第64話 お説教 その1

 眉間に皺を寄せた千鶴子は十魔子とよく似ている。親子なのだから当たり前だが。


 ベルフェゴールとの戦いの翌日、十魔子は消耗しきっていて学校を休んだ。健作は自分も休んで看病すると言い出したが、十魔子がそれを許さなかった。


 代わりに健作が千鶴子を呼んだというわけだ。


 一通りの世話が済み、十魔子の体力が回復すると、千鶴子は眉間に皺を寄せて娘の布団の横に座った。


 十魔子もつられて布団の上で正座をする。


「ここで逃したら別の誰かが被害を受ける。だからここで倒す。そう言って悪魔と戦ったと。つまりはそういうことね?」


「……はい」


 十魔子は千鶴子の目を見てハッキリと頷いた。


 千鶴子は小さなため息をついた。


「……まぁ、気持ちはわかるわ。でもね、今は追いかける方法なんていくらでもあるの。避けられる戦いなら避けていかないと命がいくつあっても足りないわよ。何のための調査だと思ってるの!」


「でも、そうやって探してる間に誰かが被害に遭って死人が出たら悔やんでも悔やみきれない」


「そうそう死人なんか出ないわよ。健作さんのケースはあくまでレアケース。殺人をするような悪魔は先人たちによってとことん駆逐されたからね。長期間取り憑いて少しずつ蝕むのが今の悪魔のやり方よ。これをたちが悪くなったととるか危険がなくなったととるかは人によるけど、少なくとも死人が出ないのなら、そうめくじら立てる事もないでしょ?」


「だからと言って……」


 十魔子が反論しかけたが、花子が割って入った。


『まあまあ、お母さま。若いうちは少しくらいの無茶はするべきですよ。そうする事で攻める時と退く時の感覚を掴んでいくんです。それに、二人の頑張りを見たからこそ、私ももう一度神様になってみようと思った次第でして』


 千鶴子が花子に向き直る。


「本当によろしいのですか? 小学校と高校では霊質がだいぶ違いますよ。もしお体に障りでもしたら」


『なんとかなりますよ。悪魔が時代に合わせて変わるのなら、神もそうしなければ。安心して下さいください。十魔子さんも健作さんも私がキッチリ面倒見てあげますから」


 花子は胸をドンと叩いた。


「どうかよろしくお願いします」


 千鶴子が頭を下げる。


「……」


 十魔子は怪訝な顔で花子を見ていた。


 その時、バタバタとやかましい足音がして、玄関のドアが勢いよく開いた。


「ただいま!」


 健作が息を切らして入ってきた。


「ただいまって……」


 まるで自宅に帰ってきたような健作に十魔子は呆れるほかない。


「おかえりなさい健作さん。早かったのですね」


「どうもお義母さん。十魔子さんの具合はどうです?」


 健作は息を切らしながら尋ねる。


「見ての通り、もう大丈夫ですよ。明日には学校へ行けるでしょ」


「そうですか、よかった。髪の色が青くなったり白くなったりして、もうどうしたらよいのかわからなくて……」


 ちなみに髪の色が変わるのは、霊的にそう見えるだけであって、実際に髪が変色しているわけではない。髪の毛、特に女性の髪は多くの霊気が通っているため、霊気の変化に敏感なのだ。


「まぁ、神降ろしとかして極端に霊質を変えなければ、そうそう変わらないものですけどね」


「大丈夫だって言ったのに、大げさに騒ぐんだから……」


 十魔子がため息混じりに言った。


「どう見たって大丈夫じゃなかったよ」


『うんうん』


 健作が抗議し、花子も肯定的に頷く。


「まぁまぁ、健作さん。今日は訓練の日でしょ? 十魔子は私が診てますから、あなたは行ってきなさいな」


「え? いや、自分も看病しますよ。お義母さんもお山は大丈夫なんですか? 呼んでおいてなんですけど、留守にしてて大丈夫なんです?」


「そこは代理を頼んできたので平気です。こう見えて友人が多いので。しかし健作さん、あなたは今、力をつけなければいけない時期。日々の鍛錬を疎かにしてはいけません。千秋先生ほどの人に鍛えて貰うのは貴重ですからね。あの人も歳ですから、いつポックリ逝って受けられなくなるかもわからないんですし……」



「お母さん、縁起でもない事言わないで」


 十魔子はそう言ってから、チラッと健作を見た。


「まぁでも、昨日の今日だし、少しは休んだ方が……」


「え?」


『え?』


「えぇ!?」


 意外な言葉が発せられたので、三者の視線が十魔子に集まる。


「な、なによ?」


「いや、えっと、十魔子さんてこういう時、休まないし、休ませないイメージだったから、つい……」


 健作がおずおずと弁明し、千鶴子と花子も同時に頷く。


 十魔子は見るからに機嫌が悪くなり、眉間に皺をよせ、口をへの字に結ぶ。


「じゃあとっとと行ってしごかれてくればいいでしょ! 何よ、人を昭和の体育教師みたいに! もう知らない!」


 そう捲し立てて、そっぽを向いて布団を被って寝転がってしまった。


「そんな、ごめんて十魔子さん。怒んないでよ~」


 健作は涙声で拝むように縋りつく。


「ふん!」


 十魔子は頭まで布団を被って拒絶の構えだ。


「……」


 健作は無言で花子と千鶴子を見る。


『あーあ、怒らせちゃった』


「えぇ、俺が悪いの!?」


「まぁ、心配して休むように言ったのをああいうふうに返されてはねぇ……」


 千鶴子が健作に耳打ちする。


「で、でもそれは俺だけじゃ……」


「まぁ、男にはわかりにくいですよね女の怒りって。こういう時は時間を置くのがベストです。プレゼントを買ってくれば、なお良し」


「プレゼントって、例えば指輪とかですか?」


『それだとちょっと重くない? お菓子とかどうかな? ケーキとか、チョコレートとか―』


「チョコレートならあるよ」


 健作はポーチから板チョコを取り出した。


『ダメよ、そんな安っぽいの。もっとちゃんとした所で買わなくちゃ』


「ちゃんとしたとこって言われてもなぁ……。味とか変わんなくね?」


「そういうぞんざいな対応はマイナスですよ健作さん。女は一挙手一投足を見てますからね」


 千鶴子が意地わるく目を光らせる。


「マジすか!? じゃあとにかく高いものを買ってくればいいんですかね?」


『だから、そういう○○だからいいっていうのがぞんざいな対応なの。ちゃんと本人の好きなものとか把握してなくちゃ』

「なぁるほど! ねぇねぇ十魔子さん。十魔子さんは何が好き? 何か買ってきてほしいものある? ねぇねぇ」


 健作は無邪気に十魔子の布団を揺する。


「う~」


 布団からは怒りのこもった唸り声が返ってきた。


「……」


 健作は涙目で千鶴子を見る。


「あー、そうね。この子甘いものは全般的に好きよ。特におはぎとか」


「なるほど。おはぎ……と」


 メモ帳を取り出して書き込む健作。


「好きじゃない!」


 布団の中から十魔子が叫んだ。


「……」


 健作は再び千鶴子を見る。


「う〜ん、もうあなたの裁量でいいんじゃない?」


「そんなぁ」


「まぁ、修行の合間に考えてみなさいな。あなたなりに考えるっ事が大事なんだから」


「そうですか? じゃあ、まぁ、行ってきますけど……。十魔子さん、ゆっくり休んでね」


「……うん」


 微かにだが返事が返ってきたので安堵の笑みを浮かべ、部屋を出て行った。


 千鶴子は呆れたように布団を被っている十魔子をみた。


「十魔子……」


「……」


「もしかして……生理?」


「違う!」


「じゃあどうしたというの? ちょっとした失言でこんなに怒るなんてらしくないわよ」


「だって……」


 十魔子が布団から顔をだす。自身の感情が理解出来ずに不安がる、年相応な少女の顔であった。


「他の人に言われても気にしないと思うけど、健作くんに言われると、なんか……こう、わけがわからなくなるの。お母さん、私、どうしたんだろ?」


 十魔子は下がるように千鶴子に顔を向けた。


 千鶴子は目を輝かせて満面の笑みを浮かべている。花子も同様の顔をしている。


「お母さん、私いま真面目な話をしてるんだけど?」


 十魔子が母を睨みつける。


「あらごめんなさい。我が娘ながら可愛く育ったなと思ってね。お母さんの若い頃を思い出すわ〜」


「べ、別に可愛くなんて……」


 と、顔を赤らめて、また布団を被る。


「まぁ、今はその気持ちに翻弄されてなさい。答え合わせは後にしましょう。ふふ……」


 千鶴子は含み笑いを浮かべながら立ち上がる。


「さてと、そろそろ晩御飯のしたくしなくちゃ。明日にはなったら霊気も回復するでしょうけど、無理しちゃダメよ」


「わかってる」


 千鶴子が台所へ行き、花子もついて行った。2人の世間話を遠くに聞きながら、十魔子頭に浮かぶのは、昨日の夜、健作が押し潰されそうに佇んでいる姿だった。

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