#39 Charmer

「―――皆さんお揃いですね」


 職員証を下げた女性が車内をひと往復して名簿にチェックマークを打つと、振り返ってそう言った。

 白居というこの女性、マジカル・ジャーニーの企画者と言ったが添乗員ガイドという訳ではなさそうだ。そもそも企画者がツアーに参加するということはあるのだろうか。通常のツアーなら考えにくいが、これは旅行会社が試験的に行うモニターツアーだ。企画した人間ならその目で事の成り行きを見てみたいと思うのは当然のことかもしれない。


「それでは……、長らくお待たせいたしました。魔法使いになれる旅、マジカル・ジャーニーにようこそ。改めまして、私、イー・トラベル企画部の白居と申します。どうぞよろしくお願いします」


 参加者から拍手が起こる。


「お時間が限られておりますので、手短に私からご出発に先立ちまして挨拶をさせていただきます」


 そう言うと手板を脇に置き、大きく息を吸い込んだ。


「この企画の実現は、私の夢でした。魔法使いになりたい、魔法使いに会いたい、それが幼い少女の頃から思い描いてきた、バカな大人の夢物語でした。お集りの皆様の中にも、なんと幼稚で馬鹿げた夢だと思う方もいらっしゃるでしょう。しかしこの旅行を企画しながら、夢が現実としてカタチになっていくのを私はこの目で見てきました。大人になっても消えない夢があることを、そしてそれはいつか時間がかかっても実現できることを、今回の旅で証明できると思います。どうか皆様も、この旅を通してご自身の夢が叶う感動を実感していただきたいと思います。それでは、良い旅を―――――」


 白居は深くお辞儀をし、車内をまばらな拍手が間を埋める。

 その様子を一瞥することなく、彼女は黙ってバスを降りていった。営業スマイルも、説明文句もない。まるでこの空間がすでに現世の者が居座る空間ではないと言うように、黙ってその場を去っていった。


 その姿が消えると同時に、照明が落ちる。わぁっと短い悲鳴が上がり、参加者にどよめきが走る。


 コツコツと階段を歩いてくる足音。前列だけ照明が点いて、のれん幕のカーテンが真ん中で切れると、その足音の主が姿を現した。



「何だい、やけに騒がしいね」


 

 モスグリーン色をしたローブに、中折れした三角帽子。毛先がカールした、綺麗な栗毛の長い髪。暗闇の中でも輝く柔白い肌に、瞳が紅く映える。そしてその存在を象徴するかのような、長い柄の杖。

 妖艶な声をした彼女は、そのまま通路を歩いてこっちに向かってやってくる。参加者ひとりひとりの顔をじっくり舐めて見る。その瞳を見ていると全てが吸い込まれそうだ。彼女が傍を通り過ぎる際、窓側の私にも艶美な匂いが漂ってきた。女性のフェロモンというのを一身に纏ったような、艶のあるその体はまるでメルヘンの世界から出てきたように現実味がない。


「ははあ、分かったよ。アンタらが『魔法使い』になりたいとか言うバカな連中だね」


 最前列まで歩いて戻った彼女は、そう言って杖を頭上の照明に掲げる。照明がチカチカと瞬く。同時に彼女の杖の先が、ぼうっと灯のように優しい光を発する。それを奥の座席に向かって振りかざすと、車内灯が後方から順に点灯していく。

 

 ワッと歓声があがる。


「文乃、いまの見た!?」


 千紗が目を丸くしながら私の手を取り大げさに振る。

 しかし、杖を振った女性は色めきだつ私たちを冷たく見下ろし言葉を続けた。


「静かにしなっ!これだから魔法も使えない人間どもは嫌いなんだよ。いいかい? アタシは『魔女』だ。これくらいのこと出来て当たり前なんだ。お前たち人間どもが、スイッチひとつ押すのと一緒のことさ。アンタたちの場合は、キカイ、とやらがないと何もできないみたいだがね。可愛そうな連中さ」


 杖でトントンと強く床を叩く。


「だが安心しな。今日はこの……世紀の大魔女チェリーケ様がアンタたち愚かな人間の為に魔法を教えようってんだ。有難く思うんだよ」


 魔女はローブを大きく翻すと、幕の外から籐の籠を持ってやってきた。


「今からアンタたちに魔法の杖を配っていく。受け取りな」


 籠の中には指揮棒ほどの長さの木製のが入っていた。魔女がそれを配るごとに前列の方から嬌声きょうせいが上がる。期待に心躍らせていると、ようやく千紗と私の番になった。魔女の差し出す杖を受け取る。

 なるほど、これには参加者も喜ぶはずだ。そのはなんとアドレー・ホプキンに登場する魔法使いたちが使っているモノにそっくりなのだ。あの作品に親しんでいた者なら、魔法使いの杖と言うのはこういう杖のことを指す。老人が持つ補助杖でもなく、紳士の持つステッキのようなものでもなく、魔女の持っている持ち手が螺旋を描く杖でもなく、指揮者の指揮棒のようなこの杖が『魔法使いの杖』なのだ。


「文乃、文乃っ!これアドレーが使ってたやつだヨ!」


 無邪気な子供のようにはしゃぐ千紗。

 私は薄らと存在は知っているだけで、実際を見ていないので嬉しさ半減だが、それでもこうして手にしてみるとワクワクする気持ちも分かる。


「全員、手に渡ったね。それじゃ魔法のマの字も知らないアンタらに説明するよ―――――魔法ってのはね、好きな時に好きなだけ扱える代物じゃないのさ。必ず魔法には『魔力』が必要になる。魔力は様々な方法で補充ができるけどね……、生憎あいにく人間界では実現できない方法ばかりだ。だが安心しな。このチェリーケ様は自由に魔力の生成が行える」


 彼女の杖の先が白く淡い光を放つ。


「そしてその都度、コレをアンタたちに分け与える」


 そう言うと手近にいた男性に向かって杖をかざした。「おっ!」という声があって、魔女はそれを頭上に掲げるよう指示をした。座席から男らしき腕が伸びる。手に持つ杖の先が光っている。


「アンタそれ振ってみな」


 男は言われるがまま、腕を上げながら手首をスナップさせた。頭上の照明からパチンと火花が飛んで、明かりが消えた。


「どうだい、それが魔法だよ。でも素人が扱うにはあまりに危険だからね。アンタらには適量の魔力しか与えない。杖の先に光が灯っている間しか、魔法は使えないから覚えておくんだよ」


 見ると男の杖の光は消えていた。

 私は自分の杖の先をじっと見つめて、あの男性の杖のように淡い光が灯るところを想像する。さっき照明を消した男性はまるで魔法を使ったみたいだった。いや、あれは。私にも早く光を、早くを与えてくれないか。気持ちがソワソワと落ち着かない。私は早くもその時が来るのを楽しみにしていた。


「そこのアンタ」


 魔女が杖を振ると後ろの座席でひゃっ、と女性の驚く声がした。

 今の声は聞き覚えがある。


「え~!? わたし? ホントに!? 貴一やったよ!私の番だって!」


 碧が楽しそうに隣に座る貴一の肩を揺らす。


「生憎だが、この『ばす』という乗り物が壊れてしまったらしい。明かりは点くが、動けないらしいんだ。まったく愚かな人間の作るモノはまるで役に立たないね。悪いけど、目的地まで動かしてくれるかい?」

「え?!私が?」

「今アンタにそれだけの魔力を送った。好きなように杖を振るといいよ」

「ハイ、分かりました!」


 碧さんノリノリだなあ……。貴一さんの苦笑いが見ずとも想像できる。


「いきます!」


 碧さんは意気込んで杖を掲げる。


「マジカルマジカル……、マジカルビーツ!バスよ動けっ!」


 周囲に浮かび上がった疑問符と、バスが駆動するエンジン音は同時だった。碧さんの掛け声になんと反応すればいいのか、皆がそう反応に困った瞬間、ガクンと車体が大きく揺れ―――その揺れは通常の揺れと比にならないほど大きく、シートベルトを着用していなければ前に投げ出されそうな勢いであった―――私たちの関心は全てバスの方に向いた。

 何事もなかったかのようにバスは動きだし、体にゆっくりと重力を感じていく。カーテンで仕切られ外の様子は分からないので正しくは、動き出したようだった。 


「フンっ、人間というのはよく分からないことを唱えるもんだねえ。いいだろう、好きに振りなと言ったのはアタシだ。稚拙なやり方でも魔法が扱えるよう、十分に魔力を補充してある。好きにするといいよ」


 魔女はそこで初めて笑みを零した。しかしその表情はすぐに冷めたものに変わる。


「それじゃあ、向かうよ。魔女の館に―――――」









 

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