この今をくれたあの人を俺は忘れない

「それで、今日はどうしたの?」

 急速に広がる夕闇の中で片倉さんが問いかける。きゅっと笑い、無理にとは言わないけれど、とつけたした。

「ヨッシーさんて覚えてる?」

「榊原くんがお世話になっている人でしょ」

「そう。そのヨッシーさんがね、どうやら亡くなったみたいなんだ」

 もう涙は枯れたのか、淡々とした口調で告げる。片倉さんの息をのむ音が聞こえた。


「そうだったの」

 沈黙が2人を包む。

「その人、榊原くんにとって大事な人だったんだね」

「うん。今の俺があるのはその人のおかげ。居なかったらずっと暗闇の中にいたと思う」

 そう、片倉さんに出会うことも無かったし、こうやって、思い出話をすることも無かった。片倉さんは膝を抱え、そこに顔をうずめながら言う。


「なんか妬けるなあ」

「え?」

 虚を突かれて変な声が出てしまう。フェイの耳がピクンと動く。手を伸ばしてその頭をなでながら、

「だってさ、もし、今、私が居なくなったとして、榊原くん、あんな風に泣く?」

 口を開こうとする俺を止め、

「嘘はいいよ。だって、まだそれだけの月日が経ってないもん。誰かを悼んであんなに泣くほどの関係になれるってすごいことだよね。それってものすごく幸せだったってことじゃない?」


 その言葉を噛みしめる。確かに俺は幸せだった。人との出会いには色々なものがあるだろうけど、俺のは最高の出会いだった。

「でも、できれば、その幸せは今でも続いて欲しかったな。それに、そのせいでってわけじゃないけど、あまりにも見っともない姿見せちゃった」

「そうね。事情が分からなかったから、最初は正直ちょっと引いた」

 だよな。思わず下を向く。

「まあ、でも、今は事情が分かったから。それにさ、あれで何だか初めて対等な立場に慣れた気がした。今までどちらかと言うと助けてもらってばかりだったじゃない」

「そんなことはないと思うけど」

「私がそう感じてたんだから、それでいいの。それでね、私はそのヨッシーさんの代わりはできないし、するつもりはないよ。でも、泣きたくなったらね、私の胸で良かったらいつでも貸してあげる」


 抱えていた足を降ろし、まっすぐに俺のことを見つめる。夕闇の中だったけど、輝いて見えた。

「ありがとう」

 場違いだけど、口から出てきたのは感謝の言葉だった。片倉さんは力強く頷くと、

「そうだ。時間が経っちゃたけど、このサンドイッチ食べて。吉田さんはね、食べ物粗末にすると怖いよ~。ウチ出入り禁止になるかも」

 そう言って、自分も一つつまむ。俺も手を伸ばし、一つを取って口に入れた。とたんに、遠くでドーンという音が上がり、連続してドンドンという音が聞こえてきた。


「あ。花火大会始まっちゃった。もう今からじゃ間に合わないね」

「ううん。どうしても花火が見に行きたいわけじゃなかったし、すごい人込みでしょ。また来年もあるしね」

 遠くの花火の音を聞きながらぼんやりと考えた。来年も二人で花火を見に行ける関係だといいな、そう強く願わずにはいられない。生身の俺は彼女にとって魅力的なままでいられるのだろうか。


「そうだ。ちょっと待っててね」

 そう言って、片倉さんが母屋に向かう。2・3分するとバケツと何かを手に戻ってきた。

「打ち上げ花火に迫力は及ばないけど」

 手に持っていたのは、いくつかの花火。ろうそくを地面に立て、火をつけるとそのそばにしゃがみ込んだ。花火なんて何年ぶりだろうか。色とりどりの光が爆ぜ、きらめき消えていく。その光に照らされる真剣なまなざしの片倉さんの顔はこの世のものとは思えないほど幻想的で美しかった。


 じっと見つめる俺の視線に気づき、

「どうしたの?そんなにまじまじと見つめて」

「ごめん。つい見とれちゃった」

 激しく音を出し噴き出す花火が終わり、残るのは数本の線香花火だけとなった。パチ、パチ。赤く光る珠から小さな閃光を発して消える。子供の頃は、もっと派手な花火が好きでなんでこんな地味な花火が混じっているんだろうと思っていた。でも、今日はこの地味な花火が美しく見える。年齢と共に感性が変わったのか、それとも一緒に見る片倉さんの存在がそう感じさせるのか。


 お互いに無言でどれだけ線香花火を長持ちさせられるか、ジ、ジジと音を立て小さな星を散らす線香花火の珠に神経を集中させる。そして、最後の2本となった。最後の珠がポトリと落ちて、再び闇に包まれる。

「花火が終わると夏が終わったって気分になるよね」

 しゃがんだままの姿勢で片倉さんが言う。

「実際はまだ暑い日は続くんだけどさ、なんか、もう季節が終わったというか、寂しい感じがするのは何故だと思う?」


 答えの無い質問に黙っていると、

「不思議だよねえ」

 そう言って立ち上がる。遠くの音に耳を澄ますようにしていたが、

「まだ、花火大会は終わってないみたい。まだ、時間は大丈夫だよね。育ち盛りであれだけの軽食じゃ足りないでしょ。中でご飯食べてってよ」

「え?ご両親いるんだよね」

「いるわよ。2人で宴会してる。というか、あの辺から覗いているんじゃないかしら」

 母屋の方を見るが、明かりのない部屋に人がいるのかどうかは分からない。

「このまま帰ってもらってもいいんだけどさ、それだと榊原くんの印象悪くしちゃうし。あ、運ぶの手伝ってもらっていい」


 テーブルの上の物をトレイにまとめて渡される。花火を入れたバケツを持って先導する片倉さんの後をついて歩く。うーむ、これでは逃げようがないじゃないか。

「どうせ、もう酔っ払っちゃってるから、緊張しなくても大丈夫だよ」

 酔っ払っちゃってるなら、ご挨拶しなくてもいいんじゃないでしょうか。そんな気弱な俺の心を見透かしたのだろう。玄関扉の前に着くと片倉さんがくるりと俺の方に振り向いた。


「だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だってば。もうしょうがないなあ。勇気を出すおまじない」

 そう言って、俺の方に身を寄せてくると、顔を近づけてきて、唇を数秒重ねる。その後、ぱっと身を離すとガラガラと引き戸を開けて中に入っていく。


「ただいまー」

 奥の方に声をかける片倉さん。それに応じて、先ほどの吉田さんだろうか、人がやってくる気配がする。唇に残る心地よい感触に身を委ねながら、頭の片隅であることを思いつく。さすがに、このシチュエーションまでは予行演習できなかったよな、”ヨッシー”さん。

「お邪魔します」

 吉田さんにトレイを渡し、靴を脱ぎ玄関を上がる。靴の向きを変えて揃え、立ち上がると、片倉さんが手を伸ばしてくる。

「こっちよ、来て」

 片倉さんに手を引かれ案内されながら、心の中で呼びかける。”ヨッシー”さん、不肖の弟子を見守っててくれよ。

「師匠の顔に泥を塗るようなマネはすんじゃねーぞ。まあ、啓太、お前なら大丈夫」

 確かにそんな声が聞こえたような気がした。


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