23:誰より辛くて、悲しかったのは

     ◆     ◆


 夜も更けた頃。

 カインは魔法の光に照らされた私室の机に座り、一心不乱にペンを動かしていた。


 蟻のような小さい文字がびっしりと紙を埋め尽くす。

『賢者』の称号を得たリドでさえ理解はできないであろう、複雑で難解極まる魔法式。


 遥か昔に失われた魂を呼び戻すために、カインは既存の異世界魔法を応用し、全く新しい魔法を作り上げようとしているのだった。


 急に呼吸が乱れ、カインはペンを取り落とした。

 黒いインクが紙に散るのを見ながら、口を押さえて咳き込む。


 吐き出しはしなかったが、口の中に血の味が広がった。

 喉元を押さえ、深呼吸を繰り返す。


 どうにか呼吸が戻ったところで、震える右手を持ち上げ、再びペンを握ろうとしたときだった。


「何をしているの、あなたは」

 厳しい声とともに、半透明の手が、ペンを掴もうとしていたカインの手に重なった。

 隣を向くと、ディーが立っている。激怒の表情で。


「シアラたちから聞いたわ。ギルの魂を呼び戻すつもりなんですってね。馬鹿じゃないの? 一体何を考えているの? 確かに死者の魂を呼び戻す魔法はあるわ。けれど、あれはあくまで死した直後、乖離してすぐの魂限定よ。千年前の魂を呼び戻すなんて聞いたことがない。そんな超高難度の魔法、たとえ成功しても失敗しても、あなたは間違いなく死ぬわよ!」


 ディーは怒声をあげた。

 冷静沈着な彼女が声を荒らげるのを見るのは初めてだった。


「協力してほしいとは言ったわ。でもこんなこと頼んでない! アネモネを見たでしょう!? あれが愛する者を失ったものの末路よ! シアラにまで同じ苦しみを味わわせるつもりなの!? 余計な同情なんてしなくていい! あなたはただ――」


「力ずくで排除するのは駄目だ。それだと一生、あいつが引きずる」

 激高する彼女とは対照的に、カインは落ち着いた口調で言った。


「だから! あなたが死ぬと言えばシアラだって考えを改め――」


「俺はもう長くない。そう言ったのはお前だろう?」

 ディーがぐっと言葉に詰まった。


「俺だって自覚はある。眩暈に動悸、吐き気に喀血。まあ半年と持たずに死ぬだろうな」

 左手で顔を押さえる。

 醜い痣が広がった顔は、鏡を見る度になんともいえない気持ちになる。


「死に方くらいは自分で選ぶ。どうせ死ぬなら満足して死にたい。あいつの悲しみの種になりえる要素は、できる限り取り除く」

「……。ごめんなさい。私の……私たちのせいだわ」

 ディーは急に声のトーンを落とし、深く項垂れた。小さな身体が震えている。


「何故アネモネは、私は、あそこで終わることができなかったんだろう。国を滅ぼしたときに、私たちも消滅するべきだった。狂気と怨念だけが残って、正しく死ぬことさえできなかった。どうしてこんなことになってしまったのかしら。どうやって償えばいいのかわからない。あなたにも、これまで奪ってしまった多くの命にも……」

 ディーは顔を覆い、声を湿らせた。


「それはお前がやったことじゃないだろう」

「いいえ。私もアネモネの一部よ。アネモネは私」

 細い肩が震える。


「私は私の手で幕を引くことさえできなかった。アネモネに制限をかけ、二番目を倒すことで精一杯で……アネモネの注意があなたに向かっているのはわかっていたのに、私は止めなかったの。最低でしょう? 知っていてあなたを巻き込んだの。並外れた天才であるあなたなら、きっと私たちを終わらせてくれると……」


 静かな部屋に、嗚咽が響く。


「責めて詰ってくれていいわ。あなたには恨み言を言う権利がある。叩かれても殴られても仕方ない。私にはそれを受け止める身体がないけれど――」

「顔を上げろ」

 台詞を遮って言うと、ディーは身体を震わせた。

 唇を引き結び、目元を擦って、顔を上げる。

 まるで、挑む様な表情。


 泣いた証拠として、きちんと目が赤くなっているのが不思議だった。

 彼女にはもう身体がないのに。


「俺は恨んでない」

 赤くなった彼女の目を見つめて断言する。


「……嘘よ。あなたはルシウスの近くにいただけの、全く無関係の第三者だった。私たちに関わらなければこんなことにはならなかった。早すぎる死を迎えることもなかった」

 ディーがカインの左の頬に触れる。

 いまにも再び泣き出しそうな顔をしていた。


「それでも恨んでいないなんて、そんなわけ」

「本当だ。俺はむしろ、アネモネより、ソロより、誰よりお前にこそ一番同情してる」

「……何を」

 ディーが手を離して狼狽えた。


「この城の住人は皆が傷ついて病んでいる。その中でただ一人、狂うこともできず、千年も理性を保ったまま闘い続けたんだ。――辛かっただろう」


 頭に触れると、ディーは口を半開きにした。

 労われるとは夢にも思わなかった、そんな顔。


 頭を撫でるふりをすると、彼女は当惑したように右を見て、左を見て、俯いて――それから無言で目を拭った。


「……馬鹿みたい。本当に。シアラもあなたも、本当に、馬鹿がつくほどのお人好しだわ。信じられない。全く……度し難いわね」

 ディーは何度も目を擦って、顔を上げた。


「意地でも死なせられないじゃないの。決めたわ。私が存在している間、あなたに魔法は使わせない。ギルの魂は私が呼ぶわ」

 ディーは背後で手を組み、微笑んだ。

 覚悟を決めたものだけが見せる、全てを振り切った、晴れやかな笑顔。


「何を言い出すんだ。存在するのが精一杯のくせに」

「ええ、私はそこで終わる。だから、申し訳ないけれど、あなたにはその後のことをお願いしたい」

 ディーは真剣な表情で言った。


「この先警戒しなければならない相手はソロでもアネモネでもない。レニスよ。あの子はあなたたちが魔法結晶を砕くためにここに来たのだと知ったら、きっと全力で抵抗する」


     ◆     ◆


 眠れずに夜を過ごした。

 昨日の夜、ディーに作戦を話すと、ディーは血相を変えて「なんてことを。魂を引き戻すなんて、どれほど負担がかかるか」と言った。


 あれからすぐにディーはカインの元へ行ったらしく消えてしまったが、シアラは選択を間違えたかもしれないと後悔していた。


 アネモネの過去に同情はする。

 できることならギルと再会させて、最高の形で幕を引いてあげたいと思う。


 けれど、それでカインが衰弱したら。

 もしも死んでしまったら。


 想像するだけで恐ろしい。何よりも嫌だ。


 死なないと彼は約束してくれた。

 けれど、本当に?


(カイン様……)

 ベッドに寝転がり、シアラは煩悶していた。


 クルーガが床からこちらを見ている。

 心配そうにシアラを見上げているが、声をかけてはこない。これまで何度もそうして、シアラが生返事を返したせいだろう。会話を諦めているのだ。


「シアラ、見ろ。もう朝だ」

 クルーガに言われて見れば、絹のカーテンの隙間から朝陽が漏れている。


「少しでいいから寝ておけ。寝不足の顔など見せたら、カインも心配するぞ」

 クルーガがベッドに飛び乗り、うずくまった。


「……。そうね。ごめんなさい。いつもありがとう、クルーガ」

 シアラは目を閉じ、クルーガを抱きしめて眠った。


 数時間後、シアラは食堂へと向かった。

 既に皆が揃っていた。カインだけがいない。


 レニスは上機嫌でぺちゃくちゃ喋っている。

 彼女の相手はルシウスとリドに任せ、味のしないパンを水を使って強引に飲み下す。いざという時に動けるように、しっかり食べて体力をつけなければいけない。

 食事が終わり、解散しようかという時だった。


 扉に向かって歩いていたレニスの姿が急にぼやけて、消えた。


「なに?」

 アネモネが立ち上がる。彼女の仕業ではないらしい。

 となれば、ディーか、カインか。

 ソロに自発的に動くほどの自我は残っていない。


(あ)

 シアラは上げそうになった声を喉元でなんとか押しとどめた。


 警戒を顔いっぱいに浮かべているアネモネの背後。

 空間が縦に割れて、そこから現れたのはカインだった。


 彼の左肩の上には、三センチほどの、白く光る球が浮かんでいた。


(何かしら、あれは)

 さらに、彼は右手に何かを持っているらしく、胸の前で拳を作っていた。


 アネモネが背後の気配に気づき、振り返るとほとんど同時に、カインは右手をアネモネの頭に押しつけた。

 彼女に触れた箇所から、カッと金色の光が溢れる。


 たちまち、アネモネが耳をつんざくような絶叫を上げた。


 魂を潰されたような、獣のような咆哮に、全員が耳を塞いだ。

 まともに聞いたら精神がおかしくなりそうだった。


 シアラも反射的に耳を押さえようとして、床で悶絶しているクルーガに目が留まり、慌てて抱きかかえて耳を押さえた。


 長い長い咆哮が終わると、アネモネの姿が変わった。


 シアラと同じ金色がかった緋色の髪に、その容姿の美しさに不釣り合いな、汚れた服を着た十五歳の少女。


 糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた彼女を、カインが屈んで抱きとめた。


 このときにはもう、カインが何をしたのかわかっていた。

 カインが持っていたのはソロの記憶だ。ソロの記憶をアネモネに渡したのだ。


「あああ」

 と、知らない声が聞こえた。


 カインの肩の上にいた白い光の球が、気絶したアネモネの前に移動して、左右に揺れている。

 人間風に言うなら、おろおろしている。


「大丈夫でしょうか。死んでませんよね?」

 口もないのに、白い球が喋っている。少女のようなアルトの声。


「とうに死んでいるだろう」

 カインはアネモネを抱え上げて立った。


「それはそうですけれど、でも、元は一国の姫なんですから。どうか丁重に扱ってください。本当なら僕がお運びして差し上げたいんですが、僕には手も足もないし、うう……まさか姫さまがこんなことになっているとは……千年後……まさかの千年後……本当に千年後……?」

 白い球はうんうん唸っている。


「カイン、その白い球は……」

 急展開についていけないのだろう、ルシウスが呆然と尋ねた。


「ギルの魂だ。俺じゃなくて、ディーが呼んだ。そして、ディーは消えた」

「消えた?」

 おうむ返しに聞き返したのはリド。


「ああ。力を使い切って消滅した。ソロもな。ソロはギルと話した後に、満足そうに消えて行った。初めて笑うのを見たな……詳しくはサロンで話す」

 カインは白い球を従え、アネモネを抱えて出て行った。


 リドとルシウスは顔を見合わせ、その後を追った。


 大ダメージを負ったらしく、足元のおぼつかないクルーガを気遣いながら、シアラは最後にサロンに入った。


 長椅子にアネモネが寝かされていた。

 その近くでカインたちが話し合っている。


 シアラが近づくと、皆がこちらを向いて会話を止めた。


「あの。初めまして、シアラ様」

 皆の中心で宙に浮いている白い球が言った。


「カイン様たちには挨拶しましたが、改めて自己紹介をしますね。僕はリンドカレラの城で庭師をしていました、ギルバートです。どうぞギルとお呼びください」

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