好奇心は猫をも殺し、怠惰は困難を生む

あの人との出会い

 パソコンのモニターにかじりついている俺をそこから引きはがすことができるのは志穂だけだった。父と口論したあの時、志穂が叫ばなかったら、父親が譲歩しなかったら、俺は壊れていただろう。そんな妹を邪険にすることはできない。もともと、妹は小さなときからよく俺になついていて、お兄ちゃん、お兄ちゃんと俺の後ろを追いかけまわしてた。そして、転んだり、何か辛いことがあると、

「お兄ちゃん、だっこ。だっこして~」

 とまとわりついてきた。まだ小学生だった俺にとって、小さな妹から寄せられる全幅の信頼はくすぐったくもあったし、誇らしくもあった。


 小学校での俺の立場が急転して、毎日の登校が辛くなってくると、志穂の抱っこの要求回数はどんどん増えていった。頬を寄せてくる妹を抱えているそのときはふっと不安や心の辛さが和らいだ。そして、俺が不登校になってからも、当然のように部屋にやってきて、抱っこを求める。ただ、それまでと違ったのは、まだ小さな腕を精いっぱい伸ばして、俺の背中をなでるようになったことだ。

 そして、俺の引きこもりが1カ月ほどになると、こんなことを言い出した。

「幼稚園のお迎えはお兄ちゃんじゃなきゃイヤ」

 たぶん、家から1歩も出ない俺を心配する両親の会話を聞いて、子供心に一生懸命考えたのだろう。頑として主張を変えない志穂に俺は譲歩するしかなかった。


 幼稚園に迎えに行った初日、母親と一緒に園内に入る俺を目ざとく見つけた志穂は、大喜びで手を振り呼ぶ。

「お兄ちゃん!」

 周囲の母親たちの視線が痛い。

「あれは榊原さんのところの……今……」

 耳をふさいで逃げ出したくなりそうな俺に、帰り支度をおえた志穂が飛びついてくる。


「あら、お兄ちゃんがお迎えなの良かったわね」

 幼稚園の先生がそう言うと、

「うん、だって、お兄ちゃん、だーい好きだもん。ね、お家かえろ」

 俺の手を取って駆けだす。そして、今日はおっきなお魚の絵を描いたんだよ、とか、砂場でお山を作って遊んでいたら、友達に壊されたなど、今日一日の出来事を熱心に話してくる。幸いなことに幼稚園の終わりの時間は、小学校の終わりより早いので、同級生に顔を合わせる心配はなかった。志穂のおかげで完全な引きこもりからは抜け出すことができたが、学校に通うことはできず、そして、剣道の道場に通うのもやめてしまった。


 ”ヨッシーさん”にCALで出会ったのは、世間では夏休みが始まった頃だった。

 俺は顔なじみになったメンバーで作ったギルド”暁のグリフォン”で活動しており、その日はギルドの5人が一緒になってパーティを組んで遊んでいた。強敵を倒す任務をクリアして拠点としている都市ラガシュに戻る途中に事件が起こった。


 戦闘画面に切り替わり、気が付いた時には、すでに味方の後衛2名”ユリコ”さんと”AAA"さんが行動不能だった。最大体力の10%以下になると行動不能状態となり、味方に回復してもらえない限り、プレイヤーの操作ができなくなる。残りの10%を失えば死亡だ。いくら激しい戦闘後で消耗しているとはいえこの辺のモンスターにやられるはずはない。敵は別プレイヤーのパーティだった。


 CALではプレイヤーとプレイヤーの戦闘は禁止されていない。レベル20を超えたプレイヤーに対して戦闘をしかけることが可能で、倒せば相手の所持金全額とランダムに選択されるアイテム1点を奪うことができる。その代償として、他のプレイヤーに攻撃をしかけ殺害したプレイヤーは”ダークサイド”と認定され、キャラクターの名は毒々しい赤黒い文字で表示されるようになり、都市周辺の保護エリアに入ると超強力な騎士団の攻撃を受けることになる。他プレイヤーの殺害回数が1回のうちは、高難易度の英雄試練をクリアすることで、”ダークサイド”認定を消すことも可能だが、2回以上だともう復帰は無理となる。プレイヤー名の前にドクロマークがつき、完全な”ダークサイド”になる。


 敵パーティにカーソルを合わせ確認する。6人全員ドクロつき、レベルは30前後でこちらとほぼ同レベルだが、不意打ちを食らって人数が半数では分が悪すぎる。最初から逃げていれば3人だけは逃げ切れたかもしれないが、そんな真似はしたくない。

<サーセン、さっさと餌になってね~>


 他のプレイヤーを倒すPK行為の常習者なのだろう”ないとめあ”を名乗る相手が、勝利を確信したのか、チャットで煽ってくる。行動不能になった味方のすまん、ゴメンに混じって、まだ動けるギルドマスターの”騎士クラウド”さんが、味方だけ表示されるパーティチャットで言う。

<魔法職と回復役を潰さんとどうもならん>


 ”騎士クラウド”さんは、その名の通り、キャラクターは攻守バランスがとれた騎士だ。敵の前衛に突っ込むすきに、俺と盗賊の”ハチ”さんが回り込む。俺のキャラクターは素早い攻撃が売りの剣闘士。攻撃を集中して相手の回復役の神官を行動不能にする。そして、さらに”ハチ”さんが引き付けながら体力を削っていた魔法職をなんとか倒す。しかし、その間に”騎士クラウド”さんも行動不能になっていた……。


<いや~、頑張ったねえ。ムダだけど>

 確かに、ほぼ無傷の前衛4人の相手は無理だ。盗賊では前衛相手に全く歯が立たないだろう。剣闘士は防御面でやや劣るし、実質4対1では負け確定だ。しかも、こいつら戦闘中の行動不能を解消できる”復活薬”までもってやがる。苦労して倒した2人も復活し6対2、ゲームセットだ。LOCではキャラクターが死亡しても実時間で1日経てば復活できる。特殊アイテム”神の恩寵”を使えば、その時間を短縮できるが、高価で俺は持っていない。今日の稼ぎは持っていかれるし、運が悪いと貴重な装備を失くす上に1日遊べないとは酷すぎる。温存しておいた最後の範囲攻撃スキルを放つも相手は一人も倒れない。ちきしょう。

<はーい。おつかれさん。ムダな攻撃みじめだね~>


 相当性格が悪いのだろう。さっさとケリをつけるでもなく、捕まえたネズミを玩具にする猫のようにチャットでからかう。唇を噛みしめたそのときに、画面が一瞬柔らかく光る。誰かがこちら側に参戦してきたのだ。騎士団かと一瞬期待したが、ここは保護エリア外であることを思い出す。そして、現れたのは1人の蛮族闘士だった。


<どーもー。正義の味方ヨッシーさんだよ>

 緊張感のかけらもないメッセージとともに俺や”ハチ”さんと敵の間に割り込んでくる。蛮族闘士は体力と防御力が高い、いわゆる壁役のキャラクターだ。攻撃力はそこそこだが、単体目標しか攻撃できず、速度はやや遅め、そして何よりムキムキボディに毛皮と変な仮面というグラフィックが今一つということであまり人気がない。


 俺は期待した分がっかりした。襲ってきた連中も割り込んできたのが蛮族闘士1人だと分かると、

<ばーか、何かっこつけてんだよ>

<てめえ一人加わっただけで状況変わると思ってやんの>

<どんくさい闘士が、ダセええ>

 口々に嘲る。それに対して蛮族闘士は余裕の返事をする。

<かかってきなさい>

 その台詞を合図に相手が動き出す。そして、闘いはあっという間に終わった。

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