08:呪いを取り巻く現状

 しばらくサロンで歓談した後――といっても、王妃はやはりそう簡単にシアラを信用できないらしく、その視線は刺々しかった――王妃やルシウスも同席した食堂で信じられないほど豪華な夕食を取った。


 そこで王妃の名がエリーゼだと知った。


 それからは十分に手足を伸ばせる広い浴槽で侍女たちに身体を洗ってもらい、上等な布を使った服を着せてもらった。


「あの……お願いがあるのですが……」

 慣れないことの連続で気力が尽きかけ、げっそりとした顔で訴えると、シアラの髪をまとめていた侍女が苦笑した。


「私はシアラ様のお世話を命じられた侍女です。敬語も遠慮も必要ありませんと、何度申し上げれば良いのでしょう」

 後頭部でかちりと髪留めを留める音がする。


「いえ、これが私の性分なのでどうか気にしないでください」

 今日からシアラの専属となった侍女――レナは嫁入り前の男爵令嬢で、行儀見習いのために女官として勤めている。


 庶民が令嬢に仕えられるなんておかしなことだが、シアラはルシウスの客人として、一国の姫のような厚待遇を受けていた。


 廊下で使用人とすれ違う度に礼をされるのだから、なんだかこちらが申し訳なくなる。


「かしこまりました。お願いとは何でしょう?」

「……しばらく一人にさせてもらいたいんです」


「かしこまりました。それでは失礼致します。私がお傍にいなくとも、何か御用があれば遠慮なく周りの者にお声をかけてくださいね」

 腹の前で両手を重ねて一礼し、レナは足音も立てずに部屋を出て行った。


「…………はー」

 一人になるなり、シアラは磨き抜かれた鏡台にべちゃりと突っ伏した。

 顔に吹きかけられた薔薇水が鏡台につくのではないかと思ったが、もうそんなことはどうでもいい。疲れた。


「……とんでもないことになったわ、お母さま。私、離宮にいるのよ。王子さまが過ごされている宮殿でお姫さま扱いされているの」

 天の園で幸せに暮らしているであろう亡き養母に報告する。

 こんな異常事態、報告せずにいられようか。


 つい一週間前までは森で暮らす平凡な娘だったのに。平凡といっても魔女ではあるけれど。


「…………」

 シアラは思い直して背を伸ばし、鏡を見た。


 金色がかった緋色の髪と、金色の目を持つ少女がこちらを見返している。

 赤い小花模様の服を着た少女は首を捻って後頭部を向けた。


 両サイドから一房だけ取ってまとめられた髪の中央に添えられたのは、蝶が彫られた髪留め。

 蝶の羽根の中で小粒のダイヤモンドがきらきら輝いている。


(なんて綺麗な髪留めなの。とっても高そう……壊したら大変だわ。弁償しろと言われても、逆さに振られたってそんなお金は出てこないもの)


 シアラに用意されたこの部屋は二階の一室だった。

 調度はどれも品が良く、花瓶に花が飾られている。

 壁紙は白。淡い水色で模様が描かれていた。

 女性らしさに溢れた可愛い部屋。シアラの好みである。


(……本当に私、ここにいていいのかしら?)

 だって、椅子に張られた革の一つ取っても立派なのだ。尻に敷いて良いのかと躊躇してしまうくらい。


 絵の良し悪しなんてよくわからないが、それでも壁にかけられた絵は見惚れるくらい美しかった。繊細な筆致の風景画。


 しばらくその絵を見て心を落ち着かせたシアラは、立ち上がって部屋を出た。

 階段を下りてサロンに行くと、サロンの中心でルシウスがクルーガと戯れていた。


 エリーゼは長椅子に座り、苦い薬でも飲んだようなしかめ面でその様子を眺めている。


 ルシウスとエリーゼ以外にも、サロンには多くの使用人がいた。それからローブを纏った人間もいる。


 この離宮にはカインの他にも二十名近くの魔法使いが常駐している。


 魔法使いはルシウスの呪いを解くための研究を行うと同時に、この離宮全体を覆う強力な魔法結界を張っているとカインが言っていた。


 だから今回ルシウスが鳥にさらわれたのは魔女の仕業ではなく、本当にただの偶然だろう、と。


「殿下、そのように撫で回されて、本当に大丈夫なのですか? 魔物ですよ?」

 男性の使用人がルシウスの傍で眉尻を下げている。


「大丈夫だ、クルーガは噛んだりしない。賢くて優しい奴だからな。ネズミの私を乗せて森を走ってくれたこともある」

「なんと危険な……」

 眩暈を覚えたのか、エリーゼが頭を押さえ、長椅子に背を預けた。

 侍女が慌てて介抱している。


「大丈夫です母上。クルーガは人と見れば襲い掛かるそこらの凶暴な魔物とは違います。そうだ、母上も触ってみてはいかがでしょう。気持ち良いですよ?」

「結構です!」

 癇癪を起こしたような口調でエリーゼ。


「残念です。じゃあセティー、お前はどうだ?」

「私ですか!?」

 顔を向けられた若い使用人が自分を指さした。


「うむ。触ってみるといい。もふもふだぞ」

 ルシウスが場所を譲る。


「ええー……」

 若い使用人は弱り切ったように眉尻を下げたものの、クルーガに触れた。


「おお……本当だ。触っても噛みませんね。そしてもふもふです。なんと気持ちの良い手触り。病みつきになりそうです。実家の犬を思い出すなあ……チャロル、元気かなぁ……」


「王子、私も! 私も触らせてください!」

 別の使用人が声をあげた。


 シアラは微笑み、そっとサロンを離れた。


 ルシウスは一週間も離宮を離れていたのだ。

 積もる話もあるだろう。

 あんなに楽しそうなのに邪魔してはいけない。


(私が立ち入っては、エリーゼ様の頭痛が酷くなってしまうかもしれないし)

 エリーゼはしばらく離宮に滞在する予定だという。

 その間、信用してもらえるように頑張ろう。


 歩きながらどこへ行こうと悩み、シアラは中庭に目を留めた。


 植え込みの前で、カインがローブを着た青年と話している。

 シアラが注目したのはカインの表情だった。

 余所行きの笑顔の仮面が外れている。

 その上、会話しながら微かに笑ったではないか。


 珍しいものを見たシアラは、好奇心に負けて中庭へ行った。

 こっそり近づいたつもりが、カインはすぐにシアラを見つけ、青年もまたこちらを向いた。


 洒落た形のガス灯に照らされた彼は、黒髪茶目の青年だった。

 纏うローブの色は真紅。

 宮廷で行われる試験に合格して上級魔法使い『賢者』の称号を得た者――一握りの魔法使いにしか着衣を許されない色だ。


 ちなみに下級魔法使いは『学人がくじん』と呼び、そのローブは深い緑。


 ではカインの黒いローブはといえば、実はカインはそもそも宮廷魔法使いではなく、王から個人的に雇われている魔法使いらしい。

 それでも、彼一人だけローブなしでは格好がつかないとの配慮から特別に仕立ててもらったそうだ。

 魔法使いは一目でそうとわかるように、離宮ではローブ着用を義務付けられている。


「あ、シアラちゃんだ」


(シアラちゃん?)

 気安く呼ばれて驚いた。彼とは初対面のはずだが。


「お散歩中? おいでよ。ちょうどいま君の話をしてたところなんだ」

 青年は友好的な笑顔で手招きしてきた。


「初めまして。シアラ=ローズフィールと申します」

「これはどうもご丁寧に」

 近づいて会釈すると、青年は気取った仕草で一礼した。


「初めまして、俺はリド。ラシェル伯爵家の次男だ。カインとはトントリア魔法学院で知り合って、いまではこの通り親友」

 リドは笑って二度カインの肩を叩いた。

 カインは嫌そうな顔をしたが、手を払おうとはしない。


「カイン様にもお友達がいたんですね……」

 しみじみと呟いた途端、鋭い眼差しが飛んできた。

「お前は俺をどういう目で見ていたんだ」


「あははははは。シアラちゃんも言うね」

「あっ。すみません。つい本音が、ああ」

 さらなる失言に口を押さえる。

 リドは「シアラちゃん最高」と大笑いで拍手した。


「カインはひねくれものだからな。嫌いな奴ほど嫌悪を微塵も表に出さず、無茶苦茶愛想良く対応するしなあ。素で本音が言える友達なんて俺くらいしかいないんじゃないのか。なあ?」

 リドがにやにやして背中をつつく。


「うるさい」

 煩わしそうにリドの手を払いのけるカイン。


「何をしに来た。こいつと一緒になって俺をからかいに来たのか」

 不機嫌そのものの半眼を向けられ、シアラは両手を振った。


「いえいえそんなまさか。私はえーっと……」

 まさかカインが笑っているから興味を引かれました、だなんて言えない。


「そう、ルシウス様の呪いは解けそうなのかどうか、伺いたくて」

 尋ねると、二人は黙り込んだ。その反応だけで十分。


「……やっぱり、難しいんですね」

「……まあね」

 リドが苦笑して頬を掻く。


「カインは呪いを緩和する魔法を編み出したけど、俺も他の魔法使いたちも、いまだにカインが何をどうしてるんだか全然わからないからなあ」

「え。同じ魔法使いなのにですか?」

 目をぱちくりさせると、リドは頷いた。


「そうそう。魔法っていうのは、ざっくり言うと大地や空気中に存在する魔法元素を集めて魔法式で変換し、望み通りの事象を起こすものなんだけど、カインが使ってる魔法はそもそも根本が違うらしいんだよな。魔法使いが通常扱う魔法元素じゃなくて、魔法元素の中でも亜種を使ってるらしい」


「亜種……?」

 意味が分からず、カインを見る。


「……魔法元素は白く光る球として魔法使いの目に映るが、たまに金色に光る球がある」

 カインは面倒くさそうに説明してくれた。どうせわからないくせに説明させるなよと顔に書いてある。


「金色の魔法元素なんてどこにあるんだ? 全部白じゃないか。というか、白以外見たことないぞ? 文献にも載ってない」

 いまもその目に魔法元素が見えているのか、リドが空を見上げて首を捻った。それを無視してカインが続ける。


「俺は金色の魔法元素を集めてルシウスをがんじがらめに縛る呪いの鎖に叩き込んでる。それだけでは破壊力が足りないから、月光を応用した解呪の魔法を重ねて」


「破壊力……?」


「わかりやすく呪いを緩和すると言っているが、実際はただ全力で呪いの鎖のほんの一部をねじ切ってるだけの力技だ。呪いは強力だから、一部を破壊してもすぐに復元する。呪いの鎖全てを取り払う境地にはいまだに至ってない。どうすればいいのか見当もつかないというのが現状だな」

 カインは小さく吐息した。歯がゆそうに。


「……そうなんですね。魔女の呪いとは、そこまで……」

 シアラはサロンのほうを見た。

 使用人やルシウスの笑い声がここまで聞こえている。


(あの無邪気な笑顔の下で、ルシウス様はどれほど苦しまれていることか……)

 何か力になれることはないのだろうか。

 この一週間ずっと、シアラはそのことばかり考えている。


 加えて言うなら、カインのことも心配だった。


 再会したとき、カインは激烈に顔色が悪かった。

 それは不眠不休でルシウスを探し続けた寝不足と疲労のせいで、きちんと休養を取れば良くなると思っていたが、この一週間一緒にいてわかった。


 彼の顔色が良い日なんて滅多にない。


 特にルシウスを人に戻す魔法をかけた直後は具合が悪そうだ。

 本人は隠しているつもりらしいが、シアラは気づいていた。

 ずっと傍で見ていたのだから。

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