スニークアタック

「とりあえず、多摩川へ向かえ。よし、この渋滞だ。うまくすれば間に合うかも」

 夕焼け空の下、自転車を力いっぱい漕ぎながら質問する。

「わかった。それで、なんで誘拐されたって分かるんだ」

「いきなりスマホの電源を切られたんだよ」

「電池が切れただけじゃないの」

「いや、直前までバッテリー残量はあった。追跡を恐れて電源を切ったんだ」

「なぜバッテリー残量があることまで分かるんだ?というか、ヨッシーさん、どうしてここまでこの件にこだわるんだ?」

「お前がお人よしだからだよ。クラスメートが悲惨な目にあって、のうのうと自分の恋愛にうつつを抜かせるタイプじゃねーだろ。お前の恋の成就の為にもこいつは解決せぬわけにはいかないのさ。だから、打てる手は打った」

 こっちは自転車を全力で漕ぎながらなので、会話がとぎれとぎれだ。


「でも肝心のGPSが効かないんじゃ、どこにいるか分からないじゃないか」

「どこへ向かおうとしているかだいたいの場所は分かってるんだ」

「なんで分かるんだよ」

「よし、そのまま多摩川を渡れ。犯人の車は白の業務用ワゴンだ。右の後ろにこすった傷がある」

「なんで、そんなことが分かるんだ」

「前回の事件で、被害者の持ち物が発見された現場や藤川って子の行動範囲にあると思われるウェブ接続のカメラのデータを全部さらった。初期状態でセキュリティガバガバなカメラがごまんとあるからな。それをつなげていって絞り込んだ」

「そっか、車のナンバーから持ち主を割り出したんだ」

「残念ながら違う。ナンバーだけじゃ無理なんだ。それとは別に車両番号が必要になる。さすがに不正な方法で陸運局のシステムに侵入するのは無理だった。ただ、丁寧に探せばカメラの画像から車を追いかけることは不可能じゃない」

 まあ、とは言っても常人には無理だろうな。24時間不眠不休で動ける”ヨッシー”さんだからこそできる技か。


「そこの角を右だ。ほれ、そのビルに監視カメラがついてるんだ。あれに何度もその車両が映ってた」

 道は緩い上り坂になっており、左に緩やかに曲がっている。後ろから車のヘッドライトが近づいてくる。横を通り抜けた車は白の業務用ワゴンだった。道路の左側を走っているので右側後ろに傷があったのかは見えない。

「ビンゴ」

「今の車がそうなの?」

「ああ、間違いない。スピード上げろ」


 坂道を力いっぱい漕ぐ。しかし、相手は自動車だ。みるみるうちに離されていく。緩やかなカーブが終わり直線になる。相変わらずの上り坂だ。やけくそで自転車を漕ぎ、ふと顔を上げると遠くでテールランプが点灯するのが見えた。ふうふう言いながら進むと道はやがて平坦になる。さらにしばらく行ったところで、左に曲がる細い道があった。先ほどテールランプが光るのが見えていなければ通り過ぎていただろう。危ないところだった。


 細い道は一応簡易舗装はされているが、あまり路面が良くない。林の中を抜けて続く道が、夕闇が迫る中、辛うじて見えている。自転車はこの道の入口に置いて、歩きで奥へと進んでいく。小枝を踏んで音を立てないように慎重に進む。道は思っていたよりも長く1キロメートル弱続いていた。やがて、道の先に明かりが見える。近づいてみると古びた2棟の家屋が建っていた。正面が母屋で、右側にあるのは何かの小屋だろう。小屋の前には白のワゴンが止まっていた。


 光は正面の建物から漏れている。ゆっくりと足音を忍ばせて、車の側に寄る。中を覗き込むと助手席に見覚えのあるスマートフォンがあった。あのケースには見覚えがある。藤川のものだ。その横には女性用のハンドバッグ。

「それは後だ。まずは本人の救出を先にしよう」


 ”ヨッシー”さんの声に無言で頷く。一人じゃ心細くてとてもじゃないがこんなことはできないだろう。”ヨッシー”さんがいることに勇気づけられて、じりじりと母屋に近づいていく。母屋のガラス戸は完全には閉まっておらず、十数センチ開いており、中から明かりと音が漏れている。しばらく耳を澄ますと19時のニュースの音だと分かった。

「両手に手袋をしろ。それとレンチを持て」

 言われた通りに準備する。風が吹き、林の木々を揺らしてサーという音がする。それを圧するように自分の心臓の音が響く。ドクンドクン。中から番組の間のテーマ曲が大きな音で鳴り響く。

「今だ」

 そっと戸を押し開き、自分一人が通れる隙間を確保する。背負ったリュックを一度降ろし、通り抜けてまた背負う。中は散らかり放題で、かすかにカビと埃、そしてたばこのにおいがする。玄関から廊下に進み、廊下の角から部屋を覗き込んだ。


 天井からぶら下がったペンダントの白熱球が周囲を弱く照らしている。部屋の奥にはこの荒れた部屋には不釣り合いな32インチの液晶テレビがついており、スポーツニュースを流している。その前には、薄汚れた身なりの中年の男が、咥えたばこで、グラスに茶色い液体を注いでいる。注ぎ終わると左手でたばこをつかみ、右手でグラスを呷った。グラスは何年も洗っていないようだったが、男は気にする様子もない。グラスを戻し、たばこを咥えると、深く吸い込んで、煙を目の前に吐き出した。


 煙を浴びて、男の前の何かは身じろぎする。藤川だ。手を後ろ手にされ、仰向けに寝かされている。顔は良く見えないが猿ぐつわをはめられているようだ。男は、咥えていたたばこを吸い殻で山盛りの灰皿に捨てると、もう1本取り出し火をつけながら、だみ声で言う。

「いい眺めだな。その強がりがいつまでもつか。汚いものを見るかのように蔑みやがって。いつもいつも女ってのは……」

 そういいながら、リモコンでテレビを消し、手をふとももに伸ばす。撫でまわしながらスカートをたくし上げるように手を動かしていく。藤川は必死に身をよじるが、足を縛った紐の先は大きなテーブルの脚に結わえられており、身動きできない。男は反対の手に包丁を握り、藤川の前に突き出す。


「暴れるな。こいつでちょっと刺してもいいんだぜ。それともさっきみたいにスタンガンの方がいいか。まあ、あまり体が弛緩されすぎるとお楽しみが減っちまうからなあ」

 そう言って、ぐふぐふ笑う。藤川は目の前の包丁に目が釘付けとなって体をすくませている。

「いい子にしてたら、傷はつけない。これから、二人でここで暮らすんだ。俺たちは夫婦になるんだ。うれしいだろ」

 左手に持っていた包丁を畳に突き立てると、空いた左手で胸を鷲掴みにする。


 不安定な姿勢で覗き込んでいた俺が、体重を移し替えたとたん、床がミシっと鳴った。しまった。

「誰だッ?」

 男はたばこを投げ捨て、包丁を引っこ抜き立ち上がる。仕方なく俺もレンチを握りしめ部屋に突進する。

「誰だ、てめーは?」

 血走った目で男がわめき、藤川をまたいでこちらに近づいてくる。まずい。男はかなりの年で俊敏ではなさそうだが、包丁とレンチじゃ分が悪すぎる。包丁はまっすぐ突くだけで脅威だが、レンチは振り回さないとならず、重さが邪魔だ。レンチをまっすぐ構え、繰り出してくる包丁をけん制するので精一杯。ガキンという金属音が響く。

「まずは、てめーをやってやる。ん、わッ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る