第9章 異世界ノ民‐17
元の制止も間に合わず、重厚な扉は一気に開け放たれ、熱気を纏った歓声が爆発し弾けた。異常なまでの興奮具合だ。元が扉の上枠に手を添えて、覗き込むように足を進めた時、
「……え?」
目前に飛び込んできた光景に言葉を失った。
中央が円状にくり抜かれ、観客席がグルリと取り囲むように作られている内部は、正に闘技場そのものだ。十数メートル強の高さから多くの人々が乗り出し、元達を食い入るように覗き込んでいた。
この領地の民ではないことは一目瞭然で、全員が豪華絢爛の衣装を纏い、中には仮面で顔を隠している者までいる。
しかし元が絶句したのは、そんな民の姿ではない。闘技場の中央に居る生物の存在である。
「な、何で獣……?」
そこには、額に宝玉を持つ獣の姿があった。五メートルと決して大きくは無いが、人を襲った証である額の宝玉は、薄いブルーの色彩を放っている。人を意図的に襲うタイプの獣であることは明らかで、こんな居住区にいていい生き物ではない。
姿形は全身を堅い甲羅で覆われたトカゲに近かった。ビッシリと生えた牙からは大量の涎が滴り落ち落ちている。
獣は中央に置かれた檻に向かって、一心不乱に鋭い爪を振り続けていた。金属音に近い打撃音が、観衆の声に時折掻き消されながら、闘技場に木霊し続ける。
「……な……なん」
元の声にならない呻き声が、虚しく落ちては消えた。獣が半狂乱で打ち付ける檻の中に、何故か二人の人間が体を縮ませ踞っている。大人の女性と、年端もいかない子供だ。恐く母親なのだろう。子供の体を獣の爪から身を呈し守っている。そんな母親の胸の中で、年の頃五歳位の子供は、声も出せず震えていた。
「何で、何で人間が!!?」
獣の鋭い爪が容赦なく打ち付け、時折叫び声が飛んだ。卑しくも、獣の爪が届くか届かないかというサイズなのか、女性の体から赤い血が滲み出している。
「ちょ、ちょっと!!」
これに焦ったのは元だ。状況は把握出来ないが、思わず獣に向かって、一歩前に踏み出した時、
「……お待ち下さい」
民が剣を突き出してきた。その民の顔に、ハルは見覚えがあった。
『この男は……確かザッツ』
山の集落でエンダを敵視していた男だ。神経質そうな顔立ちからは、一切の躊躇も苦悩もない。感情の欠落した人間から刃を向けられる恐怖に、元は咄嗟にハルの前に出た。
「どけ!!! あれ、見えてんのかよ! 爪が届いちまったら、あんな傷じゃ済まねぇぞ」
必死に向けられる言葉にも、全く反応する様子がない。驚愕する元に向かって、ザッツの淡々とした声が飛んだ。
「旦那様のお言葉があります。そのままお待ち下さい」
まるで台詞のような言い方だった。こんな町のど真ん中で、民では倒せない獣を前にして言える言葉ではない。何から何まで、この世界の理から逸脱していて、何が起きているのか冷静に判断が出来なかった。
「どけ!!」
剣を突き出すザッツに向かって、元が一歩を踏み出した時だった。闘技場に木霊していた歓声がピタリと止んだ。観客席に座る人々の視線がある一点に集中している。それを境に、獣の身体が首に括られた鎖によって一気に檻から引き離された。静まり返る闘技場には、獣の口惜しそうな唸り声が響く。
皆が視線向けた先は、特等席の様に突き出した場所だった。そこに一人の男が姿を現した。
「各国紳士並びに淑女の皆様。本日はこのような催しにご列席頂き、誠にありがとうございます。領主のゾウガンです」
そう挨拶をすると、胸に手を当て恭しくお辞儀を落とす。観客席からは待ってましたと言わんばかりに歓声が湧き上がった。更に男は、大げさに両手を広げて高らかに言い放つ。
「それでは、本日の一大イベント!!」
『はぁ? これがイベントだぁぁぁ!?』
男の言葉に、元が歯を食い縛った。怒りで今にも血管が切れそうな程に脈立つ。
「皆様の前に現れました異世界の民(エンダ)の二人。この哀れなエンダは、獣を狩るしか存在価値がございません。その価値無き魂に、我々が救いの手を差し伸べようではありませんか!!」
そこでまた大喝采が湧き上がった。小芝居がかった台詞と状況に、元は開いた口が塞がらずにいる。ゾウガンと名乗った領主も観客も皆、狂っているとしか思えなかった。その隣で、ハルは微動だにせず、視線を向けたままだ。
「エンダの使命が、我々の尊い命を守る事ならば、その勇士を見せて頂きましょう。そして我々は偉業を未来永劫語り継ぎ、異世界の民(エンダ)の功績を称えようではありませんか!!
……しか~し! ただ獣と戦わせただけは、命を掛けるエンダに失礼だ!」
「その通りだ!」
「 エンダは闘神よ! それに相応しい舞台を!」
観客席から、更に芝居がかった溜息が漏れる。長々と繰り広げられる茶番に、『長いな』とハルが小さく溜息を吐いた。しかし男は恰も悦に身を任せるかのように、片手を上げて観客の声に応えている。
「そうでしょう、そうでしょうとも。そこで私は考えました。どうすれば、エンダはその使命を全う出来るのかと!
狩りには緊張感がつきもの。しか~し、こんな小粒の獣では、エンダも、そして私共も面白くない! そんなエンダ達の為にぃ、少し趣向を凝らしております!!」
そう高らかに言い放った言葉が合図だったのだろう。獣と民を隔てる唯一の縦棒が、一本ポロリと外れた。ザッツの肩がピクリと震えた。
「なななな」
外れた場所は、獣から向かって反対側の一本だけだが、獣の薄いブルーの瞳がギラリと輝く。その幅は獣の腕までとは言わないが、より深く爪を食い込ませる事が可能だ。
「時間と共に、檻を少ぉ~しずつ解体して参ります。皆様、如何でしょうか? お楽しみ頂けますでしょ~か!?」
ワッと建物自体を大きく揺らす程の大喝采が湧き上がった。何もかも異常な光景だ。ハルの手を握り締める元の手が大きく震える。混乱とあまりの憤りに、元は何を言っていいのか分からない。そんな困惑を余所に、領主は言葉を締め括った。
「更に趣向を凝らしまして、エンダには素手で戦って頂きましょう! なぁに、獣のレベルはたったのCクラス! ご心配には及びません。
さぁ皆様、勇気あるエンダに大きな拍手を~!」
向けられる拍手すら、エンダの存在そのものを侮蔑するものだ。ハルが「くだらん」そう失笑を浮かべた。
ハルの関心の薄さも今は気にもならない。元は開いている片手で、突き出された刃に手を掛けた。ザッツの腕に力が籠もる。
「離せ」
低く落とされる元の声に、もう一人の民の感情のない声が落ちた。
「この剣を渡せば、我々もあの獣の餌食になります」
そんな言葉ですら台詞がかっていて、そう言わされているのが容易に想像出来てしまう。元はぶつけようがない怒りに、今直ぐにでも見物席に駆け上がり、あの領主をぶっ倒したい衝動に駆られた。しかし掌を握るハルの手の冷たさが、何とか元を思い留まらせる。
『落ち着け。どうせ激情に任せて領主を襲っても、直前で制約に縛られるのがオチだ』
そんなハルの思考が、腕を伝わって流れ込んでくるのだ。
ギャァギャガガガガガァァァ
再度獣が解き放たれた。目を血走らせ、檻に向かって突進する。咄嗟に元が目線を向けた。正面から檻にぶつかる様子を見届けると、民に向かって必死に訴える。
「お前達も守ってやるから!! 絶対……」
「……そうお約束されたエンダ様は、全て命を落とされました。武器を渡してしまえば、私達だけではなく家族までも殺される運命です。お渡し出来かねます」
「ヒッ!!!」
獣がゆっくりと、檻の周りを徘徊し始めた。裏手の隙間に気づくのも時間の問題だ。観客席から興奮の息が漏れる。見かねた元は、ハルの手を振り払い素手で掛け出していた。
『Cクラス……。素手では、勝てないかもしれない。でも、でも見過すことなんて出来ねぇ!!』
駆ける後ろ姿を見入っていたハルは、フィッと目前で立ち竦むザッツらに視線を合わせた。
「エンダといえど、拳士でも無い限り素手で戦うのは無謀だ。まぁそれはいいとして、さてお前達、実のところ自身の生死にも興味が無いと見える。心底生きたいという訳ではないらしいな」
ハルの言葉に、ビクリとザッツの体が震えた。「そこまでして生きたいのか」そう問われるのが普通だ。浅ましく、エンダを犠牲にしてでも生きたいのかと、罵倒される事も覚悟していた。
その時、観衆の歓声が響き渡った。元が獣に跨がり、首を締め上げている。苦しそうに仰け反る獣は、振り払おうと必死だ。その光景に、観衆は更に大きな歓喜の声を上げた。
「あの子供が、お前を見て小さく「ぱぱ」と呟いたのでな。あの領主の恐怖政治は、徹底しているらしい。あんな年端もいかない子供でさえ、獣を前に父親の名も叫ぶことが出来ずにいる」
向けられた言葉に、不意にザッツの瞳から涙が溢れた。
「どっちにしても俺の家族は獣の犠牲になる。あのオカマ野郎、俺の家族を売りやがった。ここの奴等は狂ってやがる。全員が全員、公開処刑を望んでんだ。
勿論ただでは殺されやしない。俺が一太刀でも……」
そう声も切れ切れに剣を握り締めている。もう一人の民も隣で肩を震わせ、堪えようのない現実に涙を落とした。
「止めておけ。この世界の人間に獣は倒せん。勿論一太刀であろうと、な。そんな無謀な行為は、下手にあいつらを喜ばせるだけだ。そもそも、お前もその企みに荷担していた当事者だろう?」
明日は我が身だ……そう思わなかった日は無い。そうやってエンダを仲間を送り出してきたのだ。ガクリと肩を落とす姿に追い討ちをかける言葉が飛んだ。
「いいか、よく考えて答えろ。お前達は「生きて現実に抗い戦いたいのか」、それとも「死んでこの無慈悲な世界を終わらせたいか」どっちだ?」
関心無く問われる言葉に、戸惑ったのは民達だ。今まで出会った者達と勝手が違う。エンダは民を生かそうと、その身を呈して獣に向かっていく。しかし眼前の小さき女性は、獣には目もくれていない。淡々と問われる言葉に、意図せず声が詰まった。
どれだけ懸命に生きても、理不尽に命が摘まれてしまう。唯一の希望であった家族も、獣の牙で殺される運命だ。ザッツの口から、無意識に言葉が落ち掛けた時だった。
「パパ―――――――!! 怖いよぉ。助けて!!」
檻の中から助けを求める悲痛な声が響いた。名を呼ばれたザッツがハッと振り返る。そこには元を振り落とし、檻に向かって突進する獣の姿があった。檻の縦棒は、既に三本程抜け落ちていて、このままでは容易に爪が届いてしまう。焦ったザッツは獣に向かって駆け出していた。
「待て」
咄嗟に腕を掴まれた力に、ハッと我に返る。小さい体からは想像も出来ない力だ。本気で掴まれたら、いとも簡単に折れてしまうだろう。
『これがエンダ......』
獣と同等の力を有するエンダの力に、ガクリと膝が抜けた。茫然と項垂れる姿に、再度ハルの質問が飛んだ。
「獣を狩ることが出来るのはエンダのみ。答えろ。生きたいのか、死にたいのか? どっちだ!?」
フードの下から吹き出す並々ならぬ殺気に気圧され、ザッツは思わず叫んでいた。
「死にたくない! お、俺の命は俺のものだ。こ、こんな風に殺される為に生きてきた訳じゃない!!」
人生を懸命に生きて来た証である深く刻まれた皺に、涙が何粒も落ちた。魂から吐き出された叫びを聞き届けると、ハルはニヤリ、そう口角を上げる。
「分かった」
次には民をすり抜けて、獣に向かって駆け出す。ハルの行動に、もう一人のエンダが動いたと、歓喜の声が上がった。
「ハル!!」
獣の牙に深い傷を負った元が唸り声を上げた。取っ組み合う元を突き飛ばし、ハルはそのまま静かに大地を蹴り上げると、獣の頭部に難なく着地し膝を付く。
『……ヒーシャではないのか? 何故あんなに身軽に。エンダめ、何をする気だ?』
ゾウガンの眉が上がると、その眼光が厳しく光った。
「元、私の意識が戻るまで大人しくしておけ。目覚めたら、この茶番を終わらせてやる」
驚愕の表情を浮かべる元の言葉を待たず、スゥと息を吸う。異変に気が付いた獣が大きく暴れる中、ハルは獣の宝玉に手を伸ばす。と同時に、魔法陣が幾つも派生しては荘厳な歌が鳴り響いた。
「指せ 恵みの嵐」
冷ややかに落とされる言葉に、驚いたのは元だ。元の戦士としての能力が上がった今、ハルがこの類の呪文を唱える機会はめっきり無くなっていた。その魔法を、よりにもよってこの状況下で使用しようとは、訳が解らず元は叫ぶ。
「や、止め!! お前、それ!? 反対魔法……!!」
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