13:離宮での一ヵ月

 一週間後。午後三時過ぎ。

「リドさん、お願いします。カイン様と教師役を交代してください!」

 シアラは離宮の大広間――ここが魔法使いの主な活動拠点となっている――で、リドに頭を下げていた。


「なんだ?」

「カインが何かやったの?」

 好奇心を隠そうともせず、他の魔法使いたちがわらわらと群がって来る。

 魔法を習い始めて一週間、既に全員がシアラとは顔なじみだ。


「どういうことだ?」

 リドは不思議そうな顔でシアラと、その隣に立つカインを交互に見た。


「一週間に渡る特訓の甲斐あって、ようやく魔法元素を視認できるようになったのは良いんですが、次の段階――魔法元素を呼び寄せる方法が私には全く理解できないのです」

「だから、集まれと思うだけで良いんですよ」

 カインが苦笑する。余所行きの話し方と笑顔だ。

 カインが素を見せるのはリドとシアラ、ルシウスの三人だけだった。


「思っても全く集まらないから困っているのではありませんか! もう限界です!」

 シアラが半泣きで叫ぶ一方、魔法使いたちがぼそぼそ囁き合った。


「魔法元素って、思うだけで集まるものか?」

「まさか。呼ぶためのイメージと魔法式は必須よ。思うだけで良いなんて、何を阿呆なこと言ってんのかしら」

「いや、本気じゃないか。カインは感覚で新種の魔法を作ったりするからな。ルシウス様を人に戻す魔法もそう。詳しい理論を教えてもらったけど、誰も理解できなかっただろ」

「あー、わかった。あいつって『天才に凡人の気持ちはわからない』典型なんだ。誰だよカインを教師役にしたの。完全に人選ミスだろ。シアラちゃんも可哀想に……」

 その囁きはリドやカインの耳にも入ったらしく、カインは沈黙し、リドは頬を掻いた。


「ああ、うん。ごめん、カインに教育係をやらせようとした俺が間違ってた。責任を取って、いまから教師役は俺がやろう」






 シアラが魔法を習い始めて八日目。午前十時過ぎ。

 レナから「ルシウスが呼んでいる」と言われてサロンに行ってみれば、サロンにはカインとルシウス、それから侍従たちがいた。


「ふふふ。来たなシアラ。驚くがいい」

 ネズミの姿のルシウスは短い前足で、隣でお座りのポーズを取っているクルーガを示した。


 クルーガには黒革の首輪が嵌められていた。

 ただの首輪ではない証拠に、表面には赤い文字で複雑な呪文がびっしりと書き込まれている。


 一目でピンと来た。ルシウスの尻尾に結わえられたリボンとよく似ている。ということは。


「シアラ。長く共に過ごしてきたが、こうして言葉を交わすのは初めてだな」

 クルーガが低い声で言った。


「まあ……なんてことでしょう。これは、ルシウス様の思い付きですか?」

 信じられない思いで口を覆い、ルシウスを見る。


「ああ。ふと思ったのだ。クルーガは人語を理解しているようだっただろう? ならば私と同じように、人語を喋れるようにしたら会話が成立するのではないかと。この思い付きは大当たりだった。実現にはカインが協力してくれたのだぞ」

「喜んでいただけましたか?」

 笑顔でカインが言う。


「はい、もちろんです。クルーガと言葉を交わすことができたらと、何度思ったことか……夢のようです」

 歩み寄ると、クルーガもまた立ち上がって歩いてきた。


 屈んで背中を撫でると、クルーガは喉を鳴らした。


「私も夢のようだ。とはいえ、喋れるようになったからといって何も変わらない。これからも私の主人でいてくれるな」

「ええ、もちろんよ」

「では主人として頼みたいことがある」

「ええ、何?」

「家に帰ったら、食事を離宮ここで出されるものに変えて欲しい」

 クルーガの目はひたすらまっすぐだった。期待にキラキラ輝いている。


 さぞかしここの料理が気に入ったのだろう。気持ちはわかる。わかるが。

「ごめんなさい。無理です」






 シアラが魔法を習い始めて十日目の夜。

 シアラは風見の塔の階段を上っていた。

 レナからカインがそこにいるという情報は掴んでいる。優秀な侍女は、カインがいまどこにいて何をしているのか逐一把握しているようだった。


「カイン様」    

 階段を上り切って呼びかけると、手すりに座って月を見上げていたカインが飛び降りた。


「なんだ」

「見てください。私も魔法の蝶を作れるようになったんですよ。まだ完全とは言えないんですけれど」

 シアラは辺りを見回した。

 魔法使いとしての特別な『目』で見ると、辺りに白く輝く無数の球が星のように浮かんでいるのがわかる。

 球の直径は至近距離で見れば一ミリ程度だが、中には魔法元素同士が結合して大きくなっているものもある。


 シアラは目の前の空間に魔法元素を呼び寄せるための魔法式を書き始めた。


 手ではなく心を使って、力のある魔法呪文を一文字ずつ綴っていく。

 一文字でも綻びがあると魔法式が散逸してしまうため、慎重に。


 驚いたことに、カインは必須であるはずのこの魔法式を本当に必要としない。

 来いと念じれば瞬時に魔法元素を手元に引き寄せることができるのだ。実際に見たときは目を疑った。


 そして、いざ魔法式を書くとなると、カインは恐るべき速さでそれをやる。

 シアラが一文字を書いている間に彼は千を綴り、瞬く間に魔法式を完成させてしまう。


 魔法の基礎を学んだことで、シアラは彼が魔法学院で多くの羨望と嫉妬を集めた理由がよくわかった。


 まさにカインは天才。

 それも百年に一度――いや、千年に一度生まれるかどうかの。


(――よし)

 最後の一文字を書き終えると同時に、ふわふわと辺りを漂っていた光の球が魔法式に導かれてシアラの周囲に集った。


 そこからまた魔法元素を望み通りに転換するための魔法式を書いていく。

 五分ほどかかったが、カインは辛抱強く完成を待ってくれた。


「生まれ出でよ・舞う・飛ぶ・探す・導く――光の蝶!」

 魔法元素が結合して眩い光を放ち、シアラの手のひらに一匹の金色の蝶が生まれた。


「できました!」

 シアラは嬉々として手のひらをカインに差し出したが、カインはあまり感動してくれず――それどころか、物言いたげな目でシアラを見た。


「……はい。言いたいことはわかります」


 蝶は空を優雅に舞うこともなく、小刻みにプルプル痙攣しながらシアラの手のひらを這いずっていた。


「何が駄目なんでしょうね……あ」

 蝶がもう駄目、といわんばかりに、ばたんと倒れて動かなくなった。

 端から徐々に崩れ、風に吹き散らされて消えていく。


「ああ……」

 残念に思いながら蝶を魔法元素に還そうとしたそのとき、カインの手がシアラの手に重ねられた。蝶の姿が見えなくなる。


「蝶を構成する魔法元素が足りないんだ。この魔法は多くの魔法元素を使う」

 言うなり、カインの周囲を白く光り輝く魔法式が踊り出した。


 シアラはその乱舞に見惚れた。

 カインが描き出す魔法式はいつ見ても本当に美しい。


 魔法式が消えると同時、重なった手からぶわりと金色の光が膨らんで、そこから無数の蝶が生まれ、飛び出した。


「わあ……!」

 まるで十年前の再現だ。

 光り輝く金色の蝶が二人の周囲を飛んでいる。


「綺麗ですね。色んな魔法を学んできましたが、やっぱり私、この魔法が一番好きです」

 シアラは重なったままの手を握り締めた。

 カインも握り返してくれた。

 それだけでシアラはこんなにも幸せになれる。


「でも、何度やってもこんなふうに飛んでくれないんですよね。独自で組み上げた魔法式が間違っているのかもしれませんが、答え合わせをしようにも、この魔法はどの魔法書にも載っていませんし……」

「これは俺のオリジナルだからな」

「え。そうだったんですか?」

「ああ。お前を見つけるために即興で作った。単純な光球を生む魔法を変形させて蝶にした。さらにあのときは探査魔法を融合させたが、ただこれを見たいならいらないだろう。後で魔法式を書いてやるよ」


「お願いします! では、うまく金色の蝶を作れるようになったら、また見てくださいね」

「……ああ」

 何故か、返答には一拍の間があった。

 不安になり、シアラは言葉を重ねた。


「私、きっとこれくらい――いえ、今度は空を埋め尽くすくらいたくさんの蝶を作ってみせますから。見てくださると約束してください」

「わかった。約束する」





 シアラが魔法を習い始めて二週間後。

 良く晴れたその日は魔法の講義をお休みにして、風の通る木陰の東屋で集まった。


 メンバーはシアラとリドとカイン。

 そしてクルーガとルシウスだ。


 クルーガはルシウスを頭に乗せ、シアラの足元にいた。

 最近、クルーガはルシウス専用の乗り物となりつつある。エリーゼもクルーガと会話ができるようになってからは渋々ながらそれを許していた。


 皆で色んな話をした。


 呪いが解かれる前、ルシウスが離宮でどのように過ごしていたかということ。

 リドには美しい婚約者がいること。

 カインとリドが出会ったときのこと。

 魔法学院であった楽しいこと、嬉しかったこと、辛かったこと。


 お返しとばかりにクルーガはシアラの様々な情報を暴露し、シアラが慌てて止めに入る一幕もあったが、総じてとても楽しいひと時になった。





 シアラが魔法を習い始めて三週間後。

 ある日の夜、ルシウスの提案で海を見に行った。

 海を間近で見るのは初めてで感動したが、昼の青い海も見たいなと零すとルシウスが明日また昼に来ようと言ってくれた。


 ところが翌日、一緒に行くはずだったメンバーが相次いで体調不良を訴え、結局、シアラはカインと二人きりで海を見に行くことになった。


 蒼穹の下、海岸に屈んで水と戯れていると、カインが綺麗な薄紅色の貝殻をくれた。

 この貝殻は宝物にしようと決めた。






 シアラが魔法を習い始めて一ヶ月後。

 夕食後、カインは離宮の外庭でエリーゼと密会していた。

 この密会を知るのは風に揺れる草花と、頭上で輝く月と星だけだ。


「準備は整いました。明日、真夜中の鐘が鳴るときに決行します」


「……心残りはないのですか」

 エリーゼの声は沈痛だった。


「ないといえば嘘になりますが、引き延ばせば引き延ばすほど、離れがたいと思うでしょう。ですから明日行くのです。後のことはお願い致します」


「ええ……ごめんなさい。どうか許して」


「いいえ。謝罪の必要はありません、妃殿下。これは全て私が決めたことなのですから。大丈夫です。この一カ月、私はとても楽しかった。その思い出があれば十分です。たとえ、皆の記憶から私が消えても――」


 カインとエリーゼは気づかなかったが、このとき、離宮の廊下でクルーガが二人の会話を聞いていた。

 超聴覚を持つその魔物は、壁の遥か向こうから漏れ聞こえる会話を耳にし、じっと押し黙っていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます