15.Negî de idh
ざあざあと雨の音が聞こえる。目を開くと光の中に七色の雨粒が降り注ぐ薄暗い街が見えた。雨の中には何人もの人が踊るように蠢き、なにやら歓声らしき声も聞こえる。目を凝らして見ようとするが、ぼやけてうまく見えない。街の建物はどれもキラキラと煌めいていて、それでいて存在しているのかどうかもわからないくらいに半透明だった。
ここはどこだ……?ああ、そうか。まだアマガハラの中なのか……。
朦朧とする意識に溺れてしまいそうだ。
「琳乃介、俺だ」
隣から聞き覚えのある、しかし少しばかり年老いた声が聞こえた。
振り向く。そこには見覚えのある顔があった。声が飛び出た。まるで記憶の底から湧き上がった景色に感情を掻き立てられるように。
「父さん……父さんなのか……?」
初老の男は茶色いコートの胸ポケットからゆっくりと煙草を取り出し、右手に持った銀色のジッポで火を着けた。その副流煙が俺の顔を撫でるまで、深く煙草を蒸してから男は口を開いた。
「あぁ、元気そうで何よりだ」
「父さん、なんでここに」
思わず父さんの方に体を向ける。手をついたベンチの感触はツルツルで、寂れたスタジアムにあるようなプラスチックの椅子のそれだった。
「俺は琳乃介のことをずっと見守っている」
質問には答えない気か。俺は意を決して言葉を放った。
「父さんはなんで俺を見捨てたんだ」
虹色の雨の向こうではまだ群衆が踊り狂っている。煙が肌を伝った。
「見捨ててなんかいない」
「……じゃあどうして!」
「早く目覚めなさい。アマガハラで生きる道を探せ」
父さんは俺の言葉を遮った。
「嫌だ。俺はここから出て行く。必ず」
父さんは困ったように眉を下げた。
「どうやって?」
「サキに頼る。サキならなんとかしてくれる」
「甘えるな。彼女は全能ではない。この街の住人の誰を頼ろうともそんなことはできない」
「なぜそう言い切れるんだよ」
「ここがそう言う場所だからだ!」
父さんは声を荒らげた。
「琳乃介、目覚めなさい」
「いや、だって!」
「いいから目覚めなさい」
不意に視界がぼやける。急に地面が消え、底なし沼に飲まれるように闇の中に落ちていく。
「目覚めなさい、目覚めなさい……」と、父の声が頭に響く。そして、響くたびにその姿は薄く、消えていった。
「ちょ、ちょっと、まだ聞きたいことがあるんだけど!」
突如、視界が開けた。目を開くと青白く光る手。見ると魔導師だった。
目の前には、サキもいる。
辺りを見回す。
俺は4畳くらいの真っ白い部屋の中にいた。
「ここは……?」
「あっ、起きた」とサキが言う。
「サキか……。ここはどこ?」
「魔導師様の基地だよ。もう目覚めないのかとおもった。三日も目を覚まさないから魔導師様のところに運んだんだよ」
「あれだけの戦いだったんだ。これくらいは予想していた」
魔導師が水晶を眺めながら言った。
「ちょっと待って、三日も寝てたの?」
「うん。まぁこっちの時間だけど」
「そうか……。ちなみに、あっちじゃどのくらい?」
「物質界では2日間だな」魔導師が言った。
「2日……?そんな、もしかして俺は2日も寝てたのか!?」
「あぁ、そうだ」
「そんなに大事な用事ないでしょ」
サキは軽率にそう言った。
「いやあるよ!早く帰らなきゃ!」
「
魔導師はマナを呼んだ。
「マナ、起きたわ。物質界に戻してあげてちょうだい」
「わかった。琳乃介、戻れる?」
戻れるかというより、戻らなくちゃいけないんだ。
「あぁ、早く戻してくれ」
「あ、そうそう」魔導師が口を開いた。
「なんですか?」
「戻ってもあまり驚かないこと。疲れてしまうわ」
「驚く?」
「まぁ、わからないならいいわ。ただ、覚えておきなさい」
「はぁ、わかりました」
魔導師の言った言葉の意味をうまく飲み込めないまま、俺はマナに連れられて現実への扉をくぐった。
2日ぶりに戻った自分の部屋は裁きの前と全く同じで、どこか安心感があった。
「はぁ……」
スマートフォンを開くと『14日』と表示されている。魔導師が言った通り、アマガハラに行ってからちょうど2日経っていた。
この2日間、バイトを入れていなかったのは幸いか。
外は暗かった。ベッドの上に寝転がると、散々基地で寝散らかしていたらしいのが嘘みたいに、疲労感が全身にのしかかるのを感じてそのまま眠ってしまった。
次の朝、遅く起きた俺はもうちょっと寝ていたかったが、大学の講義があるので諦めることにした。テレビをつけると「新時代の通信技術」なんてのがニュースで特集されていた。なにやら光より速い物質を使って通信することで通信速度をあげることができるが、安定化させるのが難しいためにまだ実用化には至っていない、と無機質な幾何学模様のアニメーションを使って淡々と解説されたが、俺には難しすぎてその図形が何を説明しているのかすらよくわからなかった。
VTRが一通り終わると難しい顔をした司会者がどアップで映され、ごにょごにょと言葉を発した。
これでスマホの通信制限がなくなれば良いのになあなんて思いながら歯を磨いていると、司会者が外国人風のコメンテイターに話を振った。
「ええ。これ通信技術のことばかり言われてますけどね、コンピューティングに応用できれば超高速の演算ができるわけですから、量子コンピュータを超えるほどの技術革新になるとも言われているんですよ。これから欧米でも研究が始まっていくでしょうから、今後の動向に目が離せませんね」
初老のコメンテイターが話し終わると、司会者はわかったようなわかってないような表情をして「今後の研究に期待です」と締め、次のニュースに移った。
一通り用意が終わったのでテレビを消そうとしたとき、見覚えのある名前がテレビに映った。
『今日の占い 監修:榊明美』
榊明美、アマガハラに飛び立つ前日にネットで調べて出てきた占い師だ。
有名な占い師なのか……?
少し気になったが、時間が迫っているので家を出た。
大学に着くともう講義が始まっていた。時間が繰り上がった連絡なんか見ていないので不思議に思いつつ講義室の後ろから入ると、高橋がいたので隣に座った。
「おう」眠そうに高橋が言う。
講義をしているのはいつもと違う若い人だ。誰だろう?
「なあ、今日は時間が早まったのか?連絡きてないんだけど」
「いや時間通りだろ」
「え……?3限は1時10分からだろ?まだ1時5分だし」
「何言ってんだよ。3限はもとから1時ちょうどからだぞ。大丈夫か?」
は?何を言っているんだ……?
「え……ちょっと聞きたいんだけど、この講義、西山教授のだろ?白髪でヒゲモジャの」
「西山って誰だよ。この講義は最初からあの佐々木って教授だぜ。別の講義と勘違いしてんのか?」
どういうことだ?夢でも見ているのか……?
いや、おかしい。なんで皆そんなにいつもと変わらずに講義を受けているんだ。
休み時間になったので他の知り合いにも聞いてみたが、皆高橋と同じことを言う。「琳乃介最近変なんだよ。昨日も一昨日も休んでたし、連絡も繋がんねーし、就活で頭おかしくなったか?」高橋が笑いながら言う。
「ちげーよ」と返したが、まあ当たらずとも遠からずかもしれない。就活のせいではないにしろ、とにかくいろんなことがありすぎて少し息切れしそうになっているのは間違いじゃない。
「あっそうだ。今日飲み行こうって話ししてたんだけど琳乃介どう?最近断られっぱなしだったから誘ってなかったけど……」
吉田がそう言った。
吉田は就活の前までよく遊んでいた同級生だ。
「いいんじゃねえの?たまには。息抜きくらいさ」と高橋。
まあそれもそうだ。久しぶりに大学の知り合いと飲んだりして、たまには現実感を味わいたい。
東京の電車はいつも満員だ。まだ5時すぎだというのにスーツを着た人だかりが電車内に充満している。
「就職してもこのくらいの時間に帰れるのがいいよな」
高橋が小声で言う。俺と吉田は無言でうなづいた。
駅を出て、俺たちは大通りから路地を少し入ったところにあるこじんまりとした店に入った。
「ここ安くて美味いんだよ」
「おー、それはいいな」
なんて話していると次々に料理が運ばれてきた。揚げ物も炒め物もどれも美味そうな匂いがして、食欲をそそられる。
挨拶程度に乾杯を済ませ、まずはお通しを食べた。野菜のおひたしかなんかだろうか。久しぶりにこっちの食べ物を食べたからか、別に好きでもないおひたしの味がとても懐かしく、気がつけば頬を涙が伝っていた。
「美味いな。ここ!」
高橋と吉田は顔を見合わせて笑った。
「いや、まあ美味いかもしれないけどさ、お通しをそんなにうまそうに食べる奴は初めて見たよ。」
「他の食べたら失神すんじゃね?」
そう言われると少し恥ずかしくなる。自分でも、こんな何の変哲も無いお通しでこんなに感動できてしまうとは思わなかった。
でも、裁きも終わり、やっとこの日常に戻れた安心感に包まれているのは間違いがなかった。
久しぶりのこっちの飯にもっとありつこうと唐揚げの皿に箸を伸ばしたその時だった。
「おい、なんなんだよ。俺が間違ってるっていうのか!」
いきなり奥のカウンターから怒号が聞こえてきた。
中年の男が店員に掴みかかっている。
「佐山さん!?」
男がこちらを見た。
「佐藤くんか?」
俺は箸を置き、ぽかんとしている高橋と吉田に手を合わせた。
「ごめん、ちょっと急用思い出したんだけど、ちょっと抜けていい?」
「飲み過ぎですよ。佐山さん」
切れかけの街路灯の下、佐山は電柱に手をついて息を切らしている。
佐山の背中をさするたびに佐山はふうふうと短く息を吐く。
「どうしたんですか」
「いや、私が悪いんだ……酔っ払って人に絡んで……くそっ……」
佐山は電柱を拳で叩き、そのまま泣き始めた。
佐山の泣き声が通りに響く。
人通りが少ない路地とは言え、さすがに人目が気になって「いやちょっと、こんなところで……」と言うと佐山はいきなり俺の肩をがしりと掴んできた。
「頼む。俺をほっとかないでくれ!佐藤くん、裁きは終わったのか?」
俺は佐山から思わず視線を逸らしてしまう。
「え、まあ、はい」
「ならもう良いだろう。結論を出してくれ!私のために戦ってくれないか?」
「……いや、それなんですけど、ごめんなさい。僕の力じゃ戦えません」
どうしようもなかった。よく考えたけど、俺の力じゃ多分何もできない。最初の裁きですらあの草に叩きのめされて、どうにか生き残っただけだし。もしもあのとき、サキの声がなかったら……。
それに俺には知識もない。このまま無為に佐山を助けるために奮闘しようと、共倒れしてしてしまう未来しか見えない。正直言って、無力なんだ。
佐山に視線を移すと、その顔は見る見る悲しそうな表情に変わっていき、「うわーっ」と子供のように泣き崩れた。
「あ、待ってくださいよ佐山さん」
「何言ってんだよ。戦えないんだろ。俺がこんなんになっているのに!」
いや、そうじゃない。
俺はあの晩考えていたんだ。どうしたらこの人を救えるかを。ずっと。
「や、だから別に見捨てるわけじゃないんです」
そう言うと佐山はぐちゃぐちゃに濡らした顔をこちらに向けた。
「どういうことだ……?」
「方法は他にもあります。ちょっと時間をください」
「本当か……?」
「本当です」
俺はスーツ姿のまま地面に膝をつく佐山に向かって手を差し伸べた。
佐山は俺の手を取ってよろよろと起き上がる。
立ち上がるなり、佐山は「信じていいのか?」と俺に聞いた。
「僕がどうにかしてみます」
佐山の目が再び涙目になる。
「ありがとおお……」と佐山は俺に抱きついてきた。まるで大型犬にじゃれられているような心地だ。
「ところで、佐山さんも裁きはしたんですか?」
「あぁ、したね。なんか霧の真ん中に生えた草の実をもぎ取ったら終わったよ」
「え?」
俺は佐山を突き放し、佐山の目を見て話した。
「もぎ取った?何か攻撃とかされなかったんですか?」
「……攻撃?ただ生えてる草の実を取っただけだよ」
「戦ったりとかは?」
「そんなことしないよ。裁きってそういうものじゃないの?」
俺の中に疑問と不服感がふつふつと湧いてくる。
「そうですか……。わかりました」
向かう場所は決まっていた。
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