第9章 異世界ノ民‐14
門から見えるのは、辛うじて屋敷の屋根の先端だけだ。
『暴君に会ったら、どう言ってやろう』
そう意気込む元の視線を横切ると、民は無言で歩き始めた。塀の内側は、全てが整然と管理をされている一方で、敷地内から外れると途端に荒れ地が広がっている。相当な時間を要し元達は裏手に回った。移動している最中も、誰一人として二人に注意を払おうとしない。
「このまま逃げるか?」
そんな言葉も出てしまう位の放任具合だ。意気込みも何もあったものではなかった。
雑草が生い茂る中に、漸く小さな小屋が見えた。しかしどう見ても四畳半程度の大きさしかない。とてもじゃないが、多くのエンダが居られるような広さではなかった。
「え―――――中に? ちょ、無理じゃねぇ?」
不満を露わにする元を完全に無視して、民は無言で建物の鍵を開けた。石造りの建物の内部にあるのは、領地の整備に使われているのか太い水道管と、他には床に込まれた鉄板があるだけだ。
民は建物の中央に歩みを進めると、床に付けられた取っ手に手を掛ける。三人掛かりで引き上げられた鉄の板は、この小屋には不釣り合いな程の重厚な音を上げた。禍々しい扉が開かれた様に感じて、元は思わず身震いに体を揺らす。地下から湿った冷気が風に乗って流れてくると、
「はぁ……地下かぁ」
そんな言葉しか出てこない。元は地下に降りる階段に目を落とし、小さい溜息を吐く。
地下へと続く階段は、恐ろしく長いものだった。かび臭い匂いで、鼻が曲がりそうな位に空気が淀んでいる。身体に纏わりつく湿気が堪らない。気分までも滅入ってくるようだ。
点在する松明の灯りなど儚げに揺らいでいるだけで、徹底して暗く陰気な場所だった。余りの劣悪な環境である。元は思わず何度も周囲を見渡していた。
『一体どこまで』
規則的な動作に飽きながら、元が階段の先に目を向けた時だ。角の壁に人影が陽炎のように映し出された。
「お、着いた?」
嬉しそうな声を上げる元に応える声はない。それでも逸る気持ちを押さえながら、光が差す方に目を向けた。
角を曲がって、直ぐに飛び込んできた光景に、「え……」一瞬息をすることを忘れた。まず目に付いたのは、不自然までに厳重に組まれた鉄格子だ。やけに太く組まれた黒い格子の先に、数十人もの人間が閉じ込められている。牢屋は十分な灯りすら与えられず、ここからは光が届かない場所もある位だ。
それが全てエンダなのは一目瞭然で、元は目に映った現実を直ぐには受け止められずにいた。
「おい……」
拘束する鎖をものともせず、元の腕が民に伸びた。その仕草にすら、民は全く反応しない。ただただ苔が生えた床の隅に目を向けているだけだ。関心の無さがありありと見えて、元はカッと声を荒立たせた。
「これが、これがエンダにする仕打ちか!? お前等を守ろうと、命を賭けて戦っている奴らだぞ!? なぁっ、何とも思わねぇの!?」
「止めろ!!」
上げられた声に、伸ばした手がぴくりと止まった。悲痛な元の声に答えたのは、民でも、ハルでもない。鉄格子に手を掛けた一人のエンダだった。
「この人達は、悪くないんだ。命令されているだけで、本人達の意志じゃない!」
そう訴える声は、ただただ民を思うエンダの声だ。
上げられた声に戸惑ったのは元だった。狩りをする時は、常に民の幸せを願い自分の身丈の何倍もある獣に立ち向かう。その元ですらこの仕打ちには、納得出来ない。何故、甘んじていられるのか理解ができない。
「何で……こんな仕打ちを受けながら?」
呆然と立ちすくむ後ろで、ハルが冷ややかな視線を眼前に向ける。
『この歪な世界そのものだな。魂に刻まれて民を守る為だけに存在するエンダも、その声に欠片の感情すら見いださない民も。エンダが関与すると何故ここまで歪むのか……』
そう小さく失笑を浮かべた。
「お前ら、何やってんだ!?」
民が居なくなったのを見計らい、元が怒りの声を上げた。向けられた視線は、どれ一つとして生気がない。
「何故おかしいと思わないんだ!? お前等、こんな場所で無駄死にする為に扉を開けたのかよ?」
「無駄死にって……何?」
窪みに座る一人のエンダが声を発した。その瞳は真剣そのもので、射るようにジッと見ている。勿論、元も退かない。両者は激しく睨みあった。元は両手を広げて、
「その言葉のまんま、だろ!? これから先の土地には、もっと残虐な獣で苦しむ数多くの民がいるっているのに! この程度の広さの土地に、お前ら何人かかってんだ!? 何でがん首揃えて、こんな場所に……」
そう必死に訴える言葉に瞳を伏せる者もいれば、ジッと見入る者もいる。最初に声を上げたエンダが、立ち上がって厳しく見据えた。
「民を助けるのに定義がある訳ではない。困窮する民が一人だったとしても、全力で助けるのが我々の使命だ」
元は眉間に皺を寄せた。勇む言葉とは裏腹に、声には全く覇気がない。
「だから~、守るって、そんな大義名分が出来ている状態か? 拉致られた上に、こんな場所に押し込められて。何でお前ら、それに目を向けようとしないんだ。なぁ、ここで何が起きてんだ? もっと……」
顔を真っ赤にして訴える声は、既に誰の耳にも届いていない。声を上げたエンダですら、座り込み肩を落としている。葛藤は垣間見れるが、いかんせん気力が追いついていないように見えた。それでもなお訴え続ける元に向かって、ハルの冷めた声が飛んだ。
「元、無駄だ。こいつらは望んでここに来たんだ。今更、その時の決断を「間違いでした」とは言えないのだろう。放っておけ」
元が目線を向けると、鉄格子の側を定位置にしてくつろぐハルの姿があった。既に寝床を整えているのか、羽織っていたマントを床に敷いて腰をおろしている。
「自ら望んでって……」
「山賊のアジトは、エンダを拘束出来る造りになっていない。あの程度の造りでは、どんなに拉致しても逃げられるのがオチだろう。ここに来るまでもそうだ。逃げようと思えば、いつでもそのチャンスはあった。それでもここに居るという事は、自ら望んでこの地に来たということだ。民もそれが分かっているから監視が甘い。ここに来れさえすれば現状を変えられる、一人でも多くの民を救えると錯覚したんだろうな」
ビクリとエンダ達の身体が揺れた。ハルの言葉に、元ですら言葉に詰まる。頭(かしら)の話を聞いてから、自分だったら民を救えるのではないか、と思ったのは紛れもない事実だ。
「ふ、馬鹿な奴らだ。エンダは獣を狩るしか能がない。その現実を綺麗さっぱり忘れて民の問題に首を突っ込んだのだからな。いわばこの状態は身から出た錆だ」
「おま……ちょっと言い過ぎ」
制止を促す元の声に被せるように、なおもハルの言葉は続く。ごろりと寝ころび、
「民は誰一人として、エンダに救いを求めていないし、期待などしていない」
あからさまに全員を侮蔑していると言わんばかりで、口元を引き上げる。
「お前達は、誰を守っているって?」
『こいつ、相反するとパネェな』
挑戦的な言葉に、元は乱暴に頭を掻く。ハルの言葉に、別のエンダがふらりと立ち上がった。女性の様だが身なりは相当汚れていて、ぱっと見、そうとは分からない。長い髪の毛と細い体付きからかろうじて判断が出来る位だ。
「お、おい。大丈夫か?」
女性の身体は、全身が無数の傷跡で占められていた。片目が包帯で巻かれているものの、その包帯ですら相当汚れていて、治療になっているのかすら疑わしい。傷口は膨れ上がり、肌の色とは思えない程変色していた。
元が差し伸べる手には見向きもせず、
「ここがどんなに酷い場所なのか、貴方は何も知らない。明日になれば、皆が言う意味も分かるわ。……私達が出来ることは、一人でも多くの民を死なせない事。当たり前の様に殺されていく民の姿を見たら、そんな事……言えない筈よ」
最後の一言を絞るように言葉にすると、その場に崩れ落ちてしまった。元が焦った声で、
「お、おい! ヒーシャは居るんだろ!? 何でこんなになるまで……!?」
そう問う言葉にも、誰も動こうとしない。倒れこんだ女性が呻き声にも似た声を落とした。
「駄目……よ。体力も魔力も温存しなきゃ。私は自力で治せるから……大丈夫」
その後大きく咳き込むと声も出せないのか、顔に掛かった髪の毛の間から、無気力な瞳を向けた。環境も状況も劣悪過ぎて、もう掛ける言葉が見つからない。ショックを受けて硬直する元の後ろ姿を通して、ハルは全体に視野を広げた。
『全員が何かしらの傷を追っているな』
エンダの治癒能力は高い。ヒーシャの癒しが無くても、ある程度であれば数日間で完治する。しかし現状はずっと深刻だ。加えて皆から醸し出される陰湿な空気に、
『やれやれ。先ずは空腹をどうにかしないとな。エンダにとって狩りの後の食事は死活問題だ。さてと……』
横になり肘を付いたままの姿勢で、ハルは地下に流れる風の音に意識を飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます