第12章 Rare stone-12

 リドルの未来のためにと自分に言い聞かせ、シルクはジプシーの輪の中に自ら赴いた。相変わらず歌って飲んで過ごす人間達。一言も口を開こうともしない妖精を目の前にしても、気にかける人間など一人もいない。ミランの膝の上で、相も変わらず警戒心から表情を硬くするシルクではあったが、異種との交流に胸を高鳴らせていた。


「シルクの髪って柔らかそうなのに実際は凄く固いんだねぇ」

 木の根元に寝ころんだまま、ミランは眠たげな瞳を細めてシルクの髪を撫でる。生い茂る木々の緑が陽の光に照らされて一層色濃く瞳に映ると、どこか気怠い午後はただただ穏やかだ。

「鉱石の精だからです」

「セイ?」

 うとうととする瞳を緩めて、ミランは不思議そうな表情を浮かべている。シルクは優しい指先を心地よく感じながら小さく頷いた。

「石に宿る精霊です。この世界で絶対的な強度を誇る「リドル」の精です」

「ふぅぅん~シルクって凄いんだねぇ」

 ニッコリと笑って腕を伸ばすと、シルクをそっと胸に手繰り寄せる。「リドル」に抱き合うなどという習性はない。覚醒時は地に立ち、大地の声に耳を澄ませて悠久な時間を過ごす。何故近くに引き寄せるのか……そう問うと「え~分かんない。好きだからギュッとしたくなっちゃうんだよ」そんな応えが返ってきた。

「でもこんな森の中で一人だなんて可哀想。ね、ミランと一緒に旅しよう? お腹がすく時とか寒い時とかあるけど、皆と一緒だったら寂しくないよ。父さんがシルクも一緒に来ていいって! ね、私もシルクと一緒がいい」

「え?」

 突然の申し出に自分でも驚くほどシルクの心臓が跳ねた。リドルはこの山で生まれて、命が尽きると山に還る。そうあるべきだと思うし、そう教え込まれてきたのだ。

『外の世界で暮らせる? ミランと一緒に?』

 何を馬鹿なことを……そう様々な想いを振り切るように頭を振った。

「……一人じゃないです。仲間が沢山いるから寂しくないです」

 他の精霊を見たことが無かったミランは、てっきり一人きりなのだと思い込んでいたのだ。そっか~そう少し寂しげにミランはキュッと強めに胸の中の存在を抱きしめた。

「よかった~。どこにいるの? 木の葉の間? 小さいから分からないのかな?」

「……人間が行けない……地下奥深い場所。……昼間は出てこないから見ることはないです」

「そっか~シルクと離れるのは嫌だけど、でも仲間と一緒なのがいいもんね」

 覇気のないシルクの声色に気づかず、安心からミランは落ちるようにすぅっと眠りについた。

『人間の体温ってどうしてこんなに温かいのですか?』

 優しく包み込む胸の中でシルクはゆっくりと体を捻ると、眩しい世界を瞼に映す。あまりにも眩しくて、細めた瞳から涙が一粒零れ落ちた。元来、地下深くで生きる種別ではないのだ。この涙はリドルの魂が落とさせるのだとシルクは確証した。

『リドルは外に出て生きていくべきなんです。だって世界はこんなにきれいなんです。私達だってこの世界に触れる権利位……』


 太陽が地に沈んだ頃、リドルの精達は地上に舞い降りると、月の光が指す中で静かに瞳を閉じる。白い肌や髪の先に光が落ちて世界を静かに照らした。もう生き物の息遣いすら聞こえてこないこの時間だけが、精霊達に許された唯一の自由だった。数にしておよそ百。繁栄を極めた時は千近く増えたという話も、今ではお伽噺だ。儚くも美しく闇夜に浮かび上がる光は、リドルの過去、そして未来そのもののように感じて、シルクはこの光景を見るのが嫌いだった。

 シルクは地下に戻り何食わぬ顔で皆と合流を果たすと、もう一度地上に上がった。頑なに戒めを守り続ける多くの仲間達の姿に一度チクリと胸を痛めて、佇む仲間に向かって一歩足を踏み出す。

「皆に聞いてもらいたいことがあるです」

「シルク?」

 訝しむセリーの隣で、リドルの長(おさ)が長い髪をサラリと揺らした。長い年月を精霊の姿で過ごし、もう数年もすれば鉱石となり土に還る。しかし見た目は若い姿のままだ。それでも精巧な顔立ちの中に浮かぶ憂いは、年月の長さを垣間見ることが出来た。

「幼き我が御宝よ。どうぞ言いなさい」

 向けられる威圧感に一瞬気持ちが怯んだ。間違っていない……そう何度も言い聞かせてきた。それなのにリドルの歴史を思うと、今更ながらに迷いが出てしまう。その時、皆の視線を一心に受けて言葉を失ったシルクの脳裏に、陽だまりの様なミランの笑顔が浮かぶ。

『間違っていないです。共存できる人間だって世界にはいるのです!』

「陽の光の中で生きていく道を見つけたです。皆に協力してもらいたいです」

 音を無くした森の静寂がザワリと揺れた。乱獲の歴史を辿ってきたリドルにとって、どれ程の意味を持つものか分からない者はいない。そしてその想いがどれ程危険なものなのかも、精霊達は幼いシルク以上に分かっていた。

「……人間と交わりを持ちましたね?」

「シルク、何てことを……!」

 セリーの悲痛な声が胸に響いて、シルクの小さな体が一度ビクリと揺れた。

「……自身をジプシーと名乗る人間達です。世界を旅していると言っていたです。この土地だから私達はその希少価値で狙われる、だったらこの土地を離れれば、何者にも怯えず生きていけるです! 私達はまた誇りと尊厳を見出し生きていけるです!!」

 必死に訴える声に賛同する声は上がらなかった。まるで果てしない年月を身に落とされるような沈黙が流れ襲う。一族の生き方を変えようというのだ。直ぐに賛同してもらえるとは思ってはない。しかし憤るわけでもなく、ただただ視線は物憂げに向けられたままだ。意気込んで臨んだ手前、途端に足元が覚束なくなって更にシルクは言葉を続けた。

「あのジプシー達は語られてきた人間達とは違う! 私達の価値に全く気が付いていないし……ううん、もし気付いても酷いことはしないです。本当に優しい人間達なんです! だから……」

 ハッと我に返った時には、後ろを取られ翼を根元から抑え込まれていた。こうなると空を飛ぶことも体に力を入れることも不可能だ。自由を奪われたシルクは、抑え込む仲間を悔しげに睨み付けた。

「人間に欺かれた愚かな御宝よ。我々が何故追われなければならなかったのか、今一度よく惟みるのです。先の乱獲から未だ百年の月日も経っていないのですよ。待ちなさい。人々の記憶から我々の存在が消し去られるまで」

 人間に関わってはならない……何度言われてきただろう。気の遠くなるほどの戒めは、楔となってリドルをこの地に縛り付けるのだ。

「分かっていないのは皆の方です! 私が誕生した以降、仲間は生まれていないです。このままでは乱獲前にリドルが滅んでしまう。その事実に目を背けて時間が経つのを地下で待つだけなんて、私には耐えられないです!」

 必死だった。ここで皆を説得出来なければ、もう二度と外に思いを馳せるなど赦されないだろう。そしてそれ以上に、あの少女に会えなくなることが嫌だった。ほぼ地面に這うように押え込まれた姿の前に立ち、長老は腕を伸ばしシルクの頭に手を添える。

「分かっています。だからこそ貴方を人間の手に落とさせる訳にはいかないのです。貴方は我々に残された最後の希望なのですから。新しいリドルを生み出せるのは齢三百歳までなのですよ。リドルの命を繋げるのはもう貴方しかいないのです」

 シルクはグッと言葉に詰まった。リドルの精霊は百歳を超えた辺りで、体内にリドルの精霊を宿すことが出来るようになる。しかし数が激減した頃から、生まれ出る精霊の数は減少の一途を辿った。皆の希望を一心に背負って生まれてきたのがシルクなのである。

「わ……私には」


「シルク~!!!」

 その時だ。ガザリと背丈の高い草むらが大きく動いたと思った時には、リドル達の何倍もある人間が飛び出し両手を広げシルクに向かって駆け寄ってきた。

「ミラン!? 何故貴方が……」

 この場所を教えたことはない。仲間を説得して連れて来る、そう約束してつい先ほど別れた筈だ。どうして……そう思う間もなく、次の瞬間にはシルクはミランの掌の中だった。混乱し思考が定まらない中、視線を仲間に向けると、乱獲の恐怖と困惑した表情をありありと浮かべている。

「ミラン」

「父さん!!」

 野太い声にミランが勢いよく振り返った先には、ジプシー達が次々と草むらから現れる姿があった。手元には網やらロープやら麻の袋が握られている。その姿をシルクはただただ茫然と見つめるしか出来ない。そのまま父親はミランの掌からシルクを受け取って、今までにない力で拘束すると腕を高く掲げた。

「いいか、シルクを助けたかったら大人しくしろ。逃げようなんて考えたら、こいつの命はないぜ!!」

 放たれた言葉の意味を瞬時に理解することが出来なかった。それなのに何度も何度も頭の中で繰り返されると、感情よりも先に涙が頬を伝う。

「……どうして……」

 か細く呟かれた声に、父親はペラリと唇を舌で舐めて口元を引き上げた。目元を下げて不器用に笑う姿はどこにもない。月の光の中でも異様なほどに輝きを増す瞳は、まるで異物を見るような目つきだ。こんな表情をする生き物がいることを、シルクは初めて知った。

「へへ、初めて見た時から金になりそうだなって思ってたんだよ。ちぃーと調べてみたらものすげぇ価値のある鉱石だっていうじゃねぇか。こりゃ一生遊んで暮らせるなってな。逃げられねぇかヒヤヒヤしたが、一緒に旅しようって言えば信用されっかなってさ、俺も中々の策士じゃねぇか?」

 そう仲間と一緒に大きく笑う姿に、シルクは自分が嵌められたことに初めて意識が向いた。動かない体を必死によじると、ミランの姿を探した。

「ミラン、ミラン助けて! このままじゃ仲間が!!」

 父親の太ももにしがみ付くミランの表情を見ることは叶わない。必死に訴えるシルクの声に、ミランの気配が動くのが分かった。

「大丈夫だよ~。シルクだけは助けてくれるって父さん約束してくれたもん。お金があれば、もう旅しなくていいし、ご馳走だっていっぱい食べられるって。もう寒くてひもじい思いをしなくていいんだ。それにね~ミランとシルクはずっと一緒に居られるんだ!」

 シルクの体から力が抜けた。もう何処にも力が入らなくて、窮地に追い込んでしまった仲間の姿を瞳に映すことしか出来ない。精霊達はにじり寄る人間達から逃げることもせず、ただただ静かに佇んでいる。


 長老が一歩前に踏み出した。

「シルクを助けて頂けるのは本当でしょうか?」

 ただならぬ存在感で直ぐに長であることを感じ取ったのだろう。父親は腰を落とすと、グッと長老に目前まで迫った。額に付くほどの距離になった時、

「あぁそれは約束するぜ。ミランがシルクだけは助けろって煩せぇからな。これだけの数だ。たった一つ位見逃してやらぁ」

 そう眉を上げてニヤリと笑う。こんな結末を望んでいたわけではない。シルクは小さく何度も首を振った。

「だ、駄目です。み、皆、逃げるです。何の為にずっと地下で生きて……。お願い、皆早く逃げ……」

 止まらない涙に視界が上手く定まらない。それでも瞳を見開き何度も「逃げて」と訴え続ける姿に、長老は一度頷きシルクを優しく見据えた。

「愛しいシルク。リドルの存続の為にと、幼い貴方には苦しい思いをさせてしまいましたね。どうか貴方にリドルの加護がありますように……」

 とてもよく通る声だった。

「長老、お願い止めて!! ごめんなさい、私が、私が間違ったから!!」

 どこまで声が届いたかは分からない。しかし長老の口が「いいのです」そう動いたのと同時だった。凛と伸びた体が一度だけ眩しく周囲を照らすと、もうそこに長老の姿はなかった。あるのは人間の掌サイズの鉱石だけだ。

「うひょ~!! すげ~これがリドルってか」

 ミランの父親は空に向かって鉱石を掲げ上げた。石は何処までも白く透き通り、月の光を反射し続けている。ただの石ではないことは一目瞭然で、静かな世界に生唾を飲む音が響いた。

「おら、こいつを助けたかったらこの姿になりな!! おっと逃げようなんて真似するなよ。石のお前らだって、水攻めにされたら死ぬってことは分かってんだからな~」

「や……やめて……せ、セリー、に、逃げて」

 言われるまでもなく微動だにしない精霊達は、宝だと育ててきたシルクを眩しそうに見ている。涙で霞む視界にセリーの微笑みが映った次の瞬間、世界が柔らかな優しい光に包まれた。

「止めて――――――――――――――――――――……!!!」

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