24:戦闘開始
「そんな……」
カインとディーは昨日の夜に話し合い、入念な作戦を立てた。
アネモネが同時に二か所には存在できないことを利用して、彼女がシアラたちと朝食を取っている間にカインとディーはそこら中にあるアネモネの『目』をごまかしつつ、ガラスケースのある部屋へ行った。
ディーはギルの魂を呼び戻す大魔法を使い、その負荷により消滅した。
全てをカインに託し、カインやシアラたち皆に『ごめんなさい』という懺悔の言葉を残して。
誰の言葉にも耳を傾けなかったソロは、ギルに呼びかけられてようやく反応を見せ、ギルに『もう苦しまなくていいんだよ』と言われて安堵したように笑い、消えたという。
それはいい。結局、ソロとは一度も会話することができなかったし、ずっと味方でいてくれたディーの消滅は悲しくはあったが、何よりシアラの胸をかき乱しているのはカインが放った言葉だ。
「本当に……カイン様の余命は、もう幾ばくも無いんですか」
さっきから身体の震えが止まらない。
リドもルシウスも青ざめていた。
ギルの魂である光の球も、心配そうに小さく左右に揺れている。
「魔法を使わなければまだ少しは持つと思うが――」
「だったら使わないでください!」
シアラはカインの腕を掴んで声を大きくした。
「なんでもっと早くに言ってくれなかったんですか! なんであなたはそう」
「前にも言っただろう。俺にしかできないことだからだ。命をかけてでも、魔女をこのまま放置するわけにはいかない」
「何故!」
怒ったのはルシウスだった。青い瞳が激昂の炎を灯している。
「一つ言わなかったことがある。ネズミのお前をさらい、シアラの畑に落としたのはレニスだ」
「は?」
ルシウスは困惑顔。
「あれは鳥の仕業、ただの偶然だとお前が言ったんじゃないか。離宮には結界が張られているから魔女の手は届かないと」
「言えなかったんだ。どんな結界も異世界の魔法を操る魔女には無効だと言えば、大混乱を引き起こすのは目に見えていたからな。特にお前を溺愛するエリーゼ王妃は倒れかねなかっただろう」
ルシウスが口を閉ざし、リドが独りごちるように言った。
「……考えてみればアネモネは殿下の引き渡しを要求したとき、王宮の守護結界を無視して城に入り込み、城中の人間を眠らせているな。それでも」
リドが恨めしげにカインを睨む。
「お前が大丈夫だと言うから信じたんだぞ、俺は。見ろよシアラの顔を」
言われて、カインがこちらを向いた。
「……レニスはアネモネと違って何の制約もない。あいつは無邪気に虫を潰して喜ぶ子供と同じなんだ。善悪の区別もなく人を殺す。鳥を操ってルシウスを上空から落としたときもそうだ。危うくルシウスが死ぬところだったと俺が怒ると、あいつは平然と、その程度で死ねば運がなかっただけだと答えた。許せない。絶対に」
カインはシアラの頬を流れる涙を指で拭った。
「放っておくとまた新たな犠牲者が出る。それがお前たちじゃない保証なんてどこにもない。だから、俺はお前を悲しませてもあいつを消す」
「……私が嫌だと言ってもですか」
「ああ。俺に未来を守らせてくれ」
濡れた頬に、カインの左手が添えられる。
痣で不自然に黒くなってしまった手に、シアラは自分のそれを重ねた。
無数の言葉が胸に溢れ、けれど、それらは口にすることなく消えて行った。
カインはシアラが泣こうが喚こうが絶対に意思を曲げない。その確信がある。
(――だってこの人は、他人のためならなんだってしてしまうんだもの)
だったら、シアラは全力で彼を守る努力をするだけだ。
シアラはカインの手を握り、繋いだまま下ろさせた。
「……では、悠長に会話している場合じゃないではありませんか。アネモネのことはギルさんに任せて、早く玉座の間に行きましょう。レニスが現れる前に、魔法結晶を壊すんです。ギルさん」
「はいっ」
漂いながら沈黙していた光の球が、ぴょんっと跳ねた。いきなり呼びかけられて驚いたようだ。
その動きは見る者の微笑を誘った。
彼は性根の素直な、優しい人だったのだろう。
できることなら、もっと言葉を交わしたかった。
目を覚ましたアネモネと彼がどんな会話をするのか、アネモネもソロのように笑って最後を迎えることができるのか、見届けたかった。
でも、残念ながらそんな余裕はない。
「アネモネのことは全てあなたにお任せします」
「はい。もちろんです」
「では、殿下、リドさん。皆、行きましょう」
全員が頷く。シアラはカインと手を繋いだまま、扉に向かった。
「皆さま」
背後からギルの声がかかった。
立ち止まって振り返ると、光の球が左右に揺れている。
「僕が言えた義理ではないんですが、姫さまがご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。愚かな王のせいで僕たちは悲惨な最期を迎えることになってしまいましたが、姫さまは本当に、本当に優しいお方だったのです。どうかよろしくお願いいたします」
光の球は大きく降下して、また浮上した。
頭を下げたつもりなのだろう。
「ああ」
カインは短く応じ、シアラの手を引いて駆け出した。その後を皆が続く。
シアラが追い付けるように、カインは速度を落として廊下を駆ける。
玉座の間を目指すその横顔は真剣そのものだ。
繋いだカインの手はやはり、少し冷たい。
それでもちゃんと温もりがある。
強くその手を握ると、カインも握り返してくれた。
ふと、離宮で彼の手を握ったときのことを思い出す。
あのときは眠るカインの顔を見下ろして、ただ幸せだった。
そういえば、ルシウスの呪いは解けたのに、シアラはまだ自分の想いを伝えていない。
「カイン様」
走りながら、シアラは言った。
「なんだ」
「全てが終わったら、聞いてほしいことがあるんです。聞くと約束してください」
「ああ。わかった」
「……本当ですね?」
じーっと赤い瞳を見つめる。
「なんだその目は。疑い深いな」
「前科があります。魔法の蝶を見ると約束しておきながら、記憶を消して行ってしまったではありませんか。この約束を反故にされたら怒りますからね」
謝罪されたから、記憶を消された件に関しては怒ってはいない。
でも、乙女が一世一代の告白をしようとしているのだ。
これはもう、絶対に聞いてもらわなければ困る。
だから、なんとか頑張って長生きしてもらわなければならない。
「わかった。誓う」
「はい」
シアラは頬を緩めた。
(後は、レニスがこのままおとなしくしていてくれたら、扉を壊して、魔法結晶を壊すだけで終わるんだけれど……)
階段を上り、廊下をしばらく走れば、玉座の間の前に着く。
「あらあら、皆さんお揃いで。そんなに急いでどうしたの?」
重厚な扉の前で笑うドレス姿の少女を見て、シアラは顔を強張らせた。
レニスは隔離空間を破り、ここで待っていたらしい。
カインが繋いでいた手を離した。
半分が痣で覆われたその顔に浮かぶのは敵意と警戒。
「決して近づくなって、アネモネに言われたでしょう? それでもここにきて、隔離空間に私を閉じ込めたってことは……ひょっとして魔法結晶を壊すつもりなのかな?」
にたあ、とレニスの笑みが崩れる。
邪悪な笑みに、シアラは竦み上がった。
これまでレニスはシアラにとって無垢な子どもでしかなかった。
幼児のようにはしゃいで、庭を駆け回り、遊び相手をせがんできたのに、いまの彼女は別人だ。禍々しい悪意の塊にしか見えない。
「わかっているならそこを退け」
気配の豹変に怯むことなく、冷淡な口調でカインが言う。
「嫌だよ。魔法結晶を壊されたら私も死んじゃうじゃない」
レニスは肩を竦め、両手を横に広げた。
「このままじゃ話はどこまで行っても平行線。ラチがあかない。となればあ、戦うしかないよねっ!」
レニスは楽しそうに笑い、両手を高く上げた。
「たかだか空間転移の魔法一つで怯えてたあんたが、この三カ月でどれだけ強くなったか確かめてあげる!」
嫌な予感が心臓を鷲掴みにし、冷や汗が頬を流れた。
シアラの目には見えないが、カインの目で見れば、彼女の周囲を無数の魔法式が踊り狂っている様が見えるのかもしれない。
「離れてろ」
カインがレニスから目を離さないまま、シアラを押した。
「リド、シアラたちを連れていけ」
「わかった。退避させたら俺も――」
「駄目だ、ここには近づくな。アネモネを気絶させても『目』は消えていない。恐らくあいつが支配した。いまも二つの『目』がお前たちに張り付いている」
不気味に思い、周りを見回したが、何の異変も見当たらない。
シアラの目に隠蔽された異界の魔法は映らない。
「お前は戦闘の余波からそいつらを守れ。レニスはこの城で最強――」
どんっと乱暴に突き飛ばされた。
床を転がり、横向きで停止した直後、背後から溢れた光が網膜を焼いた。
轟音が城を震わせる。
光のせいで視力が戻らず、何が何だかわからないうちに誰かの手で引っ張り起こされ、足の裏に何かがぶつかった。
衝撃に耐えられずに尻餅をつく。
そこは床ではなく、柔らかい毛並みの上。
突進してきたのはクルーガだったらしい。
「掴まれ! 走るぞ!」
「えっ。わっ――」
了解の返事も待たず、クルーガはシアラを乗せて走り出した。
何度も強く目を瞑ってなんとか視界を取り戻せば、リドがルシウスの手を引き、クルーガと並走している。
背後でまた新たな轟音がした。それからレニスの哄笑。
「へー、驚いた! なかなかやるじゃんか! じゃあこれはどう!?」
爆音。それに伴う振動に、クルーガがバランスを崩しそうになる。
(カイン様――)
どうにかクルーガにしがみついて振り返ったが、舞い上がる粉塵に阻まれて二人の姿は見えなかった。
(どうか。どうか、無事で)
異界の魔法はカインの命を削る。
シアラは激しい戦闘音を聞きながら、一刻も早く決着が着くよう祈るしかなかった。
◆ ◆
戦闘が始まったらしく、二階から物凄い音がする。
仰向けに横たわった愛しい姫は、その音と振動で目を覚ました。
サファイアのように美しい瞳がゆっくりと開かれる。
「姫さま。おはようございます。もう朝ですよ」
ギルはそう挨拶した。
白い石壁の朽ちた、茨の這う古い塔。
その天辺に閉じ込められていた姫が鉄格子の向こうで眠っていたら、いつもそう声をかけていたように。
昔なら、姫は起きると必ず照れて、魅惑的な微笑みを返してくれたが、現在の姫は頰をピクリとも動かさなかった。
サファイアの瞳から、みるみるうちに涙が溢れ、こめかみへと流れ落ちていく。
ただただ静かに、涙を流す。その様子はソロと重なった。
「大丈夫ですよ、姫さま」
ギルは姫に寄り添い、安心させるように微笑んだ。
もう身体はなく、いまの自分には顔すらないが、笑ったつもりでいた。
「大丈夫です。もう悪夢は終わったんですよ。だから、さあ、起きてください」
どんなに過酷でも、姫には目を覚まして、自分のしたことを直視してもらわなければならない。
カインに聞かされた彼女の罪は重すぎて、償う方法など全く見当もつかないけれど、それでも隣で彼女を支えるのが自分の役目だと、ギルはそう思っていた。
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