07:リンドカレラの魔女の歌

 海沿いの街並みを一望できる山の上にあるエスタの離宮。

 その風見の塔の屋根に、一人の少女が座っていた。


 ――リンドカレラのお姫さま。

   綺麗な綺麗なお姫さま。

   誰も彼もが姫に夢中。

   隣国の王子も一目で心を奪われた。

   みんなが笑顔で手を叩く。

   みんなが笑顔で花を撒く。

   祝福に満ちた陽だまりで、

   姫は王子と笑ってる。


 たとえ塔の内側にある長い螺旋階段を上ってその頂上に辿り着こうとも、そこから屋根に昇れるような設備はない。


 それでも少女は塔の先端に腰掛け、カナリアの如き美声で歌っているのだった。


 ――リンドカレラの醜い魔女。

   茨の塔で一人きり。

   本の海で一人きり。

   魔女は月が欲しくて夜に泣く。

   そこは誰も行けない霧の中。

   そこは誰も見えない闇の中。

   誰か私と踊ってと、

   時の止まった氷の城で、いまも一人――


「――あ。帰って来た」

 星明りを紡いだような銀髪を夜風に躍らせ、密かに歌っていた少女は口を閉じた。


 少女の青い目が、離宮の前庭の景色を映し出す。


 正門前で止まった立派な四頭立ての馬車から王子が下りてきた。

 ネズミではなく人の子の姿で下り立つ彼を、離宮に住まう大勢の使用人と第四王妃が迎えた。


 王妃が我が子に近づく。

 輪郭を確かめるようにその頬を撫で、王妃は我が子をひしと抱きしめた。


 涙ぐんで王子と話していた王妃は、王子に続いて馬車から下りた魔法使いに顔を向けた。

 どうやら王子を無事保護した労をねぎらっているようだ。魔法使いも笑顔で応対している。


「長旅お疲れ様でした。でも、だいぶ衰弱してるみたいだねえ」

 少女は一目で魔法使いの体調を看破し、笑った。


「しょうがないね。この一年、王子さまのために毎日毎日魔法をかけ続けてきたんだもの。そろそろ限界でしょう? 努力は認めてあげるけど、あんまり無茶すると死んじゃうよ? そうなったら王子さまはずうっとネズミのまんまだね。あなた以外にその魔法は使えないもの。そんなの困るよねえ。とってもとっても困るよねえ。王子さまは知っちゃったもの。人である喜びを知っちゃったもの。もう知らないふりなんてできないよ。どうしよう? ああ、どうしよう? リンドカレラの魔女はなんて残酷なんだろう!」


 くすくす笑っていると、魔法使いにエスコートされて、馬車から魔物を従えた少女が出てきた。


 場が凍り付く中、少女は何かを訴え始めた。

 その髪は金色がかった鮮やかな緋色。


「……ふうん。あの子、本当に魔女なんだ。多くの魔女を見てきたけれど、あれほど見事な緋色は初めて見るや。まるでリンドカレラの魔女みたい。どんな力の持ち主なんだろ? 破壊、治癒、透視、千里眼、精神干渉……ま、なんでもいっか。どーせ王子の呪いは解けっこないんだし……あらあら」


 王妃が片手を上げ、衛兵たちが魔物と魔女を捉えんと飛び出す。

 魔物もこれを迎え撃つべく地面を蹴った。


 そこで魔法使いは指を鳴らし、衛兵たちと魔物の動きを止めた。


「難しい魔法をあっさり使っちゃってまあ。変な魔法を使って、衛兵の至近距離にいた魔女を巻き込むことを恐れたのかな? でもさあ、そんなことばっかりしてたら、そのうちほんとに死んじゃうよ? そしたらリンドカレラの魔女は泣いちゃうよ? だって魔女は呪いをかけた王子より、あなたにこそ興味を抱いているんだから!」


 くすくすくす。


「リンドカレラの魔女と同じ特異点。世界の理から外れた異端の魔法使い。あなたは魔女と踊ってくれる? 大事な大事な王子の呪いを解く代償に魔女があなたを求めたなら、あなたはなんて答えるのかな?」

 楽しそうな笑い声を残して、少女の姿は夜に溶けた。






「お前が魔女の手先ではないというのなら、いまこの場で証してみせなさい」

 ガス灯が煌々と照らす離宮の前庭で、シアラは予期せぬ窮地に立たされていた。


 シアラの目の前にはルシウスの母、第四王妃がいる。

 ルシウス帰還の一報を受けて王宮からはるばる駆けつけてきた王妃は、それはそれは美しい女性だった。


 滑らかな白い肌に、世の女性の理想を突き詰めたような卵型の顔。

 ルシウスよりも濃い青の瞳――いや、彼女の目は青というより藍色だ。


 白いレースが袖口と襟元にあしらわれた翡翠色のドレス。

 ダイヤモンドが煌く髪飾り。両耳で揺れるルビーのイヤリング。


 仄かに香水の香りを振りまく艶やかな王妃は我が子を守るように肩を抱き、柳眉を逆立てていた。


 王妃の背後に並ぶ使用人たちも困惑や敵意の眼差しを向けてくる。

 好意的とは到底いえない多数の眼差しに晒されるのは辛かった。


「恐れながら妃殿下。私はその術を持ちません……けれど、決して魔女の手先などではありません。私は魔女ではありますが、ただ森の中で暮らしていただけの娘です」


 問題となったのは、クルーガの存在と、シアラの髪色だった。

 一目で魔女とわかる髪に、引き連れた魔物。

 王妃はシアラが裏で魔女と通じているのではないかと疑っている。


 王妃が思い描いた筋書きはこうだ。


 何年経っても自分の元に下ろうとしないルシウスに業を煮やした魔女は、鳥を操ってルシウスを攫い、死なない程度の怪我を負わせてシアラの元へ運ぶ。


 シアラはその癒しの力で怪我を治すことでルシウスの信頼をつかみ取り、迎えに来た魔法使いをも欺いて離宮に乗り込み、災厄を振りまく――と。


「信じるものですか。悪しき魔女と結託して、王子をどうするつもりなの。白状なさい!」

「妃殿下、どうか信じてください。私は本当に、魔女など知らないのです……!」


 不穏な空気にクルーガが唸り、さらに皆の反感を招く悪循環。

 こんなことならクルーガを森に残せば良かったと後悔しても後の祭りだ。


「母上、シアラは悪意を以て人を傷つけるような娘ではありません。この一週間シアラと共に過ごした私の言葉を、どうか信じてください」

「妃殿下。私も王子に同意します。シアラは無実です」

 ルシウスとカインも援護してくれたが、王妃は跳ねつけた。


「いいえ。信じられません。王子たちは魔女に騙されているのです。その魔物が何よりの証拠。魔物を家族として飼うなど聞いたこともない」

 クルーガが前傾姿勢を取って牙を剥く。

 シアラと自分を悪く言われて怒っているのだ。


「御覧なさい。剥き出しにしたあの牙。あの顔つき。なんと恐ろしい……衛兵! 息の根を止めてしまいなさい! その魔女を捕え、地下牢に繋ぐのです!」

「はっ」

「母上!」

「そんな、お待ちください――!」

 ルシウスが諫めても、シアラが悲鳴をあげても、動き出した時間は止まらない。


 剣を構えた三人の衛兵がクルーガに向かい、別の二人がシアラに手を伸ばしてきた。


 クルーガが地面を蹴り、最も先行していた衛兵の喉に食らいつこうとする。

 衛兵の手がシアラの腕に触れる――


 刹那、ぱちんという音が空気を震わせた。指を鳴らす音。


 たちまち、クルーガと衛兵の動きが止まった。


 驚いたことに、クルーガは空中に留まり、衛兵たちは剣を振り被った姿勢で固まっている。


 シアラに迫った衛兵たちも同様に、彫像と化していた。


「な、な……?」


 かろうじて目と口だけは動くらしく、衛兵たちは唖然としている。


「……カイン!?」

 奇怪な現象を引き起こした犯人の名を王妃が呼ぶ。


「勝手ながら、動きを封じさせていただきました」


 カインは王妃の非難の眼差しを受けて、頭を下げた。


「動きを封じる……?」

「そんな魔法、聞いたこともない……」

 使用人たちがざわついている。


「妃殿下の心中はお察し致します。魔女は尊い陛下の命を救ったとはいえ、その代償に王子を求め、抗えばネズミに変えました。魔女を恨み、警戒するのは当然のことでしょう。けれど本当に、この娘は無実なのです」


 カインはシアラの手を引いて下がらせ、その前に立った。

 潮風を浴びて、纏うローブの裾がふわりと揺れる。


「私は彼女を十年前から知っています。その人間性は私が保証します。彼女が連れた魔物もそうです。クルーガは下手な犬よりずっと賢い。きちんと躾けられていますから、普段はいまのような真似は決してしません。そう、人間のほうから過度な刺激を与えない限りは」


(カイン様……)

 自分を庇う背中を見つめて、ぎゅっと手を握る。


「それでもその魔物を殺し、シアラを牢に繋ぐというのなら、妃殿下はこの私を信頼してくださらなかったということ。ならば私も妃殿下の意に背きます。どのような罰を受けようと、私はもう殿下を人に戻さない。ルシウス様はこの先一生、ネズミのままです」

「な……!」

 王妃が絶句して拳を作った。わなわなと震える。


「カイン様、それは――」

「母上。私もそれで構いません。私はずっとネズミでいましょう」

 慌てたシアラが言いかけるより早く、ルシウスが肩にかかる王妃の手を払い、顔を背けた。


「大切な友人を疑う母上なんて大嫌いです」


「――――――!!」

 ルシウスの発言は王妃の身体に電撃を流させたようだ。


「そんな……ルシウス……」

 これまでの威厳に満ちた気丈な振る舞いが一転、王妃は大きく狼狽えた。


 それでもルシウスは王妃を見ようともせず、静寂が落ちた。


「わかりました……私が間違っていました」

 使用人たちが心配そうに見守る中、王妃はついに敗北を認めて項垂れた。


「では、クルーガもシアラも私の客と認め、離宮に滞在することを許してくださいますか」

 そっぽ向いたままルシウスが言う。


「ええ、許します。もしも陛下が難色を示したならば、私が取り成すと約束しましょう」

 途端に、クルーガが地面に落ち、衛兵たちがたたらを踏んだ。

 カインが魔法による拘束を解いたのだ。


「ありがとうございます母上。大好きです」

 ルシウスは王妃に向き直り、大輪の花の如き笑顔を見せた。

 彼の周囲だけ空気がキラキラと輝いている。


「~~~~~!!」

 王妃はその笑顔に陥落したらしく、ルシウスを抱きしめた。


「母上、あの、そのように強く抱きしめられると苦しいです……」

「私の天使……」

 王妃が恍惚の表情でルシウスに頬ずりするのを視界の端に捉えつつ、シアラはカインに歩み寄った。


「ありがとうございましたカイン様。いまこうしてクルーガと私が無事でいられるのは、あなたとルシウス様のおかげです」


 引き下がっていく衛兵たちを不服そうな顔で見つめ、クルーガは鼻を鳴らして蹲った。

 前足でガリガリ地面を掻いている。完全に機嫌を損ねたようだ。

 これは後でフォローしなくてはいけない。


「礼ならルシウスに言え。ルシウスはこの展開を予想していた。お前が王妃におびやかされるなら、もう二度と自分に協力しないと脅してでもお前を守れと言ったんだ」


「まあ……そうだったんですね。はい。わかりました」

 まだルシウスは王妃と話しているので、後で改めて礼を言おう。


「でも、カイン様にもお礼を言わせてください。庇ってくださってありがとうございました」

「……借りを返しただけだ」

 そっけない態度は実に彼らしい。シアラはふふっと笑った。

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