第12章 Rare stone
第12章 Rare stone-1
元とフェルディナンドは森の入口に立ち、世界の音に耳を傾けていた。奥深くから響く滝の轟きは、どこまでも深い森の空気を揺らす。怒涛の水量が吐き出され、滝壷に吸い込まれる様子が、この場所からも伺い知れた。
しかし元達の意識はただ一点、眼前の切り立つ岩壁に向けられたままだ。
「爺さん、来るぜ!」
「はい。ハル殿のお言葉通り、このルートで間違いがありませんでしたね」
「ほんと、無駄のねぇ選択する奴だよなぁ」
元は頷くと背中の大剣をスルリと抜き出した。剣に太陽の光が反射して、剥き出しの岩肌が細く光る。
グッと元が腰を落とした時である。射した光に被せるように、三本の鋭い爪が岩壁に食い込んだ。
「ティラノザウルス系、と」
岩壁の奥から現れたのは、十メートル級の大物である。額にある宝玉は、人間を糧とする生き物の証だ。強靭な顎と鋭く尖った牙を携え、毛のない黄土色の皮膚がやけに生々しい。
眼球は前面に向かって飛び出しており、芥子(からし)色を湛える瞳は、縦に入った黒い瞳孔に元達の姿を映し出す。瞳と同じ色を湛えた宝玉が、世界の頂点を象徴するように燦々と輝きを放った。
野太い両腕を地面に突き刺し、獣はグッと上体を前に突き出した。そのまま飛び出すのとほぼ同時、元も間髪入れず地面を蹴って駆け出す。低く腰を落としたままの姿勢で、獣の猛進する姿を捉えた時、野太い右脚に向かって水平に剣を振り切った。
「!」
その感触は空を切り、勢いで剣先が大きくしなる。元はそのまま体を捻った。付いた勢いをいなして自分の何倍もある姿を見上げる。そこには宝玉と同じ色を湛えた瞳で、冷やかに見下ろす獣の姿があった。
「……用心深い奴だな。咄嗟に身を退きやがった」
何度も狩りを経験し生き延びてきた獣は、エンダを攻略する度に進化を遂げ、世界に君臨し続けのだ。
「へっ、進化してんのはお前らだけじゃぁ無(ね)ぇんだって。……行くぞ!!」
言葉を発し終わらない内に、元の姿が残像として残る。瞳を見開いた獣は、次の瞬間左腕を大きく振り被った。その一撃は地面をえぐり、周辺に土石が飛び散る。しかしそこに元の姿はない。怒りから獣は雄叫びを上げた。
「速い!」
フェルディナンドの位置でさえ、元の姿を全て押さえることが出来ない。涎を垂れ流し怒りに震える獣の首もとに、元は一気に飛び出した。
「風凪」
そう呟いた刹那だ。技を繰り出そうとする自身の姿が獣の瞳孔に映された時、まるでエンダ相手に戦っているかのような錯覚を受けた。
一瞬剣先は獣から削がれ、胸元を浅く傷付けただけに留まった。元はギリリと歯を食い縛る。
「くそっ、俺はまた……!」
どれ程覚悟を決めて狩りに臨んでも、ふとした瞬間に、「獣はエンダの成れの果てである」その事実は元を苦しめた。茫然と地面に着地仕掛けた姿に、獣が尾を大きく振り被る。しかし間一髪、その攻撃は光の盾が行く手を遮った。
元を守る魔法の規模は決して大きすぎず、獣の攻撃を辛うじて回避するものだ。にも関わらず、渾身の攻撃にもびくともしない。
「これは……」
元が盾に手を添えた時、獣が元を掴み取ろうと腕を振り落としてきた。しかしその攻撃もフェルディナンドの光の盾が行く手を阻む。次から次へと繰り出される攻撃を、最小限の魔法で凌ぐ手法に、元は瞳を輝かせた。
「すっげー! 爺さん、やるじゃん~」
同じヒーシャでありながら、ハルのそれとは全く異なる魔法である。ハルは狩りの前に何らかの魔法を一気に発動させ、自身も前線に赴く。その後ヒーシャとしての魔法を使うのは、それこそ元が死にかけた時だけだ。
『多分ハルも出来ない訳じゃねぇんだろうが、守りに徹するって思考がそもそもねぇんだよな』
元は一度大きく息を吸うと、盾を壊そうと躍起になる獣の姿を見上げた。獣を前にして躊躇した気持ちを汲み取ったのだろう。気遣う表情を向けるフェルディナンドが視線の端に映る。元はボリボリと頭を掻いて大きく息を吐いた。
「爺さん、一気に片をつけるぞ! ここを突破されたら、この先の集落が壊滅しちまう。サポート頼む!」
フェルディナンドは向けられた言葉に少し表情を緩めると、サッと杖を天に掲げた。杖の先に光が集まっていく。
「元殿、守りはどうぞお任せ下さい」
しかし想定していた以上に、進化を遂げていた獣に苦戦を強いられた。ただでさえS級クラスの大物だ。加えてやけに用心深い性格に、致命傷を負わせる事ができない。結果、何とか片腕を切り落としたものの、後一歩のところで森の中に逃がしてしまった。腕一本の代償に、元も立ち上がれない程の傷を負わされてしまったのだ。
「元殿! 大丈夫ですか? 済みません、私の力不足で……!」
癒しの魔法を発動しながら、フェルディナンドは悔しそうに言葉を落とす。
『元殿のスピードに付いていけません。ハル殿が言われる通り、呪文をもっと簡潔にしなければ……これでは足手まといもいいところです』
眉間に深い皺を寄せる膝元で、体中を血で染めながら、元は何とか言葉を返した。
「……ググゥ……爺さんのせいじゃねぇよ。あれだけの攻撃を回避してくれたんだ。俺が攻撃のタイミングを外したせいで。後はハルがどれだけ引き留め…………ちゃうよな、うん。くそ、爺さん、早く治してくれ。直ぐに追いかけるぞ!」
元が滝に辿り着いた時には、あれほど苦戦したはずの獣が拘束され動けずにいた。今であれば、どの獣よりも容易く倒すことが出来るだろう。元は大木の枝に身を落とし、眼前の光景に息を吐く。
『……お前はぶれねぇなぁ』
獣がエンダである事が分かっても、ハルの狩りに対する姿勢は変わらない。ただ粛々と獣を狩るだけだ。今はその芯の通った精神力が羨ましかった。
「遅いぞ」
不機嫌そうな声が飛んだ。これほどの拘束力を持って組み伏せようとも、ハルの魔法に獣を倒す殺傷能力はない。小さな背中に、並々ならぬ怒りに似たオーラが吹き出している。
「わりぃ、腕一本持っていく代償でこっちもかなりヤバくてさ。爺さんに治してもらってたら、遅れを取っちまった」
元は何とか口元を上げると、感情を読み取られないように、背丈程ある剣を大きく振り落とす。それでも獣の大きな背中を見据えると、様々な感情に心が掻き乱されてしまうのも事実だ。元は小さく息を吐く。
『いつか心が麻痺すんのかな』
そんな葛藤など誰にも届く筈もないのだが、
「終わらせよう」
ハルが短く放った言葉に、救われた気持ちになるのは何故なのか。元は獣を見据え、ガッと枝を蹴り上げた。
「おうよ!!」
そう叫び剣を大きく振り被った……その時だ。眼前に影が過ぎった。
「は?」
それはナイフを掲げたハルの姿だった。左手から輝く蔓を出し木々の枝に絡ませ、難なく獣の頭上まで身を踊らせると、大きく体を反る。
「おいぃぃぃ!!」
元が腕を振り落とす前に、獣の首元に鋭い刃を突き立てた。
ガッ……キン
確実に急所を狙った筈であった。しかし獣の皮の表面すら傷を付けることが出来ずに、刃は鈍い音を立てて柄から折れた。
「ふぅん」
ハルは短く感情の読めない呟きを落とすと、腰の鞘から新しいナイフを取り出す。そのまま獣の肩に降り立って、魔法で動けないのをいいことに、何度もその皮膚にナイフを突き立てた。
「……何やってんの?」
半分呆れるように、そして全く意味が分からないと言わんばかりに、元が地上から目線を上げている。
「獣を倒そうと試みている」
「うん、そうだろうな。…………じゃぁなくて!! お前はヒーシャで、反対魔法でしか獣にダメージを与えられねぇの! 常識だろ?」
この世界でのエンダの役割は明確だ。戦闘に特化する職業ではない限り、獣に傷を付けるなど出来やしない。両手を広げて呆れるように言葉にする姿に、ハルはクッと口許を上げて視線を向けた。
「常識? エンダの常識など、所詮先人達の経験が語られているに過ぎない。折角使える能力を得たんだ。これからは私も狩りに参戦するぞ。爺さんをパーティに迎えたのもこの為だ」
飄々と発せられた言葉に、狩り場に追いついたフェルディナンドが苦笑いを浮かべている。三人足らずのパーティにヒーシャが二人など必要がない。何らかの思惑があるであろうことは、分かっていたことだ。
反して純粋に仲間が増えたことを喜んでいた元は、頭を捻るばかりだ。しかし非常に面白くないことが起きていることだけは理解出来た。
「えっと……え、攻撃専門になるって事? そんな攻撃力で? マジで? 本気で邪魔……てか、俺の領域だし。むしろ入ってくるなだし」
「マジだ」
コクリとハルが頷く。
「マジでぇぇぇ!?」
「あ、あの」
とりとめなく行われる二人のやり取りに目を向けて、フェルディナンドは軽い脱力感に襲われた。どう見てもS級の獣に対する狩りの内容ではない。拘束されている獣ですら、何が起こっているのか、瞳だけをキョロキョロさせるばかりだ。
「狩りの最中でございますので、今後の方針等は終わった後に……」
そうフェルディナンドが弱々しく声をかける声は、吐き出される滝の水音に掻き消された。
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