第9章 異世界ノ民‐15

 洞窟内に流れる風の音が、不規則な音を立てては消えていく。

『どこかに、地上と繋がる風の道があるんだろうなぁ』

 元は朦朧とする意識に身を委ね、ぼんやりとそんな事を考えていた。

『恐らく……朝なんだろうな』

 時間の感覚が曖昧とはいえ、誰一人起きだす気配などない。昨日と同じ場所で、ピクリともしないのだ。はっきりしない意識に、元がウトウトとし始めた時だ。脳天を突き刺す光が爆発的に広がった。それは闇に支配されていた牢屋内では、強烈すぎる光だった。

「う……!!」

 余りの眩しさに寝ていられず、全員がのっそりと体を起こす。勿論、こんな地底に陽の光が届く筈もない。元は光に順応できない瞳を細め、絶対的な確信のもと唸った。

「ハル~眩しいぞ! 何のつもりだって」

 直後、光がワントーンその鋭さを落とすと、ようやく視界が慣れてきた。そこで視界に映ったのは、体を大きく捻るハルの姿だった。様々な言葉を飲み込んで、全員の視線が一点に集中する。

「えっと……何やってんの?」

「ストレッチだ」

 さも当然の様に返されると、長い付き合いながら軽い脱力感に襲われてしまうのは仕方がない。意思疏通が出来ないのは今に始まったことではないが、他人に迷惑をかける行為は容認も出来ない。何とか気力を振り絞って首を掲げてみせた。

「いや……うん。それは見て分かる。俺が言いたいのは、先ず何故、今この光が必要なのかってことと、今身体を動かす必要があるのかって事なんだけど。皆疲れてんだ。寝かせてやれよ」

 勿論そんな言葉に耳を傾けるハルではない。大きく背伸びを一度して、そのままゆっくりと足を開脚させる。

「私はこの時間に起きないと調子が出ない。こう暗くては目覚めが悪い」

 そう短く言葉にして黙々と身体を動かし続けた。どう言えば、俺の言葉が通じるんだろう……元は脳をフル回転させて、何とか次の言葉を捻り出した。

「いや……だから。ここはお前一人じゃないんだから。他人の事も考えろって」

 何とか止めさせようと訴える姿に、ハルは大きく腰を捻る動作を止めた。元が「おっ」そう思ったのも束の間だ。

「元、お前も定期的に身体を動かしておけ。いいか、常に狩りを意識しておくんだ。一度でも感が鈍ると、取り戻すのに時間がかかる。この件が済んだら、直ぐにでも出発するぞ」

 ハルの真剣な声に、一人のエンダがプッと吹き出した。横になった身体を起し、闇に突如現れた光を眩しそうに見ている。

「何も知らないって凄いね。ははは、この人、ここから出られる気で居るよ。入るのは容易いが出るのは困難、無理なんだよ。いい? ここでは狩りの後の食事でさえ、まともに出ないよ。パンが数個出ればいい方さ。通常の食事なんて無いに等しいからね。今からそんなに張切っていたら、狩りの前に力尽きちゃうよ」

「え?」

 これには元が絶句した。身体が要求するだけの食事が出来ないなど考えられない。エンダは狩りの後、猛烈な空腹に襲われる。食べ物を摂取出来なければ、いくら狩りを無事に終えたとしても、命を落とすエンダも居る位だ。そこに不機嫌そうな別の声が飛んだ。

「いい加減、眩しいよ。早く止(と)めてくれないか? これってヒーシャの光の魔法だろ? 癒ししか出来ないくせに、一体何が出来るって言うのさ。昨日から、何だかんだで偉そうなんだけど。意気がんなって」

 失笑を含みながら放たれる言葉に、元がピクリと眉を上げた。昨日と打って変わって饒舌である。昨日全身から醸し出されていた悲壮感が薄らいでいるのだ。元がボソリと言葉を向けた。

「おめぇら、傷完治するの早ぇな」

 昨日の時点では、致命傷に近い程の傷を負っていた筈だった。相も変わらず全身は薄汚れているが、目立った外傷が見当たらない。元の言葉にハッとした表情を浮かべ、全員が自身を見入った。

 ある結論に達し、ハルに辛辣な言葉を浴びせたエンダが、苦々しく言葉を吐き出した。

「頼んでいないけど?」

 睨み付ける視線などものともせず、黙々と身体を動かすハルに、男の怒号が飛んだ。

「おい! 聞いてんのか!?」

『やれやれ』

 見かねた元が前に出た時だ。女性の一人がハルに寄ると恐る恐る声を掛けてきた。

「貴方……魔力は温存しなきゃ駄目よ。こんな、こんな事に使ったら、本当に死んじゃうわ。自分の為にとっておかなきゃ」

 昨日、倒れ込んだ女性だった。顔を覆っていた包帯をパラリと取ると、特に外傷は残っていないように見えた。

『傷にならなかったみてぇだな』

 人知れず、元は安堵の息をつく。こんな世界とはいえ、女性が傷つくのは忍びない。

 

 ハルはヨガの立ちポーズを決めながら、独り言のように言葉を綴った。

「勘違いしているようだから教えてやるが、お前達の傷を治したのは自分の為だ。汚物のような匂いに耐えきれなかったのでな」

「お、汚物~?」

 淡々と言葉にする様に、全員が憤りを通り越して唖然とした。

『やな奴!!』

 元の耳に、そんな心の声が聞こえたような気がして、フラリと目眩が起きる。どれ程の期間になるか分からないが、寝食を共にする相手なのだ。この先が思いやられてしまう。別の意味で重く立ち込めた空気に、元はげんなりとした表情を浮かべた。

『仲良く出来るタイプじゃねぇとは分かっていたが、ここまでコミュニケーションが取れねぇとは……うん、分かってた! こりゃ~もう、一緒に協力してなんて無理な相談だなぁ』

「元、身体を動かしておけ」

 そんな空気などものともせず、ハルの有無を言わせぬ声が飛ぶ。しかし確かに一理ある。閉塞感満載の場所で何もせず過ごすなど、今までの旅で一度も無かった事だ。休養中も訓練を怠らない元にとって、狭い場所での拘束は拷問に近い。

「うぅ。お前に言われたからやるんじゃないからな。身体がなまっちまうから……」

 もごもごと場を濁すように呟きを落とす元に、ハルは視線すら向けようとしない。黙々と身体を動かす二人のストレッチは、結局ハルが魔法を止めた夕刻まで続けられた。ふーと、安堵の息をつく元の隣で、ハルは寝るまでの間、瞑想に入りピクリとも動かなくなった。そうして長い牢屋での一日が終わりを告げたのだ。

 

 そしてそれは、次の日もまた次の日も同じように繰り返された。さすがに三日も続くと、誰も文句を言わなくなる。ただでさえ、気力が底を付いているのだ。そんなものだと思わなければ、苛立ちで精神が持たない。二人が一心不乱に身体を動かす様を、横目で見ているエンダ達だった。


 皆に変化が出てきたのは、五日目の朝だ。初日に声を荒立たせたエンダがおもむろに体を起こすと、ストレッチを始めたのだ。その姿を皮切りに、二十人近い全員が身体を動かし始めた。床で腕立てをする者、鉄格子に爪先を絡め、身体を屈折させる者、精神統一をする者と色々だ。

「お前ら」

 感極まる元に向かって、一人のエンダがぶっきら棒に言葉を落とす。見た目は高齢だが、体つきは若者と遜色ない男だ。

「眩しくて休んでいられないのでな。目が冴えて仕方がない」

 そう言葉にすると天井の窪みに足を掛け、腹筋を始めた。これもハルの采配かと思うと、思わず感動してみるが、当の本人は一片すら表情を変えず、黙々と身体を動かし続けている。

『……違うな。偶々好転しただけだよな。うんうん、間違いない』

 

 体内時計が昼を告げた辺りで、元は身体をあり得ない方向に向けて、悶々と考え込んでいた。既に元達がここを訪れて五日目だ。一向に人が来る気配はなく、食事すら一回も運ばれてこない。

『餓死させるつもりじゃぁねぇだろうな。狩り後じゃねぇ限り、そんなに飯はいらねぇ。でも、それでも数ヶ月も持つ訳じゃねぇんだぞ?』

 集中力が切れていたのだろう。

 グギュ

 変な方向に身体が向いた。痛みに悶える元に、「元」とハルが名を呼んだ。

「こ、これ位、大したこと……」

 そう涙目で振り返る元に、ハルはナイフを手渡した。刃渡り十五センチのナイフは、光を反射して自らが光を発しているかのようだ。牢に小さなどよめきが走る。

「お前、どこからナイフなんて」

 その問いを軽くスルーすると、牢の壁を指さした。一度壁を鳴らし、

「この場所に渾身の力を込めて、ナイフを突き刺してみろ」

 そう感情なく視線を向ける。相も変わらぬ独走ぶりに、もう溜息も出てこない。元はムクリと体を起こし、まじまじとナイフを見入った。

「何か仕掛けを施してんじゃねぇだろうな」

「魔力で強度を上げた。壁を壊すつもりでやれ」

 元はナイフをクルクルと操りながら、壁に視線を向けた。なんて事がない石造りの牢だ。訝しみながらハルを見たが、その意識はもう壁に集中している。基本多くを語らないハルに、深く追及しない癖がついている元は、ナイフを両手で持つと大きく低く構えた。

「場所を間違えるなよ。技は「ホーリースカイ」がいい。しくじるな」

 何気に発せられた言葉に、元は力が抜けた。

「え……? ……何で、最近取得した技を知ってんだ? 内緒にしてたのに」

 手強い獣の時に、颯爽と繰り出し驚かそうと目論んでいた技だ。目論見の当てが外れて口を尖らせる姿に、ハルがちらりと視線を向ける。

「お前は内緒事が出来ないからな。早くしろ」

 確かに取得した瞬間から、気持ちの高まりは収まってくれず、ソワソワしていたような気がする。その様子を悟られていたのだろう。恥ずかしさを誤魔化すように、元が壁に手を添えた。

「壊してもいいんだな?」

「あぁ、思い切りやれ」

 ハルの言葉で、元の身体にスイッチが入った。一度スッと目線を下げると、元の身体からおびただしい気が膨れ上がっていく。その力は閉ざされた牢の空間を、一寸の隙間なく埋めつくしていった。

「なっ!!」

 エンダ達の畏怖を含んだ呻き声が上がった。息が詰まる程の膨大な力に、

「ちょ、待て!! その壁は!」

 男の声が飛んだのと同時だ。元の低い声が地底に響く。

「ホーリースカイ」

 凝縮された質量が一気に弾けた。光が全てを包み込み、放たれた力は地底を駆け巡り地響きを引き起こす。突き抜ける力量を感じながら、エンダの一人がゴクリと息を飲んだ。

 

「……い、痛っデェェェェェ――――!!!」

 痺れに似た痛みが全身に駆け抜ける。ナイフを持った両腕が、力を発散出来ずに留まり悲鳴を上げた。現段階で最高最強の技だ。鋼鉄の身体を持つ獣すら、恐らく一太刀で絶命と導く事が可能だと踏んでいた。手からナイフがポトリと落ちると、床に触れた瞬間粉々に砕け散り、跡形も残らず消えた。

 今なお痺れる腕を押さえ、元は思わず壁に身を寄せた。あまりの衝撃に、うっすら涙が浮かぶ。

「何で、傷の一つも付いていない訳?」

 技は完璧な筈だ。初めて放ったとはいえ、しっくりと自分に馴染んでいた。にも関わらず、壁には僅かな傷さえ付いていない。打ち砕かれたプライドに元が項垂れる隣で、飄々としたハルの声が飛んだ。

「ふむ。やはり無理か」

 元の眉がピクリと上がる。ゆっくりハルを振り返ると、震える声で問うた。

「……えっと、やはり、って?」

「ここの壁は、特殊な鉱石で覆われているんだよ」

 そう声をかけてきたのは、見た目は高齢だが身体付きは盛り上がる筋肉を持つ男だ。

「トクシュゥ?」

「あぁ、この土地から採取される石で、その類い稀な強度故、一時期は石を巡って争いが起きた程の稀少で特殊な石だ。たとえエンダといえど壊せるものではない。でも凄いじゃないか! この地でホーリースカイを取得している戦士なんて、聞いた事がないぞ」

 慰めに近い言葉に、元はガクリと肩を落とす。ハルがその情報を知らない筈はない。恨めしさと壊せなかった屈辱に元は体を震わせた。

「お前、知ってて試したな。言えよっ! てか、無駄だって分かってて、やらせんじゃねぇ~。俺はお前のそーゆー所が……」

「詳しいな。この石を加工する道具は、同じ鉱石から採掘されるコアの部分らしいが、どんな形状だ? 色は? 見た事はあるのか?」

 既にハルの意識は男に向かっていて、元を通り越して矢継ぎ早に質問を投げかけている。元はギリリと歯を慣らすが、石の事も興味があって怒りもソコソコに意識は会話に飛んだ。

「俺も話を聞いただけだが、特にコアは希少らしく、何十トンもの中にたった一つあるかないからしい。大理石に似た石だという話だ。争いもこの鉱石がと言うよりも、そのコアを巡ってと言った方が正しいな。何せ、この鉱石を加工出来るのはその石だけだ。その石を保持する者が莫大な富を得られるという訳さ。その形状は、残念ながら知らん」

 壁を撫でながら、元が感嘆の声を上げた。そこまで凄い石ならば、壊せなくても溜飲は下がる。少しテンションを戻しながら、

「へぇ、この国って凄いんだな! 俺達に壊せないって事は、獣も壊せないんだろ? 城壁に使えば、獣を町に入れずに済むな!」

 目を輝かせる元の言葉に、エンダ達はバツが悪そうに顔を見合わせる。ハルは無言で、そんなエンダ達に視線を向けた。

「言っただろう。稀少な鉱石だ。しかも密度が高すぎて加工に向かない。そうだな、獣を捕らえる檻ぐらいにしか使えないさ」

 感情なく呟かれる言葉に、全員が目を見開いた。何かの葛藤と戦っているのか、煮え切れない表情を浮かべている。そんな空気に全く気が付かない元は笑い声を上げた。

「ギャハハ! 獣を捕まえてどーするよ? 見世物にでもすんのか?」

 ハルも「ふふふ」と冷めた笑みを浮かべている。しかし笑っているのは声だけで、異様なまでに輝く瞳に、場の空気が一瞬にして引いた。

 

 その時だ。フッと牢屋が闇に包まれた。

「どうした?」

 感情のないハルの声が小さく響く。

「やっと、お出(で)ましだ。たく、待たせてくれるな。

 お前達、我々が来た時と同じように、蹲(うずくま)っておけ。傷が完治している事を悟られるな」

「ハル?」

 戸惑う元を余所に、ハルが颯爽とマントを羽織る。微かな風を肌に感じた時、ずっと上から鉄の扉が開かれる音が地底に響いた。

「元、マントを羽織れ。顔を隠しておけよ」

「何を……?」

 訝しむエンダの声に、まるで独り言の様な気軽さでハルの声が静かに落とされた。

「お前達の生き方は否定しない。しかし私はここで何が行われているのか、何が元凶なのか全てが知りたい。いいか、くれぐれも私の邪魔はするな」

 眼前の少女が何を言わんとしているのか、誰も理解が出来ていない。しかしその小さな身体から発せられる有無を言わせぬオーラに皆は、次の言葉が繋げなかった。

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