No Name / 白居 正臣
#79 Spoil
「文乃待って! どこ行くの……!?」
藤森千紗が佐々文乃の後を追おうとする。しかし、何者かがその腕を掴んだ。
「藤森さん! 彼女に任せよう」
「伊谷さん……? どうして? たぶん、今の声は清川の叫び声だヨ。それも普通じゃない。文乃、それが分かってて助けに行ったんだヨ? 一緒について行ってあげなきゃ……!」
伊谷信也は藤森千紗の腕を強く握る。
「だからこそだ、藤森さん。今は離れ離れになる時じゃない。全員が目の届く場所にいなければいけない時なんだ。魔女が殺されて、今度は放火によって参加者の命が危ぶまれている。何が起きているか分からない今だからこそ、ここは堪えてこの場に留まるんだ」
「でも、文乃が……!」
「佐々さんは覚悟を持って飛び出した。リスクを負ってでも彼の元に急ぐべきと判断したんだ。これ以上、君の感情で彼女を惑わしてはいけない」
伊谷信也の熱い声音に、藤森千紗はそれでも名残惜しそうに扉の向こうを見てから、ぐっと唇を噛み締め、黙って頷いた。
「さあ、一人でも多く介抱してあげよう……!」
室内には依然として顔を真っ青にした多くの参加者たちが横たえていた。見れば、若い女性から小さな子供までいる。いち早く新鮮な空気を取り込まなければ、取り返しのつかないことになる。
伊谷信也、藤森千紗、大野碧(偽名)、大野貴一(偽名)、そして、
全員の無事を確認できたのは、部屋に突入してから二十分が経過した頃だった。
「…………」
私はひとり煙臭い室内に戻り、火の元である暖炉を眺めた。煉瓦組の外枠は不自然なほど黒く焦げ、轟々と燃え盛る火勢の強さを感じさせた。
「何か分かりますか?」
ふと背後から私に掛ける声がした。
振り返ってみると、苦々しく暖炉を見つめる伊谷信也が立っていた。
「相当激しく燃えていたようですが、室内にいた人間が一酸化炭素中毒になるような規模のものではないかと……、素人ながらそう考えてしまいます」
「白居さんのおっしゃる通りですよ。窓も扉も閉められていたとはいえ、気を失う程酸素が不足するような事態になるなんて考えられません」
「それに……」
私は暖炉から伸びる煉瓦造りの構造物を下から上に眺めた。
「これ、煙突ですよね。煙は外気に逃げるはずです。どうして部屋の中に煙が充満したのでしょうか……?」
伊谷信也はハッと息を飲んで、暖炉の前に膝をついた。
「そうか、もしかすると」
「伊谷さん……? いったい、何を?」
「いえ、白居さんの言葉で気づいたんですよ。煙突が付いているのに室内に煙が充満するなんて考えられる原因は一つだけです」
彼はそのまま外枠を掴んで暖炉の中に頭を突っ込んだ。そして腰を捩じりながら煙突の中空を見上げた。私も同じように片膝をついて彼の様子を窺った。
「何か見えますか?」
「ああ……、いえ……、そうですね」
歯切れの悪い返事に、私は察する。
「中、真っ暗で見えませんか」
水面でパクパクと餌を欲しがる鯉のように、伊谷信也は上を覗き込んだまま口を開いた。
「いえいえ、それはご心配なく」
伊谷の声がやや反響して聞こえる。
「先ほどご説明したように、私、暗闇で目が利きますから。よく見えますよ」
ああ、あのタペタムとかいう……、一階の部屋にいた時は悠長に話を聞く余裕もなかった。彼が昔マジシャンをやっていたという話も、遠い記憶の片隅に残っているだけだった。
「それじゃあ、何か見えるんですか?」
「見えます、と言った方がいいのか。見えません、と言った方がいいのか」
「どういうことですか?」
伊谷信也は突っ込んだ首を抜くと、体を起こして細い目で私を見た。
「どうやら、この煙突ハリボテのようですね」
「ハリボテ?」
「ええ、穴が開いてないんです。信じられん欠陥住宅ですよ」
そうか、だから……。
「―――――見たことのない女ぁ?」
廊下から大野貴一の声が響いて聞こえてきた。
私と伊谷信也は顔を合わせて声する方に駆ける。
見ると、腰に手をやって顔をしかめる大野貴一と、顔中
大野貴一が声を張る。
「じゃあ、暖炉に火を点けたのはその得体の知れねぇ女がやったのか?」
「さっきからそう言ってるだろう……」
「アンタら適当なこと言うなよ? もう全部バレてんだからな。アンタらはな、魔女とグルになって俺らを騙そうって魂胆だったんだろ? 今更、信じられるかよ」
中年男性の目が急に泳ぎ始め、他の参加者に救いを求めるべく目配せをする。しかし、誰もその救いに応えようとしせず、黙って顔を伏せていた。
「なんだよ、もうっ……、やめだ! 終わりだ、終わり!」
中年男性は投げやりな様子でその場に胡坐をかいた。
「終わり?」
大野貴一が返す。
「この旅行がもう終わりだっつってんだよ、兄ちゃん。俺たちはな、イー・トラベルに雇われたキャスト。いわゆる〝サクラ〟だ。俺も含め、さっきまで気を失ってた奴らは全員何かしらの方法でアンタら一般参加者を騙してたんだ。〝魔法〟が現実に存在するような芝居を打ってたんだよ……、なんだ兄ちゃんその眼? 悪いか? この旅行はそういう趣旨だったんだ」
「―――――そんなことはとっくに分かってる」
「じゃあ、兄ちゃん。何が知りてぇのよ?」
「魔女の事と、この火事の事だよ!」
大野貴一が激昂して男の胸倉を掴む。伊谷信也が慌てて止めに入るが、及び腰の彼を大野貴一は軽く突き飛ばした。
「さっきアンタらを部屋から運び出してる時に魔女の息を確認した」
「死んでただろ?」
「んてめぇ……! それが分かってて何で……っ!」
大野貴一は男の頬を殴りつけた。周りを囲んでいた野次馬たちが悲鳴を上げた。だが誰も男を助けようとしなかった。彼は喉の奥から不気味な笑い声を上げて頬をさすっていた。
「吉沢!!」
群衆の向こうから女性の声が飛んできた。
大野貴一は我に返って、その声する方に耳をそばだてる。
「アンタ、こんな時に暴力振るうなんて何考えてるんよ……?」
そこには、女性の傍に片膝をついて介抱に当たる、大野碧の姿があった。
「っち」
大野貴一は舌打ちをして、掴んだ胸倉を離す。
「……今は、大野貴一だろうが」
そう呟くと、ふてくされたように壁にもたれ掛かった。
大野碧は息を整えて立ち上がり、我々に向かって声を張った。
「皆さん、聞いてください。今こちらのサクラの女性から〝マジカル・ジャーニー〟の全容について聞きました。それから、この大広間で起こったことについても。今、この場には色んな立場の人間がいます。ですが、確かなことは、私達はいま全員が危険な状況に陥っているということです。私達を魔法の世界に誘おうとした〝サクラ〟、そして魔法の力を得るために集まった私達〝魔法使い〟、そして〝魔女〟」
私達は互いに互いを見合う。その眼には疑念と後悔が入り混じっていた。
「ひとまず、魔女が亡くなったことも、この火事のことも、サクラの皆さんにとっては予想外の事態だったそうです」
「魔女が急に血を吐いたのは……何でなの?」
ふとか細い声がする。全員の視線が、藤森千紗に集まった。彼女は肩を震わせながら、もう一度呟いた。
「ミドリさん、どうして魔女が殺されたの?」
「落ち着いて、千紗ちゃん。それもサクラの皆さんには分からなかったことらしいんよ」
「でも、あの時、サクラは私達の行動も、魔女の行動も把握してたんだよネ? どうして分からないの?」
「あの時ってのは、つまり―――――伊谷さんの言っていたレビテーションのことね。それは伊谷さんが言っていた通りのことが行われてたみたいなんだけど、どうやら電気を消している間、魔女に特別な役割は当てられてなくて、サクラが私たちの頭を叩いている間、彼らにも暗闇の中で魔女の身に何が起こっているかは全く分からなかったらしいんよ」
大野碧は吐き出すような溜息をつく。
藤森千紗は苦い顔をして、今度は伊谷信也を見つめた。
「伊谷さん、話そうヨ。あの時、何が見えたのか」
「でも……」
「でも、じゃないヨ!」
「うーん……」
伊谷信也は眉間に皺をよせ、そして重い口を開いた。
「藤森さん、分かった。碧さんの言う通り、私達はもう運命共同体だ。知っていることは全て話そう。だけどね、私が心配なのは―――――」
「私達のことはいいから」
「あ、ああ……」
伊谷信也は顔を上げて群衆を見る。
「私は生来暗闇の中でで物が認識できる眼を持っています。レビテーションが行われいていた時……、あの暗い室内で起きた出来事を全て見ていました」
話を聞いていたサクラの一人が「ヒュー」と口笛を鳴らす。どうやら奥にいるアフロヘアーの男が吹いたらしい。察した伊谷信也は構わず話を続ける。
「その時、魔女に近づく影がありました。彼女の背後にそっと忍び寄り、そして彼女の腕にそっと何かを刺したのです。注射のように見えましたが、そこまではっきりとは見えませんでした。そして、その注射を刺した人物……」
その場の全員が息を飲む。
「の顔もはっきりと分かりませんでした」
張った空気が弛緩する。全員が肩を落とし、漏れた溜息が目に見えるようだった。
「ただ、髪の長い女性だったということは分かりました」
再び、空気が緊張する。群衆の目が必死に髪の長い女性の姿を追う。やがてサクラの中に二名、嫌疑者が上がった。しかし、よくよく話を聞いてみると、サクラ達の行動パターンから魔女を殺すのは不可能だということが分かった。どうやらサクラ達はその可能性について既に話し合っていたようだ。
「―――――となると、あの時、現場にいた髪の長い女性は、二人」
全員のイメージの中に、二つの顔が浮かび上がる。
「一人は私達の友人である〝佐々文乃〟さん。そして、もう一人は……〝椿結衣〟さんという若いお嬢さんですね」
伊谷信也の視線が全員の顔を舐める。
椿の姿が見えなかった。
「椿さんはまだ此方にいらっしゃっていませんか……。確か、彼女は衛星電話捜索班に指名されていたはずですね」
「そういえば、彼女と彼女のボーイフレンド君だけが戻って来てないんよ。二人の安否も心配だけど、この騒ぎに気づかないのも少し可笑しい感じするんよね」
「ああ、ちなみにサクラの皆さんや後から戻った参加者の方に説明しておきますが、佐々さんは別の有事に駆けつけましたので、今ここにはいらっしゃいません。しかし、彼女の犯行ではないということは私の眼が証明しましょう」
藤森千紗以外の全員が僅かに難しい顔をした。
その不穏な空気を打ち破るように、あのアフロの男が口笛を吹いた。
「やるやん、おっさん。やっぱな。俺の言っとったことは正しかったんやで。な、皆、聞いとったやろ? このおっさん、暗闇ん中で視えるんやで」
「貴方は……レビテーションで私の頭を叩いた方ですね」
「石波、言うねん。よろしゅう」
へへへ、と浅薄に笑い、石波は伊谷信也の肩を組んだ。
「でもな、伊谷のおっさん、それやったら誰も信じてくれへんわ。人間だれしも暗いところで目が慣れるっちゅうけどな、レビテーションは正味三十秒もないくらいや、あの短い時間で人間の眼は暗闇に慣れんやろ」
「私は普通の人間の眼と違って光を反射する物質が入っているんです。だから、目が慣れるという感覚ではなく、最初から視えているという状態なんです」
「そんなSFみたいな話アリ?」
「それでも、信じてもらうしかないですね」
「ほぉーん。なるほどなるほど、ああ、まあなぁ~……」
石波は心底納得がいっていないような表情で、短く頷きを繰り返した。
「ちょっといい?」
続いて大野碧が立ち上がる。
「魔女を殺した犯人もそうだけど、放火の方も気になるんよ。さっきの吉沢……じゃなかった、貴一と片腕おじさんの会話をかいつまんで話すと―――――」
「だ、誰が片腕おじさんだ! あれは立派なマジックだ! お前たちもまんまと騙されてただろ!」
頬をさする中年男性が顔を真っ赤にして叫ぶ。
しかし大野碧は気にせず続けた。
「この旅行の参加者じゃない、見たことのない女性がこの大広間に現れて暖炉に火を点けた。その女性はすぐにその場を離れて部屋を出て行った。火は最初小さなものだったけど、突然、暖炉全体を焦がすほど勢いを増した。そこからサクラの皆さんは意識がなくなったんよね?」
「まあ、そういうことやな。黒い煙が一気に迫って来たもんでビックリしたんや。外に出よう思ても鍵が閉められとったみたいやでな」
石波が答えて、他のサクラも頷く。
「その女性に心当たりは?」
「ないな。それこそ髪の長い女やったけどな」
「この旅行のキャストってことはない? 例えば、裏方とか」
「俺ら以外にはおらん。白居の奴にも他にそんなキャストがおるなんて聞いてないわ」
「そういえば、白居さんは? 彼女はこの旅行の企画者なんよね?」
「それが……、白居の姿が見つからんのや」
「見つからない?」
大野碧が眉根をひそめる。
「そうや。最初からこの洋館で待機しとるはずやったんやけどな。どこにもおらん」
「その髪の長い女性が白居さんって可能性は?」
「アホ言え。そんなんすぐ分かるわ」
「そう……」
ここにいる全員が出発前に私の姉、白居美佳の顔を見ている。仮にサクラが口裏を合わせるにしてもあまりに馬鹿げた虚言だ。
「じゃあ、その知らない女性が、魔女を殺して、この部屋に火を放った可能性が高いということ?」
「まあ、まとめるとそうなるやろな」
「アナタたちはその女性の顔を見たんよね? 特徴は?」
「っち……、あ~…、まあ、こう言うんはアレやけどな」
石波は眉間のしわをつまんで「ううむ」と唸る。
「どうしたんよ?」
見ると、サクラの様子もどこか落ち着きがなくてそわそわとしていた。
「風貌がな、似とったんや」
「似てる? 誰に?」
「魔女にな……、なんとなく似とったんや」
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