11:水面下の約束

 机に置いた黒い箱を眺めて、まんじりともせず夜を過ごした。


 一時間。二時間。どれくらいの時間が経ったのだろう。


 考えている間に空が白み始めた。

 カーテンの隙間から零れる日差しでそうとわかる。もう夜明けだ。


 ――ありがとうカイン、本当にありがとう……!


 一年前、初めて解呪に成功したときのことを思い出す。あの嬉しそうな笑顔を。


 九年。生まれてすぐ、九年間ずっとルシウスは呪いに囚われていたのだ。あまりにも長すぎる。


 カインがいなくなったらルシウスはまたネズミに戻る。


 周囲から腫れ物扱いされ、哀れみと同情の視線に晒され、悲しい目をした一匹のネズミに戻ってしまう。


 そしてネズミのまま一生を過ごすのだろうか。


 ひょっとしたらカイン以上に優秀な魔法使いが現れて解呪に成功するかもしれないが、『もし』の可能性なんて、残酷な現実の前では何の救いにもならない。


「………………」

 カインは机の引き出しに箱とその鍵を入れ、鍵をかけて立ち上がった。





 エスタの中央広場の近くにはエクトラン王国の国教、リベル正教会の大聖堂がある。

 アーチ状の天井には巨大なステンドグラスが嵌められ、正教会が崇める十二柱の神々が描き出されていた。


 祭壇に据えられているのは女神レスティアの彫像。


 両手を広げた女神は慈悲深い微笑みを浮かべ、午前六時を告げる朝の鐘が鳴るよりも早く訪れた信徒を優しく迎えた。


 人払いを済ませた無人の聖堂内を進んでいく女性は王妃エリーゼ。


 敬虔なリベル教の信徒である彼女はこの九年間、いかに体調を崩そうとも、毎朝欠かさず祈り続けてきた。


 祭壇前で手を組み、祈る内容は無論、我が子ルシウスのことだ。

(一刻も早くルシウスが人に戻れますように)

 その祈りは半分だけ叶えられたが、完全とは言えない。だから今日も熱心に祈る。女神の加護を。望む奇跡の実現を。


 祈りを終えて待機していた護衛とともに離宮に戻ると、エントランスで人影が待ち構えていた。黒いローブを纏った魔法使い。


「妃殿下。二人きりでお話したいことがあります」


 常にないほどに真剣な目で見据えられて、エリーゼはそれを許した。

 全ての使用人を下がらせ、サロンに移動し、向かい合って座る。


 魔法使いが告げたその内容にエリーゼは青ざめた。


「どうか、約束して頂けますか」


「……ええ」

 応じる声は震えた。


「あなたの望む通りにすると、偉大なる陛下の御名にかけて誓いましょう。けれど……カイン、あなたは本当に……それで良いのですか」


 魔法使いは淡く微笑んだ。それが答えだった。


     ◆     ◆


 扉がノックされる音でシアラは目を覚ました。


 金色の瞳に見慣れぬ天蓋が映り、一瞬、どこにいるのかわからず頭が混乱する。

 ふかふかのベッドに上等な掛布。後頭部に優しく触れるのは、羽毛の詰まった柔らかい枕だ。


(ああ、そうだわ。私、離宮にいるんだった)


「シアラ様、おはようございます。朝の支度のお手伝いに参りました。入室してもよろしいでしょうか?」


 扉の向こうからレナの声がする。

 シアラの世話係を命じられた彼女は昨日から隣の侍女部屋で過ごしていた。


「少し待ってください」

 シアラは慌ててベッドから下りた。

 二重のカーテンを開いて明かりを取り入れ、乱れた寝間着と髪を簡単に整える。


「どうぞ」

「失礼致します」

 頭を下げるレナに続いて、三人の侍女が姿を現した。

 三人の侍女はそれぞれの手にドレスを抱えている。


 不思議に思いながらも顔を洗い、すかさず差し出された布で顔を拭う。

 少し冷たい水での洗顔が寝不足の頭をはっきりさせてくれた。

 そうして改めて向き直ると、三人の侍女はシアラに良く見えるようにドレスを広げた。


「昨日、お身体の採寸をさせていただきましたでしょう? このドレスは取り急ぎ、徹夜で針子が丈を合わせたものです。どうぞお好きなものをお選びください」

 レナが微笑み、ドレスを抱えた侍女たちを手のひら全体で指し示す。


 右手にいる侍女が掲げた水色のドレスは繊細なデコルテが見惚れるほど美しい。胸元に縫い付けられた黒のリボンに涙滴型の宝石が繋がり、煌いている。


 中央の侍女のドレスは白と若草色の縦縞模様。裾と袖口にフリルがあしらわれ、金の飾りボタンが薔薇を象っていた。


 左手の侍女のドレスは淡いピンク。腰で結ぶ大きなリボン、スカートの二段フリルがとても可愛らしい。


「……どれも素敵すぎて選べません。というより、本当に私が着ても良いのでしょうか」

 三着のドレスをたっぷり二十秒は眺めて呟くと、侍女たちが笑った。


「まあ。勿論ですわ。これは全てシアラ様のためのドレスですもの。シアラ様はルシウス様の命の恩人。続きの衣装部屋をシアラ様のために埋め尽くせとルシウス様から申しつけられております。これからドレスや靴を仕立てて参りますので、どうぞ楽しみにお待ちくださいね」


「そ、そこまでしていただかなくても……」


「何を仰います。遠慮されては、私どもがお叱りを受けてしまいますわ。さあ、ぐずぐずしていたら朝食の時刻に間に合わなくなってしまいます。どうぞお選びください」

 ずい、と三着のドレスが近づけられる。


「……ええと……」

 困った。本当にどれも素敵なのである。甲乙つけがたい。


「お困りのようですので、僭越ながら一つアドバイスを差し上げましょう。カイン様は水色がお好きとのことです」

 ふふふふ、と笑うレナ。


「!!???」

 シアラは声にならない悲鳴をあげた。

 頬を真っ赤に染めたシアラを、三人の侍女たちが妙に生温かい視線で見つめている。


「な、ど、ど」

「シアラ様はとてもわかりやすいですわ」

「丸わかりですわ」

 うんうん、と頷き合う侍女たち。


「昨日の夕食の席でも、サロンでも、ずっとカイン様を見つめていらして。なんていじらしいこと」

「ええ、ええ。あまりにも健気なお姿を見て、私たちは侍女一丸となってシアラ様の恋を応援しようと決めたのです」

 ぐっと拳を握る侍女たち。


「カイン様は西側にある風見の塔がお好きですわ。研究に煮詰まったときは気分転換に良く行かれますの。星空を見るのもお好きですわ。夜には足を運ばれてみてはいかがでしょう。高確率で会えると思います」


「食べ物は癖の強いもの以外でしたら何でも食べられますね。お菓子でしたらチョコレートやハチミツ入りのクッキーがお好きですわ。紅茶はストレートで、特に西ディエン産の茶葉を好まれます」


「異性の好みを聞き出すのは苦労しましたけれど、強いてあげるなら髪の長い女性とのことですわ。その点はクリアですわね。昨日、私どもが気合を入れて手入れをした甲斐があって、シアラ様の髪はサラサラのツヤツヤです。その宝石のような輝きを見れば、カイン様もイチコロですわ」


 うふふふふ。笑い声が唱和する。


「も、もう、カイン様の話題は結構ですから!」

 真っ赤になって遮ると、侍女たちはぴたりとそのお喋りな口を閉じ、レナだけがにっこり笑った。


「それでは、ドレスはどうしましょう?」

 尋ねながらも、レナは既に水色のドレスを手に取っていた。

 もはやこれ以外の選択肢はないと雰囲気が物語っている。


「……。……そちらで、お願いします」

 項垂れて負けを認めると、

「やはりシアラ様はこのドレスを選ばれると思っていましたわ!」

「髪飾りはアクアマリンにしましょうか」

「では耳飾りはダイヤモンドにしましょう。華美な大粒のものではなく、ここはあえて小粒に。慎ましい輝きでカイン様のハートをがっちり掴むのです!」

「……もう、好きにしてください……」

 萎れた花のように項垂れるシアラとは対照的に、侍女たちはやたら楽しそうに着付けをしてくれた。





 水色のドレスに身を包み、小粒のイヤリングを揺らして一階の廊下を歩いていると、侍従を引き連れたエリーゼとばったり出会った。

 エリーゼは今日も揺るぎなく美しい。

 紺碧のドレスがその美貌を引き立てている。


「おはようございます妃殿下」

 シアラは背筋をぴんと伸ばしてスカートを摘み、深く頭を下げた。

 ルシウスとカインが取り成してくれたおかげで昨日は事なきを得たが、エリーゼが魔女を嫌っているのは周知の事実だ。


 無視されるか、あるいは嫌味の一つでも浴びせられるかと思ったが、エリーゼは予想外の優しい声音で言った。


「おはよう。ちょうど良かったわ、朝食の前にあなたと話したいと思っていたの。ついていらっしゃい」

「……はい」

 シアラは目を瞬いてエリーゼの後を追い、サロンに入った。


 勧められるまま向かいの長椅子に座る。

 緊張で心臓が跳ねていた。何だろう。何を言われるのだろう。


「シアラ」

「はい」

 ごくりと唾を飲む。


「これまでの無礼を許してちょうだい」

 エリーゼは軽く頭を下げた。

 一国の王妃が、自分に頭を下げている!


「…………はい?」

 シアラの目は点と化した。


 この態度急変ぶりはどうしたことか。

 これまでエリーゼは蛇蝎でも見るような目でシアラを見ていたはずなのだが。


「今朝、カインに諭されたのです。あなたがこの一週間、どれほどルシウスのために心を砕き、尽くしてくれたかを」


(カイン様が?)

 シアラは大いに驚いた。


「あなたはただ純粋な善意によって我が子ルシウスの命を救ってくれた。悪しき魔女と通じているなど、私の勝手な思い込みでした。カインはそれを私に気づかせてくれた。私は自分がいかに愚かであったかを思い知りました。ルシウスの命の恩人を牢屋に繋げなど……なんと謝れば良いのでしょう」


「いいえ。魔女がルシウス様にしたことを思えば、妃殿下が魔女を憎まれるのは当然のことです。謝られる必要などございません」

 慌てて手を振り、目を合わせて微笑む。


「いまはただ、信じてくださったことがとても嬉しいのです。私は魔女ではありますが、これから先も決してルシウス様を害することはないと誓います。ですからどうか、魔女の身で離宮にいることをお許しください」

 深々と頭を下げる。


「恐れ多くも、ルシウス様は私のことを友人と評してくださいました。傍にいると楽しいと。私は少しでもルシウス様の慰めになりたいのです」

「ええ。許しましょう」

 その声に、恐る恐る顔を上げると、エリーゼは微笑んでいた。


「私からもお願いするわ。これからもルシウスの良い友人でいてちょうだい」

「妃殿下……! ありがとうございます!」

 シアラは喜びに打ち震えながら、もう一度深く頭を下げた。


(カイン様にもきちんとお礼を言わなければ)

 彼と話したいことがたくさんある。


「ルシウスを助けた褒美を与えたいのだけれど、何がいいかしら」

 エリーゼの口調が砕けたものに変わった。


「いえいえ、とんでもございません。離宮にいられるだけで十分です。このようなドレスも与えてくださって、本当にもう、なんとお礼を申し上げれば良いのか」

「ふふ。欲がないのね。私としては、家一つくらいは贈るつもりだったのだけれど」

「家一つ!?」

「何を驚くの? 一国の王子を助けたのよ? それくらい当然でしょう」

 小鳥のように首を傾げるエリーゼ。

 彼女の耳元で花をモチーフにした青い宝石が揺れた。


「いえいえとんでもございませんっ、離宮に滞在させていただく栄誉で十分です! 本当に!!」

「でも、カインから聞いたわ。あなたの家、老朽化が進んでいるんでしょう? 改修工事くらいはさせなさい」

 命令されてはシアラに拒否権などない。


「……はい。では、お言葉に甘えさせていただきます」

「よろしい」

 エリーゼは微笑み、「ところで」と話題を変えた。


「あなたはカインに想いを寄せているのかしら」

 直球の問いをぶつけられ、シアラはその場に突っ伏したくなった。


 何故だ。何故全員にばれているのだ。

 王妃に面と向かって指摘されるなんて、こんな羞恥、あっていいのだろうか。


 自分が一体何をしたというのだ。そんなにわかりやすいのか。

 それなら何故当人カインには全く伝わらないのだと、変な方向へ暴走しかかった思考をどうにか止めて言う。


「…………はい……」

 渋々ながら肯定すると、エリーゼは「そう」と頷いた。

 口を開いて、もどかしげにその唇を震わせる。

 しかし結局、何も言わずに閉じた。


「……妃殿下? どうなされました?」

「……いいえ。その恋が成就するように祈っているわ……さあ、もう朝食の時間よ。行きましょう」

 エリーゼは立ち上がり、背を向けた。


 シアラは知る由もないが、そのとき、エリーゼはそっと唇を噛んだのだった。

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