転居
翌朝、目が覚めた時には、父さんはもういなかった。母さんだけしかいないとなると、これでは昨晩の話はしてもらえそうにない。気になって仕方がないが、とりあえず登校する。お早うと挨拶しても返事がないのはいつも通り。ただ、もうすぐ会うこともなくなると思うと気にならない。もう皆の顔色を伺うことなく、授業に集中する。
家に帰ると、早速志穂がやってきた。トランプを持ってきて、ババ抜きをしようという。正直に言えば、2人でやるババ抜きなんて面白くもなんともない。とはいえ、そんなこと言えないしな。最後の2枚になり、俺がジョーカーを引くと大喜びする。2・3度ジョーカーのやり取りをして、結局俺が勝つと、ほっぺたを膨らませ、
「おにいちゃん、もう1回!」
買っても負けても、もう1回。流石に飽きて別のことをしようと言うと、今度は7並べだと言う。いや、それも2人でやるゲームじゃないと思うぞ、という思いは飲み込んで相手をする。しばらく遊んでいるとまだ17時前なのに父さんが帰ってきた。久々に4人で夕食の卓を囲む。志穂は、トランプで何回勝っただの、負けただのの報告に忙しい。和やかな雰囲気で食事が終わったところで、父さんが切り出した。
「今週末に引っ越しをする」
引っ越し先は東京都の西側にある市だった。
「学校や志穂の幼稚園はどうするんだ?」
「もう、手続きは済んでいる。先生は知っているが、誰にも話さないように頼んでおいた。同級生は知らないはずだ」
今までの引っ越しでは1カ月ほど前から転校することが公になっていて、お別れ会などの行事があった。今回はそんな暇はないらしい。
「なんで、そんなに急に?」
良く分からない怒りがこみ上げてきて、詰問調になってしまう。
「すまない」
しばらく間をおいて、父さんは僕にそれだけ言った。
「志穂。明日お友達にバイバイするんだ。遠くに行っちゃうからってね」
志穂は最初事態が飲み込めていないようだったが、やがてコクリとうなずいた。そんな志穂の気を引き立てるように母さんが言う。
「こんどのおうちは、図書館が近くなるわよ。新しくて立派よ」
それを聞いて、少し志穂の表情が明るくなる。
「明日から引っ越しの準備で忙しくなるわ。今日はお風呂に入って早く寝なさい」
風呂場で志穂の髪の毛を洗ってあげていると、ぽつりと志穂が言う。
「おにいちゃん、良かったね」
そう言って、鏡の中でほほ笑む志穂を見ていると急に涙があふれそうになってきた。流すぞ、といって志穂の頭のシャンプーをシャワーで流す。そのお湯を自分の顔にもかけて、誤魔化した。
<sbk:引っ越しすることになったよ>
<ヨッシー:おお、それは良かった>
<sbk:そうだね>
<ヨッシー:なんかあまりうれしそうじゃないな>
あたりを見回す。
<sbk:なんで分かるの?>
<ヨッシー:なんとなくな。それで、何が不満なんだ>
<sbk:分からない>
<ヨッシー:もやもやするのか。ただな、これがベストだと思うよ。それにもう、決まったことだ>
<sbk:そうだね>
<ヨッシー:うーん。この調子じゃあ、しばらくは引きずりそうだな。まあ、すぐに気持ちを切り替えられなくても仕方ないか。まあ、みんなには忙しいらしいと言っておく>
<sbk:すみません>
学校では結局お別れの挨拶はしなかった。目立たぬようぐずぐずと最後まで残って、私物をまとめて帰宅する。松木先生は明らかに転校を喜んでいた。慌ただしく準備をして、引っ越しした先は、真新しいマンションだった。広さも今までより広い。なんとなく心が浮き立った。志穂も自分の部屋を与えられて喜んでいる。日曜日にはあらかた家の片づけが済んだ。月曜日は役所に行き、色々な手続きしたので、新しい学校への初登校は火曜日だった。
新しい学校は可もなく不可もなくといっていいだろうと思う。転校生である俺への関心はほとんどなかった。挨拶すれば挨拶は返ってくる。いくつかの教科では、教科書を持っていなかったので、隣の席の子に見せてもらうことになったが、別に嫌がりもせず見せてはくれる。ただ、向こうから積極的に話しかけてこようとまではしない。小学校6年生ともなれば、その学校での人間関係はほぼ完成している。さらに、クラスのほとんどは中学受験のことで頭がいっぱいで他人に関心を持つ余裕などないということがほどなく分かった。
インターネットが開通したのは木曜日だった。早速、CALを起動する。
<こんにちは>
<お、きたきた。こんちはー>
”ヨッシー”さんはとは、ほぼ1週間ぶり。
<で、落ち着いたのか>
<うん、まあね>
<まだ、人揃わないし、こっちは自動戦闘にしておいて、話するか?>
<sbk:新しい学校じゃ、無視されることもないし、皆から冷たくされるわけでもない。でも、僕に話しかけて来てくれることもないんだ>
<ヨッシー:ふーん。でも、前よりはずっと良くなったろ>
<sbk:そうなんだけどね>
<ヨッシー:もっと劇的に状況が改善すると期待してたのか?>
<sbk:そうだね>
<ヨッシー:贅沢だなあ>
<sbk:そうだね。本当にそうだ>
<ヨッシー:妹さんはどう?>
<sbk:もう期間がないから幼稚園に入れなくて、毎日家にいる。部屋をもらえて満足してるみたいだけど>
<ヨッシー:そうか。じゃあ、きっと妹さんにとっては良かったんじゃないか>
<sbk:そうだといいな>
そう、大事なのは志穂が僕のせいで苦しまないこと。
<sbk:それでさ、この間のあれってどうやったの?>
<ヨッシー:なんだ、そっちの方が気になってるのか?>
<sbk:自分の部屋に見知らぬ人が居たら驚くし、どうしてそうなったか気になるのは普通でしょ?>
<ヨッシー:そりゃそうだ>
<sbk:ね、あれって何かのトリックだったんでしょ。プロジェクタか何かで映してさ。幽霊とかいうのちょっと信じちゃったよ>
あれ?返事がない。
<sbk:ヨッシーさん?席外しちゃった?>
ゲームの方にも行ってみるが、操作している形跡がない。トイレでも行っちゃったのかな?
「ふーん、いい部屋じゃないか」
振り返ると、そこにはのほほんと周りを見回す”ヨッシー”さんがいた。
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