#85 Defective Work
「ケイテン……」
伊谷信也が何かを呟いた。私は伸ばした足を一度引っ込め、聞き返した。
「何です?」
「軽天屋です……、私、実は軽天屋を営んでおります。まだ親方の下働きで修行中の身なのですが、それなりに建物の構造については詳しいつもりです」
軽天工事という言葉には聞き覚えがある。
以前、市役所の本棟で大掛かりな改修工事が行われた時の事だ。経年劣化の激しい二階部分が主な対象となり、その階にいた厚生課や人事課などが私の所属する税務課に仮住まいとしてやってきたことがあった。その際、同期入庁した職員が会計課の人間と改修方法や改修時期について話し合っているのを耳にし、その時、『軽天工事』という工法があることを知った。
簡単に言えば、軽天と呼ばれるLGS(ライトゲージスチール)を格子状に組み合わせて壁や天井を造る工法である。軽天の由来は軽量鉄骨が訛ったものと謂れがあるが諸説ある。軽天は木材と違い、耐火性に優れ、組み合わせるだけで施工期間も短縮できるため、近年は店舗やビル建物内部だけでなく、一般住宅にも多く取り入れられている。
壁や天井が取り除かれ柱だけになった二階を業務の合間に覗いた際、近くで休憩していた作業員に尋ねたところ親切にもそのように教えてくれた。
「それが今の話と何の関係があるんですか?」
「先ほど私が煙突の中を覗いたのを覚えてらっしゃいますか?」
確か煙が充満していたのは煙突の蓋が閉まっていたからだと言い、『信じられん欠陥住宅だ』とも言った。まさか職人の眼から見た言葉通りの意味だとは思わなかった。
「その時に拝見したのです。この天井が軽天を組み合わせて造られていることに」
なるほど。煙突の空洞が天井を貫いていたために、建材が見え隠れしていたという訳か。
心の中で独り言つと、伊谷信也がそれを見透かしたようにふと微笑んだ。
「でも伊谷さん、この建物内部が三日三晩で造られたことは既に周知されていますから、それは別に不思議なことではないですよね?」
「ええ、おっしゃる通り。でも、どうしてこれほど古い洋館に軽天が使われているのだろうと疑問に思ったのです。軽天工事では、天井下地を作るためにはまず元の天井にアンカーで吊りボルトを打ち込み、そこにハンガーという吊り金物を取り付け、バーを引っ提げて格子状になるように組み合わせていきます。最後にこの下地に石膏ボードを貼り付けて天井が完成するんです……つまり、〝吊り天井〟と言えば分かりやすいでしょうか。中には壁で支えたりすることもありますが、これが軽天工事の基本です」
「それがいったい何なんです?」
「お気づきになりませんか?軽量鉄骨と言えど、組み合わせた下地は石膏ボードを含めると相当な重量になります。それを吊り下げるボルトを元の天井に打ち込むんです。通常はコンクリートのような頑丈な素材に打ち込むんですよ」
「まさか……」
「ええ、そのまさかです。見て分かるようにこの洋館は木造、元の天井とはすなわち木材です。そんな木造の天井にボルトを打ち込んだらどうなると思います?木材は鉄材と違って簡単にひび割れしてしまうのものです、荷重がかかっていれば尚更です。だから私達はいつかこの天井に押し潰されてしまう……、その危険性を密かに案じていたのです」
私は天井を見上げて生唾を呑みこんだ。
「なぜ、それをすぐに言わなかったんですか?」
「言ったはずですよ?欠陥工事だと」
「いや、それは煙突の――」
「ああ、失敬。冗談を挟んでいないと私も精神が不安定になってしまいそうなんですよ」
伊谷信也は口角を上げつつも、眉をひそめて苦々しい表情をした。
「はっきり言えば、地震のような大きな揺れがない限り、直ちに落ちてくるという事はないと思います。勿論じっとしていても確率はゼロではないですが。差し迫った危険という訳ではありません。ただ――」
「ただ?」
「貴方も案じておられることでしょうが、彼ら夫妻の『天井裏の明かり』という言葉が気に掛かるのでしょう」
私はまなじりを決した。
「貴方も存外分かりやすい性格をしているんですね。……安心しました」
「何でもいいですから、その『天井裏の明かり』が何なんです?」
急き立てると伊谷信也は気のない風に答えた。
「火が残っているんじゃないでしょうか?」
「火が……、残っている?」
「ええ、先ほどの火事は暖炉が火元となっていました。ですが、暖炉に繋がっている煙突は軽天が見えるように天井裏を貫いていたんです。つまり、煙突を通じて元の天井に火が移っていることを二人は示唆していたんじゃないでしょうか」
私は席を立ち、天井を仰いだ。
「ボードとボードの隙間から見えたんでしょうかね?生憎、私の位置からは見えないのですが……、二人からは何か明かりのようなものが見えていたんですよ、きっと。それが火だというのは私の憶測ですが……」
「……ちっ」
舌打ちをしながら大野貴一の遺体の側まで移動し、じっと天井を凝視した。菱形が敷き詰められたクリーム色の壁面が見えるだけで変わったところはない。伊谷信也の言う隙間とやらも見えなかった。
「白居さん、もし天井に火が燃え移ってたら私達ひとたまりも――」
「分かってますよ!」
つい声を荒げてしまった。私は魔法で彼らを怖がらせたいだけ、魔法で殺したいだけ、殺害方法を魔法という事にしたいだけ、そのために死をチラつかせたいだけなのに……、天井が降ってきて全員圧死?
ふざけるな。
そんな結末があっていいわけがない。そもそもどうして私まで死ぬ羽目になるんだ。全く馬鹿げてる。
「大野碧も言っていましたね」
今度は妻の大野碧の側から見上げた。しかし、変わった様子は見られなかった。
いったい二人は何を……?
「白居さん、一つ提案があるのですが」
「なんですか?」
「これは直接、天井裏を確認するしかないのではないでしょうか?」
「天井裏を?どうやって確認するんですか?」
「煙突の中をよじ登って行くといいでしょう」
「なるほど。さっき貴方が覗いた暖炉から上がっていけばいいわけですね」
少々面倒だが、こういう時は即行動に移した方がいいことを私は経験則で知っている。机上で理論をこねくり回して過程と結末ばかりを推理するのは時間の無駄だ。問題を解決できる手段があるならすぐにそれを利用しない手はない。
「私が見てきましょう。高さはどのくらいありましたか?」
「三メートル以上はあったと思います」
三メートルか、予想以上に高いな。両手両足を内壁に押し当て上に上にじりじりと体の重心を持っていく。想像するだけでも、普段運動しないこの脆弱な体が悲鳴を上げる様子が分かる。
「代わりに私が見て来ましょうか?」
伊谷信也が語調を控えめに尻上げた。
「……」
彼を魔法の椅子の呪縛から解き放っていいのだろうか。一抹の不安が過る。伊谷信也を信用していない訳ではない。むしろ今までの言動を見るに彼は信用に値する人間だ。そうではない。彼が私を信用していないのだ。私は今そのことがひどく怖いのだ。彼だけではない。この手で、目の前で、何人もの人間を手に掛けておいて今更、この場の誰かに信用してもらえるなんて思っていない。
口では散々〝信用〟という言葉を使ったが、その実、中身は伴っていなかった。私が魔法使いだということも、魔法を扱えるのだということも、誰も信用してくれない。時間の経過、緊張、焦りとともに、徐々に徐々に私の自信は削がれていった。
「気を付けてください。バーには基本二種類のタイプがあって太いダブルと細いシングルがあります。極力ダブルを選ぶこと、それもボルトを打ち込んでいるCチャンネルの親バーを踏んでいくようにしてください。それから決してバー以外の部分を歩かないでくださいね、底が抜けますから。イメージ的には障子の紙の部分を歩くようなものです。細心の注意を払ってください」
人を殺める度に削られ、生肌が見えた私の心をいま伊谷信也は掌握しようとしている。
「ただ、そうですね……、暗い天井裏を素人の貴方が行くのは些か不安ではあるんですが……」
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