第73話 聖兵拳エンジェル
「こちらが、注文の品になります。ご確認ください」
下田模型店の奥、偶像器工房の薄暗い照明の下で、下田模型店の主人、下田幸平が健作の前に仰々しいケースを置いた。
「拝見します」
留め金を外し、ケースを開く。
中には、純白の手甲が入っていた。
手に取って右腕に装着する。ギリギリ肘に届かない程度の長さだ。
指先や手の甲、腕の部分は白い金属で保護されているが、間接部分は布でできているため、自由に手を動かせる。
事前に採寸してもらったため、吸い付くようにピッタリとフィットする。
一見すると真っ白であるが、よく目を凝らすと、羽根ような翼のような紋様が全体にびっしりと刻まれている。
そして、手首の部分。ちょうど脈の上に当たる場所に、小さな機構が備わっている。
例えるなら銃器の排莢口に似ている。そして、それを叩く撃鉄が小さく配置されている。
「ここに結晶弾を入れるんです?」
健作はその機構を指して尋ねた。
「え、えぇ、そうです。試してみて下さい」
幸平は霊気結晶を銃弾のように加工した結晶弾。その50口径のものを一つ、健作手渡した。
健作は結晶弾を受け取り、手甲の機構に入れる。
すると、手甲に刻まれた紋様が白く光り始める。
結晶弾に内包されている霊気が手甲全体に行き渡っている証拠だ。
「へー、この状態で悪魔をぶん殴れば、イチコロってわけですね?」
「そ、そうです。もちろん、相性次第ですが」
神の霊質が最も効果を発揮するのは同一宗教圏における悪魔に対してである。異教の悪魔に対しては、その効果は著しく落ちる。
「そ、それに、その偶像器が象っているのはエンジェル。つまり天使の階級の中で1番位が低い存在でして……その……」
「つまり、弱いって事ですか?」
「そそ、そういうわけではないですけど、あまりに格上の悪魔が相手では、少し物足りないというか……」
霊質を毒と言い換えるとわかりやすい。格が上の神の霊質は、そのまま悪魔に対する猛毒となる。故に少量でも致命的な効果を発揮するが、格が低かったり、相性が悪ければ、その分毒性は低くなり、故に大量の霊気が必要となる。
当然、悪魔の方も格が上ならその分抵抗力を持っているため、神の霊質で殴っただけで倒せるというわけにはいかない。
「そういう時は、これを使うんですよね」
健作は機構に備わっている撃鉄を起こした。
「なな、何してるんですか!? こんな所で使っちゃダメですよ!」
幸平が慌てた声を張り上げた。
「す、すみません。ど、どうしましょう?」
「あ、あ、慌てないで、ゆ、ゆっくり撃鉄をもも戻して下さい」
「は、はい」
言われた通りに、健作は撃鉄を戻す。
「ふぅ……」
幸平は安堵して額の汗を拭った。
「い、いいですか三葉くん。装填型偶像器は、まだまだ試作の段階なのです。いい加減な使い方や、無茶な使い方はご法度ですよ」
「わ、わかりました」
通常、偶像器は使い手の霊気を流し込む事で、その霊質を変化させる道具である。しかし、健作ら分霊人は霊気を体内に溜め込む体質となっている為、普通の偶像器を使う事が出来ない。
しかし、この装填型偶像器ならば、自身の霊気ではなく霊気結晶という外部の霊気をエネルギー源としているため、分霊人でも用いる事ができるのである。
そもそもは、拡大する妖怪のグローバル化に対抗するために考案された技術で、異教の悪魔を倒すために異教の神の力でも使えるようにしようという狙いだったが、諸々の問題によって、いまいち広まっていない。
「しかし、二千万円ですか……」
健作が手甲をつけた手でパンチの素振りをしながら呟いた。
「し、仕方がないですよ。装填型が高い理由は説明したでしょ? むしろ安い方ですよ」
装填型偶像器が普及しない理由の一つに値段がある。
ただでさえ希少な素材と複雑怪奇な製法で作られる偶像器は、最低でも1000万円はする代物であり、ここに銃器的な機構を組み込む事で、さらに値段が跳ね上がる。
偶像器は武具であると同時に宗教芸術でもある。
健作がつけている聖兵拳エンジェルも、健作が見る限りはただの白い手甲であるが、製作者にとっては天使を象った作品でもあるのだ。
装填型は、これにただ銃器のような機構をつければいいというものではない。
当時は存在していないから当たり前だが、世の宗教画に描かれた神々は銃器を持たない。神話に現代兵器が登場することもない。
この時点で、神々を象った偶像器に、機械的な機構を組み込むことなど、本来ありえないことなのだ。
それをどうにか組み込むために、殆どこじつけに近い解釈を行い、ただでさえ複雑な手順をさらに増やして、最低限の偶像器としての機能を持たせたまま銃器的な機構を組み込む事に成功したのだ。
値段が倍になるのは、むしろ安い方なのである。
「いやまぁ、そうなんですけどね……。それにしても、1000万が2000万に上がるのが安いって言われると、金銭感覚が馬鹿になっちゃいますね」
「いずれ慣れます。あ、いや、慣れちゃマズいですよね、こういうの。大丈夫ですか? 贅沢とか覚えてませんか?」
「た、多分大丈夫です。大きな買い物はこの偶像器を買うくらいだし。あ、毎日ラーメン屋に寄って特盛頼むのはありですよね?」
「そ、それくらいなら、まぁ……」
特殊な技能を必要とし、命がけで悪魔を相手するマレビトの仕事はかなりの報酬をもらえる。
健作のような初心者がやる仕事でも時給一万円ももらえる。これが最低限だ。
仕事の中で悪魔を倒し、その魂魄結晶を手に入れたら、それは倒したマレビトの物となる。これを売り捌けば何千万か何億という金になる。
健作は先日、仕事の中でベルフェゴールという悪魔と戦い、これを倒した。その魂魄結晶は5000万円で売れた。
今回、2000万円で聖兵拳エンジェルを購入し、残りが3000万円。仕事自体の報酬が10万円で、十魔子と分けたので5万円。それ以前にも悪魔を撃退した礼金が200万円。木刀の製作費に10万円を支払ってしめて3195万円を健作は所持している。一介の高校生どころか、一介の社会人としても大金であろう。
しかし、健作には贅沢をしようという気持ちは湧かなかった。
今回購入した聖兵拳エンジェルが2000万円もした事。それが偶像器の中で安い方である事。それを使う為には、これまた高価な結晶弾を用いなければならない事。これから多様な悪魔と戦うならもっと高価で沢山の偶像器が必要である事。
健作は、自分がマレビトとして活動する為には、とにかく金がかかるという事を実感した。
この事実を踏まえれば、意味のない贅沢などしている余裕はないとわかる。
残っている3195万円も心許ないというのが正直な感覚だ。
贅沢によって金を失い、必要な物を買えず、結果として自分はおろか、十魔子まで危険に晒してしまう可能性を思うと健作は身震いする。
ファーストフード店で特盛を頼むことが、健作にできる最大級の贅沢だ。
「でも、よくよく考えると、俺がやってきた贅沢って、せいぜい特盛を頼むくらいなんですよね。あとはまあ、テレビゲームとか?」
「なるほど、じゃあ問題ないですね。あ、そうだ。忘れないうちに……」
幸平が、工房の奥から杖を持ってきてカウンターに置く。続いてスマートフォンも取り出して置いた。
「頼まれていた杖と、異界でも繋がるスマートフォン。全部で110万円になります」
「あ、それがありましたね。杖に10万円と、スマートフォンに100万円」
健作がウエストポーチから札束を出してカウンターに置き、杖とスマートフォンを引き取る。以前作ってもらった木刀がベルフェゴールとの戦いで失われたので、新しく木杖を作ってもらったのだ。素材は健作が持ち込んだので、製作費の10万円だけで済む。
「でも、異界物質で作られたスマホが100万円て安くないですか?」
早くもマレビトの金銭感覚に染まっている。
「いえ、本当に必要な部品だけを異界物質で作っているので、その値段で済んでるんです。スマホで殴ったりはしないでしょ? ……し、しませんよね?」
「そんなことしませんよ。原始人じゃあるまいし。あ、そうそう。俺も忘れないうちに」
健作はウエストポーチから小瓶を取り出してカウンターに置いた。中には黒い魂魄結晶が煌めいている。以前倒したジャック・ザ・リパーのものだ。
「偶像器にしちゃって下さい。100万円でいいんですよね?」
「えぇ、構いませんよ。ちょっと拝見」
幸平は小瓶を手に取って鑑定用ルーペを使って魂魄結晶を覗き見る。
「ふむ、やはりナイフになるでしょうね。女性特攻といった効果がつくでしょう」
魂魄結晶はそれ自体が霊質変換機能を持ち、これを用いる事で値段を大幅に節約する事ができる。
しかし、魂魄結晶がもつ全ての効果を引き出せるというわけではなく、どのような効果ぎ引き出されるかは職人のインスピレーションに左右される。
ベルフェゴールの時は、座り心地の良い便座という機能が提案された。健作は魅力的に感じたが、流石に戦闘に関係ない偶像器を持つ余裕はなかったので、売り払って金に変えたというわけだ。
「では、それでお願いします」
健作は100万円の札束をカウンターに置いた。
ついでに一発10万円の50口径結晶弾を5発買って、残りの所持金は2935万円。
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