第10章 存在ノ理由-12
「自分は獣にたぶらかされてしまった。仲間は既に殺されていたのだ。完全に獣化する前に倒して仲間の仇を討ったと、そう申されておりました」
そこまで言葉にすると、フェルディナンドは瞬き一つせず、暫し言葉を止めた。表情は一切の感情が排除され、まるで石膏のようだった。
「爺さん?」
「…………グッ」
手を差し伸べた元の腕がピクリと止まる。フェルディナンドのシンプルでありながら、複雑な刺繍が施されたバトルドレスが解除され 、質素な旅服に装いが戻った。まるで悪い夢でも見ているかのようだ。その身体がビクンと大きく震えた次の瞬間には、右腕が一瞬大きく膨れ上がり、服を粉々に切り裂いた。
「は?」
現実を認識出来ず呆然と立ち竦む元の眼前で、大きく膨れた腕はあり得ない方向にズルッと伸びた。指は原型を留めておらず、手の甲の先には鋭利な爪が三本鈍く光っていた。そう、それはまるでエンダが命を賭けて狩る「獣」そのものだ。
「爺さん!」
それから時間にして数分の間に、その異形は全身に広がった。品のある穏やかな顔は醜く歪み、人ではない「何か」に変貌を続けた。元は差し出した手を戻す事も出来ず、とはいえ差し出す事も出来ず、ただただ視線を外せずにいる。
「じ、爺さ……。ど、どうしたら……」
戻れるのか? ……その一言が口から出てこない。一歩前に踏み出す元に向かって、顔の原型を留めず大半を土色に変えたフェルディナンドの声は静かに落とされた。
「元殿、絶対奥義を習得するエンダと、獣に成り堕ちる違いはなんでしょうか……。 私(わたくし)は、この世界に必要か否かだと思うのです。お嬢様・は、十分強くなられ・・ました。そう、私など必要の……無い位に。
絶対奥義を・習得する、その資格があれば、私、は・命尽きるまで、お嬢様の側に仕え……お助け出来ると考えて、しまったのです。わ、私は……どうし・て・も、これ・・に賭けてみ・・たくなり、ました。わたくしが……まだ・・お・嬢様に必要な人間……であれば、決し……・・て獣に堕ちる……ことはないだろ……うと」
時折体を震わせ言葉にする姿を、元はきつく抱きしめ、渾身の限り叫んだ。
「なぁ!! どうしちまったんだ? 絶対奥義なんて無ぇんだよ。騙されたんだ、あいつらに!」
悲痛な叫びが木霊し広間の壁に消える。フェルディナンドが元の体をスッと押した。
「爺さん! どうやったら戻る? 爺さん!」
方法などある筈もない……そう思わずにはいられない程、既に原形は無いに等しい。瞬く間に上下左右と膨らみ続けている。
それから僅か数分後の事だ。フェルディナンドの身体は悠に五メートル級の巨体と化した。高く取られた天井に、今にも頭が届きそうだ。
「ドラゴン……?」
固い鱗に覆われた肌、裂けた口から飛び出した牙。体の割りに大きな下半身は、この姿が更に巨大化する可能性を物語っている。
「ガガガガァガァァァァガァァ」
フェルディナンドの叫びが空気を揺らす。苦痛に身をよじらせた時、ドラゴンと化した額が見開くと宝玉が姿を現した。瞳の色と同じく銀色がかった白い宝玉は、太陽の光を四方に反射する。
「な、何で? 何で宝玉が!?」
必死の思いで手を伸ばした元に対して、ドラゴンはフェルディナンドの声色を発した。
「……でも駄……目でした、ね。げ・元……・殿。・・やはり…………わたくしでは…………・お嬢様と居るべき…………・人間ではな……・かったようです。エミリー……様を、お守りす・・る資格など・・そもそも・・無かっ……・た。それなの、に……こんな世界に誘……い、修羅の道、に、引き込んで……しまい……ました。
……元殿、どうか……どうか……私が人を……・・お・・襲わない……・内に、私を……・元殿のお……・ち・・力……・・で……」
元は何度も何度も首を振った。向けられた言葉の意味を理解出来ず頭の中で繰り返す。ようやく「元殿の力で」その真意を理解出来た時、声を震わせ怒号を上げた。
「バ、バカヤロウ! 俺の、俺の力で、何だってんだ!?」
悔しかった……フェルディナンドが抱える闇の深さを甘く見ていた自分に、みすみす獣に堕としてしまった不甲斐なさに、意図せず涙が溢れる。
『爺さんはエンダが獣に成り変わる仮説に、エミリーの未来を絶望したんだ。エミリーを思うあまり、覆したくて、間違った選択に賭けちまったんだ! 獣に堕ちると見込んで……俺を……。俺なんかと、会っちまったばっかりに!』
「げ・・元…………殿。もう……イシキが持……・ちまセン。元殿……・・本当に申……・し訳……ござイ…………ません。このよう……・な事をオ願い・・シテ・・しまう……こ・事を、……・お許・シ・・下さ・・イ・。でも、……・どう……・カ、……ワタシガ……・ヒトヲ襲っ……・シマう…………マ、前ニ、…………・ヒ・・人とシテ死……・ナセ……テ……ド……ウ……カ…………」
剣を抜いてみるものの手が震えて定まらない。懇願に涙を流すドラゴンの姿を見据え、
『このままじゃ……でも、でも出来ねぇ……俺には出来ねぇっ』
元の暗澹とする気持ちに追い打ちをかける様に、ドラゴンはジリリとその野太い足を踏み出した。床が嫌な音を立てて軋む。
「ッ!」
空気を切り裂きドラゴンの尻尾が元を襲う。間一髪、避けた元の頭上を太い尻尾が轟音と共に通り過ぎ、そのまま壁をなぎ倒す。飛び散る瓦礫に目を細め、元の悲痛な声が尚も続く。
「何で……何で俺に託すんだ! 俺だったら平気だって、爺さんの事、平気で倒す事が出来る奴だって、思っていたのかよ!?」
ドラゴンの白銀の瞳から、恐らくフェルディナンドの最後の意識であろう、涙が流れ落ちた。
息をするのも苦しい。元は一度床に拳を打ち付け天井を見上げる。
「くそっ」
そのまま壁を蹴り上げ、ドラゴンの頭上にある窪みに駆け上がった。
「グガガ……」
今や、元の脳内は、何とかこの状況を打破出来ないか忙しく巡る。しかしどれ程考えても答えが出ない。
『爺さん! ……爺さんを倒すなんて出来ねぇ。でも、置いてもいけねぇ。爺さんに、人を襲わせる訳にはいかねぇ!』
握り締めた拳から、血が滴り落ちる。共に狩りに臨んだ仲間を、増してや世話に成った人を、手に掛けるなど想像も出来ない。そんな元をあざ笑うかのように、
「グガガガガガガァ―――――――――――ッ!」
かつては、フェルディナンドだったはずのドラゴンが吼えた。その咆哮は衝撃波となり、建物全体をグラリと揺らす。
「な、今の音は!?」
手元のスプーンを止めて、ナレータがピクリと見上げた。バラバラと遺跡の壁が崩れる気配を感じ、ゴン太が不安そうな声を上げる。
「上から聞こえて来たっちゃよ!」
「元さん達に、何かあったんじゃないッスか!?」
まるで獣の吼孔だ。しかし建物を揺らす程の獣が、遺跡の中に居る筈もない。困惑から互いを見合わすオォサワとゴン太を通り越し、ナレータは険しく表情を曇らせる。
『……有り得ませんわ。なんですの、この気配は』
「ナ、ナレータ様!」
オォサワの声にハッと意識を戻したナレータの頭上に、壁の一部が崩れ落ちる。
「ギィィイヤァァァァ」
二人の悲痛な叫びが森の中を駆け巡った。
ドラゴンの圧倒的なパワーに、元はゴクリと息を飲む。そして今こそが、フェルディナンドが完全に呑まれ、獣に堕ちた瞬間でもあった。ドラゴンがその鋭い爪を、元目掛けて鋭く振り落とす。
「くそ!」
その一撃で壁が完全に崩れ落ち、外気が一気に流れ込む。元は間一髪で難を逃れ、ドラゴンから数メートル離れた場所に着地した。何とか距離を測るのだが、如何せん狭い部屋の中だ。このまま逃げ回れる筈もない。
「どうする? どうする!?」
元は焦る気持ちから完全に思考が止まった。逃げることも、戦うことも出来ずにいる自分に、どうしようもない焦燥感だけが襲い来る。
『助けなきゃ! でもどうやって!?』
「はぁ、はぁ」
緊張が極限に高まる。獣であれば保つ事が出来る平常心も、今はただただ一定の距離を図るだけで精一杯だった。
建物はドラゴンの攻撃でいつ崩壊してもおかしくない状態で、重みに耐えきれず全体が軋みを上げる。
一定の距離を図り続ける元に、ドラゴンの歩みが止まり、ジロリと元に焦点を定めた。五感が危険を告げる。
「何をするつもりだ……」
そう呟いた時、ドラゴンはパカリと口を開けた。びっしりと生えている牙が妖しく光り、喉の奥が紅く熱を帯びた……そう思った瞬間だ。ゴハッと火炎が吹き出した。
「マジか、よ」
火を噴く……この世界に来て初めて見る獣だ。先の土地では存在が確認されているとは聞くが、こんな土地に居るレベルの獣ではない。
「や、やべぇ。でけぇ! 避けきれねぇ……」
巨大な業火は、元の逃げ場を完全に奪った。置かれた状況を瞬時に判断した元は、膝を付くと腕を顔の前に組んだ。襲う衝撃に備えて、グッと瞳を閉じる。
「ハル……!」
こんな状況で……いや、こんな状況だからだろうか? 皆の姿が脳裏に浮かぶ。
『もっと一緒に……』
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