言っていたらしい……


「だから今ははっきり言える。俺にとってのメインヒロインは加藤恵だけだって。」

「っ…………」


 恵ちゃんもさすがにこの時は一瞬だけ、言葉を失ったそうだ。

 思わず口を右手ですっと隠し、だけどなんとか視線は彼の両目をはっきりと見続けて……彼から逸らさないように……逸らしたら負けを認めてしまうことになるから、だからそんな彼の顔をじっと見続けていたんだそうだ。


「だから恵も嵯峨野さんのこと……」

「そんなこと倫也くんに言われなくてもわかってるよ!!」


 ……が、ここで恵ちゃんは反撃に出る。それは、吐き出すように――


「だって、わたしが真由さんに『倫也くんと付き合って』って頼んだんだもん!」

「……………………え?」


 いつもの冬の喫茶店に、猛烈な吹雪が吹き荒れたような……だけどほんのりと少しだけ温かい、そんな空気が流れた。


「わたし、真由さんの気持ちもちゃんとわかってた。だけどそんな真由さんに甘えてしまった。……ううん。なんの変哲もないこの『恋愛』に、真由さんを巻き込んじゃったんだよ!」

「恵。それって……」


 タキ君は恵ちゃんを少しだけ不思議な顔で見守った。


「わたし、真由さんがずっと怖かったんだ! 普通に可愛くて、普通に優しくて、普通に素敵な女性だったから。……だって、倫也くん去年言ったよね? わたしのこと、『頑張ればなんとかなる』世界で一番、大切な彼女ヒロインだって。英梨々や霞ヶ丘先輩と違って、『手の届かない女の子』などでもなくって……。そしたらさぁ〜、真由さんはどうだったのかな〜? 真由さんは出逢ったときからずっと倫也くんのこと運命の人みたいに感じていたみたいだし、そんな真由さんにわたしの倫也くんを……」


 こら〜、恵ちゃん!! それ以上の暴露大会はお願いだからやめようね!

 まぁあたしがそんな最初から『運命の人』と思っていたかについてはいささか疑問符がつくけれど。……うん、つくでいいよね? あたし別に最初からってわけじゃないよね?


「……え、そうだったの? 真由さんのこと、大して気にも留めてなかったけど。」

「ほんっと、難聴鈍感最低主人公とか、最低〜!!」


 ……………………あたし、泣いていいかな?


「……倫也くんさ、英梨々や霞ヶ丘先輩のこと、『手の届かない』とか言っておきながら、わたしを置いてわたしの知らない世界へどんどん行ってしまいそうだった。霞ヶ丘先輩の担当編集になって、霞ヶ丘先輩や真由さんといろんなミッションを粉していく倫也くんを見て、わたしは彼女として誇らしくもあったけど、いつも不安だったんだよ! あっちの原作ではそのまま本当に霞ヶ丘先輩とくっついちゃったわけだし。」

「ちょっと待って恵。『あっちの原作』って何? 詩羽先輩とくっついちゃったってどういうこと!?」


 あたしが大活躍する『あっちの原作』もよろしくね!(番宣)


「だから、何もない恋愛が怖かった。いつもの普通の日常だったはずが、いつもの普通の……倫也君がそばにいない日常になってしまいそうで……」


 恵ちゃんはなんとかフラットな顔を保っていた。

 本当は泣きたくて泣きたくてどうしようもなかったんだろうな。ふふっ、無理しちゃって。でもそれはきっと恵ちゃんのメインヒロインとしてのプライドが許さなかったのだろう。

 だって、もしここで泣いてしまったら、負けを認めてしまうことになるもんね。


「ごめんな恵。頼りない俺で。もう不安にさせたりはしないから。」


 そんな恵ちゃんをなだめるように、恵ちゃんの頭をそっとなでながら、タキ君はそう小さな声で言ったんだってさ。


 ☆ ☆ ☆


「恵ちゃんがゲームのシナリオを書き始めたのも、それが理由だったんだよね?」


 再びぽか〜んと温かいお風呂の中。あたしと恵ちゃんはなんとか二人収まる程度のお風呂に、向かい合うようにして入っていた。


「近からず、遠からず……かな? 腕試しをしてみたいというのもあったから。」


 が、恵ちゃんは素直にそれを認めようとはしなかった。ほんと頑固なんだから。


「でも出来上がったシナリオ、本当に良かったよ! あたしもそんなゲームのイラスト描いてて本当に幸せだった。ありがとう、恵ちゃん。」

「ふふっ。……ねぇ真由さん。わたしのシナリオ、どんなところが良かった?」

「え……う〜ん……等身大の女の子たちがみんなもがき続けていたところかな?」

「等身大の女の子……?」


 恵ちゃんが書いたシナリオは、途中で複数のルートに分岐していくけれど、それでも一本一本のルートがどれも手抜きなく、それぞれのルートでヒロインたちの葛藤が丁寧に描かれていた。メインヒロインのかおり、かおりの大親友で且つ恋のライバルである里美、影を伴いながらそっと近づいてくる久瑠美、そしてそんなかおりを応援しつつも内心はそっと隠し続ける舞羽。どのヒロインも魅力的で、思わず全員を応援したくなる、そんな構成にもなっていた。

 そうした中で各ヒロインたちが心の成長を遂げていく。特にゲーム後半でのかおりと里美のシーンはその成長が顕著だった。互いに切磋琢磨しながら自分の想いをぶつけていただけのかおりと里美。だけどそんな二人がお互いの気持ちを理解できた時、女子高生だったかおりの恋愛は、大人の恋へと成長していく。里美がいたからこそ、朋雄がこんなに好きになれるんだって、改めてかおりは気づいたのだった。


「恵ちゃん、ここ一年で英梨々と喧嘩ばかりだったもんね〜」


 あたしはそんなシナリオと、英梨々と恵ちゃんとの関係を照らし合わせていたんだ。


「うっさいな〜。英梨々がいっつもわたしに反発してきたから、あんなシナリオになっちゃんだからね!」

「でも英梨々がいなかったら、あんな素敵なシナリオになってなかったと思うよ。」

「…………うん。」


 なかなか素直になれない恵ちゃん。だけど顔はもうすっかりフラットではなくなっていて、顔を赤く染めながら、照れた顔をしている。


「真由さんわたしね、大人の恋の味を知ったのかも。」


 そして恵ちゃんは顎まで湯船につけながら、ぼそっとこんなことを言ったんだ。


 ☆ ☆ ☆


「さてと。次は真由さんの番だよ!」

「…………え?」


 まだまだあたしと恵ちゃんの身体は湯船に浸かっている。いつまでお風呂に入ってるんだとかここでツッコんではいけない。このお話も次回は最終話なのだから、一度はこんな回があってもいいじゃないか。……え、意外と温泉回やお風呂回が多かった気がするって?


「わたしがここまで話したんだから、次は真由さんの番、だよ!」


 恵ちゃんはにっこりとした笑顔を添えて、あたしに迫ってくる。


「……って言われても、特に何も話すことなんかないよ?」

「嘘ばっか。大好きだった倫也くんを振ったくせに。」

「それは恵ちゃんには敵わないって思っただけだもん。それ以上でもそれ以下でもないもん。」

「それも嘘。あの状況、わたしから倫也くんを奪おうと思えば奪えたはずだよ?」

「う……それは…………」


 たしかに恵ちゃんの言葉は否定できなかった。

 あたしは清水の舞台の上で、タキ君に『俺のメインヒロインになってほしい』とか言われた気もする。それはタキ君の本音だったのか、それともただの勢いだったのか……。


 ううん。間違えなく後者だった。


 あたしは、悔しくて仕方なかった。たしかにあの時あたしがうんと頷けば、今とは違った結末があったのかもしれない。でもそれはどうしても許せなかったんだ。

 あたしは、本当のあたしを見てほしかっただけなのに……。


「あ〜あ。あたしは沙由佳じゃなくて、真唯だったはずなのにね。」


 あたしはぼそっと恵ちゃんの前で、そんなことを漏らしていた。どうせ恵ちゃんにはなんのことか伝わるはずな……


「そうだね。沙由佳は霞ヶ丘先輩なのにね。」

「え、恵ちゃんもその話、知ってるの?」


 ……いこともなく、沙由佳のモデルが霞さん自身だって、恵ちゃんも知っていたようだ。これを知ってるのはあたしと町田さんだけだと思ってたのに、ちょっと残念だな。

 恵ちゃんはイタズラな笑みを浮かべている。


「でも、やっぱし真由さんは真唯だよ。間違えなく。」

「……え、なんでそう思うの?」

「ふふっ。ヒミツ。」


 真唯……霞詩子処女作『恋するメトロノーム』のもう一人のメインヒロイン。主人公は第一巻から出てきていた沙由佳ではなく、真唯を最後に選んだ。

 そんな真唯が体験したハッピーエンドを、あたしは知らないよ。だってあたしは、主人公君に選ばれなかった方の立場だから。主人公君を奪おうと思えば奪えたのかもしれないけど、でもそんな勇気、あたしにはなかった――


「あたしは、みんなに幸せになってほしかったから……」


 そんな風に、恵ちゃんに聞こえるか聞こえないかの声で、自分に言い聞かせた。


「だから真由さんは真唯なんだよ。」


 すると恵ちゃんがこう返してくるんだ。まだ恵ちゃんの言ってることが理解できず、あたしはただきょとんと恵ちゃんの方を見つめるだけだったけど。


 あたしは、真唯……なのかな?

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