19:再会を導く蝶

「駄目だ。隈なく探したが、あいつはどこにもいなかった」

 晩餐を終えた夜、シアラたちは城の最上階――西棟にある風見の塔に集まっていた。


 シアラの頼みを聞き入れてレナに姿を変えたアネモネから、玉座の間を除く場所は自由に散策して良いという許しを受けた。

 シアラたちは入城した昼から夜までずっと、散策するふりをしながら手分けしてカインの捜索をしていた。


 途中、ふらりとアネモネが現れてお喋りに付き合わされたり、久々の客人だと言って大はしゃぎするレニスの遊び相手をさせられたり、空き室の隅でうずくまっている少女を見つけたりした。


 茶色の毛糸で短い髪を、黒のボタンで目を表現された男の子の人形を抱きしめているその少女は、ディーが話していた三番目の魔女の使徒。この城の最後の住人。


 悲哀と絶望の化身、ソロ。


 実体が伴っていること以外はディーと瓜二つなソロとはまともな会話が成立しないが、ただただ哀しんで泣くばかりの人畜無害な奴だから放っといて良いと言われている。


 でも、シアラは虚ろな眼差しで泣き続けるソロを放っておけずにハンカチを渡した。


 部屋を出るときに振り返ってみたら、ハンカチは床に落とされていたけれど。


「そうですか……アネモネが魔法で隠したんでしょうね」

 予想はしていたが、少しは期待していたため、気分が落ち込んだ。


「同じ場所にいるのに会えないとはな……」

 夜風に吹かれながら、ルシウスが悔しそうな顔をする。

 この城は霧に覆われることもなく、頭上には星空が広がり、中庭や外庭は美しい花で溢れていた。


「この城は普通の城ではありませんから……」

 シアラは天井に浮かぶ幾何学模様を見上げた。

 幾何学模様はそれ自体が発光し、石造りの塔の内部を照らしている。

 この城には全ての場所に魔法がかかっているらしく、夜になれば自動的に魔法の光が灯り、食堂の席に着けば豪華な料理が現れた。


 あてがわれた部屋のクロゼットはシアラにぴったりな服やドレス、靴がずらりと並び、浴室に行くと浴槽は綺麗な湯で満たされていた。

 備えつけられた壺は使っても使ってもたちまち湯が沸いた。


 この城では何が起きても不思議ではなかった。


「カインなら、何がどうなっているのかわかるのかな」

 ぼやくように言って、リドはクルーガを見下ろした。


「クルーガの鼻も、やっぱり利かなかったか?」

「面目ない」

 魔物としての矜持に関わるのか、クルーガは頭を下げた。


「カインの匂いはするのだ。だが、追おうとすると途端に曖昧になってしまって……」

「いや、クルーガのせいじゃないよ。感覚を狂わせているのはアネモネなのだから。しかし、このままでは埒が明かないな……どうにかカインに俺たちがここにいると知らせる方法はないんだろうか」

「カインを助けに来たのに、カインに頼るのか?」

 ルシウスがからかうように笑う。


「もちろんです。元々あいつが一人で暴走しなければ済んだのですから、きっちりその分、責任取って働いてもらいますよ。一国の王子をこんな辺境まで来させたんです、全くとんでもない奴です」


「あはは。確かにその通りだ。ではどうしたらいいんだろうか。ただ『見えない』だけなら叫べば声が届くかもしれないけれど、存在自体を魔法で隠されていたとしたら、ただの間抜けで終わってしまうしなあ」


「アネモネの注意も引くだろう。アネモネは大層カインにご執心のようだから、怒って追い出されるかもしれん。得策ではないな」

「わかってるよ」

 クルーガの忠告に、ルシウスが小さく肩を竦めた。


「しかし本当に、どうしたものかな……」

 しばらく沈黙の時が訪れた。


 シアラもどうすれば良いのか考え、考え、考えて――ふと脳裏に閃くものがあった。


(そうだ)


 カインの記憶を失くしてからも、ずっと持っていた紙片。

 そこに書かれた魔法式。


 誰が書いたものかも、何故自分がこんなものを持っているのかもわからなかったけれど、それでも練習しなければいけないと思って、シアラはずっと練習し続けた。


 その成果をいまこそ発揮するべきではないだろうか。


「シアラ? 何をする気だ?」

 光り輝く魔法式を描き始めたシアラを見て、皆が不思議そうな顔をしている。


「この魔法なら、もしかしたら」

 根拠はない。たとえばカインがこことは全く別の空間に隔離されているとしたら、無意味に終わる。


 いや、きっとそうだ。


 アネモネはシアラからの干渉を許さないだろう。

 この蝶がカインに届くことはない。


 けれど。

 奇跡が起きることを祈るしかないなら、シアラは全身全霊を込めて祈る。


 ――今度は空を埋め尽くすくらいたくさんの蝶を作ってみせますから。見てくださると約束してください。

 ――わかった。約束する。


(約束すると言ってくださったんですから。お願い。一匹でいい。どうか、カイン様の元に届いて……!)


 魔法式は完成し、生まれた無数の金色の光の蝶は一斉に空を舞った。


     ◆     ◆


「あら。綺麗な蝶ね」

 お仕着せに身を包み、自室でのんびり編み物をしていたアネモネは部屋に侵入してきた光の蝶を見て手を止め、微笑んだ。


(この程度の魔法では隔離魔法は越えられない)

 一瞥だけで魔法式の構成を読み取った魔女は鼻歌を歌いながら、再び手を動かし始めた。


     ◆     ◆


 ソロは壁を突き抜けて部屋に入り込んできた蝶にも、床に落ちたハンカチにも目もくれない。

 人形を抱いて、ただ泣いている。


     ◆     ◆


 シアラやクルーガと遊び疲れたレニスはベッドで寝ていた。

 眠る彼女は、部屋を舞う金色の蝶に気づかない。


     ◆     ◆


 城内の影と同化し、静かに自己回復を図っていたディーは廊下を飛ぶ金色の蝶を見つけた。


 この魔法はシアラを観察していたときに見たことがある。シアラは何度もこの魔法を練習していた。


 ディーは押し潰されるような疲労を堪え、天井の四隅に浮かぶ魔女の『目』を一瞬だけ閉じさせ、その一瞬で蝶をカインの元へ飛ばした。言葉とともに。


     ◆     ◆



 三カ月もの間、魔女から直々に魔法を学んだおかげで厄介な封印を破る目途が立った。


 この城を、アネモネや彼女の使徒を存在せしめているのは玉座の間にある巨大な魔法結晶だとディーは言った。それさえ破壊すればこの悲劇は終わる、私たちは千年の悪夢から解放されると。


 ただし玉座の間にかけられた封印を破るには時間がかかる。

 その間、アネモネの『目』を欺くのは不可能だ。

 この城にはありとあらゆる場所にアネモネの『目』がある。


 カインの部屋も例外ではなかったが、異世界の魔法を学ぶ過程でその魔法に気づいたカインが怒ると、渋々ながらアネモネは監視を解いた。


 アネモネと全力で戦うとなれば勝てるだろう。

 しかし楽勝とはいかない。

 アネモネは肉体を持たないが故に異世界の魔法を使う反動がなく、気力も体力も無尽蔵。


 対して生身のカインには制限がある。

 元より異界の魔法はこの世界の魔法を使うよりも遥かに負荷が大きい。


 アネモネを討てば恐らくカインはそこで終わり、そしてアネモネはいずれ復活する。

 魔法結晶こそがアネモネの核なのだから、アネモネを討ったところで意味がない。


(俺が二人いればどうにかなったかもしれないが)

 自室の椅子に座り、頬杖をついて、そんな愚にもつかないことを考え――カインは首を振った。

 だいぶ疲れている。さっきから読んでいる魔法書の内容が頭に入ってこない。


 カインは息を吐いて頬杖を解き、視線を斜め上へと移動した。


 机の上には畳んだ布があり、その上に貝が乗っていた。

 薄紅にオレンジが混ざったような絶妙な色合いの貝は、エスタの海でシアラからもらったもの。


 今頃彼女はどうしているだろうか。クルーガと元気でやっているだろうか。ルシウスは王宮で平和に暮らしているだろうか。


 もう確かめる術もないし、二度と会うこともないだろうけれど――


 ――カイン。あの子たちが、来ているわ。


 突然、ディーの声が脳内に響き、視界をすっと金色の蝶が横切った。

 左目の視力を失っているため、左からやって来たそれに気づくのが一瞬遅れた。


 それを認識した刹那、カインは立ち上がった。

 立ち上がった勢いで椅子が倒れ、結構な音が鳴ったが、耳にも入ってこない。


「な……」

 カインに寄り添うように、宙を飛ぶ蝶。

 かつて森で迷子になった少女を探すために、即興で作った魔法。


(これは。この魔法は――シアラにしか教えてない……)


 つまり、これは。この魔法を使ったのは。

 外界から閉ざされたこの城に、シアラがいる? 


(馬鹿な。何故? 記憶は全部消したはずだ。魔法は完璧だった。自力で破った? どうやって――いや、違う。ディーだ。ディーの奴が余計なことを……)

 頭が混乱し、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。心臓だけが狂ったように暴れている。


(しかも、あの子たち? シアラ以外に誰がいる? リド? ルシウス? まさか。そんなはずは……なんで……)


 とにかく確かめようと、カインは全速力で魔法を紡いだ。

 探査魔法を使い、城全体を見通す。

 一つ一つの部屋、廊下、階段、広間。いない。いない。どこにもいない――いや。


(――隔離魔法。さらに封鎖結界が張られている)

 だったら叩き壊すまでだ。


 左目に意識を集中する。通常の視力は失ったが、異界の特殊魔法をかけたこの目なら金色だけではなく、全ての色の魔法元素を見ることができる。

 無数の色の中から七色の魔法元素を選んで呼び寄せ、複雑な魔法式を書いていく。


 カインの周囲をらせん状に取り巻いたその魔法式は、発動と同時に音もなく炸裂し、隔離魔法と封鎖結界を強制解除させた。


「…………っ!」

 頭蓋をハンマーで殴られたような激痛。

 あまりの痛みに意識が飛びそうになり、頭に爪を立てた。


(アネモネはすぐに気づいてここに来る。妨害される前に、あいつらを探して、会わなければ)

 その一心で、もう一度探査魔法を使う。


 今度は見つけた。

 風見の塔に、見慣れた三人と魔物がいる。

 髪を短く切ったシアラには驚きつつも、カインは新たな魔法式を書き始めた。動揺するのは後でいい。本当に彼らがここにいた以上、とにかく急がなければ。


「行かせないわよ?」

 と、後ろから声がした。

 振り返れば、アネモネがいる。

 音もなく部屋に現れた彼女はシアラの姿をしているが、全くの偽物だ。

 本物の彼女はこんな、人を食ったような目などしない。


「そう言うと思いましたよ」

 カインは笑った。演技だ。魔法が完成するまでの時間稼ぎ。


「ですが、久しぶりの再会なのです。すみませんが、少し眠っていてください」

「――!?」

 指を鳴らすと、アネモネは綺麗に卒倒した。床に横たわって眠っている。

 これまでカインが反抗したことなどなかったので完全に油断していたようだ。


 カインは安堵の息を吐いた。


 ここから塔まで走れば五分と経たずに着くが、正直、走れるほどの体力は残っていない。

 かといって歩いて登場というのもなんだか情けない。


 いくら体調不良だろうと、魔法使いたる者、ここで格好をつけないでどうする。

 怒りたいのだか笑いたいのだか泣きたいのだか、自分の感情がよくわからないまま、カインは転移魔法を発動させた。


 視界が切り替わる。明るい部屋の中から、夜の風見の塔へと。

 そして右目に映ったのは、驚愕に固まる三人と魔物。


「…………カイン……様?」

 震える声でシアラが言う。まさか、信じられない、そんな声。


「――――」

 彼女の目に涙が浮かぶのを見ながら、カインは第一声に迷い、口を開いた。

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