第9章 異世界ノ民‐16

「旦那様がお呼びだ。ガイ、メロウ出ろ」

 感情なく言い放たれた言葉は、まるで死の宣告かの如く牢に響き渡った。思わず各々が言葉を落とす。

「一番古い二人だ。これは……」

「また行ったっきり帰ってこないなんて事……」

「一組増えたんだ。可能性はある」

 囁かれる声の中心に、ビクリと身体を震わせる二人がいた。何故こんなに皆が動揺しているのか分からない。元は深いフードの下から民とエンダ達を交互に見入った。

「行くぞ」

 そう背中に手を添えたハルの表情はフードの下で真意は計り知れない。自身がどうするべきなのか分からず、元は押されるまま牢を出た。二人の後ろ姿に向かって、咄嗟にガタイのいい初老の男と、顔を包帯で包んでいた女性が腰を浮かせた。

「あ……」

 一歩前に踏み出した二人に向かって、ハルは片手を差し出すと何も言わず民の後に付いて階段を上っていってしまった。

 

 階段を上がる無機質な足音が遠のいて行く。一足毎に遠ざかる存在感に、一人のエンダが震える声で呟いた。

「何を考えているんだ」

「教えた方が良かったんじゃないの? あの二人……このまま」

「教えるって、どう言えば良かったのだ? あんな……」

 幾度もなく繰り返されてきた溜息が、自ずと口から漏れる。心の中で何度も疑問視してきた「殺されてしまうのでないか」その一言を誰もが口に出来ずにいるのだ。ガイとメロウは互いに顔を見合わせて、小さく視線を落とした。


 

 二人は裏口から領主の敷地に通されると、そのまま庭園を移動する。民の無関心は相も変わらずで、身体を拘束するつもりもないらしい。逃げ出せば逃げられる状況下で、ただただ民の歩くペースに合わせて、後にならう。

 ハルはエンダ達の困惑する様子を思い浮かべながら、整備された庭園に目を向けた。

『ほぉ、この地では見ない植物が数多くあるな。ふん、一体どこの国から…………あれは』

 ハルは列から離れると、青々と茂った植物に足を止めた。同じ背丈ほどの枝に沢山の小さな実を付けている。スッと額に手を添えると、ページをめくる様に指を動かす。何度か同じ動作を繰り返し、ピタリと指を留めるとハルは小さく口元を上げた。

「そこで何をしている!!」

 剣を携えた近衛兵の怒号が響く。これにギョッとしたのは元だ。大人しく後ろから着いてきていると思っていたのだ。助けに入るべきなのか、これも何かの作戦なのか判断に迷う。

『何だよ。どっち? 巻き込まれてんの? それとも作戦? ~たく、何かする時は説明しやがれってんだ!!』

 そんな恨み節を聞かせながら、元はハラハラした目線を向けた。民も二人の動向に体こそは向いているが、その視線は何の感情も映し出していない。一歩を踏み出すか否か、迷いに迷う元の心配を余所に、ハルは近衛兵と短く言葉を交わすと何も無かった様に戻ってきた。近衛兵も身体を翻すと持ち場に戻って行く。

「大丈夫か? なぁ……一体何を」

 不満そうに問う声に、ハルはツィと視線を上げた。

「元」

「ん?」

 短く名を呼ぶ声に微かに含まれた緊張感は、無感情なハルには珍しい事だ。元は逸る気持ちを抑え、発せられる次の言葉を待つ。

「先程のエンダ達の動揺を見ると、我々が向かっている先は、あまり気持ちのいい場所ではなさそうだ」

 短く語られる言葉に、元は小さく視線を落とす。エンダの扱いの杜撰(ずさん)さに、未だショックが癒えていない。

「そのようだな……。ここまで色んな事、見てきたんだ。流石に何が起きても驚かねぇよ。

 で? 俺は何をすればいい? 俺は、民や皆を助けたい。その願いが叶うんだったら、何でもやるぜ」

 この数日間で見てきた現実は、元の中に深い葛藤を生んだ。目を閉じれば、暗い闇の中で這うように生きる、エンダ達の姿が浮かんでくる。

「何でも、ね。その言葉を忘れるなよ。ま、どちらにしても情報が欠落していて、何も判断出来ない。それに……」

 そう言いながら、ちらりと気配を向けると、短く小さな笑い声を落とした。

『わ、わ、笑ったぁ?』

 その笑みに、目を見開く。珍しい物を見るような視線を向ける元に、辛辣な声が飛んだ。

「今言ったところで、お前の事だ。その場の激情に身を委ねてしまうからな。私の声を見失うな。それだけだ」

「……単純馬鹿って言われた気がする」

 ボリボリと頭を掻いてはみるものの、スゥと息を吸う。ハルが先の未来の事で、注意を促したのはこれが初めてだ。これから起こりうるであろう現実に、緊張からゴクリと息を飲む。しかし前を真っ直ぐと見据える後ろ姿に、拳を握り締めると、その後を追った。

 

 広大な敷地内の真ん中まで来た時、木々の切れ間にある、建築物の前で足が止まった。

「ほぇぇ」

 そびえる建物は、円方形の造りで随分と巨大なものだ。また住居というには、あまりにも風変わりな建物である。窓はなく、建物の大半は強固な堅さを誇るあの鉱石で作られていた。

「希少なんだろ? 豪勢な使い方してんじゃん。でも何故、敷地内なんかに」

 巨大な建物を前にして、民が扉の鍵穴に鍵を差し込むと、元の身丈の半分位しかない扉が開かれた。建物の割に、随分と小さな扉だ。

 元は身体を捻らせ、何とか扉をくぐり抜ける。ハルが後に続いて扉を通り抜けた時、建物を揺らす程の大歓声が巻き起こった。中心部から聞こえてくる声は、異常な程の興奮に包まれている。元が驚愕の表情を浮かべ、周囲をぐるりと見渡した。ハルはハルで、眉間に深く皺を寄せて瞳を細めている。

「何だ、何だ? 随分と楽しそうじゃねぇか。この町にも娯楽みてぇなもんがあるなんて意外〜」

 興奮は留まるところを知らず、建物全体なおも揺らす。元の言葉に民は一度ピクリと反応したが、結局何も言葉にしなかった。入ってきた扉を締め切ると、今度は更に内部にある扉に向かって歩き始める。

「……ここも鉱石か」

 建物内部も全て黒い鉱石の壁で敷き詰められていた。ここまで黒の壁が続くと、何とも言えない圧迫感を感じて、息苦しくなる。

「……」

 ハルの頭の中では、今まさに全てのピースが組み込まれ、一つの結論が導き出されていた。顎に手を添えて、一度視線を左右に動かす。そして、小さく息を吸うと、楽しそうな声に誘われて足取りを軽くする元を呼び止めた。

「元、何故エンダ達は、あんな致命傷となる傷を負っていたと思う?」

 大歓声に掻き消されるような声に、元は耳を傾ける。突然の質問が理解できず、困惑するように怪訝そうな表情を浮かべた。

「あ? え、それは狩りで傷ついたからだろう?」

「確かに広大な土地だが、六組程のパーティが常駐しているんだ。怪我が完治しない頻度で狩りに出ているとは考えにくい」

 ハルが何を言わんとしているのか、その真意が読みとれない。元は更に首を傾げた。

 そんな二人の会話など気にも留めず、民は更に重厚な扉に鍵を差し込む。

「まぁ、そうだな。う~ん。あ、飯じゃねぇ? 飯が十分に出ねぇから、力が発揮出来ないんだ!」

 自分の判断に満足したのか、何度も頷きを繰り返している。そんな元に、更なる質問が飛んだ。

「では、何故あのメロウという女は、「一人でも多くの民を死なせないこと」などと言ったと思う? 町が獣によって破壊された形跡はない。「当たり前のように殺される」のを目撃する機会など、地下にいる限りあり得ないと思わないか? アジトで聞いたように、民は傍若無人な暴君によって支配されているという。一体エンダはどのような形で、民を守っているんだろうな」

「え」

 何かに導かれるように、元の胸がジワリとざわつき始めた。ハルの言葉は何一つ理解出来ない。しかし何故か、その答えを知っているような気がして、今や鼓動は激しい音を立てている。

「何? どういう……」

 その時、ハルが元の大きな手にそっと自身の手を添えた。

「え……」

 その手は驚くほど小さく、そしてとても冷たかった。しかし何より元を驚かせたのは、手を繋ぐその行為そのものだ。なんて事の無い行為だが、出会って……というよりも、この世界に来て初めての体験する行為だ。端から見たら、恐らく親子のような絵面だろう。それを思うと、何故だか途端に居心地が悪く感じてしまう。焦った元が思わず払い掛けようとした手を、更にギュッと握り締めた。

「お、おい」

 あたふたと困惑する表情を浮かべる元に、ハルは視線を合わせると、

「私の声を見失うなよ」

 そうやけにはっきりと言葉にした。あの扉の向こうに何があるのだろう、ハルは何を感じたのだろう、そう忙(せわ)しく巡る思考回路に、大きく心臓が打ち付ける。民が扉を押し開ける音がやけに耳につく。

「ちょ、ちょっと待っ」

 半(なか)ば無意識に、元は片手を差し出していた。

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