14:さよなら魔法使い

 その日の朝は少々おかしな具合に始まった。


 起床時刻を迎えて部屋を訪れたレナたちはいつものように「どれが良いですか」とシアラに尋ねることなく、問答無用で真珠を散りばめた水色のドレスを着せ、いつもより念入りにシアラの髪を梳かし、首や耳を煌びやかなアクセサリーで飾った。


 化粧も施されたおかげで、あれよあれよという間に鏡に映るシアラは自分でも驚くような美少女へと変身を遂げた。


「あの、これは一体どういうことでしょう?」


 何度尋ねても教えてくれなかったので今回も無視されると思ったが、レナは「ふふふ」と笑った。


「こういうことですわ。カイン様、どうぞお入りくださいませ!」


 レナが指揮者のように腕を振り、扉の傍に控えていた侍女が扉を開けると、そこにはカインが立っていた。


 シアラは瞠目した。服装がいつもと違う。


 見慣れた黒のローブではなく、黒の上着に胴衣、首にクラヴァットを締めている。高貴な装いに合わせて白い手袋を嵌めていた。


 まるで貴族――いや、一国の王子の如き風格と気品に溢れた姿に、頭がくらくらする。


「ど……どうなさったのですそのお姿は……」

 頬の温度は急上昇し、心拍数が上がり、それでも目は彼に釘付けだ。

 こんな貴重な姿、一秒たりとも見逃してはいけないと脳が緊急指令を出している。


「エリーゼ様から夜までお暇を頂いたのです」

 カインは胸に手を当て、華やかに微笑んだ。

 いつも思うが、本当に彼は人前だと別人である。


「つきましては、シアラ様にお相手頂きたく存じまして」

 カインは流れるような足運びで部屋に入って来て、シアラの前に跪き、そっと手を取って口づけを落とした。


「――――!!」

 いまのはふりではない。確かにカインの唇がこの手に触れた。

 もはやシアラの心臓は爆発しそうだった。


「貴女を独占する栄誉を頂けるでしょうか?」

 甘い声に、脳が蕩けそうになった。


 頬を上気させた侍女たちが固唾を飲んで見守る中、

「…………はい」

 顔を真っ赤にして頷くと、侍女たちは何故か惜しみない拍手を送ってくれた。





「カイン様は私の心臓を止めるおつもりだったんですか」

「空気を読んだら結果的にああなっただけだ」

 エスタの街を走る馬車の中で恨み言をぶつけると、カインはしれっとした顔で答えた。


「もう。こんな予定が入っているなんて、私は全く聞いていませんでしたけど」

「嫌ならいまからでも離宮に引き返すが」

「……。嫌とは言っていません」

 意地悪め。シアラは口紅を塗った艶やかな唇を尖らせた。


「もういいです。これからどこへ行くんですか」

「王室御用達のレストランを予約してある。まずは朝食をそこで取って、街中を適当に散歩しよう。この前、街を自由に歩いてみたいと言っていただろう。陽が落ちるまでは好きなように過ごせばいい。お前の気が済むまで付き合う」

 窓からエスタの街並みを見ながら、カインが言う。


「……どうなさったんです? 何故急に、そんなことを仰るのです?」

 とうとうシアラは困惑した。

 互いに美しく装って、夜まで二人きりだなんて、この状況は、まるっきりデートではないか。


(……デート?)

 自覚して、シアラの顔は再び赤くなった。

 そうだ、これはデートだ。間違いなくデートだ。


「いいから黙って付き合え。心配しなくてもこれが最初で最後だ」

「え……」

 浮かれていた気分が一言で吹き散らされた。これが最後?


(……怒らせてしまった?)


 わざわざ馬車を用意し、正装に身を包んで部屋まで迎えに来てくれた相手にシアラは「こんな予定なんて聞いてない」と不満を言った。


 その挙句、夜まで付き合うという申し出に感謝するどころか「どうしたんだ」と訝った。


 これほど可愛くない態度を取られれば、誰だって嫌な気分になるだろう。


 失望されたのだろうか。

 自分の愚かさを思い知って、顔から血の気が引いた。


「……それは、嫌です」

 カインが窓からこちらに向き直る気配がしたが、俯いたシアラにその表情は見えなかった。


「驚きのあまり失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。せっかくこのような機会をくださったのに……気分を害されたのなら謝ります。だから、最後なんて言わないでください。カイン様さえ良いなら、私はまたこうして二人で――」

 泣きそうになっていると、台詞を遮るように、ぽん、と頭を叩かれた。


「わかった。また一緒に出掛けよう。二人で」

 顔を上げると、カインは微笑していた。怒っていないようだ。


「だからとりあえず、今日はめいっぱい楽しめ」

「……はい!」

 シアラはぱあっと表情を明るくし、笑った。





 海を一望できるテラスでの朝食は抜群に美味しかった。

 食事を満喫した後は、石畳の大通りを歩き、気の向くままに露店や本屋や雑貨屋を覗いた。


 雑貨屋ではカインがペンダントを買ってくれた。

 透き通る青い羽がなんとも美しい蝶のペンダントを熱心に眺めていると、カインが横から取り上げて買ってくれたのだ。


 このペンダントは貝殻と同じく宝物にしようと心に決めた。


 それまで下げていた宝石の代わりに蝶のペンダントを下げ、上機嫌でカインと街を歩いていると、金銭目的のならず者に絡まれたが、カインがあっという間に魔法で蹴散らしてくれた。


 どうやら彼らは街の厄介者だったらしく、見ていた露店のお婆さんがジュースをくれた。


 ご丁寧にも、ストローを二本差して。


 変な空気になったが、公園のベンチに座って交互に飲んだ。

 何の変哲もないオレンジジュースだったが、それでもいつもより甘く感じたのは恋のせいだろう。





「きゃー冷たいです」

 昼下がり、シアラたちは海に来ていた。

 エスタに来て三度目の海を、シアラはドレスを膝までまくり上げ、素足を海水に浸すことで満喫していた。


「淑女は素足を晒さないものなんだがな」

 砂浜でカインが言う。


「いいんです、私は淑女ではありませんから。ルシウス様のご厚意で離宮に招かれているだけの庶民だとご存知でしょう――あっ蟹! 見てください蟹です!」

「子どもか」

「カイン様が達観しすぎているんですよ。誰も見ていませんし、童心に返って水の掛け合いでもしませんか?」

「断る」

「ですよね。こんな高価なドレス、濡らしてしまったら大変ですものね。でも、足を浸すくらいはしませんか? 気持ち良いですよ」


「後が面倒だからいい」

「そうですか」

 あくまでつれないカインに肩を竦め、シアラは再び海岸を見回す作業に戻った。

 実はわざわざ靴を脱いで海の中に入ったのも、目的があった。


(ないなぁ……あれは欠けているし……あっちは色が微妙……もっと綺麗な……)


「おい、どこまで行くんだ」

 きょろきょろ見回しながら海岸沿いに歩いていると、ついてきているカインが言った。


「探し物をしているだけなので、気にしないでください」

「探し物? 何か落としたのか?」

「いえ、そういうわけでは――あっ、あった!」


 シアラは歓喜して海水の中に右手を突っ込んだ。

 当然、右手で支えていたドレスが落ち、右側の裾が濡れた。


「あああ……やってしまいました……」

 急いで海岸から離れ、砂浜でドレスを絞ったが、海水は数滴落ちただけだった。

 これはもう仕方ない。後で侍女たちに謝り倒そう。


「何をやってるんだお前は」

「これを探していたんです。どうぞ、カイン様。いただいた貝殻のお返しです」

 シアラは呆れ顔で歩み寄って来たカインに、ようやく探し当てた貝殻を差し出した。


 カインがくれたものと同じ、薄紅色の貝殻だ。こちらのほうがオレンジの色味が強い。 


「……俺に?」

 カインは何故か驚いたような顔をした。

 そこまで驚くことなのだろうか。

 不思議に思いつつも、シアラは頷いた。


「はい」

「……この海岸で貝殻を交換する意味がわかって……」

「え? なんですか?」

 声が小さすぎて聞き取れず、首を傾げると、カインは沈黙した。


 ややあって、シアラの手から貝殻を受け取る――かと思いきや、その手をシアラの手に重ねた。


「……カイン様?」

 少しの沈黙を挟んだ後、カインは口を開いた。


「お前が幸せであるように」


 眩しい午後の日差しの中、カインが微笑んだ。


「誰よりも幸せであるように。心から祈ってる」


 視界の左側にある海が陽光を反射してキラキラ輝いていた。

 潮風に揺れるカインの髪も、陽光を浴びて金色に光って見えた。


「…………え?」

 優しい言葉だ。とても優しい言葉。


 いつもなら動揺し、大いに浮かれてしかるべきなのに、そのときシアラの胸を支配したのは喜びではなく不安だった。


 なんだかまるで、さよならと言われているような気がして。


「カイン様? 急にどうしたんですか? 私だって……私だってそう思っていますよ?」

 ぎゅっと手のひらを握ると、カインはまた笑った。酷く透明な笑みだった。





 真夜中の鐘が鳴り響く五分ほど前。

 離宮の中庭にはルシウスやエリーゼを始め、離宮の住人たちが集っていた。


 陽が落ちる前にデートから戻って来たシアラもクルーガと一緒にいる。


 招集をかけたのはリドだ。

 というのも、カインに頼まれたのである。


 この時間に、できるだけ多くの人間を集めて、その人垣の中心で、ルシウスに派手な光の魔法をかけてほしいと。


 何故、という当然の疑問には「後で言う」と濁された。


「頼む」と頭を下げられては、断れるはずもなかった。

 カインが頭を下げるなんてよほどのことだ。


 だからリドは「必ず後で理由を教えろ」と約束させて引き受けたのだった。


「何をするんだ?」

 中庭の真ん中にいるルシウスが無邪気に尋ねた。


「ルシウス様に魔法をかけます」

「なんだ? 呪いの解除か?」

 ルシウスが笑う。

 冗談で言えるほど、悲しいかな、ルシウスは呪いに慣れ切ってしまっているのだった。


「あはは。だといいですねえ。じゃあ行きまーす」

 リドは魔法式を書き始めた。


     ◆     ◆


 風見の塔から、カインは中庭の様子を見ていた。

 リドがルシウスの身体を眩い光で包み込む。

 まるで太陽がそこに出現したように、中庭が明るくなった。


(あれなら皆に印象付けるには十分だな)


 明日、陽が昇ってもルシウスがネズミに戻らなければ、誰もがそれはリドの魔法のおかげだと信じ込むだろう。


 そして、それでいい。


 カインは中庭を見下ろしながら、魔法式を書き始めた。

 この一カ月間、カインは暇を見つけては魔法書を読み漁った。


 一カ月をかけて頭に叩き込んだ魔法式が身体の周囲で螺旋を描き、くるくる踊る。


 他の魔法使いがこれを見たら戦慄したことだろう。

 こんな膨大な魔法式、一体何を引き起こすつもりなのだと。


 中庭でリドとシアラとルシウスが会話している。

 会話の内容まではわからないが、笑っているようだ。


 彼らにはずっと笑っていてほしい。だから。そのために。


 カインは指を鳴らした。


 魔法式は弾け、無数の白い光球へと変化し、離宮の建つ山全体に降り注いだ。


     ◆     ◆


「あら。雪でしょうか?」

 最初に異変に気付いたのはシアラだった。

 なんだろうか、これは。

 白く丸い、雪のようなものがいくつもいくつも空から降って来る。


「まさか。いまは夏だぞ」

 リドが言う。


「そうですよね。でも、それじゃあ、これは何――」

 ゆっくりと舞い落ちる白い球が頭に触れたその瞬間、シアラは意識を失って倒れた。


     ◆     ◆


 クルーガとエリーゼを除く人間たちが次々と光の球に触れて倒れていく。離宮内部の使用人たちも同様に倒れていることだろう。


 エリーゼは意図的に魔法の対象から外したが、クルーガに影響が及ばなかったのは誤算だった。


(まあ、どうとでもなるか。首輪を外せば、クルーガは何も話せなくなる)


 不安はない。そのはずだ。

 カインはローブの隠しから、黒い箱を取り上げた。

 エスタの大聖堂から、真夜中を告げる鐘が聞こえてくる。


 エリーゼと約束した時刻だ。

 カインは箱を持ったまま、もう一度中庭を見た。


 突然倒れてしまったシアラを心配してだろう、クルーガが懸命にシアラの頬を舐めている。


(ごめんな)

 カインがかけた魔法は、カインの記憶を消す魔法だ。


 単純に消すだけではない。記憶を消したことで支障が生じる場合は脳が都合の良い過去をねつ造してくれる便利なもの。


 いわば記憶の削除と改竄を行う魔法である。


 カインが呪いを解くための犠牲になれば、ルシウスやシアラたちは嘆くだろう。


 その憂いを断ち切るために、カインは自分自身の記憶を消し去ることを選択したのだった。


 呪いが解けたと、大団円だと、彼らにはいつだって笑っていてほしいから。


 カインは鍵を鍵穴に差し込み、そして回した。


     ◆     ◆


「ルシウス。ルシウス。起きなさい」

「うん……?」

 エリーゼに頬を叩かれて、ルシウスは目を覚ました。

 自室のベッドの上だ。


 窓から陽光が差し込み、顔を直撃していて眩しい。

 思わず顔をしかめ、そしてその感覚に強烈な違和感を覚えた。


 これは、ネズミのときの感覚ではない――


「――!?」

 ルシウスは跳ね起き、愕然と自分の両手を見下ろした。


 見下ろす手は、人間の男の子の手だった。

 もう一度窓の外を見れば、陽は高く昇っている。


 それなのに、いま自分はネズミではない。人間の身体だ。


 自分の身に起きた奇跡が信じられず、ルシウスは震えた。


「母上! 見てください! 人間です! 人間の身体です! 太陽が昇っているのに! ネズミじゃありません! 人間です!!」


 興奮のままに繰り返すと、エリーゼは「ええ。ええ」と顔をくしゃくしゃにして抱きしめてきた。


「何故でしょう、何故こんな奇跡が――ああ、そうだ! きっと昨日の夜、リドが私にかけた魔法だ! リドが私を人に戻してくれたのですね!」


「ええ、そうです。本当に……リドのおかげです。あなたを人に戻してくれた彼への褒美は何が良いか、陛下と相談しなくてはいけませんね……」


 エリーゼはルシウスを抱きしめながら嗚咽していた。

 その涙が歓喜とは違うような気がして、ルシウスは戸惑った。


「……母上? どうして泣いているのですか?」

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