Ep.1‐2 当たり前の日常

       ◇ 


 翌日の目覚めは最悪だった。昨夜変な夢を見たせいだ。悪魔とか願いとか、ずいぶん荒唐無稽こうとうむけいな夢だった。麻里亜はのっそりと身体を起こし、学校へ向かう準備を始める。

 朝食のパンをココアで流し込みながらおもむろにテレビを付けると、最早聴きなれたニュースが耳に飛び込んできた。

『少女連続通り魔事件の被害者は、これで六件目となりました――』

 平和だったこの街を二ヵ月ほど前から恐怖と混乱の渦に叩き込んでいるのは、十代後半の少女だけを狙った通り魔事件。被害者の遺体は麻里亜の住む美桜みさくら市内で見つかっており、いずれも身体の一部を切り取られていた。まるで三文推理小説のようだ。厳重な非常線が張られているにも関わらず未だに犯人は捕まらず、その残虐な手口から悪魔の仕業とも噂されている。

「本当に悪魔の仕業だったりして」

 昨日の出来事が頭をよぎる。ネヴィロスと名乗った悪魔。角と尻尾が生えてはいるけれど、見た目は完全に、目鼻立ちの整った青年だった。麻里亜にはどうしても、彼が犯人だとは思えなかった。本当に、あれは夢だったのだろうか。

 雑念を振り払い、麻里亜は急ぎ高校へと歩を向けた。

 麻里亜の通う光桜女学院こうおうじょがくいんは百年以上の歴史を持つ由緒正しきカトリック系私立高校である。創立者の趣味なのか、無駄にフリフリしたゴシックロリータ風味の制服と、トップ大学への進学実績もすこぶる良いことから、近隣の男子高校生にはお勉強のできる可愛い子が多い、と耳目を集めている。坂の上への通学は不便だったが、学校までの桜並木を麻里亜は気に入っていた。坂を上る生徒の群れの中に見知った顔を見つけ、麻里亜は声を掛けた。

 彼女の友人、法条ほうじょう結花ゆかがそこにいた。短く切りそろえた黒髪に、高校生とは思えないほど小柄で華奢きゃしゃな身体。庇護欲ひごよくをそそられるのか、麻里亜はこの小動物的可愛さを持つ少女を好んでいた。勿論友人としての意味で。

「あ、おはよう……」

「どしたの、元気ないね」

「昨日、また通り魔事件があったでしょ? あれ、うちの近くだったの」

「それは怖いね」

「犯人、女の人かもしれないって」

「えっ、そうなの?」

「死体が、その、乱暴されてないからって……」

「そっか……あきらさんが言っていたの?」

「うん、まだ仕事で帰りが遅いけどね、昨日は少し話せたの」

「良かったね」

 話しながら歩いているとすぐに校門に着いた。そしてまた、平凡で平板な一日が始まる。麻里亜は昨日見た悪魔のことについて結花に話そうかとも思ったが、気弱な彼女が聞いたら卒倒そっとうしそうなので止めておいた。


 昼休み。麻里亜が教室から廊下へ出ようとすると、二年生の教室の前に黒山の人だかりが形成されていた。人の群れの中心に誰がいるか、確認するまでもない。

 光桜女学院三年、霧崎道流きりさきみちる。入学時から成績はずっと学年一位、剣道部では全国大会出場。才色兼備を地で行く超がつく優等生。周囲の女子からは「王子様」として神格化されている。ご多分に漏れず男口調。ついでに言うなら生徒会長。

 人込みを掻き分け、道流が麻里亜の前へと現れた。どうやら彼女が二年生の教室に来たのは、麻里亜が目的であるらしかった。

「ごきげんよう、三神麻里亜さん」

 気障きざったらしい道流の話し方に辟易へきえきしながらも、お久しぶりです先輩、と麻里亜は軽く会釈した。

「例の件、考えてくれたかな」

「私を生徒会に入れたいって話ですか」

「ああ。どうだろう、受けてくれるかな」

 麻里亜は少し逡巡しゅんじゅんしてからこう返した。

「ごめんなさい、お断りさせて頂きます。あの、私じゃその、生徒会には不釣り合いだと思いますので」

 瞬間、周囲の空気が引き詰めるのが彼女にも分かった。道流信者たちからすれば、道流様のお膝元で寵愛ちょうあいを受けられる栄光をフイにしたように感じられたのかもしれない。道流自身も少し呆気に取られていたが、すぐに元の微笑を口の端に浮かべて返答する。

「そうか、それなら仕方ない。時間を取らせて悪かったね」

「本当にすいません」

「構わないよ、残念だけど誰か別の人を探すよ。良ければこれからも仲良くして欲しい」

 そう言って道流は去っていった。

 緊張を道流に気取られないように話したつもりだったが、麻里亜の声は震えていた。なぜか彼女には霧崎道流という人間が苦手だった。自らの優秀さを鼻にかけるでも、謙遜けんそんするでもなく、ただ当然であるかのように振る舞っているように見える道流にどうしようもない歪さを感じていた。


 

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