9.藤堂の覚悟
それから二ヶ月が経った。
沖田が結核を患っている、と確かに知る者は隊内でも琉菜だけである。
幸い、まだ風邪といえばそう見える程度の咳で済んでいる。
だが、近藤や土方はうすうす感づいているようだった。
風邪かといえば風邪なのだろうが、それにしては長い。咳の仕方も少しおかしい。
「総司は、大丈夫なのか?」
土方にそう聞かれたことがあった。
あえて琉菜にそう尋ねたのは、琉菜だけが先のことや、事実を知っているからだろう。
琉菜は、大丈夫ですよ、と頷くことしかできなかった。
井上も琉菜も、さりげなく、日々のメニューを変えた。
隊内に結核患者がいる、と気づかせないように。しかし、その患者一人のために、精のつく料理を、と。
そして、琉菜は井上にも誰にも知られないように、沖田の食事にこっそり薬を混ぜていた。結核に効くかはわからないが、一応抗生物質だ。今のうちに進行を遅らせることができればと琉菜は祈るばかりだった。
そしてそんな中、新選組を揺るがす出来事が起こる。
伊東の一行が帰京した。
その表情は幾分晴れやかで、彼が自身の計画成功を確信しているようであった。
翌日、早速伊東は近藤、土方と会合の場を設けた。
伊東は秘密裏に前年亡くなった孝明天皇の陵墓を護衛する孝明天皇御陵衛士を拝命していたのだ。
これにより、伊東は新選組から"脱退"するのではなく"分離"することとなったのである。
この時が、来たんだ。
伊東さんは幕府側に傾きすぎた新選組をなんとか立て直そうとしてたんだけど、それをあきらめて脱退を考えた。
でも、脱退は切腹。
それを免れるために、朝廷からのお墨付をもらって、正式に分離することになった。
御陵衛士なんていうのは、ただの口実なんだよね。
伊東さんの本音も近藤局長や土方さんの本音も、今のうちに洗いざらいインタビューして本でも書いたら未来で売れるだろうなぁ、なんて。
翌日、隊内は伊東の分離に関する話題で持ちきりだった。
「伊東先生が、内海さんや加納さんも連れて御陵衛士として分離するらしいぞ!」
「あーあ、もう講義聴けないのかぁ」
「新選組も寂しくなるな」
などなど。
自分のことは棚に上げるけど、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよなぁ…。
琉菜ははあ、と溜め息をついて洗濯物を干した。
伊東さんが出て行くのは全然構わない。
ただ、伊東さんが出て行くってことは……
その時、後ろで足音がした。
振り返ると、斉藤が副長室の方角から縁側を歩いてきたところだった。
「斉藤さん……」
琉菜は斉藤のことも思い出し、名を呼んだ。
それに反応して、斉藤が立ち止まった。
琉菜を見た斉藤の口元が、少しだけ上がった。
いつも無表情な斉藤にしては、これは微笑んでいるのだろうかと琉菜は思った。
「琉菜さんは、俺のことを知ってるんだろうな」
「何のことです?」
琉菜はしらを切った。そんなのは無駄だとわかってはいたが。
「知らないならまあいい。俺は御陵衛士として伊東さんについていくことになった」
「はい、それなら知ってます」琉菜はしらを切る意味もないと思い、正直に答えた。
「どうして俺が行くんだと思う?」
「……土方さんに言われて」
斉藤はまたしても、口元を少しだけ上げる独特の笑みを浮かべた。
「わかってるんだな。ここで琉菜さんが全部教えてくれたら手っ取り早いんだが」
「そうはいきません」琉菜はぷいっと顔を背けた。
「そうか」
斉藤はスタスタとその場を後にした。
これくらいなら、言ってもよかったんだよね?
斉藤さんは、スパイとして、御陵衛士に入る。この前の宴会のときも呼ばれてたから、伊東さんの信頼もあるし、もともとスパイにはぴったりだ。
全部を教えてあげたいところだけど、やっぱりね。
洗濯を終え、桶を片付けに物置に向かうと、通りがかった庭先で縁側に藤堂が座っていた。
「藤堂さんっ!」
琉菜はそのまま藤堂に近づき、「隣いいですか?」と尋ねた。
なんだか、今は無性に藤堂と話をしておきたい気分だった。
「はい、いいですけど……」藤堂はやや面食らったような顔をしていたが、場所を開けてくれたので琉菜は隣に腰をおろした。
「珍しいですね、一人なんて。いつも原田さんたちと一緒にいるのに」
「私だって一人でいるときくらいありますよ」藤堂は苦笑いした。
藤堂はどこか悲しげな表情を浮かべていた。
「聞きましたよね?伊東先生の話」やがて、藤堂が切り出した。
「はい。分離するって」
「私、決めたんです。伊東さんについて行くって」
琉菜は黙り込んだ。
やっぱり、そうするんだね。藤堂さん……
「伊東先生は、当然私がついてくるものと思ってる。まあもともと私が伊東先生を新選組に誘ったんだし、試衛館にいる前は伊東先生の道場にいたし。だから、伊東先生が行くというなら、私はついていくまで」
沈黙が流れる。
「そんな、仕方ないみたいに言わないでください」
琉菜は絞り出すように言った。
「だって、藤堂さんは局長たちの、試衛館の仲間じゃないですか!どっちに行くか、藤堂さんに選択する権利、あると思うんです」
「はい。それで選択した結果が、これです」
「藤堂さん……」
藤堂は少し微笑んだ。
「私は、近藤先生も伊東先生も、同じように尊敬しています。だから、とっても迷いました」
「じゃあ、どうして……」
「近藤先生と伊東先生、どちらの考えがより私の信条に近いのか。それを考えたら、伊東さんの唱える尊王攘夷論にかけてみよう、と。新選組は大好きだけど、このままここにいても、この国の役には立てないんじゃないかって、そう思ったんです」
「でも、でも……大好きなら、ここにいればいいじゃないですか!」
琉菜はバッと立ち上がり、真っ直ぐに藤堂を見た。
行かせない。
藤堂さんを御陵衛士には行かせない。
脳裏に、山南や鈴の顔が浮かぶ。
藤堂が辿りゆく道を知っている琉菜はこの時、その道を変えられるものなら変えてやる、と思った。
「近藤局長も、土方さんも、沖田さんも、みんな、あたしだって、藤堂さんが大好きです!だから、行かないで下さい!」
それに対し、藤堂はただふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、いいんです」
「でも……」
「もしかして、歴史と違うって、焦ってるんですか?」
藤堂の思わぬ指摘に、琉菜はドキリとした。
「私は本当はここに残るはずなのにって、そういう未来を知った上で?」
違う。
「その逆です」
あとには引けない。
仮説を、歴史は変えられないという、自分の身の回りの出来事だけから導いた仮説を、覆すなら今だ。
「あたしの知ってる歴史では、藤堂さんは伊東さんについていきます。でも、あたしは行って欲しくありません」
「それは、私が死ぬからですか?」
あまりにストレートな物言いに、琉菜は却って言葉を失ってしまった。
「いえ…そういうわけじゃ…あたしはただ、藤堂さんが行っちゃうのが寂しくて……」
取り繕ってみても、無駄なことはわかっていた。
「琉菜さんはわかりやすいや」藤堂はおかしそうにクスクスと笑った。
「だから、その……」
「琉菜さん、私は死にたくないから残るなんていう選び方はしませんよ」
琉菜はなんだか恥ずかしくなって、きっと今自分の顔はさっと赤くなっているだろうと思った。
穏やかな口調だが、藤堂の言葉に「武士をなめるな」という言外のメッセージが込められているような気がした。
「なんか、その、すみません」
「あははっ。謝らないでください。私の身を案じてくれたのは嬉しいんですから」
琉菜はそれ以上藤堂を説得するのをあきらめた。そして少し、後悔した。藤堂の覚悟を、踏みにじってしまったような気持ちになった。
「じゃあ、私から琉菜さんにお願いです。未来がどうなるか、教えてもらえますか?」
藤堂の問いに、琉菜はハッとした。
涙が出そうだった。
今までそう質問してきた者たちが、その後長生きできた例はない。
大丈夫、藤堂さんはまだ、明日明後日死ぬような運命じゃない。
でも、やっぱり歴史は変えられないの……?
琉菜は未来で覚えた藤堂の寿命を思い浮かべながら、ふっと息をついた
再び藤堂の隣に腰を下ろし、山南に、鈴に、芹沢に、語った話をゆっくりと口にしていく。
「未来では、いきなり道端で斬り合いが始まるようなことはありません。戦争……戦も、ありません。あたしたちは、『どんな理由があっても、人の命を奪ってはいけません』って、そういう思想なんです。まあ、殺人事件が全然ないとは言えませんけど。それでも、未来は平和。あたしの住んでる世界は、平和です」
「そうですか。…よかった」藤堂は笑った。
琉菜は、山南たちには話さなかったことを付け加えた。
「人斬りがないという意味では、世の中は確かに未来の方が平和ですけど、人々の心は、こっちの時代の方がずっと生き生きしてて、情熱的だと思います」
同じ人斬り、殺人でも、あたしの時代じゃ「カッとなってやった」とか「金がほしかった」とかそんなのばっかり。
でも、この時代の人たちは、みんな自分の思想をつらぬいて、それで人を斬ってるから。
幕末の人たちの、心はきれいだ。
「どういう意味なんですか?」藤堂が尋ねた。
「文字どおりですよ」琉菜はにっこりと笑った。
藤堂はまだよくわからないという顔をしていたが、やがてにこりと微笑んだ。
「まあ、いいか。未来が平和なら。私たちが作る先の時代で、琉菜さんたちが安心して暮らせるなら、それに越したことはありません」
藤堂の言葉を聞いて、琉菜は思わず「ありがとうございます」と礼を述べた。
「お礼を言うならこちらですよ。未来の話なんて、普通聞けたもんじゃありませんし」
「いいえ。藤堂さんみたいな人が、あたし達の住む未来のことをそんな風に思ってくれるのが、嬉しいんです」
藤堂は満足そうに笑みを浮かべると、「琉菜さん」と名を呼んだ。
「私がいなくなった後の新選組を、よろしくお願いします。みんな琉菜さんの作るご飯が大好きですから」
「はい。藤堂さんも、向こうに行っても元気でいてくださいね」
もちろんです、と笑う藤堂の顔は、これから待ち受ける悲劇を全く予感させないものだった。
この笑顔が、ずっと続けばいいのに。
琉菜はむなしい願いを押し殺して、藤堂の笑顔のように清々しい青空を見上げた。
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