35.Ecencb

大学の宇宙物理学研究室に所属する研究員、出海陽子は、日々膨大なデータと理論の付け合わせをする毎日に勤しみながら、宇宙線から観測される素粒子の挙動の研究に邁進していた。

そんな折、かつての恩師である仙山からの連絡があった。独自研究しているタキオン粒子の研究を聞いてほしいというものだった。

しかし、そのような研究は陽子にとって笑止千万だった。タキオンは超光速の粒子で、特殊相対性理論の計算結果から弾き出される仮想的な粒子だが、光よりも速い粒子は既知の物理法則と一致しないため存在しないと考えてられている。仮にそのような粒子が存在し、光よりも速い信号を送ることができたとすると、因果律に反することになり、親殺しのパラドックスのようなタイプの論理的パラドックスが生じることになる。完全にオカルトだ。

仙山は一流の物理学者だったが、彼がその研究をしていることを発表した途端に学者から猛批判を浴びて学界を去っていった。

陽子はそんな仙山からの誘いに行くかどうか迷っていたが、なぜか惹かれるものがあり仙山の研究所を訪れることにした。研究結果の解析に行き詰まっていた出海陽子は息抜きを欲していた。


都内の安アパートの一室にある仙山の研究所は、普通の住居のような外見をしていた。しかし、中に入るとまるで別世界のようだった。部屋は書物や実験装置でいっぱいであり、奇妙な青い光や音が漂っていた。

仙山は出海の訪問を喜んで迎え入れた。彼は少し老け込んでいたが、いつものように優しく微笑んでいた。出海は恩師の元気そうな姿を見て安心した。


仙山は彼の研究について話し始めた。

「私の研究については知っているかな?」

「ええ、タキオン粒子を研究しているんだったわよね」

「そうだ。これについてどう思うかね?」

「正直に言うと、あり得ないと思うわ。超高速粒子なんて存在したら、因果律が壊れてしまうもの」

「そうだね。『親殺しのパラドックス』というやつだな。しかし、それは問題ではないんだ」

「問題ではない?」

「そう。過去に遡って自分の親を殺せば自分は生まれてこない。従って、存在しない者がその親を殺すもできないことになる。すると、やはり彼は過去に遡って自分の親を殺す。と、このように堂々巡りになるという論理的パラドックスだが、実際にはこれはパラドックスではない」

「というと?」

「この世の世界線は実は刻一刻と変動し続けているんだよ。親殺しのパラドックスは世界線が振動し続けていることを表しているに過ぎない。先ほどの例で言えば、殺される世界と殺されない世界が常に繰り返されるだけだ」

「そんなことが同時に起きると言うのかしら?それはパラドックスじゃなくて?」

「同時にではない。タキオンの固有時と静止エネルギーは虚数で表される。虚数の固有時はこの世界線が変動する動きと連動する。通常の力学における運動が実数の時間で進むように、世界線の変動は虚数の時間で進んでいく。同じくあり得ないものとして唾棄されがちなタキオンの静止エネルギーであるが、交流電気回路において虚数で表される無効電力が回路の中を行き来して実際に消費されないように、虚数のエネルギーも世界線の振動の中から出てこれないエネルギーとして定義ができることを発見した」

仙山が陽子に書類を手渡した。長年にわたる仙山の研究を纏めたものだった。半信半疑にその資料を読み込む。その資料に載っている実験結果や詳しい理論体系は読んでも読んでも非の打ち所がなく、理論的には正しいと認めざるを得なかった。

「すごいわ。たった一人でこれだけの研究結果を……」

「いいや違う。この研究結果の半分は君のおかげだ」

「どういうことなの?」

「これを見てくれ」

仙山が横にあったモニターの電源を入れた。

ファミコンのゲーム画面のような画質で、デフォルメされた街の映像が映し出された。空は夜明けのような色合いでビルが並び立ち、天空にはピラミッドが浮かんでいて、真ん中にある長い一筋の光が街を灯していた。

「何これ。ゲームかしら?」

「いいや違う。これはタキオンで構成されたもう一つの東京の姿、アマガハラだ」

仙山によれば、東京の上空にタキオンが渦を巻いている空間があり、画面に表示されているのはその渦の中に存在している街だということだった。

「そしてこの街は一つの生命体となっている」

「生命体?」

「そうだ。タキオンが存在すると因果律が壊れるのは確かだが、因果律が破壊されるときにエネルギーが発生するのはその資料に書いた通りだ。アマガハラのような街は世界各地に存在していて、因果律が崩壊する際に出るエネルギーを摂取して生命活動を行っている」

「因果律を崩壊させてしまうってことなの?」

「そうだ。因果律を食っているようなものだ」

「でも、因果律を崩壊させ続けたらこの世はめちゃくちゃになるんじゃないかしら?」

「そうはならない。我々が火で焼かれれば死んでしまうように、因果律が崩壊する際のエネルギーが強すぎてもタキオン生命体にとっては危険なんだ。だから、我々にもわからない程度に少しづつしか因果律を壊さないようにしているんだ」

「なるほど、でも世界中にあるなら他にも研究者はいてもおかしくないんじゃないかしら?こんな研究結果は初めて聞いたわ。どこかで誰かが発表していてもおかしくないのに」

「研究者自体は世界各地にいるが、その結果は世には出てこない。それはタキオン生命体の免疫機能によるものだ。自身の生命に影響がある動きが世の中に現れれば、この生命体は過去に遡ってその存在自体消してしまう。ひどい時にはアレルギー反応のようなものを起こして生命体の周辺にある地域の都市や国家を消してしまうことさえあるんだ」

「国家を……それは実際に起きたことなの……?」

「そう。それが君の故郷だ」

陽子は驚いた表情で目を見開いた。

「とある東欧の国だった。放射線の研究中にタキオン粒子に関する仮説が提唱された。軍事的な緊張が高まっていたその国では新たな軍事技術に転用できないかと、国を挙げて、秘密裏に研究が行われた。やがて、タキオン生命体を自在に操ることができないかと大規模な実験が行われた。放射線やタキオンを大量に浴びせて生命体を弱らせ、中の街を占拠しようとした。すると何が起きたか、その国は存在ごと消えてしまったんだ。研究者だった君の両親は危険を察知してその国のタキオン生命体の力が及びづらい遠い異国である日本に避難させた。その国の存在は世界中のタキオン秘密研究者たちの間だけで語り継がれた」

「そうだったの……。それで、研究の半分は私のおかげってどういうこと?」

「実は、君とこうやって話している世界線は1度目ではない」

「それは、どういうこと?」

「私はその国家を復活させることを目的に、君と生命体の中に入り込み、研究活動をしていた。しかし、2人だけの活動ではうまくいかないことも多かった」

仙山は銀色のヘルメットを取り出した。

「これはタキオンの信号を脳内神経と直接繋げる装置だ。タキオン生命体の内部と通信をしたり、記憶を過去に送ったりできる」

「タキオンで直接脳内に信号を送受信できるってこと?そんなのあり得ないわ」

「そう思うかい?じゃあこれを見てくれ」

そう言うと仙山は黒いプラスチックの手のひら大の玉を取り出した。おもむろに下にあるスイッチを入れるとそれは水晶の見た目に変わった。

「何よこれ!」

「これはタキオンを使って通信できる装置だ。起動している間は人間の目には水晶にしか見えない。このように、タキオンは人間の脳内に容易に干渉することができる。実験が失敗する度に、私は記憶を過去の私の脳内に送りやり直したのだ」

「そういうことだったの」

「前回はかなりいいところまで行った。今回は必ず成功させたい。君の帰る場所を取り戻すために」

仙山は続いて画面の右の方を指差した。東京タワーのような赤い鉄塔があった。

「ここはこちら側の世界から送られた信号を受信する場所だ。この下に私の基地がある。そこに向かおう」

そこから仙山と陽子はアマガハラに向かった。


仙山の作ったタキオン化装置を使ってアマガハラに入り、仙山の基地に辿り着くと陽子は声を上げた。

「信じられない。本当に何が起きたのかわからないわ」

仙山はアマガハラの構造について話し始めた。

「我々は生命体に入り込むことをアセンションと読んでいる。覚えておくと良い。我々が入ったこの場所はアマガハラの第一層、低速帯だ。タキオンはとても早く運動を行っている。物質をタキオン化するには迎え入れる側のタキオンが十分に低速である必要があるのだ」

「なるほど」

「ただ、この階層を掌握しても意味がない。我々はこの上層にある第二層、高速帯のさらに上、第一層、超速帯にいる天の声を倒しこの街のエネルギーを君の故郷のあった場所に設置されているタキオン受信機に送る必要がある」

「どうやって送るのかしら」

「それはこの基地の上にある赤い塔を使う」

「あの東京タワーのようなもの?」

「そうだ。実際には東京タワーにタキオンの通信装置が設置されているのだ。その写し鏡のようなものだから似たような姿をしている。アマガハラのタキオンエネルギーをその通信装置によって現地に送り届けるんだ」

「すごい。そんなこと一体誰が」

「宗教団体神楽教に頼んで設置させた。この通信装置はタキオンの通信が出来るだけでなく、任意の対象をタキオン化させたり、その逆を行うことができる。出力を上げれば直接高速帯に行くことも可能だ」

「神楽教、聞いたことがあるわ。よくそんなことができたわね」

「ああ、アマガハラを支配できる技術は彼らにとってもメリットがある。技術支援をするという形で合意が得られた。ただし、代表者の美神楽勇一は注意が必要だ。自分たちの組織や利益のためならなんでもする人間なのだ」

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