対決

 制服のままでというわけにはいかないので、教室にもどり、ロッカーの体操着を取ってくる。更衣室で体育着に着替え、身支度をする。道場に戻ってみるとかかり稽古をしていた片倉先輩が相手を制し、こちらに歩み寄ってくる。


「支度はいいか?」

「はい」

「では、始めるとしようか」

「一ついいですか?」

「なんだ?」

「1本勝負ということでお願いします」

「うん。いいだろう。主審はうちの副将が務める」


 正面に礼、お互いに一礼し、三歩進んで、蹲踞し身構える。始めの合図と共に立ち、相手との間合いを測った。これだけリーチの差があるとこちらから仕掛けるのはまず無理だ。相手が動こうとするのに合わせ、竹刀の先で圧を加えると共に、少し体を開く。うまくいなしたと思った瞬間、相手も体を開きながら、ものすごい早さで面打ちが飛んでくる。辛うじて竹刀をすり上げるのが精一杯だ。

 素早く下がり、伸びきっているはずの胴を狙おうと構えたが、相手も概ね大勢を立て直している。ここで待ったら次のチャンスはない。竹刀の先を下げて前に出る。これは誘いだ。再び飛んでくる面打ちの機先を制するように、右足を踏み込み竹刀の先を上げ、小手を打った。と同時に面に衝撃が走った。止めの声がかかり、時の流れが元に戻る。

 

 副将は今の勝負の判定が付きかねるようだ。俺は下がって一礼すると

「ありがとうございました」

「まだ勝負はついていないぞ」

「いえ、もうこれ以上の立合いは無理ですよ。気力が持ちません。私の負けです」

 正面に礼をし、下がって、面紐をほどく。周囲では再びかかり稽古の音が響くようになった。片倉先輩も面を外してやってくる。

「もう終わりか」

「はい。これで最後にしたいと思います。ありがとうございました」

「残念だな」

「すいません」

「少し話したいことがある。あとちょっとで稽古が終わる。それまで待っていてもらえるか」

「はい」

 気づくとたいして動いたわけではないのに全身に汗をかいていた。頭に巻いていた手ぬぐいも汗で重い。 

 

 部活終了後、俺たち2人は高校の近所にある公園にいた。片倉先輩に誘われるまま、街灯のともるこの小さな公園にやってきた俺はブランコに座っている。夕闇が迫る時間なので子供の姿はない。ちょっと待っててくれといった片倉先輩はペットボトルを2本下げて戻ってきた。ブランコ周りの金属製の柵に腰掛けながら、その内の1本を投げてよこす。

「奢りだ」

「ありがとうございます」

 と言って、口をつける。汗をかき乾いた喉に炭酸が心地いい。

「それで、お話というのは?」

「剣道部に入らないというのは分かったが、これからも帰宅部を続けるのか?」

「そんなことを聞くためにわざわざ?」

 片倉先輩は立ち上がる。


「そうだな。ストレートに聞こう。妹をどうするつもりだ?」

「どうって、友達なだけですよ」

「随分と親しいようじゃないか」

「何度か会っておしゃべりをしただけです」

「二人きりでだろう?」

「まあ、そうですね。でもほんのちょっとおしゃべりをしただけですよ」

「それ以上のことをするつもりはないと?」

「それは俺一人で決められることではないでしょう?」

「世間知らずの小娘をたぶらかした上でそのようなセリフを吐こうというのか?」

 一歩近づきながら険しい声音になる。


「いやいや、ちょっと待ってください。たぶらかすは言いすぎでしょう。それに妹さん、もう小娘じゃないでしょう」

「だが、世間の怖さをまだ知らん。甘言を弄して近づいてくる相手の正体をまだ見極めることは難しいだろう。そういう意味じゃまだ小娘だ」

「そこまで子供扱いしなくてもいいと思いますが。むしろ、それが妹さんの危うさにつながると思いますよ」

「なんだと!」

「いいですか。妹さんは少し自制的すぎるし、無理に背伸びをしようとしている感じがします。それはお兄さんが子供扱いしているのと関係があるんじゃないですか。いいから聞いてください」

 こちらに詰め寄ろうとする相手を静止する。


「確かに俺は妹さんと親しくなりたいと思います。それは否定しません。ただ、それは妹さんが自発的に同意してくれた場合だけです。妹さんの意思を曲げるように誘導するつもりもないです。今は友達という関係で満足してますし」

 そこまで一気に言う。喉を潤したいが我慢して続けた。

「俺にも大事な妹が居ます。なので分かるつもりです。これまで大事に育ててきた方の想いを踏みにじる真似はしません」

 街灯の光を背負う片倉先輩の表情は良く分からないが、俺を凝視しているのは間違いない。真実を話しているのか、舌の回る嘘つきなのか、見極めようと無言だ。


「まあ、いいだろう。今日のところはその話信じよう」

 ほっとして全身の緊張が緩む。

「だが、警告はしておくぞ。その言葉に偽りがあったときは覚悟するんだな」

「嘘ではありません」

「青髭という童話を知っているか」

 おや、お兄さんもこの話をするのか。


「知っています」

「なら話が早い。あれは一般的には見るなの禁忌を破らないようにという話だとされているな」

「そうですね」

「それは間違いだ。あの話の教訓は、可愛い妹を傷つけようとする奴は死ぬ、そういうことだ」

 やべー。これは本気だな。まあ、俺だって志穂を傷つけようという相手は許さないけど。沈黙を了解のしるしと受け取ったのだろう、片倉先輩は背を向けて去って行った。ふう、貯めていた息を全部吐き出す。さっき飲んだ水が全部冷や汗で出ちまった。今日は変な汗いっぱいかいたな。早く家に帰って風呂に入りたい。


 翌日登校すると、クラスの皆の俺を見る目が違う。席に着くと早速中川が振り返り声をかけてくる。

「足は生えているな。一応生きてはいるんだ」

「なんだよそれ」

 周囲が聞き耳を立てているのを感じる。


「いや、昨日は片倉先輩にどこかに拉致られたんだろ。多摩川辺りに流されたんじゃないかって噂になっててさ」

「くだらねえ。だいたい、幽霊だって足はあるぜ」

「そうなのか、ってそんな話じゃない。何があったんだよ?」

「ちょっと話をしただけ」

「なんの話だよ」

「ある物語の教訓は何かって話さ」

「なんじゃそりゃ」


 そこへ担任の池田先生が入ってきて話はそれまでになった。中川はそれきり話題にしなかったが、話に勝手に尾鰭はつくもので、俺と片倉兄妹について色々噂が広がった。俺が片倉先輩と決闘をして勝っただの、俺が何度も土下座して謝っただの勝手なことと言っている。しばらくは噂が続いたが、関係者が何も語らないためほどなく下火となっていった。そして、7月に入って世間を賑わした現役女子高生アイドルの殺人事件がこの話題を吹き飛ばした。


 俺が届け出を出して弓道部に入部し、練習を始めて1週間ほど経った頃、その事件が報道され世間の話題をさらった。都内の私立高校に通う女子高生が遺体となって発見されたのだ。発見時に衣服を付けていなかったことや被害者がアイドル活動をしていたこと、熱心なファンとの間でトラブルがあったことなどが次々と報道されてワイドショーを賑わした。

 遺族を追いかけまわし、その心情を思えば聞くに堪えない質問を突き付ける。あまりそういうことには関心がない俺の耳にも事件の情報は入ってきた。被害者が帰宅途中に忽然と消えたこともあり、ちょうど夏休み前ということで、学校でも注意喚起がされた。似たような境遇の藤川がいたこともあったのだろう、学校でもこの話題で持ちきりとなった。


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