第4章 始まりの地-2

「こんにちは。始まりの地にようこそ」

 押し開けた扉の先から、白装束に身を包む女性が深々と頭を下げる。肌は何処までも白く美しい女性だったが、抑揚のない声は、存在感の有無をどこか曖昧にさせた。

「ここは始まりの地。エンダが世界から洗礼を受ける場所。……どうぞこちらに」

 女性に導かれるまま、迷路のように広い宮殿の中を着いて行く。不思議な事に宮殿の中はガランとしていて、誰一人として会わない。外の雑踏がウソみたいに、静まり返っていた。

 ハルは無意識に息を飲んだ。雰囲気に気圧された訳ではない。この場所の事を、そしてこれから起きる事を、あらかた元から聞いていたからだ。

 そんな心情などお構いなしに、女性は一切言葉を語らず、通路の奥へと歩みを進める。床に届きそうな裾がハラリと曲がり角に消えた先から、巨体な扉が現れた。

「どうぞこちらへ」

 広間に足を踏み入れた途端、燦々と降り注ぐ陽の光の眩さに、一瞬だけ視界を奪われた。階を上がった訳ではない。しかし陽の光が空に近いように感じて、建物内部に居ることを忘れてしまう程であった。


 光に目が慣れた時、中央に全身を白装束で纏った人物が六人、円をなぞる様に立つ姿が視界に映る。着衣からそれ相当の人物だと見て取れが、どの人物も深くフード被りその表情を見る事は叶わない。

『協会の民、か』

 

「どうぞ、円の中にお立ち下さい」

 女性の感情のない声が続く。ハルは言われるままに、広間の中心に向かって歩みを進めた。目を凝らすと、その円は中心から外に向かって不思議な文字が彫られているのが見える。

 そうして円の中心に立ち位置を決めた時、頭上から光り輝く気配を感じた。ふと目を上げると、天井一面に描かれた女神と天使が、少しずつその形を変えていく。そして一時の間後、星が零れる夜空に変貌を遂げた。

『綺麗だ』

 地球とは何もかも常識が違う。この世界で生きていくんだな……ハルはそんな事をぼんやりと考えていた。


 カツッ


 その時だ。正面に位置付けている人物が、床に杖を突き立てた。

「ここの場所をお分かりか?」

「……あぁ」

 短く応えるハルを一瞥し、協会の民は杖を地面に突立てた。

「もう数百年以上前になるが、突如現れた凶悪な獣によって、世界は脅かされるようになった。どこから派生したのかも分からない。しかし更なる事実が先人達を驚愕させた。その獣は、我々の攻撃が一切通じない生物だったのだ。我々にとて、戦う事に秀でた歴史がある、がしかし、どれだけの兵力を持っていたとしても、その獣には傷一つ付けることが出来なかった。我々では成すすべも無く、いよいよ人類滅亡かと思われた時、多くの星が降る夜にその奇跡は起こった。

 星と共に突如現れた人々は、自らを異世界の民エンダと名乗ったと言う。エンダは獣を一太刀で倒し、魔法を使った。先人達は救世主が現れたと歓喜した。

 しかしこの世界で、エンダが生き続ける事は容易い事ではなかった。お主も気づいておるだろうが、水も太陽の光も、大気ですらエンダの生命を脅かす。

 傷ついたエンダを救うべく、我々の祖先が回復の祈りを捧げた場所が、ここ「始まりの地」だ。先人達の祈りは天に届き、エンダがこの世界で生きていく奇跡を授かった。天の奇跡、それはエンダとエンダの属していた世界の柵を断ち切り、この世界の危機を救うべくした能力を授かる事。能力は人それぞれ、それが洗礼だ。天の奇跡によって、お前は世界を救うエンダとなる」

 

 ハルは白装束の人物の話を、静かに聞き入っていた。

『天の奇跡ね……胡散くさい話だ。しかし、語り継がれる話とはそんなものかもしれないな。エンダ、この世界を救う異世界の民、か』

 白装束に身を包んだ人物は、更に語尾を強めて杖を掲げた。

「さぁ応じよ。蔓延る邪悪な根源を打ち破り、この世界を救うべくこの地に降り立った。相違無いか?」

 声を聞く限りでは、かなりの高齢だと見受けられた。十分すぎる程の存在感だ。この場所と同じ様な尊厳と威厳から息苦しさを感じる。

『断る人間などいないのだろうな……』

 ハルは静かに息を吸うと「そのつもりだ」そう力強く答えた。その返事を聞く否や、白装束を纏った六人は、手を胸で組み呪文を詠唱し始める。その呪文に反応するかのように、床の円が光り輝き始めると、何重もの円になって浮かび上がっていく。光の糸は呪文となり、呪文はハルを取り巻き包み込んだ。

 

『本当に、不思議な世界だ……』

 一片の隙間もなく、光の糸がハルを包みこんだ時、厳格な声はなおも言葉を紡ぐ。

「古より、この地はエンダを数多く導いてきた。それは、神のみぞ知る、エンダの在り方を指し示す。

 武器を持つ戦士となるか、鍛錬して自身を武器とするか、精霊との契約を交わし敵を滅ぼすか、聖者の加護を身に纏い救いの手を差し伸べるか……幾多ものエンダの在り方。その在り方を今指し示さん。それ以外何者でもない。それがエンダ」

 言葉が終わらない内に、取り巻く呪文がひときわ大きくなった。あまりに何重にも重なり合うものだからまるで歌の様だ。

 

 ハルはグッと拳に力を込めて瞳を閉じた。何が起きようとも、ここで起きる全ての事実を受け入れる覚悟がある。これから先自分の思いを見失わない様に、今日の事を心に刻み込んでいく。

「やっと息が出来た」

 光の渦に包まれた時から、今までの息苦しさから解放された。膨大な空気が体内に染み渡っていく様だ。身体の細胞一つ一つに、自分を守る薄い膜が出来たかのようだった。

 

 どれくらいの時間が経ったのか、時間の感覚が薄れ始めた。その刹那、呪文を紡ぐ声が次第に小さくなっていく。完全に聞こえなくなったその瞬間、身を覆う光の糸は消えてなくなった。

「地に足が着いていたのか」

 足はしっかりと大地を踏みしめていた。ぐるりと周囲を見渡してみても、協会の人々はおろか、零れそうな星を湛えた天井も、床に描かれていた円も全てが消え失せている。

 あるのはガランとした大広間だけとなり、今や誰一人としての気配も感じられない。

 

「……」

 ハルは自身の変化に目を移した。今まで着用していた服は、ズボンの丈が異様に長い(合うサイズが無かったのか元の趣味が悪いのかは不明)男の子が着る様な服だったのに、今は白い布のシンプルなワンピースに、皮の靴は皮のブーツに変化していた。

「何かには成ったらしいな」

 そう呟いた時、ハルの体の奥底から、ある感情がまるで滾々とした泉のように噴き出した。

「……え?」

 無意識に瞳から涙が溢れ出る。感動、不安、希望、恐怖、喜び、悲しみ、愛しみ、怒り……全ての感情が一気に放出され、数多もの感情に押し潰されそうだ。この感情をどう説明していいのか分からない。得も言われぬ感情が、涙となって溢れ出した。

 そして全ての涙が流れ落ちた時、手に受けた涙を見ながら瞳を細める。

「そうか……これは、あの世界との決別の涙だ」

 ハルはこの事実を受け入れた。自分でも驚くほど、心は穏やかで静かだった。涙は悲しくて流れた訳ではない。エンダとなるために涙と一緒に何かが零れ落ちたのだと、妙に納得した。

 

 一度天井を見上げ目を閉じ、濡れた頬を袖でグィッと拭く。そして「行くぞ」そう誰に言う訳でもなく呟くと、出口に向かって足を踏み出した。

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