冴えない本音の語りかた

「恵ちゃん……? いつからそこにいたの?」


 まだ朝五時。始発電車がようやく走り始めたくらいの時刻だ。

 そんな時間に、タキくん……恵ちゃんの彼氏の家のリビングの外で、ひとりぽつんとここに佇んで座っている。


 いや、それは少しおかしくて、そもそもどうやってここまでたどり着いたのだろう。

 まだ電車も走っていないはずなのに――


 しばらく動けなくなった彼女を心配してか、タ……安芸くんは恵ちゃんの右手を両手できゅっと握りしめた。


「恵、どうしたんだ?」


 ゆっくり、ささやくほどの安芸くんの声に、恵ちゃんはしゅんとしてなんとかそれに応えようとする。


「……也くんが全部悪いんだからね……」


 そして恵ちゃんは少し悪戯っぽい甘えた顔で、自信なさそうにそう言うんだ。


「ああ。俺が悪い。でも、何があったかくらい、教えてくれないか?」


 安芸くんは否定も怒りもせず、恵ちゃんの話を聞き出そうとしている。でもそれって、理由もわからず自分が悪いなんてこと、そんなのあるはずないのにね。

 あたしはそんなことを考えながら、心の中で笑っていた。


「わたし……ね、ちょっと不安だったから……」

「なにがそんなに不安なんだよ?」


 自分のスカートを抑えていた恵ちゃんの左手を、安芸くんは自分の左手ですっと奪い、ようやくお互いの両手は結ばれた。安芸くんもその場でしゃがみこみ、恵ちゃんの視線の高さに合わせたんだ。


「倫也くん……大学に入ってから霞ヶ丘先輩の編集の仕事まで抱えちゃってさ〜いつもすごく忙しそうにしてるから……」

「でも俺、去年みたいにゲームシナリオを投げ出してるわけじゃないだろ?」

「そうなんだけど……さ〜」

「だったら恵が不安になるのは違うんじゃないのかな?」

「……………………」


 恵ちゃんは安芸くんから視線を逸らしたまま、また下を俯いている。


「ねぇ……。恵ちゃん?」


 ここであたしが話しかけるのはなんだか反則……というより、あたしもできればしたくなかったんだけど――

 恵ちゃんはあたしの声に反応して、頭を少しだけ上に傾けてきた。


「昨日の朝ご飯……とお昼のサンドイッチ、あれ作ったの恵ちゃんだよね?」

「え…………なんのことかな〜?」


 すると恵ちゃんは少し怒ったような態度で安芸くんの目をきゅっと睨んだ。まるであたしに対して、対抗意識を燃やしているような目。それは何か違うんじゃないのと、あたしは思ったりするけれども。

 それにしても今日の恵ちゃん、全然フラットじゃないよね。


「違うって。あんなの、一口食べたらすぐに恵ちゃんの料理だって気づくよ。英梨々ももちろん気づいてたみたいだし。」

「……………………」

「だから、安芸くんは何も言ってない。恵ちゃんを裏切るようなことはなにも……ね。」


 あたしがそう言うと、恵ちゃんは赤い交戦モードの顔を解除して、同じ赤でも少し恥ずかしそうな顔をあたしたちに見せてきた。やや照れくさそうな面もちで、あたしの目を見上げてきたんだ。


「美味しかったよ。ありがとう。」


 あたしは恵ちゃんににこっと笑みを返す。

 それに釣られて恵ちゃんもやや優しい顔に戻ってきた。


「……でも、なんであたしや英梨々の前から逃げるように、姿を消したのかな~?」


 が、あたしの傍観モードもここまでだ。

 正直、今の恵ちゃんはこれ以上見ていられないもん!


「ちょっと、嵯峨野さん!??」

「話がややこしくなるからタキくんは少し黙ってて!!」

「……はい。」


 仲裁に入ろうとしたタキくんに対しても、あたしは反発してそれを妨げた。


 だって恐らく今日の恵ちゃんは、あたしに対しての行動だと思うから。

 それはさっき恵ちゃんが、自分で暴露していたもんね。『だから真由さんは』って。

 だからあたしも、今日はちゃんと恵ちゃんと話したい。


 あたしだっていつまでもこのままじゃやっぱり嫌だから――


 ☆ ☆ ☆


「恵ちゃん、どうしてあたしから逃げるようなことをしたの?」


 それは昨日の朝のこと。恵ちゃんは合宿の朝食として、タキくん、英梨々、そしてあたしの分をつくると、そのまま何も言わずに立ち去った。それだけだったらまだしも、タキくんに『自分がいたことを敢えて知らせないで』と頼んだようだったんだ。


 まるで、あたしや英梨々から逃げるように。

 どこにそんなことをする理由があったのだろう?


「そんなの……真由さんには関係ないじゃん。」


 恵ちゃんはあたしからも目を逸らし、弱々しい声でそう答えた。

 それはまるで自分の外側にある硬い殻の中へ、奥深く潜っていくかのようにも見えた。


 ――ひょっとして……恵ちゃんはあたしではなく、自分自身と向き合えずにいる?

 でもそうだとすると、恵ちゃんにとってのあたしの存在って……?


 ……ふふっ。なんだかあたしも妙な気分になってきた。

 そろそろあたしだって、本気を出さなくてはね。

 あたしはタキくんの背後から両腕を広げて、えいっと彼の背中に飛びついた。


「じゃー、今晩みたいにあたしがタキくんと二人っきりで、こうやって毎日お仕事という理由でひとつ屋根の下で何をしていても、恵ちゃんは関係ないってことだね?」

「ちょっ……ちょっと! 嵯峨野さん!??」


 中腰になっていたタキくんの身体に、あたしの両腕が巻きついていく。さらにあたしの胸を力強く、タキくんの背中にぎゅっと押し付けた。そしてあたしの腕は彼の胸元へ。タキくんの心臓の鼓動が徐々に高まっていくのが伝わってくる。

 へぇ〜、タキくんってあたしなんかがこうやって抱きついても、ちゃんとそれなりの反応してくれるんだね。少し安心したよ。


 恵ちゃんの顔が変わっていくのには、それから数秒ともかからなかった。

 まもなく恵ちゃんはタキくんの両腕を掴み、その身体を自分の手元へと手繰り寄せた。

 あたしはそれを待っていたかのように、すっと彼の身体から両手を離した。

 ……待っていたかのように……?


「倫也くんは渡さない。英梨々にも、霞ヶ丘先輩にも……真由さんにも!!」


 恵ちゃんの本音がようやく出てきて、あたしは何とも言えない微笑が出てしまった。

 ほんとあたしったら、一体何をしているのだろうね……?


「だったら恵ちゃん、何をそんなに怯えているのかな?」


 あたしは自分の気持ちを押し殺しながら、悪戯な顔でもう一度恵ちゃんに聞いてみた。

 恵ちゃんは少し顔を赤らめながら、重かった口をようやく少しずつ開いていく。


「わたしは不安なの。倫也くんがどんどん遠くに行ってしまうような気がして……」


 そう、これだ。

 これが恵ちゃんの奥底で芽生えていた、本当の気持ち――


「今まで……ね、わたし、倫也くんがずっと普通の男の子だと思ってた。これは英梨々にも霞ヶ丘先輩にもなかった特別な感情で、何一つ特別ではないわたしの気持ち。わたしがいつも普通でいられるから、倫也くんも普通にわたしの側にいてくれるんだって。でもほんのちょっとは普通でなくてもよかった。倫也くんが頼もしく思えたし、だけどそれでもやっぱり倫也くんは倫也くんで……」


 普通の男の子……か。それは確かに、特別であって、特別ではないのかもしれない。


「……だけどさ、英梨々や霞ヶ丘先輩の仕事を倫也くんが手伝うのを見て、なんだか少しずつ、倫也くんが離れていくような気がしてきて……。だって、倫也くんだよ。空気を読まない、難聴鈍感な普通のオタクの倫也くんがだよ。それなのに、『フィールズ・クロニクル』とか、『純情ヘクトパスカル』とか、そんな誰もが耳にしたことのあるようなものを倫也くんが一緒に作ってるだなんて……そんなの、ありえないよ!」

「め、恵……?」


 もはや賞賛されているのか、ただディスられているだけなのか……

 あたしにも区別のつかないそのお話は、なんだか妙に説得力があった。


「だからわたしは、倫也くんに内緒で、ゲームのシナリオを書きはじめたんだよ!!」


 ――そして恵ちゃんは、シナリオを書いている理由を、突如暴露したんだ。


「え、『ゲームシナリオ』って何の話だ?」


 唯一何も知らない……何も知らされていなかったタキくんは、恵ちゃんにそれを尋ねた。

 タキくんは少し間抜けな顔で、もはやただきょとんとその話を聞くしかなかったようだ。


「わたしにとって徐々に普通じゃなくなってく倫也くんが、いつまでもわたしにとっての普通の倫也くんでいてほしかったから、だからわたしも少しでもいいから近い距離にいたかったの。それだけだよ!」


 が、恵ちゃんはタキくんの質問を一切無視して、あたしと向き合うことを選択したんだ。


「だって真由さん、わたしにとって普通じゃない側の人のはずなのに、倫也くんにとっては普通の人だって言うんだもん。そんなの、絶対にずるいよ!!!」


 恵ちゃんの両手こそタキくんの手をぎゅっと握りしめてはいるものの、視線はずっとあたしの目を向いていたんだ。もう逃げ出すのは一切止めたのかもしれない。そこにあるのは明らかにあたしに対する敵対心だった。


 本当にずるいな〜……。

 今のタキくんはあたしなんて全く眼中にないってことに、この女の子は全く気づいてないのだろうか。


「め、恵……。そろそろ落ち着かないか?」


 タキくんの一言でようやく自分が何を口走ったのか、恵ちゃんは自分の頭の中で理解したようだった。顔はまたすっとあたしからもタキくんからも逸らして、朝日の光が入り込む窓の方向を向いてしまった。恥ずかしさからなのか、陽の光に照らされてるせいなのか、その美しい恵ちゃんの顔は真っ赤に輝いて見えたんだ。


 それでも決して、恵ちゃんは一切涙を見せようとしなかった。

 恐らくこれが、『blessing software』で三年連続メインヒロインを続けられる所以なのかもしれない。英梨々はともかく、あたしでもこんなことがあったら、もう泣き出していると思うけど――


 きっとこれが、恵ちゃんのプライド。

 あたしがまだ足元にも及ばない、そんな強さが彼女にはあった。


「ねぇ、真由さん?」


 恵ちゃんは窓の方を向いたまま、そっと声を出した。

 あたしも意地悪はもう止めて、優しい声で返さなきゃね。


「なに? 恵ちゃん。」

「この合宿が終わったらさ、みんなでゲーム作り合宿に行こ? 英梨々もエチカも誘って。」

「今度は『cutie fake』の合宿か〜。……うん、いいよ。でも、どこ行くの?」

「長野県の温泉だよ。英梨々と、毎年行ってるんだ。」


 英梨々と……か。いいな〜、温泉。


「うん、わかったよ。でも、来週はさすがに勘弁ね。今日の作業の続きはもう少し掛かりそうだし。」

「うん、それでいいよ。じゃあ、再来週。夏コミに向けて、ワンルートの体験版作らなきゃ。」

「再来週か〜。あたしも全然休みがないねぇ〜……」

「ねぇ、いいでしょ? 英梨々のスケジュールも聞いとくから。」

「いいよ。もうすぐ、夏コミも近いしね。」


 お互いの顔を逸らしたまま、チャットで会話をするように、あたしと恵ちゃんは『cutie fake』の夏合宿の約束を交わしたんだ。どんなことがあっても、ちゃんとあたしたちは繋がってる。

 それをもう一度、再確認した。


「え、恵のゲームって、『cutie fake』で作ってるの?」


 ……あ。こいつのこと、すっかり忘れてた。


「倫也くん。黙ってて、ごめんね。でも、『blessing software』には迷惑かけないように、わたしの作業は夏までには終わらせるから。」

「タキくん。それは黙ってたあたしからも謝る。だから、恵ちゃんを許してあげて。」


 だって、あたしにとって、恵ちゃんは恵ちゃんだもん。

 最初に大学でタキくんと一緒に歩いている恵ちゃんと出逢ってから、今でも――


「いや、別にいいんだけど……『cutie fake』でゲームとか、わくわくするな〜って。」

「そっちかよ!???」


 でもさ。

 ……あたしは昇ってくる朝の光を浴びながら、こんな風にも考えたんだ。

 毎日こうして日が昇ってくるように、あたしも変わり始めなきゃって。


 まだあたしは土俵にすら上がれていない気もするけれど――

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