第5章 生業-10

 町の飲食店は人々の困惑だけが入り乱れ、俄かに騒然としていた。視線の中心は元とハルの二人で、周囲の雑踏など気にもせず空腹の欲求を満たすべく食事を堪能している。口に頬張った肉を飲み込むのもそこそこに、元が叫んだ。

「おばちゃーん! 鳥の丸焼き二つ、モリモリサラダ、セルニノのスープ二つに、魚の香草揚げ、魚貝のパエリア二つ、ん~と、でも先ずは取り敢えず握り飯二〇個……んでネビール一杯とオレンジジュース。急いでね! あっ、全て大盛りだからね! 頼むよ~」

 おばちゃんと呼ばれた女将は、注文が入る度にビクリと体を揺らす。その度に機械的に振り返ると「は……はいよ。ちょ~~と待って下さいね」そんな引き攣り笑いを元に向けた。それもその筈だ。二人だけで店の全てを食い尽くさん勢いなのである。食事が運ばれる端から箸が付けらていく状況に、今や厨房は繰り返される注文に大混乱し、罵声までもが飛び交る始末だ。

 元は右手におにぎりを持ち、左手にメニューを掲げながら、時折「あ~幸せ~」だの「あ~旨ぇ」だの感嘆の声を上げた。ハルはハルで、美味しいのかそうでないのか分からない表情のまま、食べ物を絶えず口に運んでいる。店に居合わせた客らは、見ているだけで腹が膨れ注文を取下げ始めた。どちらにしても厨房には、他の注文を受ける余裕などなかった。


 全ての食べ物がテーブルから無くなった時、元は幸福感に頬を赤く染める。

「はぁー……食った。久々の食事は、やっぱ最・高だな。ま、腹八分目って言うからな。今日は、これくらいにしておくかぁ」

「そうだな」

 ナプキンで口を押さえながら、ハルも頷く。異世界の民エンダの言葉に、店の者達は一斉にどよめいた。

「もう米一粒さえも無いよ……」

 そう店主の嘆く声が、厨房に低く落ちる。

 

「通常はちょっとでいいのに、戦いの後は腹が減るよなぁ」

「あぁ」

「てかさ~、この世界の良いところは、飯が美味いって事だよなぁ」

「あぁ」

「だよな~、これで飯が口に合わなかったら、目も当てられんな! 楽しみっていったら、飯位じゃねぇ?」

「そうでもない」

「マジ? お前が楽しそうにしているのって見たことねーけど。そうそう地域特有の特産品があるのも、旅に醍醐味が増すっていうもんだよな~」

「あぁ」

「知ってるか? ここの特産は、名牛だぜ!? 丸焼きが旨いんだってさ、後で喰おうぜ」

「あぁ」

「でもさ~もっと観光も充実してりゃーイイのにって思わねぇ?」

「そうでもない」

「マジでぇ? たく、何が楽しみで生きてんの? 変な奴。もっと娯楽とかさ、息抜きも必要じゃん?」

「そうでもない」

「お前、ホッント変わってるよ。ホントに何が楽しくて生きてんだ? そうそうそれに情報が本ばかりっていうのもどうかと思わねぇ? この世界は進化がないよなぁ。原理が違うのか、機械化っていうのに限界があるみたいじゃん?」

「お前は、もっと本を読んだ方がいい」

「……無理」

 ほぼ一方的に元が捲くし立てるのだが、こんな会話が延々と続いた。狩りの後はいつもこうだ。お茶を飲みながら、ゆったりとした時間を共有して過ごす。暖かい日差しが店内に差し込み、少し眩しい。

 ハルの膝でタロがうとうと目を細める、そんなタロを優しく撫でるハルがいる……元はこの光景を見るのが好きだった。こうやってお茶を飲んでいると、昨日の狩りが夢みたいに思えてしまう。二人で食事を摂る。それは狩りが成功した、死なずに生き延びた。その実感を得る為の大切な儀式なのだ。少なくても元はそう思っている。

 ハルもこの時間だけは、本を読む手を休めた。元にはそれが単純に嬉しかった。

 

 その時二人への関心とは別の場所で、どよめきが走った。周囲の出来事に、一片の興味がない二人は、海を越えるタイミングについて話しあっていた。

「いやいや、まだまだ先の話だろ?てか、もう既に海を渡る事を視野に入れてんのか。早いから……」

そうぼやく元の隣に人の影が立った時、二人は初めて顔を上げた。


「不躾で申し訳ないが、ザッツケルオンを倒されたエンダ殿で、お間違いないか?」

 この世界の民だった。やけに小奇麗でふくふくと太った男で、二人の従者を連れている。

「町長!」

 店の人間が声をかけた。元達にお辞儀をする仕草が見られたが、どうもお腹でつかえているようだ。恰幅が良過ぎる。

「エンダ殿、この度は町をお救い頂き、お礼申し上げる」

『救う? 何の事だ?』

 突然の問いに、ポカンとした表情を浮かべる元を一瞥し、ハルが呆れる様に一言声を掛けた。

「ザッツケルオンは、この町を狙っていただろう」

『あー、今回の狩りは、獣に狙われていたこの町を救う為だったっけ』

 すっかり本来の目的を忘れていた元は、呆けた表情を何とか取り繕いながら、

「お礼を言われるまでもない。別の依頼で片づけたまでです」

 そっけなく言葉を落とす。そもそも自分達は狩りに見合う報酬をカラーから受け取っている。命を掛けているとしても、自分達に与えられた使命を全うしているだけで、特段礼を言われる事ではない。

 しかしエンダの生活は民からの報奨金で成り立っており、無碍には出来ない現状がある。にも関わらず、ハルは二人が交わす社交辞令に、全く興味を示さない。会話の最中に店員を捕まえると、お茶の催促を始める始末だ。タロはタロで、クハーと欠伸をしながら、ハルの膝で丸くなっている。

『こいつら本当に……』

 元もマメな方ではない。しかし、自分よりもマイペースな奴らのせいで、多少マメに動かざるを得なかった。

『こんな時、取り計らうのは必ず俺の役目だよ』

 心の中で舌打ちを繰り返す。


「いやいや、エンダ殿がおられなかったら、今日にもこの町に到達し、この町は全滅していた事でしょう。

 エンダ殿の数は限られている。数多く存在する獣の中から、あの獣の契約を交わして頂いていた……それこそが奇跡です。本当に助かりました。何かしらお礼をさせて頂きたいのですが」

「いや、本当に……」

「いえ、是非!! 町に情報が届くのが遅れて、報奨金も出していないのです。エンダ殿が手にされるお金も、別の町から出されたものでしょう。それでは、我々の気が済まないのです」

 町長の必死な申し出に、流石に無下にも出来なくなり、元はスッと立ち上がった。エンダは獣を倒す生き物だと毛嫌いしている人間も居る中、町長の申し出は大変に有り難い。しかし正直面倒なのだ。エンダは、この世界の民との接点を、極力避けていた。

「町長、お気遣いありがとうございます。しかし、我々は使命を果たしただけです。どうぞお気になされぬよう……」

「しかし……」

 それでもと食い付く町長に、ハルが「金は必要がない」そつ珍しく口を挟む。嫌な予感に元の眉がピクリと上がった。

「ザッツケルオンの宝玉により、我々は十分過ぎる報酬を得ている」

 バサリと切り捨てる言葉に、「そうですか……」そう町長が項垂れた。しかしハルは話は終わっていないと言わんばかりに、言葉を繋げていく。

「話は逸れるが、町長殿は書物など集めておいでか?」

『だから声を掛けたのか……』

 ハルの思惑に、元は呆れながらも動向を見守る。ハルが積極的に行動を起こす事は稀で、大概が情報や書物に関するものだった。

「え、書物ですか? あ、あ~そうですなぁ、歴史やらなんやら先代が集めていた本はあるようですが……私は興味がないもので、書庫に眠っておりますな」

 町長の言葉に、ハルの目がギラリと光った。いや、まるで獲物を狙う獣バリの鋭さがある。

「ふむ。町長殿のせっかくの申し入れ、無下にするのも如何なものか。そうだな、金はいらんが町長宅で食事を振る舞って頂く位なら、なぁ元?」

『なぁ元……て』

 その言葉に、町長は顔をパァと明るくし、元の手を握り締めた。

「その様な事で宜しければ、是非! そうだ、町の者も集めましょう。存続の危機を救って頂いたのです。今夜はお祝いですな。夜通し祝いましょうぞ!!」

 町長の言葉に、周りの人々も歓喜の声を上げた。民の嬉しそうな声を聞くと『……断らなくて良かったかもな』そういう気持ちになる。元の満たされる気持ちとは裏腹に、

「素晴らしいご提案だ。町長のお気持ち、有り難くお受けしよう。ふむ、今からお邪魔してもかまないだろうか?」

 ハルが、自分のペースで話を進め始めた。流石に準備が出来ていないのでと、やんわり断られていたが、

「書庫に居るのでお構いなく。むしろ出入りしないで頂きたい」

 攻防戦の末、ハルが結局押し切った。何一つ相手の都合など聞いちゃいない。

「おい、少しは遠慮しろよ!」

 ハルのあまりの強引さに、元がこっそり耳打ちをする。その言葉に、「よもや断るつもりじゃないだろうな」と眉間に皺を寄せながら、

「何を言う。相手が是非にと言っているんだ。町長の顔に泥を塗るつもりか?それに、個人宅の書庫には流通していない書物も多い。民の家になど、滅多に入れん。この機会を逃す手はない」

 当然の様に持論を正当化し、言い切る姿に、

『いやいや、本音は「それに」の部分だけだよね? ってお前、いつもそうじゃん』

 もう一言、言いたい気持ちをグッと押さえた。ハルの旅の目的は、世界中の本を読む事に違いないと元は思う。今にでも町長を引っ張って行きそうな勢いに、小言を言う事を諦めた元は、「俺は一度、宿に戻るぞ」と何とかそれだけ伝えたのだった。

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