31.休日


 それからまた数日が経ち、富士山丸はようやく横浜の港に到着した。

 負傷隊士はそのまま横浜の病院に収容され、健康な隊士らは、ひとまず品川に用意された屯所に入った。


 到着直後こそ、体制を整えるために過密なスケジュールとなったが、三日間だけ、ぽっかりとすることのない日が生まれた。

 そこで、近藤は自身も含め英気を養うべく、この三日間は自由に過ごしてよいとのお触れを出した。

 土方は、そんなことをしたら脱走する者が続出する、今はとにかく頭数が必要だと近藤に言ったそうだが、近藤はこれを機会に脱走するようなやつは、もともといらないのだ、と言って聞かなかった。


 そんなわけで、近藤、土方、沖田、永倉、原田、そして琉菜は近藤の道場・試衛館に行くことになった。


「近藤先生も土方さんも、一度顔を出したいだけなんですよ。だから土方さんも折れたんです」


 試衛館に向かう道すがら、沖田は前を歩く近藤や土方に聞こえないように、しかし笑顔でそう言った。

 琉菜は納得した。

 それに、近藤の言うとおり、これを機会に脱走するような隊士はどの道この先大して役には立たないだろうと琉菜は思った。


 なんて、元脱走隊士が言えたことじゃないけど。


 でも、試衛館かあ。

 未来にはもう残ってないって言うから、見られるのは今しかない。

 しかも近藤勇が現役で経営してる、本物の試衛館!

 まさかこんな日が来るなんて。

 最近、あんましいいことないから、なんかなおさらうれしいな。


「で、なんでお前がいるんだよ」土方が琉菜をにらみつけた。

「だって、他に行くとこありませんし。それに、本物の試衛館を一回見てみたいんです」

「未来の試衛館は偽物なのかよ」

「そういう意味じゃなくて、ちゃんと近藤局長がいる試衛館ってことです」


 試衛館は、自分の時代には影も形もないということは、口が裂けても言えなかった。


 程なくして到着した。門をくぐると、敷地内には大きな道場と母屋が建っていた。


「懐かしいなあ」原田があたりを見回した。

「俺や土方さんは何度か帰ってきたが、左之助や総司は五年ぶりか」永倉が感慨深げに言った。



 一行は母屋に入り、近藤が奥の方へ声をかけると、バタバタという慌しい音がして、二人の女性が出てきた。


「勇!お前、帰ってきたのかい?」


 近藤の義母と思われる年配の女性が目を丸くした。

 その横で、比較的若い女性が深く頭を下げた。


「お帰りなさいませ」


 うわあ、うわあ、この人がお母さんで、こっちの人がツネさんかな!

 この二人にも会えるなんて!来てよかったー!



「ただいま帰りました。二、三日はいられると思います」近藤が微笑んだ。

「そうかい。さ、上がって上がって。おや、そちらの女の方は?」


 近藤の母が琉菜に目を向けた。

 土方がとっさに紹介した。


「キチさん。こちらは、賄い方の琉菜です。江戸には身よりがないので、ここに」

「そうなんですか。長旅ご苦労さまです。勇の母のキチです」

「妻の、ツネです」


 二人の女性はお辞儀をした。

 琉菜もお辞儀をして自己紹介した。


「琉菜です。よろしくお願いします」




 奥の部屋に通され、互いに近況を報告し合った。

 手紙だけで知らされていたという、勇の養父である天然理心流三代目宗家・近藤周斎の最期の様子も語られた。

 周斎は近藤の身を案じながら、穏やかに亡くなっていったという。

 近藤たちも、藤堂や井上のことを話したりし、その場の雰囲気は少しどんよりしてしまった。

 が、それを打ち破る元気な声が聞こえてきた。


「ははうえ!」


 甲高い声がして、襖ががらりと開いた。小さな女の子が立っていた。


「たま、か?」近藤が目を丸くした。女の子はきょとんとした顔で近藤を見つめた。

「たま、お父上よ」ツネが女の子に言うと、女の子はぱっと笑顔になり、近藤に抱きついた。

「大きくなったな!」

「ちちうえ、ちちうえ!」


 近藤は満面の笑みで娘を抱きしめた。

 全員が、笑顔でその微笑ましい光景を見つめた。

 それからは明るい話題も出て、場の雰囲気も和んだ。



 外からは、穏やかな陽光が差していた。

 季節はもうすぐ春になろうとしている。


 このふるさとの地で、みんなの心の傷も癒えたらいいな。



 久しぶりに楽しそうに笑う試衛館出身メンバーを見て、琉菜も顔がほころんだ。


 これからまた、いろいろ大変なことが起こるから。

 その前にここでしっかり休んで、その時に備えよう。


 束の間の穏やかな日々への期待に、琉菜は胸を膨らませた。




****


 試衛館では、琉菜は家事を手伝いながら、久々にのんびりとした生活を送っていた。


 道場では、土方、永倉、原田が稽古していた。

琉菜は昼食の後片付けを終えると、すぐに道場に向かった。


「あたしも混ぜてもらっていいですか?」


 笑顔で道場に入ると、原田が嬉しそうに駆け寄ってきた。


「おう!琉菜ちゃん、一緒にやろうぜ!」原田は陽気に言い、琉菜に木刀を手渡した。

「総司、何してる。お前はだめだ」


 土方の声に振り替えると、琉菜の後から近藤と沖田も道場に来ていた。


「近藤局長!沖田さん!まさか、その体で稽古しに来たとか言いませんよね?」琉菜は二人をにらんだ。

「言いませんよ。久しぶりに試衛館に帰ってきたんだから、少しくらい道場を見たいじゃないですか」沖田が微笑んだ。


 琉菜はまったく、と言いながらも、古巣に戻って心持ち元気そうな二人を見て笑みを零した。


「お二人は見ててください。土方さん、永倉さん、原田さん。あたしに天然理心流を教えてください」


 それから夕方まで稽古は続いた。

 以前琉菜が沖田に習ったのは本当に即席のものだったので、この稽古でだんだん形になり、琉菜は嬉しかった。

 近藤と沖田は隅に座ってずっと琉菜たちの稽古の様子を見つめていた。

 目が合うたびに、沖田は琉菜に笑いかけてくれたので、元気が出て、土方のしごきにも耐えられた。



 こんな穏やかな時間が、ずっと続いたらいいのに。

 もうみんな、どこへも行かないで。

 ずっとここで、仲良く暮らせばいいじゃん。

 そんな願いをかけるのは、無謀なのかな。





 そして三日目の夜。

 明日は品川に戻り、近藤と沖田は療養、土方、永倉、原田は来たるべき戦に備えることになる。

その夜は宴会で、日野から土方の義兄の佐藤彦五郎や、小島鹿之助ら門人も集まり、大騒ぎとなった。

 琉菜は酒は飲まずに、キチやツネと共にひたすら食事を出し、酌をした。



「新選組に乾杯!」



 近藤がそう言うと、全員が「乾杯!」と杯を上げた。久々の明るい雰囲気に酔ったように、全員がどんちゃん騒ぎで盛り上がった。

 

 ただ一人、永倉だけが浮かない顔をしていた。

琉菜は史実を思い出し、永倉の心中を察しながらも、そ知らぬ顔で原田に酌をした。


「総司ぃ、お前も飲めえ!!」原田がたった今琉菜が注いだ杯を、そのまま沖田に手渡そうとしたので、琉菜は急いでひったくった。

「何やってるんですか!沖田さんがお酒なんか飲んでいいわけないでしょう!」

「琉菜さん、そんなに怒らなくても……私だって一杯くらいなら……」沖田がなだめたが、琉菜はキッと沖田をにらんだ。

「自分の体のこと、ちゃんと考えてください!」琉菜はやけになって、ひったくっていた酒を飲み干した。

「おい、みんなこれ以上琉菜ちゃんに飲ませるなよ!何が起こるかわかんねえからなあ!!」原田が大声で言った。


 琉菜はふんっと鼻を鳴らし、料理を取りに台所に向かおうとした。


「琉菜さん」


 呼び止められて振り返ると、永倉が真剣な顔で琉菜を見ていた。


「ちょっと、いいですか」




 宴会場となっていた部屋の障子を開ければ、中庭が見える縁側がある。

 琉菜と永倉はそこに座っていた。

 春になろうとしてはいるものの、この時期まだ夜は冷える。

 宴会騒ぎで火照った琉菜の顔や体は一気に冷めた。


「琉菜さん、新選組はこの先どうなるでしょうか」永倉は単刀直入に切り出した。

「え?えーっとそれは……」


 新選組がこの先どうなるか。


「未来はどうなるか」と聞かれるより具体的だから、琉菜は答えるべきか迷った。


 今年の終わりには元号は明治となり、新政府の政治が始まっていく。

 旧幕府軍である新選組には、明るい未来などない。

 そのことは近藤も土方も、うすうす感づいているだろう。

 それでも、希望の光を失ったわけではない。

 もしかしたら、何百分の一くらいは、幕府の時代が復活する可能性はあるかもしれない。

 その何百分の一の希望に賭け、近藤たちは最後まで戦い抜く覚悟を、今決めようとしているはずだ。

 永倉だって、例外ではないだろう。

 だが、そのわずかな希望すら、琉菜の一言で完全に消え去ってしまう可能性がある。

 そんなことがあってはならない。

 しばらく琉菜が迷っていたので、永倉が話し出した。


「それでは、聞き方を変えます。……未来は、どうなるでしょうか」


 永倉の顔を見て、琉菜はしまった、と思った。

 今自分が答えを渋ったこと。

 それが何よりの答えなのだと、永倉は感じとったに違いない。



「新八ぃ、ここにいたのか!」障子ががらりと開き、原田が出てきた。

「原田さん!酔って……ない」


 さっきまで顔を赤くしてへらへら笑っていた原田の目は、真剣になっていた。


「左之助、お前、未来はどうなると思う?」永倉が尋ねた。

「さあなあ。俺、そういう難しいこと考えんのキライだからよお」原田は頭を掻きながら、琉菜の横に座った。

「未来は……」琉菜が口を開いた。永倉も原田もいっせいに琉菜に目を向けた。

「未来は、平和です」


 琉菜は、空にぽっかりと浮かんでいる欠け始めの月を見つめながら話し出した。


「人は、刀も銃も持ち歩かない。道でばさばさ人が斬られることはないんです。殺人がないわけじゃないし、戦争がないわけじゃない。でも、たいていの人の毎日は平和です。だからあたしは未来が好きです」


 琉菜は一息吸って、少し話を変えた。


「去年、皆で写真……ポトガラを撮ったの、覚えてますか?」

「おう、持ってるぞ。確か財布と一緒に……」

「私も、ここに」


 原田と永倉は、ごそごそと懐を探って、あの集合写真を取り出した。


「たった一年前まで、皆いたんだよなあ」原田が感慨深げに言った。

「その写真を撮った機械……からくりに、皆さんびっくりされていたと思います。未来は、ここからは考えられない程、がらりと変わります。ポトガラも、服装も、交通手段や、食生活も」

「そ、そんなにか?」原田は若干狼狽したような様子を見せた。

「それはそれで、なんだか寂しいですね。我々のやってきたことは、間違っていたのか、正しかったのか……」



 琉菜はわずかに笑みを浮かべると、二人を交互に見た。


「安心してください。確かにいろいろ変わりますけど、今、この時代の人たちががんばってくれたから、未来があります。それだけは言えます。単純に、日本のために命をかけている新選組はかっこいいですし、間違ったことをしたわけじゃないんです。もちろん、薩摩や長州も。この時代に、本当の悪者なんていないんです。ただ、一年か二年したら、時代がどっちを選んだかわかります。原田さんと永倉さんは、自分の目で確かめてください。この先がどうなるか。この動乱は、そう遠くないうちに終わります。お二人は、これからも生きてください」



 琉菜は、明るい調子でそう言い終えた。

 天寿を全うする永倉には、懇願するように。

 原田には、明治の半ばまで生きていたと伝わる話に「そうであって欲しい」という願いを込めて。



「そっか」原田が明るく言った。

「よかった」永倉も続けた。

「琉菜ー!どこ行きやがった!酒持ってこーい!」


 部屋の中から土方の大声が聞こえた。

 酔ってるな、と思いながら琉菜はゆっくりと立ち上がった。


「はいはーい、今行きますから!」


 琉菜は永倉と原田に軽く目配せしてから台所に向かった。

 残った二人は互いに目を見合わせ、ふ、と笑みを漏らした。




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