#51 Prove
母子は音もなく消えた。残されたバケットハットが、二人が消えた現実をじわじわと浮き彫りにしていく。二人の近くに座っていた参加者は、目の当たりにした一部始終に絶句し、言葉を失っている。目を疑いたくなるような出来事に、私も息を飲む。
「消えたの……?」
私の気持ちが揺らめく。足元も落ち着かない、揺れる車内。空を飛んでいることなどすっかり忘れていた私は慌てて前の座席の背もたれを掴む。バランスを失いかけ、ばたたと足踏みをすると、誰かの手が背中を支える。
「おい、危ねぇぞ」
清川が私の腰を手で支える。
「ありがとうございます」
「とりあえず座れ」
「はい……」
彼に促され、私は無言のまま腰を下ろす。
「あの……、二人はどこに消えたのですか?」
最前列に座っていた男性の声が魔女に問い掛ける。
「ふん、心配しなくていい」
魔女は鼻で笑い、ローブの裾を
「あの親子は次の休憩場所まで移動させただけだよ。
「空間移動……? そんなこと、できるはずがない」
「できるはずがない? アンタそれ誰に向かって言ってんだい、世紀の大魔女チェリーケ様だよ。私にかかれば、願えば叶わないことなんてないのさ」
「どういうトリックを使ったんだ? さあ言ってみろ!」
「は?」
「私はこの目で見たんだ!」
男性はそう言うと立ち上がり、私たちに振り向く。
黒縁眼鏡をかけた頭皮の薄い中年男性、初めて見た彼の顔は引きつっていた。
「私は隣の席だから……、さっきの親子が消えるところを間近で見た。写真を一枚捲ったみたいに、瞬きをした瞬間、二人の姿が消えた。皆さんの位置からはよく見えなかったと思うし、信じられないかもしれないが、本当に消えたんだ……!」
男性は必死な顔で私たちに訴えかける。
「あなたも見てましたよね? 二人が消えるところ」
男性は横に座っていた別の参加者に迫る。
戸惑っているのか、ややあって「はい……」と弱い返事が聞こえてくる。
「そこのあなたも! あなたも! その位置からでもよく見えましたよね!?」
後部座席の客を次々に指差していく。指を差された客は驚きつつも、みなそれぞれ「消えた」と口にする。
「これだけの人間が見てるんだぞ。どんなトリックを使ったら、そんなことが可能だと言うんだ」
「だからトリックじゃないと言っているだろう―――――魔法だよ」
「魔法だ……って、信じられるか!」
「アンタ一体何が言いたいんだい? どいつもこいつもあの親子が消えるところを見たって言ってるじゃないか。アンタ自身も見たんだろう。それならアンタの口で説明してみせな! 信じられないなら、証明してみせるんだよ」
「それは……、だから、その……」
「なんだって? 聞こえないよ」
「なにかトリックが……、どこかにあって……」
男性は手汗をシャツの裾で拭いながら、落とし物を探すように周囲を見回す。
しかし、その動きがピタリと止まる。何か異変に気が付いたようだ。
「おい―――――、どこ行った?」
私たちの頭上に疑問符が浮かび上がる。
「消えてるんだよ!!」
男性が右腕を掴んで叫ぶ。見ると腕の先にあるはずのモノが無くなっている。
「―――――私の右手が!」
女性らしき誰かの悲鳴が車内に響き渡る。
魔女が、知らぬ間に掲げていた杖を降ろして、喉を鳴らして笑う。
「アンタだって消そうと思えばこの場で消せるんだよ。ほら、自分の身に起きたことを説明してみな。コレが何かのインチキだって証明するんだろう?」
「い、いい! もういいから、元に戻してくれ! 私はこのバスを降りるつもりはない!」
「証明はどうすんだい。他の連中だって聞きたがってるはずさ。アンタと同じように魔法を信じてない不届きな連中がいればの話だけどねえ」
「分かった分かったから! 証明なんてしない! それよりこの気味の悪い腕を何とかしてくれ!」
「違うねえ。しない、じゃないだろう」
脂汗を滲ませる男性は、魔女の蛇のような眼光に、唇を震わせる。
荒くなった呼吸に乗せて、叫ぶ。
「できない! こんなの証明できるわけがない!」
周囲の好奇な視線に気づいた男性が、今度は私たちに向かって牙を向く。
「私の手が消えてるんだぞ! 手だけじゃない! さっきからどんどん侵食してくるんだ! もう肩口まで来てる!」
彼のチェック柄シャツの袖がへなりと垂れる。
「おいぃ!!止めてくれ!!」
男性の声が、恐怖で裏返る。そのまま片方の腕で魔女に詰め寄り、彼女の肩に掴みかかる。魔女は舌打ちをして杖の先を彼の胸に突き刺す。彼はその勢いに押し負け通路に倒れ込み、苦しそうにえずく。
皆が心配そうに見つめる中、男性は両手をついて起き上がる。
「あぁ……、良かった、戻ってる……」
「分かったかい? 証明できないんなら、魔法なんだろう。アンタたちに出来ないことの全てが、『魔法』なのさ」
「あ、ああ、よく……分かったよ……」
落ち着きを取り戻した男性は、周囲の視線を避けるように、肩を小さく折りたたんで席に戻っていく。杖をついて仁王立ちする魔女の前を通り、大人しく席に着いた。頭を垂れて肩を落とし小さくまとまる男性と対照的に、魔女がとてつもなく大きな怪物に見えてくる。
幕の向こうに消える魔女。
残された私たちの間に神妙な空気が流れる。
「どう思う?」
魔女が姿を消した静かな車内で清川が呟く。
その視線はじっと前を向いているが、きっと私に向けられた言葉なのだろう。
「さっきの消えた親子ですか?」
「ああ。それとおっさんの右腕もだな」
「魔法……で消したんですかね」
曖昧な返事を返す。立場を明らかにする発言はしない。私はまだ清川すらも信じていないからだ。
「お前その感じやめろ」
私はわざとらしく小首を傾げてみせる。
「もう分かってんだよ。おめぇどうせ信じてねんだろ」
「なんのことですか?」
「魔法だよ!」
「あまり大きな声を出さないでください。他の人に聞こえたらどうするんですか」
「なんとなくこの異様な状況に気づいてんじゃねえのか。おめぇ大学生なんだろ? 頭イイんだろうが。この俺でも分かってんだからよ、もう隠す必要ねえんじゃねえのか」
私は口を尖らせる。しかし、清川は語り口を止めない。
「いまここには三種類の人間がいる。『純粋に魔法を信じてる奴』、『魔法は信じてないが、旅行を楽しむために信じようとしている奴』、そして『はなっから魔法を信じていない奴』だ。俺の見立てが正しければ、信じてる奴が二割、信じようとしている奴が七割……、信じてない奴は一割だ」
一割……? この旅行に参加しているのは全体で二十人ほどだ。ということはつまり……?
「さっきのおっさんが抜けたからな。俺とお前の二人だけだ」
二人だけだ、二人だけだ、二人だけだ―――――。
「随分、
二人だけだ、二人だけだ、二人だけだ―――――。
「それに、勝手に私が貴方の側にカウントされてるのも
二人だけだ、二人だけだ、二人だけだ―――――。
「そもそも、この旅行をそんな
二人だけだ、二人だけだ、二人だけだ―――――。
「私を巻き込まないでください。私はただこの旅行を楽しみに来ただけです」
俺と、お前の、二人だけだ。
……ああ、ダメだ。彼の口から出たその響きが私の心を掴んで離さない。どうしてこんな感情が湧き上がってくるんだろう。私は、鉄の女、そう呼ばれていたはずなのに。その名に甘んじてきた。その名で呼ばれて迷惑している自分を周囲に演じながら、『鉄の女』を隠れ蓑に異性に興味がないフリをしてきたのに。メッキが剥がれたのは彼じゃない、私の方だ。
「いや、お前は魔法を信じてない。俺には分かる。なぜなら、俺は人のココロが読めるからだ」
彼はそう言うと親指と人差し指で輪っかを作り、それを目元に持っていく。
「貴方のココロ丸見えデス!ってな」
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