25:崩壊していく

     ◆     ◆


「お前は城を崩落させる気なのか」


 二十を越える魔法の撃ち合いのせいで、壮麗な城の風景は激変していた。

 壺や銅像は砕け、花や絵画が散乱し、壁には亀裂が入り、天井と床にはあちこち穴が開いている。


 城の内部にいながら陽光に照らされるというのは、なんとも奇妙な感じだった。

 からん、と天井から落ちてきた破片が足元に転がる。


 玉座の間に続く扉にもいくつが傷が走っていたが、被害の程度としては軽い。

 レニスが意図的に守っている上――カインが攻撃しようとしても軌道を逸らされる――扉自体に強力な守護の魔法がかかっているせいだった。


 扉だけではなく、玉座の間を囲う壁にも同様の魔法が施されているらしく、惨状の中で玉座の間だけが揺るぎなくそこにある。


 戦いの後でこの結界を破るだけの力が残っているのか不安だが、出し惜しみをして勝てる相手ではない。


「崩壊したって構わないよ。魔法結晶に力を込めれば直るんだから。私の身体もね」

 レニスは肘と手首の半ばから先を失った左手を上げてみせた。

 人ではない彼女には痛覚もないらしく、全く痛そうな顔をしていない。


 切断面は虹色に輝く被膜のようなものに覆われていて、血の一滴も零れていなかった。


 対するカインも無傷とはいかず、身体の各所に裂傷や火傷を負っている。


 しかし問題は外傷ではなく、頭蓋を杭で貫かれるような耐え難い頭痛だった。

 表向きは意地で平静を装いながらも、異様な熱を孕んだ身体は痙攣を繰り返し、息は上がり、気を抜けば倒れてしまいそうだ。


「私も城も、魔法結晶がある限り不滅なの。ソロやディーは消えちゃったみたいだけど、仕方ないよね。あの子たちは弱すぎた。永劫の時を生きるに値しなかったんだよ。もうアネモネも死んじゃったのかな? そしたら私がこの城の新しい女王だね。嬉しいな。口うるさいディーも、上位存在だったアネモネもいなくなったら、私は自由。思う存分遊べるね!」


 晴れやかに笑うレニスの周囲に十の輪が浮かんだ。

 直径一メートルはありそうな、高速回転する光輪は、人体を易々と切り裂くだろう。


「でもまずはあなただよ。実力は認めてあげるから、死ぬまで私と遊んでね!」

 レニスは同時に全ての光輪をぶつけてきた。

 飛来途中でそれぞれ軌道を変えての、全方位からの襲撃。


 カインはその場から動くことなく、全く同じ魔法を繰り出して撃墜させた。


 息つく暇もなく、業火の赤が視界を染める。

 瞬時に完成させた水魔法で業火を打ち消した刹那、唐突に全ての感覚が消失した。


「…………?」

 気が付けば、離れた場所にいたはずのレニスが目前に立っていた。

 一瞬、何故自分が倒れているのか、レニスが見下ろしているのか、理解できなかった。


(気絶していた……のか。俺は)

 恐らくは時間にしてたった数秒のことだが、戦いの最中に意識を失うなど信じられない。とんでもない失態だ。


「大丈夫? 生きてる?」

 レニスは気遣わしげに屈んでこちらを見下ろしている。

 その顔は良く見えなかった。

 視界がぐねぐねと不気味に波打っている。


「びっくりしたよ、いきなり倒れちゃうんだもの」

「……何故この隙に殺さなかった?」

 乾き切った喉に唾を送り込み、汗ばんだ額を押さえて起き上がる。


 不自然な速さで脈打つ心臓。全身から噴き出る汗。割れるほどに痛む頭蓋。歪曲したまま戻らない視界――身体中に異変が起きていた。


 意識を失ったという事実からしても、猶予はもうない。


 気力で不調を押し切り、魔法を使ったとしても、あと数回。

 恐らくそれでカインの命は尽きる。


(異界の魔法を連発したからな。仕方ない……当然の結果だろう。むしろここまでよく持った)

 左手と同じ痣に侵食された右手を握る。


 アネモネが狂ったのは愛するギルの死が引き金だが、その崩壊を決定的にしたのは異界の魔法の連続使用だとカインは推測していた。


 アネモネは精神が壊れたが、カインの場合は身体が壊れた。そういうことなのだろう。


 異界の魔法は、何があっても人が手を出すべきではなかったのだ。

 大きすぎる力は身を滅ぼす――何人もの賢者が過去に訴えた通りだった。


「そんなのズルじゃない。意識を失った相手の命を狩るなんて、私の美学に反する。正々堂々と戦うから、ゲームは楽しいんだよ?」


「……ゲームか。俺の命を懸けたこの戦いも、お前にとってはただのゲームでしかないんだな」


「そうだねえ、あなたはとっても強くて興味深い遊び相手だよ。でも、ただそれだけ。だって人間は死んだらそこで終わる。永遠を生きる私とは違うモノだもの。あなたは虫を潰すときに、いちいち涙を流して黙祷を捧げるの?」

 レニスは心底不思議そうだった。


「…………」

 わかっていたことだ。

 レニスにとっては誰もがただの遊び相手。

 死ねば次を探せばいい、その程度の認識だ。

 彼女が個を大事にすることは決してない。

 命を尊重する気など端からない。


「あ、怒った?」

 押し黙っているこちらをどう捉えたのか、レニスは首を傾げた。


「大丈夫だよ。あなたのことは異界の魔法を使う貴重な人間だったって、ちゃんと覚えててあげるから。うん。多分、そのうち忘れると思うけどさ。いやだってしょうがないじゃん? 私は永遠を生きるわけだしさあ、記憶力に限界はあるでしょう? そこで文句をつけられても。あ、じゃあ、日記に書いておいてあげようか――」

 カインはレニスに気づかれないよう、死角で魔法式を書いた。

 べらべらと喋るレニスの不意を打つタイミングで立ち上がり、レニスの目を右手で覆う。


 指の隙間から光が溢れ、レニスが「ぎゃっ」と悲鳴をあげる。


「何するのさ!」

 レニスは怒声をあげてカインの手を振り払いながら、風の刃を繰り出してきた。

 光で目が眩んだまま、がむしゃらに撃ったのであろう彼女の攻撃はカインに当たらず、廊下の壁に三つの亀裂を生むだけに終わった。


 カインはまだレニスの視力が回復していないうちに玉座の間の扉の前に移動し、ふらつく姿勢を半歩引いて整えた。


 さきほどレニスにかけた魔法を維持しているせいで、脂汗が顎を滑り落ちる。


(多分、これが、最後)


 だからあともう少し。あともう少しだけ持ってくれと、自分の身体に祈る。

 背後に玉座の間の扉。

 数メートルを挟んでレニスが立つ。


 視界は変わらず歪んでいるが、目がつり上がっているのはわかった。


「もー、まだちかちかする。視覚を奪うつもりだったのね。最悪」


「どんな攻撃を受けても治るんだろう? だったら別に構わないじゃないか。こっちは死ぬほどの怪我を負えば死ぬんだよ。でも」


 カインは不敵に笑ってみせた。

 心底馬鹿にしきった顔で、レニスを見下す。


「これまでの戦いでお前は左手を失うほどの重傷を負ったのに、俺は五体満足でいる。つまりお前はその程度。ただの人間に勝てない雑魚だったというわけだ」

「馬鹿言ってんじゃないわよっ!!」

 狙い通りにレニスは激高した。彼女は単純なのだ。


「私が本気を出したらあんたなんて一撃で殺せる! それじゃつまらないから手加減してあげたのに、増長するな格下が――!」

「御託はいいから全力で撃ってこい」

 カインはさもつまらなそうな顔を作り、人差し指を二回折り曲げて挑発した。

 レニスの顔が憤怒で真っ赤に染まる。


「逃げも隠れもしない。真正面から受けて立つ」

 大嘘だが。と胸中で呟く。


「……上等よ。後悔しなさい」

 レニスが低い声で言い、恐ろしいほどの魔法式が空間を埋め尽くした。

 それが彼女の使える最大威力の魔法なのだろう。

 カインの目に映る全ての魔法元素を取り込んで、組み変えている。


(凄いな)

 同じ魔法使いとして、カインは素直に感心した。

 たとえ体調が万全であったとしても、この究極というべき魔法を打ち消す魔法は思いつかない。軌道を変えるのが精いっぱいだ。


「望み通りに死ねぇぇぇっ!!」


 絶叫しながら、レニスが手のひらをこちらに向け、魔法を解き放つ。

 カインは空間転移で右手に跳ぶ寸前、これまで維持していた魔法を解除した。


「……は?」

 間の抜けたレニスの声がする。


 彼女の目には、突然城が90度回転し、右手にあったはずの玉座の間の扉が目の前に出現したように見えたのだろう。


 レニスの目を覆った際、カインはそういう魔法をかけた。

 彼女の目に間違った世界が映るように、錯覚を引き起こした。


 そして、その結果。


 レニスが放った魔法は守護結界を苦も無く破壊して壁ごと扉をぶち抜き、玉座の間に鎮座していた虹色の魔法結晶を派手に爆発、四散させた。


「確かに凄いな。魔法結晶が木っ端微塵だ」

 廊下の一角に転移してその光景を見ていたカインは、無感動に呟いた。


 人間の身体よりも大きかった、七色の光を放つ美しい魔法結晶は見る影もなく、粉々の破片となって床に飛び散っている。

 これ以上ないほどに破壊されていた。


「……え。嘘。嘘でしょう。何よこれ。だって、あんた、受けて立つって」

 魔法結晶からこちらへと視線を移し、呆然と呟くレニス。


「忘れた」

 涼しい顔で言い放つと、レニスは右手で拳を作り、震わせた。


「ふざけんなっ、卑怯者――!」

 殴りかからんばかりの威勢でこちらに駆け寄ろうとしたレニスの姿が途中で揺らぎ、消えた。


 あっけない幕切れだった。拍子抜けするほどに。


(…………ああ。終わったのか。これで)

 もう立っていられるほどの体力もなく、カインは膝を落とし、倒れ込んだ。


 視界がますます強く波打ち、城の輪郭がぼやけ始めた。


 自分の目がおかしいからかと思ったが、どうやら気のせいではない。

 魔法結晶という存在軸を失った城が消えかかっている。


(あいつらのところに行かないと……)

 意識だけが焦るが、立ち上がろうにも、身体が軟体動物にでもなったかのように力が入らない。


(困ったな。死ぬのかな……まあいいか)

 冷たい床の感触が火照った身体に気持ち良くて、カインは足掻くのを止め、目を閉じた。


(頑張ったし。俺……うん……凄く頑張った……三カ月……いや、ルシウスの魔法を解除しようとしてた頃と合わせれば二年と三カ月か……これだけ頑張れば母さんも褒めてくれるだろ……宮廷魔法使いにはなれなかったけど……でも一時とはいえ王子に仕えたし……悪い魔女もやっつけたし……話の種は尽きそうにないな)


 水にインクを落としたように、意識が拡散していく。

 自我が崩壊し、過去と現在の自分が混濁し、記憶が錯綜する。


「――カイン!!」

「カイン様!!」


 どこか遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえたような、そんな気がした。

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