Thatcher / 佐々 文乃

#35 Meeting Place

 バスロータリーに併設された円形状の広場、テトリスみたいなモニュメントの前で、荷物を背負った参加者たちが一塊になっている。『イー・トラベル』の青い手旗がはためくと、集団の視線がその先に集まった。


「本日は弊社企画のモニターツアー『マジカル・ジャーニー』にご参加いただきありがとうございます。私、今回皆様のご旅行を企画させていただきました、イー・トラベル企画部の白居と申します。どうぞよろしくお願いします」


 イー・トラベルの職員証を首から下げた女性が会釈をすると、私たち参加者も合わせて頭を下げる。


「皆様にはすでにお配りの旅程表のとおり―――あ、後ろにいらっしゃる方、聞こえますか?大丈夫ですか?はい、では続けます。お配りの旅程表にある通り、これからやってくるバスに乗っていただき、目的地へと向かいます。座席表は旅程表の次の頁に記載しております」


 自宅に郵送で届けられていた冊子は予め内容を確認していたので、適当なページを捲ると、ものの数秒でその座席表とやらは見つけることが出来た。隣で白い息を吐く千紗がなかなか見つけられずにいたので、私は無言で自分の旅程冊子を突き出す。彼女はニカッと笑って「あんがと」と小さく礼を言う。


「バスに乗って四時間程移動していただきます。途中二回のトイレ休憩を挟みますが、ここで気を付けていただきたいことがあります」


 旅行会社の女性ガイドが人差し指を立てると、参加者たちの顔が一斉に上がる。


「今回のご旅行、目的地は到着するまでお知らせしないこととなっております。皆さんもご存じミステリーツアーという形を採らせていただいております。そこで、道の駅やSAサービスエリア等で降りてしまいますと、目的地が推測できてしまいますので、このたび当方で選ばせていただいた休憩地は公園の公衆トイレのみとさせていただいております。そのため、途中でお飲み物等は買うことができませんのでその点ご了承ください」


 目の前に立っていた若い男性がしきりにボストンバッグの中を漁り始める。どうやら移動中は飲み物を買えないと聞いて、手持ちを確認しようとしたらしい。

 私は心配になって千紗ちさに目配せをすると、彼女は力強くグッドサインをした。この子はこういう準備を怠らない子だ。遠足の時は自分の分だけでなく、班の友人の分まで余分に準備をしてくる。駄菓子屋をしているお祖母ちゃんがたくさん譲ってくれるからと言って、クラスメートに恵み与える姿は今も記憶に新しい。子供にとってお菓子は、使い道を知らないお金以上に貴重なものだ。それが湯水のごとく溢れてくる彼女のリュックサックは、千両箱のように映った。そしてそれを所有している彼女は億万長者。私を含めて、皆が羨むのも当然だったろう。

 千紗はビートボーイズの黒いリュックサックからペットボトルを二本取り出し「いる?」と言うように口を動かした。私は首を短く横に振って「大丈夫」と口をパクパクさせる。


「バスが到着するまでしばしお時間があります。道路を挟んで向かい側にコンビニがございますので、御用の方はそちらでお買い求めください」


 そう言うとガイドは時計をちらりと見やって、ポケットからスマホを取り出すと誰かと通話を始めた。その様子を見届けた参加者たちはひとりひとりと、自由に雑談を始めた。

 

「ヤベ……」

「どうしたの?」

「わりぃミドリ。オレ昨日買ったお茶、冷蔵庫に入れっぱだ」

「ええ?だからあれだけ言ったじゃない。お金持ってる? 私買ってこようか?」

「いい、いい。大丈夫。ちょっと行ってくるわ」


 さっき目の前でボストンバッグを探っていた男性だ。爽やかなツーブロックヘアーに、メタルフレームの眼鏡がデキる男を演出している。年齢は二十代、いや三十代といったところか。一緒にいる女性は『ミドリ』と呼ばれていたが、左手薬指の指輪を見る限り、奥さんだろうか。年相応に落ち着いた色のブラウンヘアーだが、髪質が少々痛んでいるところを見ると、昔はやんちゃをしていたのかもしれない。


文乃ふみの、準備はオッケー?」


 千紗が私の肩を叩く。


「千紗こそ心の準備は出来てる?」

「おっ、そう返してきたか。私はネ、この日のために文乃の言ってた映画をちゃんと予習してきたんだから。どんなことが起きても驚かない自信があるヨ。心の準備はバッチリ」

「映画?」

「なに文乃、忘れたの? こないだ私に紹介してくれたジャン」


 私と千紗はよく自分の好きな映画やドラマについて語り合う。それは小さいころからやっている暇つぶしで、定期的にテーマを設けては、お互いがそのテーマに沿ったエンターテイメント作品を持ち寄る。たとえば先週のテーマは『パッケージからは想像ができない展開が待っていそうな作品』だった。この『待っていそうな』というのがミソで、実際に度肝を抜くような展開があってもなくてもどちらでもいい。その作品の第一印象を決めるパッケージに、そのようなメッセージ性があればいいのだ。その時は千紗が持ってきたフランス映画『君は初めからいなかった(邦題)』に軍配が上がった。その映画のパッケージを飾るのは主人公の恋人の堂々とした立ち姿なのだが、実はこの恋人、本編には一秒も出て来ないのだ。まったくタイトル通りとは恐れ入った。結局この日は千紗の方の作品が優れていたとして私の財布から150円(税込み)が消えた。

 高校を卒業した後、それぞれ別の道に進んでも相変わらず千紗との交友関係は続いていた。家が隣近所で親ぐるみの付き合いがあるのだから、必然と言えば必然だが、居てて居心地の良い友達というのはそう多くない。お互いにそう想い合っている節があるので、今日もこうして貴重な休日を共にしている。


「先月? 先月っていうと……、この旅行のために作ったテーマだっけ?」

「そう、『魔法使いが活躍する作品』。その時はサ、文乃の『アドレー・ホプキンと魔法の旅』が面白そう!ってなって全八部作を今日までに見ておくって話だったジャン」

「そう言えば、そうだったね」

「ええ……、文乃が言い出したんジャーン。じゃなに?文乃見てないの?」

「ごめん、見てない」

「ふみのーん、しっかりして……ヨッ!」


 千紗は私の頬をつねると上下左右に引っ張る。私はわずかな罪悪感から抵抗もしなかった。


「へ?はほえーほふひん、ほーはっは?」


 頬をつねられたまま千紗に尋ねる。


「ッアハハ、変な喋り方」


 千紗が手を離す。寒空に冷やされた頬がつねられた部分だけ熱を帯びる。


「もっかい言って」

「だからアドレッ!……ほふひん、ほーはっは?」


 話している途中でまた頬をつねられた。腹を抱えて笑う千紗を、私はじっとりと睨む。


「ごめんごめん。何て言った?」

「アドレー・ホプキンどうだったって聞いたの」


 私は紅潮した頬をさする。冷えた指の腹の感触がはっきりと伝わってくる。


「うん、面白かったネ。私は好き。王道のファンタジーって言えばそうなんだけど、登場人物の心理描写がいちいちエグくて、気づかない間に作中人物に共感してるって感じ。さすが原作が全世界ベストセラーの化け物小説ってだけはあるネ」

「私たちが生まれる前の話だから、ベストセラーって言われてもあんまりピンとこないけどね。だって実際その作品もお母さんから聞いたものだし」

「安江ママが? あ、そう? あの超絶リアリストのママからそんな話を聞くなんて信じられない。安江ママ好きだったの?アドレー・ホプキン」


 安江ママというのは、私の母だ。なんだかバーのママさんみたいだから、その名で呼ばないでと千紗には口酸っぱく言っているのだが、最初に言い始めたのは千紗のお母さんなので、私も敢えてウルさくは言わないようにしている。


「好きって訳じゃないけど、昔そういう小説が流行ったよって紹介してくれただけ」

「へえ、なるほどネ。そう言えばウチのお母さんもアドレー・ホプキン知ってた。なんかその頃って似たような作品が日本で流行って、もう贋作だか二番煎じだか分かんないような作品が蔓延してたんだって。当時はそれぐらい『アドレーブーム』がスゴかったらしいネ」


 そんな名作を見逃してしまったとは……、しかも自分が紹介したのに一度も目を通していないというのが、また決まりが悪い。移動中にスマホで見れないかな。もうすぐデータ制限も来るから、あまり長時間は見れないかなあ。


「でもさ文乃、もう映画を見なくても私たちは実際に『魔法』を目にすることができるんでしょ?」


 千紗の眼は輝いていた。


「それにサ、見れるだけじゃなくて、実際に体験できるんだから」


 冊子の表表紙を捲ると『マジカル・ジャーニー』という題名が目に飛び込んでくる。そのすぐ下、キャッチコピーと思われる一文が目を引く。



―――――夢の続きを、ココで見よう。アナタが魔法使いになれる、世界で唯一の旅に。

 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る