20:ただ、ずっと、会いたかった

     ◆     ◆


「…………カイン……様?」

 夢にまで見た人が唐突に現れ、シアラは呆然と立ち尽くした。


 鳶色の髪。こちらをまっすぐに見つめる、夜に灯る炎のような赤い瞳。

 服はシンプルなシャツに黒のスラックス。

 それはいい。けれど。


(……あの痣は、どういうこと……?)

 冷やりとしたものが背筋を撫でる。


 三カ月ぶりに見たその端正な顔の左半分は奇怪な痣に覆われていた。

 赤黒い茨のような、明らかに良くないモノ。


 袖から伸びる左手にもびっしりと同じ痣が這っている。

 左半身が痣に侵されているようだ。


 皮膚病を発症したわけではないだろう。

 こんな症状など見たことも聞いたこともない。


 だとしたらこれはきっと、無茶に無茶を重ねた結果だ。

 彼は他人のためなら簡単に自分を犠牲にしてしまう人だから。


 カインは何か言おうとして口を開きかけ、片膝を落とした。


「カイン!」

 リドが悲鳴じみた声をあげ、皆が駆け寄る。

 誰よりも先にシアラは駆け寄って跪き、ほとんど無我夢中でカインを抱きしめた。


 カインの身体は細かく痙攣していた。顔色も悪い。

 手から伝わる感触が、彼の匂いが、決してこれが夢ではないことをシアラに教え、涙が止まらない。


「大丈夫ですか。なんですかその痣は。顔も手も、どうして。また何か無茶をしたんでしょう。あなたという人は、本当に、私が、どれだけっ……」

 その先は言葉にならなかった。

 万感の思いが胸に溢れ、嗚咽が口を割って漏れる。


「……お前らの顔を見たら力が抜けた」

 カインは抱擁をやんわり解いて、シアラの手を引っ張り、立ち上がらせてくれた。


 それから、何故か頭上の一点を見て、またシアラに目を戻した。


「その髪、どうしたんだ」

「国王様に捧げました」

 シアラは目元を擦り、涙で歪む視界を矯正しながら答えた。


「どうしてもルシウス様を連れて魔女の元へ行くというのなら、相応の覚悟を示せと言われて。騎士様にナイフをお借りして切ったんです。髪は女の命と言うでしょう」

 迷いなく髪を断ち切り、低頭して差し出すシアラを見て、ついに国王もルシウスを連れ出す許可をくれた。必ず無事に返せと約束させて。


「……馬鹿だな。どこの世界に庶民一人のために王子を駆り出す奴がいるんだ。記憶を消す魔法だって、習得に一カ月かかったのに」

「それはお前が勝手にやったことだろう」

 恨みのこもったリドの声に、カインが隣を向く。


「殿下の呪いを解いた偉人と持ち上げられて、宮廷魔法使い筆頭の座を与えられて、実は全部お前の功績だったと知ったときの惨めさがわかるか? 会ったら絶対殴ってやると思ってたよ」


 ぐい、とリドがカインの右腕を掴んで引っ張る。

 カインは抵抗する素振りもなく、リドの尖った眼差しを受け止めた。

 はらはらしていると、カインが静かに促した。


「……殴らないのか?」

「その顔見たら気が失せた」

 リドは渋面になり、カインを突き放した。


「なんだその痣。どうせお前のことだから自分の身体で魔法の実験でもしたんだろ」

「半分正解で半分不正解だ」

 カインは左手を持ち上げ、握った。


「確かにこうなったきっかけは一つの魔法だったが、いまでは異世界の魔法を使うたびに広がってる。異世界の魔法は本来使ってはいけないものなんだろう。反動が大きすぎる」

「だったら――」

 言いかけたシアラを、カインはかぶりを振って押しとどめた。


「それでも、魔女に対抗できるのは俺しかいない。二番目の魔女の使徒が何人虐殺したか聞いただろう。あいつらは気まぐれ一つで命を潰す。あいつらがいなければ、お前も九年の月日を犠牲にすることはなかったんだ」

 カインに見つめられて、ルシウスが複雑な表情を浮かべた。


「俺はこの狂った城ごと魔女を消す。だから、お前らは」


「帰れと言うんじゃないですよね?」

 シアラは機先を制し、潤んだ目でカインを睨みつけた。


「記憶を消されたせいで私は二カ月もの間、わけもわからず苦しんで、毎晩泣いて飛び起きたんですよ? 投獄も覚悟で王城に乗り込んで、なんとかルシウス様を連れ出す許可を得て、はるばる一カ月かけてここまで来た相手に、まさかそんな酷いこと言いませんよね?」

 熱い滴が頬を流れた。


「どうしてカイン様はいつもそうなんですか。なんで一人で全部抱え込もうとするんですか。私は邪魔ですか。迷惑ですか。じゃあなんで『私の幸せを祈ってる』などと思わせぶりなことを言ったんです!」


「え、そんなこと言ったのか?」

 リドの問いに、シアラは大きく頷いた。


「言いましたよ! 私はちゃんとはっきり覚えてます! 記憶を消す前はデートに誘っておいて、意味深なことばかり言って、それで最後は一方的にさよならなんて、何なんですかもう! 私ばっかり振り回されて、喜んで、浮かれて――もう本当に、本当に、馬鹿みたいじゃないですか!!」


 まくし立てているうちに怒りが爆発し、シアラはカインの腕をがしっと掴んだ。

 ぼろぼろ涙が零れ、床に落ちて跳ねる。


「三カ月ぶりなんですよ、会いたかったとかごめんなさいとか、何か言うことはないんですか! 私だけではありません、リドさんだってルシウス様だって、クルーガだって! みんなあなたを心配してここまで来たのに、どうしてそんなに冷たいんですか! 魔女のことなんていまはどうでもいいんです! 私はずっと、ずっと、カイン様に会いたかっ――」


 しゃくりあげながら言いかけたとき、いきなり抱きしめられた。

 ルシウスが「おお」と呟き、続いて「おいリド何をする」という声が聞こえた。


 リドが気を利かせてルシウスを階段室のほうへ連れて行ってくれたようだが、いまのシアラにそちらへ注意を向けられるほどの余裕はない。


「――悪かった。髪も。すまない」


 耳元でカインの声がする。

 強く抱きしめられて、胸が詰まる。

 苦しいのか幸せなのかわからない。ただ、涙が零れた。


「会いたかった。本当は。俺もずっと、お前のことばかり考えていた。でも、そんな勝手なこと言えなかった。一人で戦うと決めて、記憶まで消したのに」


「……では、自分の行為が間違っていたと認めるんですね」

 シアラは頬を寄せて、カインの背中に腕を回した。

 失うかもしれないと怯えていた彼の温もりを、腕の中に閉じ込める。


「ああ。苦しませてすまなかった」

「はい。許します」

 シアラは口元を綻ばせた。再び涙が溢れる。

 これまでとは違う、歓喜の涙だ。


「カイン様が嫌だと言っても、私はもう、お傍を離れるつもりはありませんから。魔女と戦うというのなら、私も一緒に戦います。そうしようと皆で決めたんです。決してカイン様を一人にしないと」

「……死ぬかもしれないのに?」

「ええ。私は死ぬよりカイン様と離れるほうが辛いんです」


 目を閉じて、カインを抱く手に力を込める。同時に癒しの力を発動させた。

 膝をついたことと、その顔色からして、カインがここに来るまで相当に無茶をしたことは明白だ。


「少しは楽になりましたか?」

「ああ。ありがとう」

「はい」

 抱擁を解いて、シアラは心の底から笑った。

 カインも笑顔を返してくれる。

 彼の笑顔は随分とささやかだけれど、それで十分。


(もしかしたら、私の持つこの力は彼のために与えられたのかもしれない)

 かけがえのない、愛する人を癒す力。

 この力は他の誰にも真似できないと思うと、シアラは自分の力が誇らしい。

(痣が少しも引かなかったのは残念だったけれど……)

 もしかしたらと期待したのだが、そう上手くはいかなかった。


「そろそろ戻っていいだろうか」

 声に振り返れば、階段室のほうからリドが顔を出している。

 一部始終を見ていたようだ。

 リドの手で目隠しされたルシウスは、口がへの字に曲がっていた。


「ああ。というか、変に気を遣わなくても良かったのに」

「そこが駄目なんだよなあ、カインは」

 リドはやれやれ、といわんばかりに首を振りながら、ルシウスから手を離した。


「三カ月ぶりの再会だぞ? キスの一つくらいすればいいのに。いや、二回以上でもいいと思うけど」

「な、なんてことを言うんですリドさん!」

 シアラは顔を真っ赤にし、カインは半眼になった。


「馬鹿なことを言ってないで今後の話し合いをしたいんだが。魔女は眠らせたがいつ起きてくるかわからない。時間を浪費するわけにはいかないんだ」

「わかった」

 リドとルシウスが表情を引き締めて戻って来た。


 空気を読んで二人と共に行動していたクルーガも歩いてくる。

 クルーガがカインを見る眼差しに敵意があるのを知って、シアラは屈んでクルーガの頭を撫でた。


「怒らないで、クルーガ。大丈夫よ。カイン様は改心してくださったわ」

 小声で言う。


 クルーガは記憶を失くして夜ごと苦しむシアラの姿を誰より近くで見ているし、シアラが毎日丁寧に梳かしていた髪をカインのために失ったことも根に持っている。

 多分、相当に怒っていた。


「……ふん。まあ、一応謝ったしな。許してやろう。ただし今回だけだぞ。カインめ、次にシアラを泣かせたら噛みついてやる」

 クルーガは不満げに言って、鼻を鳴らした。

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