4.兄上の正体

 数日後。

 琉菜はまだ、どうやって新選組の面々に近づこうかと悩んでいた。


 早くみんなに会いたいなぁ…


 琉菜は何気無く自分の部屋の窓から外を見た。

 すると、浅葱色にだんだら模様を染め抜いた隊服を着た壬生浪士組の隊士たちが下の通りを歩くのが見えた。

 おそらく巡察なのだろう。

 顔はよく見えなかったが、琉菜は興奮を押さえるのに相当苦労した。


 新選組だ!本物だ!

 本当に、あたしはかえってきたんだ。

 新選組のいる、この時代に。


「お多代さん!あの!」


 琉菜は1階に降りると、掃除をしていた女将に声をかけた。

 今この旅籠に宿泊するたった一人の客である琉菜と、その旅籠の女将が打ち解けるのは、ごく自然なことだった。

 もともと旅籠の雰囲気は気にいっていたので、琉菜はたった数日でここを幕末第2の家だと思うようになり、人のよい主人の兵右衛門と女将の多代を親のように慕うようになっていた。


「どうしはったん、そないに慌てて」多代は目を丸くして琉菜を見た。

「あのっ、その…口の堅~い床屋さんか髪結いさんの知り合いはいませんか?」琉菜はおずおずとそう言った。やはり、突拍子もないだろうか、とこの時点でもまだ思っていた。

「口の堅い…?なんでまたそんな」

「実は…あたし、男になりすまして、しんせ…壬生浪士組に入ろうと思ってます」

「は…?」


 多代の反応も無理はない。しばらく黙った後、多代は咳払いをして話を続けた。


「ちょお待ってや。琉菜ちゃんは女子やろ?男装して、壬生浪に?なんでまた…?」

「…どうしても、会いたい人がいるんです」


 多代がまだわからない、という顔をしていたので琉菜は話を続けた。


「その人に会うために、あたしはここに来たんです」


 琉菜は多代に自分が未来から来たと言うべきかどうか迷っていた。

 しかし、おそらくこの世界には多代以外に自分の正体を明かせそうな人はいない。

 一人くらい本当のことを知っている人がいたほうが何かとやりやすいだろう、琉菜はそう判断した。

 琉菜はすっと息を吸うと、話始めた。


「お多代さん、あたしがこれから話すことは全部真実です。兵右衛門さん以外の誰にも口外しないでください」




 数分後、多代はぼうぜんと琉菜を見つめるばかりだった。


「ほな、琉菜ちゃんは今よりちょっと先の壬生浪で働いとった…そうなんやな」


 琉菜はこっくりとうなずいた。


「だから、女のままで行くのは無理なんです」

「そやけど、絶対バレるで…声も高うし、体も小さいし…」

「大丈夫ですよ。着替だって、誰よりも早く起きて誰にも見られないうちにすればいいし。あ、お風呂は時々ここに帰ってきて使わせてもらってもいいですか?」

「それは構へんけど…」

「それに、あたしは、なんていうか、たぶん前に来た時にあたしに会ってるんです。だからわかるんです。バレてないし、ひとまずは無事に未来に帰れるって」

「どういう意味や…?」

「あたしにそっくりな隊士がいたんです。だから、ご先祖様なんだと思ってたんですけど。隊の中でも兄妹で通してましたし」

「もうほんまに意味がわからへん。つまり、琉菜ちゃんが2人おったっていうんか?」

「今思えば、それが一番自然な結論だと思うんです。兄上は、あたしだった。兄上は脱走してしまったんですけど、あれはたぶん、未来に帰ったんじゃないかなって思うんです。だから捕まらなかった。どうして、帰ってしまったのかはわからないんですけど。あたしはできるだけ長くこっちにいたいって思ってるのに」


 話しながら、琉菜は中富ー十中八九少し未来の自分ーに思いを馳せた。


 どうして、脱走なんかしたんだろう。


 その思いは、前回来たときのあの日と同じだった。


 多代はそれでもなんとか琉菜を止める口実を探すかのように目を泳がせた。

「そや、お馬はどないするん?というか、前来た時はどないしてたんや?」

「前回はお馬のことは同じ賄いの女の人に聞きました。でも実は、今回は未来から対策グッズ…あ、道具を持ってきちゃいました」琉菜はてへへ、と笑った。


 前回は、お馬、つまり生理の度に「月のものがきました」と言って2,3日は大人しくする必要があったが、あまりに不便だったのでこれだけは現代から持ち込んでいた。むしろ、男装していてもこれなら大丈夫だ。


「ホンマに?ホンマに壬生浪に入るんか?」

「はい。大丈夫です。大丈夫だって、知ってるんです」


 琉菜の頑とした目に、多代はようやく折れた。


「なんや不思議な話すぎてついていけんわ…まあ琉菜ちゃんの決めたことやさかい、うちはこれ以上何も言わへん。それで?髪結いさんやったなぁ。うちの知り合いの髪結いさんが、口が堅いかはわからんけど、無口なお人やから、たぶん大丈夫やと思うよ」

「ありがとうございます!」





 琉菜はその後、男物の着物を買い揃え、旅籠に戻ってきた。すると、すでに多代が呼んでくれていた髪結いの女が来ていた。


「よろしくお願いします!」琉菜は元気よく挨拶したが、女は「へぇ」と怪訝そうに琉菜を見るだけだった。多代からは、訳あって男の格好をしなければならない知人がいる、といった程度の説明をしていた。


 小一時間経った頃、琉菜の「ヘアメイク」が完成した。


 この時代、髪を切るのは刑罰の一つだった。

 髪は女の命、という言葉がまさに文字通りだった時代だ。

 その女の命をカットし(現代人の琉菜にとっては痛くもかゆくもなかったが)、髷に結ってもらった。


「あれまあ、ほんまに男みたいな髪になってしもて」


 多代は信じられないといった様子で琉菜の頭をしげしげと眺めた。


 やがて、多代は少し沈んだ面持ちで呟いた。


「新次郎…」

「えっ?」

「あっ、なんでもないんよ。琉菜ちゃん、もうすぐ夕飯の用意するさかい、2階で待ったってや」


 


 琉菜は自室に戻り、今朝方そうしていたように、窓を開けて往来を眺めていた。


 お多代さん、確かに、新次郎って言ったよね…

 あたし、兄上が中富新次郎って名乗ってたって言ったっけ?言ったかな…?

 言ったにしても、なんかこう、呼び捨てでつぶやくって変だよね…?


 琉菜は窓の外に再び目をやった。

 今まで遠くばかり見ていたが、琉菜の目線の高さには通りからもよく見えるように、この旅籠の看板がぶらさがっていた。


「旅籠…中富…屋…?」


 琉菜は慌てて看板をもっとよく見ようと近づいた。


 中富屋…で…新次郎って…?






「なぁ琉菜ちゃん、男装する時の名前って、なんていうん?その兄さんみたいなお人の名前や」

 夕食の席で、多代がそう尋ねた。

「えーっと…」


 琉菜は言葉に詰まった。言うべきか、否か。


「中富。名字は中富でした。たぶん、ここの名前から取ったんだと思います。って、自分で言うのもなんですけど」

「それやったら名前は」

「…しん…」

「新次郎、にしてくれへんやろか」


 琉菜が言い切るより先に、多代がそう言った。


「おい、多代…」一緒に食事をしていた兵右衛門が眉をひそめた。


「あの、その名前…」

 多代は少しだけ笑みを浮かべ琉菜を見た。

「うちらの息子の名前や。…3ヶ月前に亡うなってしもうたけどな…」

 琉菜は驚いた目で多代を見た。


「ちょっと前までは、うちもお客さんでいっぱいの普通の宿だったんよ。せやけど、このあたりで浪士同士の争いが増えるようになって、だんだんお客さん寄りつかなくなってな。借金もあるいうのにこの有様で今は収入なんてほとんどないんよ」


 多代はお茶を飲んで一息ついた。


「息子は2人おって、長男の方は奉公に出してるんや。せやけど、次男の新次郎はなぁ、奉公でお金稼ぐことより、このあたりの治安をよくしてお客さん取り戻さな、ゆうてな。それで壬生浪に入ろうとしてたんや。やったこともない剣術の稽古なんか始めよって、がんばってたんやけどなぁ」


 琉菜は言葉を挟むことなく多代の話を聞いていた。


「いざ入隊の試験に行くゆう時に、浪士同士の争いに巻き込まれて亡うなってしまった」

「え…」

 琉菜は呆然と息を飲んだ。

「巻き込まれたいうか、仲裁に入ろうとしたみたいや。あほといえばあほやけど、あの子らしゅうといえばあの子らしゅうてな」


 そんな辛いことが…と琉菜は胸を締め付けられる思いだった。


「せやから、琉菜ちゃんにあの子の無念を晴らして欲しいんや。あの子の、未練を」

「…いいんですか?あたしなんかで」琉菜はおそるおそる聞いた。

「当たり前や。琉菜ちゃんがあの借金とり追っ払ってくれた時な、変な話やけど、新次郎にそっくりやて思った。だから、ええんよ」多代はにっこりと笑った。





 次の日、琉菜は昨日買った着物を身につけ、旅籠・中富屋の玄関先に立った。


「琉菜ちゃん、どっからどう見ても男やで」兵右衛門が笑顔で言った。

「がんばるんよ、琉菜ちゃん」多代が琉菜の肩をポンと叩いた。

「琉菜じゃねえよ、オレは今から壬生浪士組の隊士・中富新次郎だ!」琉菜は胸を張っていった。


 3人はぷっと笑った。

「兵右衛門さん、お多代さん、短い間でしたが、ほんとにお世話になりました!それじゃ、行ってきます!」


 琉菜は中富屋に背を向け、意気揚々と屯所に向かった。

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