第13章 忘却ノ町ニ散ル花弁-4
「何のつもりだ?」
未だ眩さで目が開けきれぬ世界で怒気を孕んだハルの声が響いた。徐々に光を取り戻した世界が、全てを映し出していく。冷ややかな声の先には、ハルの腕をしっかりと掴み息を切らしたルートヴィッヒの姿がある。
「術の邪魔をするとは……一歩間違えば術者もろとも消滅するぞ」
「い、いや~こんな規模の女神の救済なんて、初めて見たからびびっちゃって」
未だ拘束を解かないルートヴィッヒの手を払い、ハルはつぃと視線を流す。しかし視線の先に獣の姿はなく、そこには旅服に身を包む男が倒れていた。ピクリとも動かず生きているのかどうかも定かではない。
「誰……あ、爺さん!?」
その直ぐ近くでフェルディナンドが立ち上がれずに蹲っている。獣から攻撃をされたのだろうか……そう焦って駆け寄る元の手を取ると「済みません」とだけ小さく言葉を落とす。その表情は生気が失われ、今にでも気を失ってしまそうな程に憔悴しきっていた。しかし見たところ外傷は負っていないようだ。
「爺さん、済まない。私のせいだ。気が削がれて、爺さんの魔力をコントロール出来なくなってしまった」
言葉自体はいつものハルらしくぶっきら棒である。しかし幾分声に覇気がない。二人に一体何があったのか? 訝しむ元の視線には応えず、今にも崩れ落ちそうな背中に手を添えて「直ぐに楽になる」そんな言葉をハルが呟いた。
その間際だ。フェルディナンドを光の粒子が包み込むと、身体を蝕む痛みや込み上げる不快感が嘘のように引いていく。ようやくまともに息が出来るようになって、フェルディナンドは安堵の息を付いた。
「大気の鼓動」を放った後、獣の全容が定かになると、手を添えるハルの掌がピクリと動いた。その瞬間だ。身体を流れる魔力がまるで逆流したかのように暴走を始め、制御不可能な状態に陥ってしまった。
「浄化の作用がある魔法ですね。なる程、暴走した魔力はヒーシャの身体を蝕む……反対魔法の原則と通じる所があると。ヒーシャを浄化する魔法があるとは知りませんでした。
ハル殿、どうか気になさいませんよう。あれ程の形態だったのです。女性が苦手とされるのは当然ですよ。寧ろハル殿に苦手とされるものがあって、私(わたくし)、少し嬉しく思います」
ほほほと笑う言葉にプィと顔を背けると、ハルは「煩い」そう少しだけ不機嫌そうに声を落とした。火を吐く凶暴な獣を前にしても顔色一つ変えない女だ。よくよく見れば白い肌がほんのり赤みを帯びている。ポカンと見ていた元は思わず「ブハッ」そう吹き出していた。
「ぎゃはははははっ! 何、何、まさかと思うけどG? Gが怖いの? だからって四大奥義って、やり過ぎっしょ~? ……って、へ?」
いつものように冷ややかな視線で睨まれるか、無視されるかと踏んでいた中での発言だ。しかし意に反して、当のハルはみるみるの内に白い肌を紅く染めた。
「う、煩い。子供の頃から、あれだけは駄目なんだ。出たら母が……」
言葉に詰まる様子で、動揺している様がありありと見て取れる。一体これは誰なんだ……もう何もかもが意識から吹っ飛んで、元はただただその様子を瞳に映すしか出来ない。出会って何年も経つ間柄なのだ。なのに未だ見たことがない一面を不意に見せられて、意図せず心臓がキリリと鈍い音を立てる。
「そ、そんな事はどうでもいい」
気を取り直すように、ハルは一度大きく息を吸って、フェルディナンドを木陰まで導いた。ほっと息を付く表情を見届け、そのまま視線を草原に流す。向けられた視線を感じとったのだろう。ルートヴィッヒがピクリと意識をハルに合わせた。
「元、爺さんの傍から離れるなよ」
そう言葉にして、そのまま脇目も振らず未だ倒れたままの男に真っ直ぐ向かう。一気に間合いを詰め、顔を覆い隠す様な深いフードに手を掛けた。
「待って!」
「ルート?」
いつもの彼らしくない。声は上ずり、口元だけが不自然に引き上げられていて、瞳は男を凝視したままだ。
「ほら、だって、ほら、ねぇ? 危ないじゃないか。どこの誰かも分からないのに。そ、そう! 民だったら下手に手を出して騒がれても、ね?」
明らかに狼狽を含んだ声に皆の視線が集まると、バツが悪そうにフィと目線を逸らす。困惑と動揺……入り混じる感情を手に取るように感じながら、フードに手を掛けたままハルはその口を開いた。
「危ないかどうかはお前が一番分かっているんじゃないのか?」
「え?」
二人を取り巻くオーラがザワリと揺れた。
「お前、「こんな規模の女神の救済を」と言ったがいつ見た? 私が言うものなんだが、チャスリス海(三つ目の海)を越えた場所で見られる術(しろもの)ではない。どこで見たのか教えてくれ」
その言葉にいち早く反応したのは、他の誰でもない。フェルディナンドだった。言われてみればその通りで、「女神の救済」はヒーシャが会得する四大奥義の中でも存在が伝説と化している魔法だ。癒しを生業とするヒーシャが、戦士でも倒せない闇に属する獣を一瞬にして浄化させる術なのである。
ハルが会得している事は元から聞いたことはあったが、よもやこれ程の規模とは想定もしていなかった。同じ術者として目の当たりにすると、様々な葛藤を通り越し畏敬の念しか浮かんでこない。
『確かに……この土地でハル殿を超える術者など考えられません。それに何故ルート殿はハル殿の魔法を邪魔立てされるような真似を?』
そこまで思考が及ぶと、フェルディナンドは沸き起こる警戒心から思わず立ち上がり、杖を握り締めていた。
「ハル殿の魔法は結局、成し遂げられておりません。にも関わらず、獣の姿はどこにもなく、獣がいた場所に倒れているのは……」
キィィィィ……ン
「あ~感のいい奴らだなぁ。面白くないよ、それ」
ルートヴィッヒの手元に光を纏った銃が現れた。その銃口は真っ直ぐとフェルディナンドを捉えている。そこには一切の躊躇も困惑もない。銃口が次第に紅く光り輝き、エンダの力が集約されていく。驚いた元は思わず二人の間に立ち塞がっていた。
「ルート?? ちょ、冗談でも笑えねぇぞ」
それでも銃を下げる気配はない。焦りに大きな体を右往左往させる元の姿に、
「こんなに手間を掛けたのに。もう終わりなんて、そりゃないよな」
大袈裟にかぶりを振ったルートヴィッヒの声はやけに元の耳に響いた。
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