第8章 二人の少年‐8

 翌朝、町の出入り口は重苦しい空気に包まれていた。誰一人として挨拶を交わさず、目も合わせないまま無言で突っ立っている。ハルは凍てつく空気にも無関心で三人に依頼カードを差し出した。

「ここから数キロ先にいる獣だ。本来であればギヴソンを使って移動したいところだが、お前達を背に乗せる筈がないからな。移動は歩きで行く」

 その言葉が号令となって、一行は狩りに向かって出発した。


 道中も無言のまま押し進み、自身の歩く音や鳥のさえずりだけが耳に付く。いつまであれば、煩いくらいにハルに話し掛ける元も、眉間に皺を寄せたまま押し黙ったままである。自分達に苛ついているのだろうと、ロッテ達も何も発せない。

 しかし元の思考は、全く別のところにあって、ある思念に捕らわれていた。

『俺はエンダの中でもまだまだだし、協会を前にしても相変わらず何の力も無い』

 止めどなく溢れ出る思考が行き着いた先は、真っすぐと協会を見据えるハルの姿だった。

【協会を襲う】

 何度でも元の脳裏に蘇る。ふとハルに視線を落とすと、感情を読み取れない表情のまま、目的地を目指し無言で歩き続けている。

『いや、ホントにやるとは思っちゃいねぇけど。でもあいつのあんな顔、初めてだ。……協会を前にしても、こいつはぶれない。あれも強さって言うんだろうか……』

「じゃ―――――――俺、全然駄目じゃん!!」

 元は思わず叫んでいた。ロッテとジョッシュがビクリと身体を揺らした後に眉を寄せて、怪訝そうに視線を向けた。終いには、こそこそと耳打ちを始める始末だ。

 元は思わず口から出た本心に打ちひしがれ、ボリボリと頭を掻いた。 


「いたぞ」

 ハルの低い声が響く。様々な思いに耽っていた三人が、ハッと顔を上げた。荒野の先に小さな黒い影が陽炎の様にちらついている。

 そこから五分程進んだ時、獣の全貌が明らかになった。

 全長三メートル、両腕に大きな鎌を持つ獣だ。その風貌は、蠍(さそり)によく似ている。全身が黒光りする甲羅で包まれ、尾に毒針らしきものを携えている。突如広がった砂漠の中で、這うように蠢いていた。

「獣名すらない獣だ。民が一人襲われているが、砂漠から出られないのか、それ以上の犠牲はなく放置されている」

 ハルの感情のない声は、更に続く。

「元、下がれ。お前達、前に出ろ」

「へいへい」

 元が一歩引く横から、二人は恐る恐る足を踏み出す。その後ろにハルが不動の様に立つと、体系的に二人が前線に立つ形になった。これに焦ってロッテが悲痛な叫び声を上げると、続いてジョッシュも怒号を放つ。

「ちょ、僕達は前線で戦うタイプじゃないよ!!」

「だからぁ、Dクラスも倒せないって言ってんじゃん!!」

 半狂乱になりながら、訴える姿にハルの非常な声は響く。

「まずはお前らのレベルを図り知る事が先決だ。我々が控えているとはいえ気を抜くな。死ぬ気で狩(や)れ」

 そう言うと、指先を獣に向けた。瞬間、獣の上部に数値が浮かび上がる。その仕草にジョッシュが目を見張った。振り向いた表情には、驚きと畏敬の念が浮かんでいる。

「……今、魔法を使ったの? え、どうやったの?」

「ふむ、体力五百五P。保持する体力は普通だな。五十Pずつ奪うごとに報酬を与えよう」

「え?」

 二人は言葉を無くした。普段、獣の体力を測りながら、狩りをしたりしない。自分達の攻撃が、どれ程のダメージを与えることが出来るのか、今まで考えた事もなかった。

 

 元達の存在に気が付いた獣は、お情け程度に付いている目に、怪しいオレンジの光を宿す。額に宝玉が輝いているが、レベルの低さを象徴するが如く、大きさはピンポン玉程度しかなく色も薄いオレンジだ。

 両腕の鎌を大きく天に向かって掲げ、体を素早く反転させる。そのままジョッシュに狙いを定めたかと思うと、四肢を交互に動かし、一気に距離を詰めてきた。

「わわわわわあぁ」

 ジョッシュが小さな悲鳴を上げて、一歩後ずさる。その背中をハルがドンと押した。

「ジョッシュ!!」

 ロッテの悲壮な叫びが響く中、ジョッシュは躓(つまづ)き、獣の前に倒れこんだ。咄嗟にロッテが両手を広げると、眩い光が包み込む。

「とうとうブックマスターの狩りをこの目で……」

 ロッテの能力であるブックマスターは稀少な職業だ。その能力は未知数で類い稀な能力ゆえか、エンダとして開花するのが遅いと言われている。だからこそハーデスラ海(二つ目の海)を越えたこの土地で、ロッテとの再会は正直に驚いた。ブックマスターの未知なる狩りに、元はゴクリと息を飲む。


 ロッテの両手には、重厚な書物が浮かび上がり、続きざま詠唱を響かせた。

「我は主なり 我は、汝を願い 汝、我を欲す 深き森の賢人 汝を願う 我は主なり 我は主なり 出(いで)よ ピップ・パーカー!!」

 詠唱が終わるや否や、大気を巻き込み書物は鈍く青白く光った。

「……この状況で使い魔か」

 その一部始終を見届けたハルから冷めた失笑が落とされた。


 間髪入れずに獣が振り落とした鎌は、空気を裂いてジョッシュに襲いかかる。

「うっわわわわわ」

 頭を抱え込み丸くなる姿に、ハルは小さく溜息をつくと、次には指を小さく振った。突如出現した光り輝く盾は、獣の鎌を大きく弾く。

「……!」

 身丈程ある鋭利な鎌を眼前に捕え、ジョッシュの額から一筋の冷や汗が流れ落ちた。


 ロッテの手元に現れた書物が鈍い光を放った時、中心部分に小さな塊が出現すると、周囲にしゃがれた甲高い声が響き渡る。

「我、主を導く者 我、主の声に答えたり」

 それは体長にして、十五センチ足らずの物体だった。全身を継ぎはぎだらけのボロ布で包み、ぱっと見、球体と見間違う。頭部が二つ盛り上がっているのは、耳なのだろうか。この世界に来て初めて見たブックマスターの使い魔に、元は興味津々で覗き込んだ。

 更にピップ・パーカーのしゃがれた甲高い声が響き渡る。

「おんにゃぁ~、これはマスターにゃぁん。お久しぶりですにゃぅん。何時まで経っても呼ばれないものですから、てっきり死んじゃったのかと思ってましたにゃん? いや、それでは我々も死んじゃいますにゃぁん。ぶふふぅ」

「……にゃん?」

 元がボソリと呟く中、ロッテは露骨に嫌そうな表情を浮かべている。そのまま、ぼろ布に包まれている使い魔に視線を落とすと、苦々しく言葉を繋いだ。

「挨拶はいい。この獣に最適な召喚獣を教えろ」

 ピップ・パーカーは軽く体を反転させると、眼前に倒れこんでいるジョッシュに視線を落とし失笑を浮かべた。

「おやおやぁ、これはジョッシュ様ぁにゃん、なに、倒れこんでるんですにゃん? そんな盾に守られて……かなり無様なですにゃん。ぶふふぅ」

 そう含み笑いをする姿は、正直とても胡散臭く、しゃがれた甲高い声は、不気味な事この上なかった。ジョッシュは使い魔を鋭く睨みつけると、小さく舌打ちをする。誰か見ても二人と使い魔の関係性は、良好だとは言い難たいものだった。


 ロッテが苦々しく、使い魔に叱責を飛ばした。

「軽口は止めろ! 早く教えるんだ」

 その間にも執拗に、獣の鎌はハルの盾を打ち付けている。Dクラスの攻撃など、びくともしないハルの盾だが、攻撃の都度、ジョッシュの体は震えで大きく揺れた。

「ぶふふぅ。もうぅ、マスターぁ。いい加減、獣の属性を理解してくださいにゃん。あの獣は、乾いた土地にしか存在できない獣ですにゃん、とくれば、どんな攻撃が有効か判断できるもんですにゃん? 全く、何時まで経ってもマスターは、私を頼ってばかりで、ちっともご自分で考えようとなさらないにゃん。こう言ってなんですけどにゃん、大体自分を呼び出さなくても、直接召還されれば宜しいのににゃん。これこそ時間の無駄ですにゃん。何時まで経っても……」

 一向に止まない言葉を遮る様に、ロッテのドスが効いた声が響く。

「い・い・か・ら、早・く……おしえろ!!」

 いつもこの調子なのだろう。ピップ・パーカーを相手にする二人の表情に、ぐったりと疲労の色が浮かび上がっている。気の抜けた遣り取りに、狩りの最中だという現実を一瞬忘れてしまう位だ。

「えぇ~、これが伝説ばりに聞き及んでたブックマスターとその使い魔? 何だか想像と全然違う。使い魔っていったら、そりゃ~もう、主人に忠実で、賢くて、頼りになって……って設定じゃなかった? 全~然違うじゃん!!」


 その一際でかい独り言に、ぼろ布がついっと見上げる(様な気がした)。僅かばかり空気が震えた瞬間だ。

「おやおや、例にも漏れず品性の欠片も無い戦士にゃん。全く、戦士っていう職業は、筋肉を鍛えれば強くなったと勘違いしている輩(やから)ばかりで、哀れかつ滑稽にゃん。力だけ推し進める筋肉馬鹿に、ピップ・パーカーの叡智を図り知る事なんて無理にゃん。そんな奴から、ピップ・パーカーのなんたるかなんて言われたくないにゃん。マスターも共に闘う相手位、ちゃんと選ばなきゃ駄目にゃん。ピップ・パーカーの品格まで疑われるにゃん!」

 淀みなく発せられる言葉に、元はポカンと口を開けた。矛先が元に向いた事で、ロッテが申し訳なさそうな表情を浮かべている。

「ぶふふぅ。図体に栄養が取られてて、ピップ・パーカーの言葉を認識するのも遅いにゃん。ホント、こんな世界だから生きていける輩にゃん。やれやれだにゃん」

 最後の語尾に含まれた侮蔑に、放たれた言葉の全てが悪口だと認識した時、元が拳を震わせた。自分でもどちらかと言うと筋肉寄りだと思っているが、こんな得体の知れない奴に言われる筋合いはない。

「ああぁぁ?? 何だとコラ!! もっぺん言ってみろ!!」

「ぶふふぅ。マスター、聞いたかにゃん? 脅し文句もお粗末にゃん」

 書籍の上で転げるように笑う姿に、元は思わず本ごと真っ二つにしたい衝動に駆られた。同時に、ロッテに対して憐れみの気持ちが湧き出してくる。

『与えられた能力と会話が出来るなんて、ちょっと羨ましいと思った自分が馬鹿だった』

 存在自体が小憎たらしい事、この上ない。このまま引きちぎってやろうと、元が本に手を伸ばしかけた時、ハルの冷徹な声が響いた。平坦な、しかし怒気を孕んだ声に、場の空気が一瞬にして零度まで下がった気がした。

「……真面目にやれ」

 その声は地の底から湧き出るように響き、思わずピップ・パーカーも含めた全員が「はぃ」そう小さく答えたのだった。

 皆が項垂れる中、「俺、何にもしてないのに……」そう言うジョッシュの嘆きが虚しく響く。

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