#96 Perfect Crime

 この旅行で何人もの人間の命が散った。僕はその散り様を、美しい桃源郷を彩るための演出だと思っていた。人を殺める行為がこの舞台を華やかにするものだと思っていた。――そう洗脳されていた。

 だから僕に関係のない人間がその舞台で綺麗に散っていこうが、ひらひらと落ちる花弁の一つを目で追うことがないように、そっと傍観していた。


 だが、〝桜〟は特別だ。


 蕾が膨らめば期待に胸膨らみ、立派に咲き誇る姿を得々たる気持ちで見つめ、風吹き散ればそれを両手で掬い上げ、名残惜しそうにしばし眺める。


 だから、僕にとって大事な杏子さんが〝魔法〟ではなく、最も人間臭い方法で殺されたなら、もはや夢を見ている暇はない。


 僕を幻惑の世界から連れ戻したのは、憧れだった杏子さんの死――。



「――もう、やめるんだ、結衣。僕はもうお前の従順な人形なんかじゃない。魔法なんて信じないよ」


 握る拳銃に力を込める。震えはまだ収まってくれない。


「この世に〝魔法〟は存在しないんだから」


 緊張をほぐすために大きく息を吐くと、結衣は優しい口調で言った。


「先輩、何を言っているんですか? いったい私が何をしたって言うんですか?」

「お前は――白居正臣さんを銃殺し、ストリキニーネが注入された注射針で参加者たちを毒殺し、そして杏子さんの首を絞めて殺した。これが全部〝魔法〟だって? 馬鹿言うなよ。僕がお前の隣にいて何も気づかなかったと思うか?」


 この半年の間、僕は彼女の愛する人形として常にその傍らにいた。彼女がどのような計画を目論んでいるのか、間近でその仔細を目にし、耳にしていた。その犯行は全て〝魔法〟で行われていたが、洗脳が解けた今分かるのはそれらが全て『〝魔法〟という非現実的な現象を認めさせた上で行う超法規的な殺人行為』だった事だ。


「……」

「お前の元々の考えはこうだろう――参加者を〝魔法〟で殺したことにすれば、お前は殺人の罪に問われない。なぜなら現実に〝魔法〟という事象が存在しない以上、それを法廷で立証するのは難しいからだ。だがこうも考えられた――〝魔法〟がの事象であるなら、人間はそれを現実的な方法で殺人を計画することも出来る。この一点を考えれば、〝魔法〟は全てハリボテで、ただの手の込んだ殺人だということが安易に推測できる。それならどうする。そこでお前は〝証言者〟の力を借りようとした。つまりお前だけが〝魔法〟で殺したことを主張するのではなく、現場にいた全員が〝魔法〟で殺人が行われたと主張することでその事象を確たるものにしようとした。参加者それぞれが現実では凡そ説明のつかない事象の連続に頭を混乱させ、全ての行為が〝魔法〟であったと錯誤する。その場にいた全員が〝魔法〟だと言っているのに、どうしてその場にいなかった人間がそれを否定できるだろう? だからお前はこの計画を考え、実行した。残る参加者の人数は多ければ多いほどいい。ある程度の生存者は残しておくつもりだったんだろう」


 僕は死屍累々たる広間を見やった。


「だけどお前はそれをしなかった。――計画の中に多少のアクシデントがあったんだろう。正臣さんが彼らを上手くコントロールできなかったのも一つの要因だ。でもお前ならそれを修復できる時間と能力があったはずだ。現に、洗脳に成功しているんだからな。洗脳された僕はお前とずっと広間の様子を監視カメラで確認していて、正臣さんが天井に閉じ込められた事も分かっていた。だけど杏子さんが拳銃を取り出した時に、お前は徐に僕の手をとってマスタールームを飛び出した。彼女の凶行を止めるためにだ。それはなぜか。『魔法を信じない』と断言した参加者はお前にとって邪魔な存在。だから杏子さんが彼らを殺すことはお前にとっても好都合だったはず。でもお前は僕の手を取って現場に向かった――カメラの映像越しではなく、現実に〝魔法〟で人を殺したと僕に見せるためだ。お前はこの用意周到な計画の内で一つだけ、絶対に外せない条件があった――それは、僕に〝魔法〟を信じ込ませることだ。だから杏子さんが拳銃を使うのを嫌った。そして僕の眼を覆って実際に拳銃を発砲し、耳元でお前は『これは魔法です』と言ってそれを幻惑に変換したんだ――僕が夢から醒めないように」


 彼女は窓の外に目を反らして夜風に吹きすさぶ木々を見つめた。


「最初からこうするつもりだったんじゃないのか。僕だけを残して、参加者全員を殺す――さっきこの洋館に発火装置を設置していると言ったな。つまり、証言者を僕だけにして、残る人的証拠も物的証拠も跡形なく消す。そうすれば完全犯罪が成立する――


 この現実の世界では何も起きていなかった。それが魔法使い結衣の計画した完全犯罪だった。


「……」


 結衣は黙ったまま、相変わらず窓の外を眺めていた。


「お前は僕を利用したんだ」


 キッと彼女の両目が僕を睨んだ。


「それは違います!」


 僕がすごむと彼女はさらに興奮したようにまくし立てた。


「私が先輩を利用なんてするはずがないじゃないですか……! どうして私みたいな人間にそんなことができるんですか? 貴方には感謝こそすれ、貴方の気持ちを裏切るようなことなんて出来ません……、出来るはずがありません!」

「感謝……? 僕はただお前の――」

ですか?」


 僕は彼女の赤くなった眼を見て何も言い返せなくなった。

 、ほろりと涙が伝った。


「結衣……」

「私は先輩にとって取るに足りない存在なのですか……?」


 彼女を自分の胸に抱き寄せてやりたい、僕はついそんな衝動に駆られてしまった。かつてそうしていたように、少しでも彼女の気が紛れてもらえたらいいとそんな風に。

 でも今、僕にその資格はない。いま彼女に気を許すことは、この旅行の参加者、旅行の実現を夢見た美佳さん、そして彼女を支えた杏子さんの想いを踏み躙ることになる。


 しかし――このまま彼女を放っておけば、彼女は然るべき場所に送られ、その罪を償わなければならなくなるだろう。


 汚れた名を背負って、惨たらしく死んでいくのだ。


 彼女はそれだけのことをした。死んで当然と吐き捨てていいほどに――それだけのことをした。


 だけど、僕にもその責任がある。

 確かに僕は彼女に洗脳されていた。でも同時に当たり前の日常を送ってもいた。四月から始まる新たな社会人生活の為に様々な準備をしてきた。大学に論文を提出もした。卒業証書も受け取った。〝魔法〟の世界を生きている人間がそんなこと出来ると思うか?

 僕は頭のどこかで彼女の奇行に気が付いていた。

 でもそれを止めないことの方が僕にとって心地が良かった。彼女が傍にいて、楽しそうに笑うことが何より嬉しかった。例え、それが凄惨な事件の計画だったとしても、それは彼女と思い描く絵空事のようでとても楽しかった。

 でも彼女と付き合うことはできない。自分には他にふさわしいと思う、憧れの人がいたからだ。だから結衣とはグレーな関係でいたかった。優柔不断な僕の甘えが関係を拗らせていることは分かっていた。


 そんな僕が今更、彼女を死の底に突き落とすことができるか?


 それは、あまりに無責任だ。


 だから最期に僕が彼女にしてやれる事は、これしかない。


「結衣……。悪い。覚悟を決めてくれ」


 僕は再び彼女に銃口を向けた。


「お前もこの事件の被害者になるんだ。彼らと同じようにここで死ぬ。そうすればお前が醜い死に方をすることもない。洋館が全て焼け落ちたら、不慮の事故として扱われるかもしれない。――だから僕の手でお前を!」


 手が動かない。

 彼女は涙を流していた。

 でも僕の眼には、不敵に笑うあの魔法使いの顔がまたフラッシュバックしていた。


 引き金が引けない。


 手が動かなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る