回ってますが、なにか?


 湿った土埃の匂いのする蔵に入った沼田は緊張して周囲を見回す。


 中は暗く、今、入った扉と高い位置にある明かり取りの小さな窓から夕暮れの光が差し込んでいるだけだ。


 さっきの裸体の人形が、奥にある古い箪笥の陰から、足許にある火鉢の陰から。


 何故とってあるのかわからない穴の空いた五右衛門風呂の釜の陰から歩いてくる幻が見えて、目眩がしそうになる。


 落ち着け、幻惑されるな、と思っている沼田の後ろから、ほとりが言ってきた。


「明かりがなくてすみません。

 なんで、電気つけてないんでしょうね、此処」


 いや、あまり見えなくていいような。


 見えないからこそ、妄想が広がるような――。


 落ち着け、俺は霊など信じない、と思ったとき、箪笥の上で動いているものが目に入った。


 ……大きなこけしの首がぐるぐる回っているように見えるんだが、気のせいか。


 っていうか、その下の箪笥の引き出しが少し開いて、小さな脚のようなものが覗いているように見えるんだが、気のせいか。


 ……脚?


 まさか……と思いながら、沼田はそこに近づいていく。





 やばい、とほとりは思っていた。


 気分で回らない日もあるのに、今日に限って、こけしが回っている。


 なんとか止めることはできないだろうか、と思ったが、なんで回っているのかもわからないのに止められるわけもない。


 沼田がこけしのある箪笥の方に向かい、一歩踏み出すのが見えた。


「あっ、ぬ、沼田さん」

とほとりは慌てて呼びかける。


「そっちにあるのが、乗ると必ず、落ちる踏み台です」

と蔵の隅にある小さな木の踏み台を指差し、言うと、沼田は、


「捨てたらどうですか」

ともっともなことを言ってきた。


 まあ、そうですよね~……とほとりはなんの役にも立たない踏み台を見下ろす。


 でも、よく考えたら、別にいっかー。


 此処、呪われた蔵なんだしさー、とほとりは投げやりに思う。


 こけしのひとつやふたつ、回ってるってー。


 そう思ったとき、沼田の視線が、こけしではない、下の方を見ているのに気がついた。


 箪笥の引き出しから、小さな脚が覗いている。


 おそらく、ミワの脚だ。


 ひーっ、繭ーっ、と思いながら、ほとりは慌てて言った。


「あっ、その、こけしですかっ?

 それ、ファンなんですよ、ファンッ」


 こけしの方に注意を向けようとしたのだ。


「……ファン?」

と沼田が引き出しから視線を外し、上を見る。


「蔵って、湿気ますからねーっ」

と言ったが、沼田は更に胡散臭そうにほとりを見、蔵を見、箪笥を見た。


 照明器具すらつけていないのに、いきなり、ファンをつけるわけないよなーと思いながら、ほとりは救いを求めて、辺りを見回す。


 落としてっ、美和さんっ。

 上新粉じょうしんこっ。


 私のときみたいにっと思ったが、美和からの応答はない。


 そういえば、最近見かけないけど、まさか、成仏しちゃったとかっ?


 他の霊は成仏させるなとか言っといて、ご自分が成仏しちゃ駄目じゃないですかーっ、と思ったとき、箪笥の陰に誰か居るのに気がついた。


 いきなり予定外のところに現れた人影に、ひっ、とさすがのほとりも息を呑む。


「お困りですか」


 白いシャツから、柄のついた肩や背中が見えている男が箪笥の陰から現れた。


 桧室ひむろさんっ、とほとりはすがるように、その元取り立て屋の霊を見る。



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