#62 Correspondent

「え? 文乃、いま何て言った?」

「あなたのココロ丸見えですって、ほら、私が昔、紀平くんのお別れ会でやったあのギャグ」

「あれが伊谷さんのロベールナントカと何の関係があるの?」


 私は伊谷さんの方を見た。

 彼は恥ずかしそうに顔を伏せていた。


「ロベール信也ってなんか聞いたことあると思ったら、十年前くらいに流行ってたタレントのギャグだ。虹色の派手なシルクハットを被って、ステッキを振り回してたあの人。心理マジックが得意で、"あなたのココロ丸見えです" がキメ台詞の、あのマジシャンの名前だよ。そうだ、やっと思い出せた」


 バスの中で清川と話していた、答えの出なかった問いがようやく解決した。私の言っていたカタカナ四文字に漢字二文字というのは見事に合っていたわけだ。


「それじゃあ、あの変なギャグをやってたのが、伊谷さんってこと?」

「ってことじゃない……?」


 私たちは顔を合わせ、そして伊谷さんを見る。


「……二人の言う通りだよ」


 ポツリと呟いた。


「"あなたのココロ丸見えです"、アレは私が考えた渾身のギャグさ。やっぱりお茶の間に受け入れられるには、まず分かりやすい特徴が必要だと思ったから。他所じゃ絶対被っていけないようなシルクハットを被って、とにかく目立とうと思ったんだ。当時の私は全く売れないマジシャンだった。だから生活のためにお金が必要だと思って、テクニックを磨くことより、キャラを作ることを優先した。その目論見が功を奏して、私の名前は広まり、テレビ出演や営業がどんどん舞い込んできた。そりゃあ、その時は嬉しかったね」


 彼の目が遠くを見つめた。


「でも、そんな生活は二年と保たなくて、私は早々に仕事を辞めてしまったんだ」

「どうして辞めたんですか?」

「問題の原因はいつも複雑に絡み合うものだけど、私の場合、その原因は明らかだった」


 伊谷さんは寂しそうに微笑んだ。


「才能がなかったんだ」

「才能?」

「マジックの才能がね……、なかったんだ。見ての通り小心者で、客の前に立つと緊張で手が震えた。大事なプロセスはいつも、アガって忘れてしまった。それなのに、技術を磨く前に売れたものだから、怠けて練習もやめてしまった。そんな調子だから、同じマジックを繰り返し披露するうち次第に客に飽きられてしまった。引退する直前、当時のマネージャーが手向けの言葉ついでに教えてくれたんだけど、それまで私はそんな大事なことに気づかず、ただピエロのようにマジシャンを演じ続けていた。すごくショックだったよ」


 バスの中で千紗が自分の夢の話をした時、伊谷さんはぎこちない笑みを浮かべた。芸能界が華やかな舞台と信じて疑わない千紗に対し、夢を壊すまいと精一杯の同調をした。あれは彼の優しさだったんだ。誰よりも芸能界の厳しさを知っていながら、それを口にしなかった。立場は違えど、千紗がどこかで挫折することは想像に難くない。千紗でなくとも世間一般の新入社員を見ていればそのことはよく分かる。業界の先輩として、厳しい言葉を掛けることもできたと思う。でも伊谷さんはそれをしなかった。千紗の輝く瞳に手を覆いかぶせようとはしなかった。


「でも、同時にスッキリしたんだ」

「スッキリ?」


 私は首を傾げた。


「ああ、私の居場所はココじゃないって思っていたんだ。芸能界は、いや、マジック界は私のような人間がいるべきじゃないって、ずっと考えてた。才能が無いことも分かっていた。それでも長年続けて来れたのは、長年続けていたという自負があったからだ。経験年数がある、という一本槍だけで戦っていたんだ。そういうプライドだけがあったんだ。だからマジシャンを辞めた時に、そういうしがらみから解放されてスッキリした」


 そうか、だから千紗に―――――。

 伊谷さんは私の考えを読み取ったのか、千紗に向かって一言言った。


「藤森さんは私とは違う。無知は弱さじゃない、無知は "死角" なんだ。自分の知らない自分がそこに隠れているだけなんだ。ひとたび光が当たれば、更なるステップアップに繋がる伸びしろに繋がるんだよ」


 そして、柔らかい笑みを浮かべる。


「頑張りなさい」


 千紗は私の顔を窺いながら小さく頷いた。どうやら彼の言いたいことが全て伝わっているわけではないらしかった。それでも彼にその意味を問い質さないのは野暮だと思ったのだろう。彼女にしては気が利いていると思った。


 私たちはそれから部屋を出て一階の別の部屋を探して回った。客間を除けば、一階にあるのは給仕室、厨房、食堂、応接間。そして鍵の掛かった警備室だけだった。全ての部屋を見終わったが、衛星電話やAEDは遂に見つからなかった。それだけではない、もっと重要な事にも私たちは気づき始めていた。


「この館、人がいないネ」


 千紗の一言に私たちはハッとした。ここが宿泊施設というなら、従業員の一人や二人はいるべきだろうし、これだけの人数の食事を用意するためには給仕員も必要である。さらに言うならこの建物を管理するための館主だっているはずだ。見たところ電気やガスは通っているから、発電機やプロパンガスなどのインフラ管理のために多少の人員は要るに違いない。しかし、この館にはどこにもそういう人間がいなかった。


「これ、見てください」


 厨房の奥の方から伊谷さんの声がした。

 見ると冷蔵庫を開けて中を訝しんで見ていた。


「冷蔵庫の中身が空っぽです」


 業務用の大型冷蔵庫は買ったばかりのように光沢を放っていて、使用された形跡は見当たらなかった。いちおうコンセントは挿さっていたようだが、庫内から冷えたアルミの匂いがするだけで、本来の役目を全く果たしていなかった。


 心の中にじわりじわりと不安が滲み出してくる。旅人を宿泊させる気のない、山奥の洋館。それだけで私たちの不安を煽るには十分すぎた。こんな時代に、一日二日山間の建物に取り残されたといってもう助からないと悲観するつもりはない。ただ、外部に連絡も取れず、乗ってきたバスの姿が見えない以上、死への片道切符であることは間違いなかった。それに、二階ではすでに人ひとりが殺害されているのだ。私たちの焦りは次第に目に見えてきていた。


「ねえ、伊谷さん。私たち家に帰れるのカナ」


 私たち四人は列になって廊下を歩いていた。

 

「藤森さん? それは、どういう意味だい」

「え……と、ただフツーにそう思っただけなんだけど」


 千紗の気持ちはよく分かる。この場にいる全員がそう案じていたに違いない。


「少なくともココで一夜を過ごすことになるから、明日の朝には帰れると思うよ」

「それって元々の旅程と一緒ジャン」


 先頭を歩く伊谷さんが振り向き様に苦笑しているのが見えた。


 その時だった。不意に背後から声がした。


「―――――から言ったんよ! こんな胡散臭い企画に参加するのやめよって」

「今更それ言うのやめろって。編集長が推してんだからこうするしかなかっただろ?」

「北欧の楽園巡りで特集組むぞって息巻いてたのに、なんで諦めたりするんよ」

「それは、しょうがねえだろ。どう考えてもコッチの企画の方がインパクトがあるし―――――」


 二人の男女と目が合う。話に夢中になっていた二人は目の前に来てようやく私たちの存在に気が付いた。女性の方が一瞬、何かを繕おうとして笑みを浮かべたが、すぐにその考えを諦めたようだ。静かな廊下にまだ自分たちの声が反響している。そのことに気が付いて、気まずそうに口をつぐんだ。


「ミドリさん、それに貴一さん」


 まず私が口を開くと、大野夫婦は互いに視線を寄せてまた私を見た。


「ハ、ハロー」


 ミドリさんがぎこちなく手を振る。


「ミドリさんたちもAEDを?」

「いや、私たちは衛星電話を探してたんよ」

「見つかりましたか?」

「それが全然見つからんのよ。そっちは?」

「ダメです。一階の部屋は客間以外全部見てきましたが、どこにもないです」

「そっか……」


 ミドリさんは演技臭く肩を落とした。


「もう無理かもな」


 その時、夫の貴一さんが軽い調子で言った。

 私たちは突然の一言に、恐る恐るその表情を伺う。冷徹な瞳が虚空を捉えている。ゾッとした。何が"無理"なのか、それは誰の頭にも思い浮かんでいたからだ。しかし、彼の口ぶりを聞くに、単に思慮に欠ける言葉のようには思えなかった。


「ちょっと貴一……! 無理ってどういうこと?」


 ミドリさんは怒っていた。


「うん? 魔女の命がだよ」

「だったら口を慎みなさい。そういう言い方は常識に欠けるでしょう?」

「悪い悪い。言い方が悪かったのは謝る」

「アンタだって編集者の端くれなら、そういう言葉の重みってもんが分かるはず」

「だから、悪かったって」


 貴一さんが無精ひげをさすってヘラヘラと笑いながら、彼女を宥める。朝、会った時とは別人みたいだ。移動中も何度か目にしたが、今のような浅薄な印象は受けなかった。彼の中で、なにかが吹っ切れたようだった。ミドリさんにしても、最初に抱いた優しいイメージとは少し違う。そして何より、仲良さそうに手を組んで歩いていた彼らの様子がいまはまるで違う。互いの余所余所しい反応は、一生添い遂げることを誓った関係には見えなかった。


「あの……、お二人ってご夫婦なんですよね?」


 私が尋ねると、二人は顔を見合わせた。

 千紗が私の肩を勢いよく掴む。


「ちょっと! 文乃、なに失礼なこと聞いてんの?」

「え……、あ、いや、ごめん」


 私は自分の言動の方がよほど慎むべきだと自戒する。

 しかし、ミドリさんが微笑むのを見て杞憂だったと知る。そして同時に自分の考えが合っていたことも知った。


「騙すつもりじゃなかったんだけど」


 彼女はそう前置きした。


「私たち、旅行雑誌 "ボア"の編集部から来た特派員なんよ 」

 








 



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