#87 Revenge

 私は咄嗟に胸ポケットをまさぐって杖を取り出した。それは確かに杖の形をした木の棒だった。しかし、私には分かる。この杖は一般参加者に渡された杖だ。杖の先のLEDを遠隔操作でのみ点灯することが出来る、複数本用意されたものだ。対する私の杖は本体に取り付けられたスイッチで点灯を可能にするもので、押す回数によって色を変えることが出来る。だから外見上同じ形を有していてもスイッチの有無を確認すればどれが自分の杖なのかが分かる。

 私は『魔法』を使う時、間違いなく杖のスイッチを押していた。だからこの胸ポケットにしまった杖にスイッチがない訳がない。だが今、目の前に立て掛けてあった杖にはスイッチがある。間違いなくさっき使った私の魔法の杖だ。

 これがなぜ天井裏にある?いつ入れ替わった?私が『魔法』を使ってから今までの間に一般参加者の杖と入れ替わる時間など――。


「いやあ、年を取っても体は覚えているものですね」


 伊谷信也がバー伝いに点検口まで歩み寄っていく。


「伊谷さん?貴方まさか……!」


 あの時だ。私が彼の縄を解いた時、足の痺れが収まらないといって一時的に胸を貸してやったあの時。あの時にこっそり入れ替えられていたのだ。


「安心しました。これでまだマジシャンの端くれを名乗れます」


 光の零れる点検口に足を掛けると、


「それでは」

「待て!」


 彼の体がその光の中に吸い込まれるように滑らかに落ちていき、ガチャンと点検口の扉が閉められた。私は覚束ない足取りでバーの上を慌てて走って行く。ギシギシと天井裏が揺れる。点検口まで辿り着き、手探りで鍵穴を捜すも見つからない。どうやら内側から開けることを想定していないようだ。


「くそっ!」


 叫び声の余韻が天井裏に虚しく響くと、足下の方からワッと歓声が上がった。伊谷信也という勇者の帰還を歓迎しているようだ。

 これは不味いことになった。階段が封鎖され一階に逃げることが出来ないとはいえ、窓から地上に降り立つことはできる。設置した槍柵の位置さえ把握できれば、全員この洋館から逃げ出すことは可能だ。全員の縄を解かれる前に何とか下に降りなければこの計画は台無しになる。

 しかし、天井裏は八方塞がり。明かりもなく、暗闇であることがその何よりの証拠だった。どうする。どうやってココを出る?


――鉄骨以外の部分は決して足を踏み入れないでください。

――イメージ的には障子の紙の部分を歩くようなものです。細心の注意を払ってください。


 伊谷信也の言葉が脳裏を掠めた。

 そうだ。この石膏ボードを踏めば突き破って下に降りることができる。少々怪我をするかもしれないが今はそんなことを言っている暇はない。……行くべきだ。

 意を決してジャンプし、ボードの上に両足で着地する。


 ミシッという音がして――それっきりだった。


 私は乱暴にその場で地団太を踏む。しかし、足下に多少の揺れを感じるだけだった。線上に白い光の線が見える。どうやらボードとバーの接合部に小さな隙間が生まれたようだ。しかし、それだけだ。思いのほか頑丈な造りをしていた。

 勝手に金魚すくいのポイのように簡単に破れてしまうものだと思っていた。実際、彼の言葉はそう信じさせるほど真に迫っていたし、あの言葉にきっと嘘はなかっただろうと思う。本当にこの石膏ボードが外れて下に落ちることもあるだろう。施工時に細心の注意を払い、メンテナンスの際には客にも注意喚起を行っていただろう。だがそれは当然のことだ。そうならないような工事を行い、もしそうなってしまった場合の保険を掛けていたに過ぎない。だから、私程度の体重の人間が小さく飛び跳ねたぐらいでこの天井は崩落しないのだ。

 参加者たちの解き放たれた声が徐々に熱を帯び、うねりを上げていく。

 万事休すか――。


「――全員、その場を動かないで」


 参加者たちの声がフッと消える。


「ってそうか、動けないんだったわね」


 コツコツとヒールの足音が広間を横切り、ドタバタと争う音が聞こえる。声の主と揉み合いになっているのか、しばらくして伊谷信也が息絶え絶えに叫んだ。


「は……っ、は、放してください!」

「放す訳にはいかないわよ。だってアンタこの娘の縄を解いて逃がそうとしたんでしょ?」

「藤森さん!貴方一人でもいいから逃げなさい!」


 言うや否や、銃声音が響いた。

 

「フフ、逃げちゃ駄目よ?次は外さない自信があるから」


 今の銃声音は〝ベレッタPx4〟だ。厳密には実物のそれと音は違うのだが、外見上の装飾を施し、実弾が打てるように改造したものを私が勝手にそう呼んでいる。そう、それは一年前、私がに渡した拳銃だ。


「それにしても死屍累々とはまさにこの事ね。こんなに死体が転がってるなんて思いもしなかったわ」

「あっ、あの……」


 伊谷信也が呼吸を整えながら尋ねる。


「貴方は一体誰なんですか?それに、どうして魔女のような恰好を……」

「あら、私二度もここに来たのだけれど。一度目はラフな格好だったけど、二度目は恐らく今と同じ格好をしていたと思うわ。帽子外して顔を見せた方がいいかしら」

「――あ、貴方は……、もしかして、あの魔女を殺した」

「ええ、そうよ。よく分かったわね」

「注射で刺している所を視ました」

「可笑しいわね。あの時、この部屋は人の眼で見えるような明るさじゃなかったはずよ」

「すいません、私、眼が良いもので」

「あら、そうなの。良いわね。ただもうどうでもいい事よ、後は小父おじさんをこのナイフでサクッと殺った後にそこの藤森さん?……あのも殺っちゃうだけなんだから」


 沈黙を挟んで伊谷信也のか細い声が返ってきた。


「私の首筋に立てたこのナイフ……、すでに血が付いているようですが、一体誰の血なんですか?」


 息が漏れるような笑い声。


「――〝花〟を愛した男の血よ」


 そうか。桜見杏子、貴方も目的を果たしたんだな。

 貴方と会った時の事は今でも覚えている。が私達を集め、計画の全容を明かしたあの時、私達はそれぞれの殺害動機について語り合った。貴方は信じていた男に裏切られ、金を奪われ、尊厳を傷つけられた。私はドラマで耳にしたようなありふれた私怨に飽き飽きとしていた。しかし、話を締めるように『必ず成功させましょう』と言った貴方のあの時の眼。輝くような笑顔に、どろりと淀んだ眼が浮いていた。この計画がどんな支障を来たそうと、刺し違えてもその男だけは絶対に殺すだろう。私は言いようのない確信をひとり抱いていた。


「まあ、死んで当然の男よ」

「男……?まさか、清川さんの叫び声は……」

「ああ、聞こえてたのね。小父さん、それ内緒よ」


 桜見杏子は溜息をついた。


「それにしても有終の美は飾りたいものね、マジックにしても、……殺人旅行にしても。小父さん達をこんな風にした使はどこ?」

「正臣さんなら……」


 少しの沈黙の後、息を引くような笑い声が聞こえた。


「嘘でしょ?正臣君、何してるの?」


 私はやや緊張しながら声を大きく張り上げた。


「さ、桜見さん!すいません!ここです!」


 下地をドンドンと踏んだ。


「何でそんなとこにいるのよ。天井にネズミでもいた?」

「いや、そういう訳では――」

「私が閉じ込めました」


 伊谷信也が答えた。


「閉じ込められた?どうやって?だって小父さんも縛られてたんでしょ?」

「先に亡くなった、いや殺された夫妻が……言ってくれたんです。天井裏に明かりがある、と」

「天井裏に明かり?」

「最初に殺された大野貴一さんは『ちゅうしゃ』『あかり』という言葉を遺して亡くなりました。そしてそれを聞いた大野碧さんが『注射針が仕込まれている』『天井裏の明かりに気を付けろ』……と彼の遺言を私達に繋げてくれました。そこで今度は私が二つ目の遺言を元に天井裏に誘い出し、彼の持っていた杖を使って閉じ込めたのです」

「ああ、確かに正臣君の持っている杖は――いえ何でもないわ。でもよくそれに気が付いたわね」

「昔、マジックを嗜んでおりましたので。人を騙すテクニックは簡単に見破れます、それも素人なら尚更です」

「――だってさ、正臣君!」


 アハハと桜見杏子が笑った。私は黙って奥歯を噛み締めた。


「『ちゅうしゃ』に関して今はノーコメント。だけど、貴一さんが『あかり』と言っただけなのに、碧さんはどうして『天井裏に明かりがある』と言ったのかしら?だって結局、小父さんの細工で『明かり』を生み出したんでしょ?」

「……貴一さんが言った『あかり』は天井裏の明かりを指していたのではなく、碧さんの本名を指していたんだと思います。確証はないですが、彼がその名前を口にした時、ふと顔を上げて反応したんです」


 やはりそうだったのか。大野貴一が悶え苦しむ様を見つめる彼女の反応は異様だった。もう十年も前に死んだ人間を偲ぶような顔つきだった。彼女だけが覚悟をしていた。死にゆく者が名を挙げて遺言を託した。それを無駄にするわけにはいかない。その使命があったのだろう。


「碧さんはそれを悟られまいと天井裏に明かりがあることにした。なぜなら、天井を見上げた時に気付いた点検口から天井裏があることを知り、もしかすると正臣さんが調べに行くかもしれないと思ったからです」


 大野貴一と同じように天井を見上げていたのはそのためか。


「そして碧さんが亡くなり、私がその遺志を継ぎました。まさかこんなに上手く行くとは思いませんでしたが」

「確かに全員仲良く縛られてるのに首尾よくやったもんね。正臣君の運の無さもあるんだろうけど」

「貴方は正臣さんのお仲間……ですか?」

「仲間と言えば仲間になるのかしら」

「先ほど〝殺人旅行〟という言葉も耳にしましたが」

「気になる?」

「ええ、聞いたことのない言葉は気になる性格でして」

「……それは、多分教えられないわね」


 桜見杏子は含みのある言い方で語気の余韻を伸ばした。


「理由をお伺いしても?」


「――がきっとそれを許さないからよ」


 そして、扉の開く音が聞こえた。

 誰かが大広間に入ってきたようだ。

 

 空気がピンと張り詰め、伊谷信也が震えて声を上げた。


「佐々さん……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る