第9章 異世界ノ民‐13

 元は胃にこみ上げる違和感に、その瞳を開けた。

「うげぇ……気持ち悪ぃ」

 混濁する意識を何とか集中させようとしても、吐き気が酷くてそれどころではない。それではと意識を視界に切り替えても僅かな光すら差さない暗闇の中だ。加えて耳を付く振動音が身体を大きく揺らすものだから不愉快さこの上ない。

「うぇ、吐きそう。……痛っ」

 吐き気に耐えかねて、身体を起こしかけた時だ。手足に違和感を覚えた。

「……何これ」

 どうしてだか両手が後ろで縛られ、両足に限っては縛られた上に袋の中に入れられている。未だ嘗て味わった事のない散々たる扱いだ。元は一度目を閉じて大きく息を吸った。

『……状況が幾分把握出来たせいか、だいぶ頭がすっきりしてきたな』

「ハル、無事か?」

 耳を澄ませてみるが、聞こえてくるのは物がぶつかり合う無機質な音だけである。恐らく何かに入れられて移動させられているのだろう。時折身体が大きく跳ねる。冷静に、冷静にそう言葉を落とすと、意識の先を追った。

「えっとロディが山賊に加担してんのは、仲間の為で……そこで俺、ハルやタロに目を向けたら、なんて事ない顔してて、俺ちょっとショックで……あぁ、気持ち悪ぃ。

 そしたら、突然ハルが寄りかかってきて、そしたらカップが落ちて、んで、目の前が…………って」

 突如、意識がはっきりした。込み上げる怒りに、体の変調を一瞬忘れた位だ。

「あ、あいつら~。何か盛りやがったなぁ~。

 あぁ~っもう、はなから山賊だって分かってて。くそ、相手がエンダだからって、つい」

 元は、おそるおそる両手足の爪先に意識を向けた。全ての指先に神経が繋がっていることを確認すると、安堵の息を吐く。

『良かった。身体に欠損はないな。ヒーシャの魔法でさえ、失われた部位を蘇らせる事は出来ねぇから』

 元は改めて、周囲に意識を広げた。

「ハル……! ハル、居るんだろ!? 返事しろよっ」

 何度呼びかけてみても、ハルからの応答はない。脳裏に最悪な結末が何度も過ぎる。途端に心細さに陥った。

『知りすぎたからって殺されたんじゃ……。いや、いや、いや。だったら俺だって殺されていてもおかしくない。それにタロだって居るんだ。おめおめって……可愛いだけのタロに何が出来るって言うの!!

 あ~もぅ、気持ち悪いって。あの野郎、今度会ったら絶対に許さねぇ。

 いざとなったら、ギヴソンだって……って、あいつに何かを期待するようになったら、もうお仕舞いなんじゃ……』

 明らかに不利な状況に追い込まれている事を思うと、やりきれなさに気持ちが沈む。

「ナレータから助けたのに、こんな仕打ちで終わる訳? って、俺何にもしてねぇけどさ。でも、何とか力に成れたらって思ってたのに、何? 俺が馬鹿なの? やっぱり相容れない……」

 

 その時だ。

「元、ブツブツ五月蠅いぞ。寝ていられない」

 ハルの不機嫌そうな声が飛んだ。暗闇の中ではその存在を確認する事は出来ないが、かなり近い位置にいるようだ。

「ハ、ハル!?」

 生きていた。それだけで全ての不安から解放されたような気がして、声を手繰って動かない体を左右に振った。

「おま、無事か? 痛いところはないか? 腕は? 足は? 指は? 目ん玉は? 耳は? ちゃんと付いているか? 大丈夫か? 気持ち悪くないか? 」

「……静かにしろ」

 矢継ぎ早に飛ぶ質問に、低く溜息混じりの不機嫌な声が飛ぶ。その声には殺気すら含まれていて、思わず元は声を飲み込んだ。

「毒が回る。毒性は強くないが、神経回路を遮断する厄介な奴だ。恐らく、直ぐには立ち上がれない」

 ハルの冷静沈着な声で、忘れていた胸のむかつきが蘇ってくる。途端に催す吐き気に、

「確かにずっと気持ち悪かった!! 何、何これ? 毒?? うげぇマジでぇ!!」

 騒ぐなと言われても、毒を盛られた事に余計に頭が混乱し、それこそ上下左右に身体を揺らす。よもや毒だとは思っておらず、ロディが嵌めた罠に、元はゴクリと息を飲む。

 

 トン

 

 元の背中に、柔らかい感触が触れた。ふんわりと優しい香りが鼻に届いた時、

「騒ぐなと言っただろう。全く……」

 直ぐ真後ろからハルの声が聞こえてきた。不機嫌そうに呟かれる言葉を向けられても、無事な体温を感じれば安堵から胸が詰まる。

「ハ……」

 その名を呼びかけた時だ。胸のむかつきが一瞬にして引いた。

「……あれ、直った? すげぇ、何? 魔法?」

 驚きの声を上げる元に向かって、

「毒素は抜けたが、体力の消耗は激しい。有事に備えるために、今は休んでおけ」

 そう淡々と言葉にする態度は、毒を盛られた事ですら大したことがないと言わんばかりだ。元はハルの体温を確かめながら、溜息混じりに言葉をついた。

「有事って……。やっぱ俺達って、拉致られてるんの?」

「そのようだな」

「……悔しくねぇのかよ。俺は悔しいぜ? 助けたのにこの仕打ちって……」

 消え入りそうな声に、ハルは暫し言葉を噤んだ。『何だよ。やっぱり価値観が違うってか?』その沈黙がいやに長く感じて、落ち着かない気持ちになる。思わず、名を呼びかけた時、

「してやったのに、か。そんな風に思っていないからな。悔しくはない」

 元は紡がれた言葉に、何も言えなくなってしまった。思い返してみれば、元自身は何も頼まれていない。勝手に手を出して、首を突っ込んだだけだ。

『大人じゃん!! ハルのくせに』

 途端に恥ずかしさが込み上げてくる。この世界に来る前の自分は、こんな感情に左右される事など無かったのに……そう大きな体を小さくする元に、ハルはピタリと背中を付けて、

「そもそも、ここまでの経緯はどうでもいい話だ。話の真意はどうであれ、直接自分の目で確かめるつもりだった。好都合だ」

 元は思わず吹いていた。

「こんな状況下でそれを言う?」

 どんなに酷い裏切りも、追い詰められていても、あくまでハルは変わらない。ただただ己の探求心だけを追い求めている。

『あ~もう、ばかばかしくなってきた。どっちにしても、こいつは領地に足を踏み入れただろうし、どんなに俺を巻き込もうとも、屁にも思ちゃいねぇしな』

 そう思うと、何が何でも生き延びて、全て終わった後に文句の一つでもハルに言ってやろうという気になってくる。その時、ふと愛らしいタロの姿が脳裏に過ぎった。

「あ――――――――!! タロは? タッ」

「……寝ろ」

 短いハルの言葉を最後に、元は瞬時に意識が落ちた。ハルはイビキをかいて寝入る息遣いに、そっと耳を澄ませる。

「……いいんだ。お前はそのままで」

 そう呟くと背中に温かな体温を感じながら、静かに瞳を閉じた。しかし思い出したように薄目を開けると、

「想定通りとはいえ、この手の毒を盛るとはな。飲まなければ、領地に入れないと思ったから飲んだが……ふん、やってくれる。この礼はきっちり返させてもらうぞ」

 暗闇に落とされた呟きも、その後の低く小さな含み笑いも全て、無機質な雑音によってかきけされた。

 

「おいっ! 起きろ!!」

 身体を剣の柄の様なもので小突かれ、元は眠たい目を開いた。

「……痛てぇな」

 寝起きは悪くない方だが、今は目を開けているのもやっとだ。太陽の光が刺すように襲い、逆光に人物の姿を特定出来ない。なすがままに身体を鎖で繋がれると、何とも言えない屈辱感が込み上げてくる。

 元が隣に視線を、向けると、ハルも同じように両腕を鎖で拘束され、足には鉄玉を取り付けられていた。小さな身体に不釣り合いな拘束具に、元は苦々しく感じながら、ぼそりとハルに呟く。

「たく、魔法で強引に眠らせただろ。お陰で、眠くて仕方がねぇ。有事に備えろって、これじゃ無理だっつーの」

 口を顔の半分ぐらいに広げて、元は大きな欠伸を落とした。

「お前にここで暴れられたら困るんでな。私がいいと言うまで、手を出すなよ」

 ぼそりと呟かれる言葉は、荷物を上げ下げする音に掻き消されている。周囲が慌ただしく動き回る中で、二人は目線だけを左右に動かし、ブツブツと声を掛け合っていた。

「こんな状態で、暴れられっかよ。剣もねぇし、相手は全部民じゃん」

 元は背中に意識を飛ばし、小さな溜息を吐いた。戦士の命である剣を奪取されれば、確かに気分は良くない。しかしハルの言葉通り、今は状況を把握する事が先だと思うと、グッと拳を握りしめた。

 

 町の入り口らしい場所から見る街並みは、町と言うにはあまりにも寂れている。どちらかといえば、集落に近いだろう。

 晴れて朝焼けが眩しい位なのに、空気が淀でいるように感じるのは、ロディの話を聞いたからなのか、元来から町がもつ空気なのか、元には分からなかった。

『あんま、裕福じゃなさそうな町だな』

「行くぞ!!」

 男の号令で、元達は背中を押された。思わず前のめりになるハルの姿に、


 ドゴン


 反射的に、元は鉄玉を足で踏みつぶしていた。

「てめぇ……」

 凄む元のわき腹をハルが小さく小突く。

「歩くんだ」

 前を見据え、鉄玉をものともせず歩み始める。絶対的な命令に似た言葉に、元はギリリと歯軋りを鳴らしたが、

『全容が分かったら、ね』

 そう何度も言い聞かせ、大人しくハルに従った。

 

 町の中は不自然な程、閑散としていた。人の行き来は無く、店も開いているのかどうかすら分からない。

「人の気配はするんだけどさ。姿は全く見えねぇな」

 そんな声を横目に、ハルが小さく視線を民家に向けた。そこには重いカーテンの隙間から、小さな子供が隠れるように見ている姿があった。しかし母親らしきの影が過ぎったと思うと、その姿は見えなくなった。

『暗く寂れたこの町を象徴するような瞳だったな』

 ハルは眼前に広がる、人っ子一人いない町並みに視線を戻すと、瞳を細めた。

 元は元で、地面を擦れる鉄玉の存在感を疎ましく思いながら、苛立つ感情を募らせていた。エンダにとって、重さ数キロの鉄玉など何ら苦ではない。片足など煎餅みたいに潰されたままだ。しかし囚人のような扱いに、胸の奥から得も言われぬ感情が沸き出す。

『エンダにこの程度の拘束具なんて、意味ないって知ってんだろう。なのに敢えて付させるところに、卑しさを感じるっていうか。晒し者みたいにさぁ。

 はぁ、これじゃぁ、先に捕まったエンダ達も、どんな扱いを受けているか分からないな』

 元はチラリと自分達を連行する民を垣間見た。多くの荷物を運ぶ民の表情には、何ら感情を見出す事は出来ない。生気の無い表情である。

『聞きしに勝る状況らしいな』

 民が置かれた状況に、元は胸が苦しくなるのを感じた。

 

 砂埃が舞う街角を曲がった先で、一行は足を止めた。そこには、今まで立ち並んでいた建物とは、毛色が違う空間が現れたのだ。整備された緑が生い茂り、様々な色彩豊かな花が咲き乱れている。

「領主様のお屋敷だ」

  そう感情なく発せられた言葉に、二人は目の前の領地に目を向けた。

「へぇ、ここがねぇ」

 元が呟く隣で、ハルもまた、

「無駄に広い」

 そんな呟きを落とす二人の間を、渇いた風が通り過ぎる。屋敷の全容に視線を飛ばすハルのワンピースが、風に大きくなびいていた。

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