第10章 存在ノ理由-6

 一歩一歩と進む脚が鉛のように重い。意識を無くしたハルを再度背中に括り付け、同じく意識を戻さないタロを片手に抱え込む。そして歩みも覚束ないギヴソンを、もう片方の手で引きずり歩かせた。

『あれはやばい』

 どんなに頭を振っても、金色に輝く瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

『ゾウガンの野郎もそうだが、殺しを楽しむ傾向がある。そうじゃなかったら、背中で覚醒された時点で、俺死んでたな』

 掌に感じるタロの鼓動に呼吸を合わせると、生命の温かみを感じる。ギヴソンとタロに受けた攻撃の傷跡は一切残っていないようだ。恐らく倒れる直前に、ハルが回復の魔法を施したのだろう。


 木々の隙間に現れた石版に歩みを止めた。目指す印は上を指し示している。部外者を拒絶するようにそびえる岩壁を見上げると、元は大きく息を吸った。


「ぐぎぎぎぎぎ」

 僅かに届かない窪みに、出来る限り手を伸ばし何とか指を掛けると、一気に身体を引き上げる。

 背中にギヴソンを抱え、その背中にハルを括り付けた。ギヴソンは激しく抵抗したが、状況が状況だ。今は我慢してもらうしかない。ハルはともかく、力が抜けたギヴソンの想定体重は三トンに近い。相当の体力を持ち合わせていると自負しているが、息が上がって仕方がなかった。それでも更なる窪みに向かって、手を差し伸ばす。

「くそ、な~にが、お、置いていけ、だ。へぇぇぇ、見捨てるなんて、そんな薄情な奴だって思ってんだ!? 舐められたもんだよなああ。目が覚めたら覚えておけ、よ!」

 未だ到達しない頂上に向けて、元はギッと睨んだ。


 結局森の中を一晩中さまよい続け、気が付けば、木々の切れ間から朝の光が差し込み始めていた。方向感覚は既になく、自分が何処に向かって歩みを進めているのか分かっていない。それでも仲間達を抱え、森の中をひたすらさ迷い続ける。時折ハルの呻き声が漏れる度に、何ともいえない気持ちに陥った。

 身体を汗でびっしょりと濡らし、重い足を何とか踏み出した時だ。ふと眼前の道に光が射している事に気が付いた。

「また新しい道が……こっちで合ってんだな……」

 安堵感を胸に灯らせ、光の方に足を向ける。短い距離にも関わらず、光の先に到着するのに随分と時間を要した。腰を抜かしたギヴソンの重みに、膝に力が入らない。

「後……一歩。もう一歩だから」

 そう何度も落とした呟きに、自身を何とか奮い立たせる。もう一歩と足を踏み出した時、視界が一気に開けた。

 

 深い森の中に、まるでぽっかりと穴が開いたかのような光景だった。周りを大木に囲まれ、不自然な位に丸く森が開けている。柔らかな草が一面に生え、真上には青い空が広がっていた。

 中心に石柱が等間隔で四本立ち、その中心に古びた平らの石が置かれている。

「え……ここ? じゃ……ねぇよな?」

 ヒーシャの聖地だと言われている場所だ。元の想像では、宮殿らしきものがあり、今後どうするべきなのか指し示してくれると思っていた。

「くそっ、今度はどっちに進めばいいの?」

 ぐるりと見渡しても方向を示す印はない。中央に歩み石を探ってみても、ただの古びた石だ。何の情報も得られそうもなかった。

「え、え、え? マジ? 俺、また間違っちまったの?? え、どこから?」

 完全なる手詰まりに元はガクリと膝を付くと、脱力感に空を見上げる。木々の切れ間から見える空は、どこまでも青く深い。ぐったりと踞るギヴソンと、その背の上で意識を無くしたハルの隣で、元は大の字に寝ころんだ。

『もう暫くしたら、あれが目覚めて俺らを殺す。……あーあ、勝てる気しねぇもんなぁ。俺、こんな所で死んじまうのか』

 自暴自棄になりながら、ふとハルに目を向けた。だらりと垂れた白く細い腕に手を伸ばし柔らかな掌の感触が触れると、途端に涙が溢れ出す。

「苦しいよな。悔しいよな。ハル……ごめん。守ってやれなくて」

 非力な自分が、そして自分の道が夢半ばで途切れるのが悔しかった。しかしそれ以上に、仲間と……ハルとの未来を失うのが怖い。

 溢れる涙に視界が大きく歪んだ時、キュッと手を握り返す感触が触れた。ハッと顔を覗き込んでみるものの、意識を取り戻す気配はない。相も変わらず額に汗を浮かべ、死人の様に血の気が引いたままだ。

「気のせいか……」

 その表情をぼんやりと眺めていると、

『もし……もしハルが身体を乗っ取られたら……。どうなんだ?』

 そんな疑問が脳裏を過ぎる。ゾウガン一人で、あれ程多くの民を恐怖に陥れたのだ。エンダの中で相当な使い手であるハルであれば、どれ程の影響力を及ぼすか分からない。元はゴクリと息を飲んだ。

『ハルが……民やエンダの驚異になるっていうのか? そんな事、絶対にさせられねぇ』

 グッと身体を起こすと、震える膝を力一杯に殴りつける。そして何とか起き上がり、ギヴソンに手を伸ばした。


 その時だ。広場の空気が、大きく波打った。


 伸ばし掛けた腕を剣に戻す。空気が渦巻く中心で、ハルがその半身をゆっくりと起こした。長い栗色の髪が顔の殆どを覆い、表情の有無は分からない。しかし垣間見える半開きの口が、残酷な現実の続きを物語っていた。ギヴソンに括り付けていた紐はいつの間にか切れ切れに千切れ地面に落ちている。

 その気配をいち早く感じ取ったのだろう。ギヴソンは地面に這い、恐怖に身体を震わせていた。

 空気が一瞬にして凍り、周囲の音が掻き消されていく。当のハルは覚醒しきれていないのか、ぼんやりと空を見上げたままだ。一歩詰める元の気配に視線を下げると、耳のピアスに手を添えて……半開きの口が小さく「げん」そう動いた。

「は……ハル!! だ、誰か、いねぇか!? お願いだっ、誰かハルを助けて!」

 叫ばずにいられなかった。もっと生きて、皆と新しい世界が見たい……ただただその一心で、助けを求め叫んだ。


「元殿?」

 ガサリと動いた草むらに、初老男性が驚きの表情を浮かべ立っていた。

「じ……爺さ……」

 元の脳裏に、ハッテン・ボルグ王国での記憶が甦る。一時パーティを組んだヒーシャだった。目前の現実が直ぐに認識出来ない元に、フェルディナンドはにっこりと微笑みを返す。

「お久しぶりでございます。何故このような場所に……」

 しかし歩み寄る足が止まった。その視線は元を通り越し、ハルを見据えている。そして無言で杖を掲げ上げるのと同時に、フェルディナンドの服がバトルドレスに変貌を遂げた。

「え、爺さ?」

「ダ セラ ボナーラ マーク ド アン ネーゼ 届け 芽吹きの時!」

 突如紡がれた詠唱が終わるや否や、中央に位置する石板から無数の芽が吹き出し、空に向かって蔓を伸ばす。伸びきった蔓はしなるように幾重にも重なり合い、ハルを一瞬にして呑み込んだ。

「ハル!!」

 一瞬の出来事だ。緑々とした芽は、石板に引寄せられると、大きな固まりに姿を変えた。言葉を綴ることも出来ず、元は眼前の光景に暫し視線を奪われていた。

「元殿」

 呼ばれた声に振り返った元が見たものは、白いバトルドレスを赤く染めたフェルディナンドの姿だった。額から鮮血がいくつも滴り落ちている。

「爺さん! どうして……!」

「あの一瞬の間に魔法の一部を返されました。認識する間も無かった筈ですのに驚くべきことです。何が起きているのかは存じませんが、あれ程の穢れはセンスで浄化出来るレベルを超えています。我々も早くこの場を離れなければなりません」

「で、でも、ハルが」

 元が石板を振り返ると、吹き出した芽で作られた塊が大きく波を打っている。今にも魔法が弾きかえされそうだ。

「心配には及びません。ここはヒーシャの聖地であり神の領域です。どんな邪悪の者でも退ける神聖な場所なのです」

 フェルディナンドはそこまで言葉にすると、険しい表情を崩さず歪に蠢く緑の山を見た。しかし直ぐ元に手を差し伸べると、

「それよりも、この場所では我々ですら忌むべき穢れ。我々がいる限り、聖地の加護は発動しません。さぁ、元殿!」

 必死の形相に押され、元はギヴソンを抱え深い森の中に足を踏み出す。身体が聖地を離れた時、莫大な力が中心部から弾け、森の中に爆風が駆け抜けた。

 ギヴソン諸共、吹き飛ばされ大木に打ち付けられた元が見たものは、楕円上に聖地を包む光の壁だった。

「これは……」

 聖地と外界を隔てた光は、何人(なんびと)も侵すことの出来ない絶対領域の如く立ちはだかる。元はただただ目前の光景を見入るだけしか出来なかった。

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